これは、誰でもできること。
でも、その「悪者」が本当に悪いことをしたのかどうかを確定することはとても難しい。
なぜなら、本当にそれが「悪いこと」なのか、そしてその人が本当に「行動したのか」をはっきりさせなければ、事実の特定は無理な話だ。
読売新聞の「「警察呼び指紋採る」教諭の執拗聴取で精神疾患」の記事を読んでそう思った。
これは何も、教室の中だけはない。
悪いものを決め付けてそれを排除する。
どこでも行われているが、どのスタートは学校だ。
この件では5時間半も事情聞き取りをしたらしい。
この教員が行き過ぎたのはともかく、程度の違いはあっても、先生が特定の生徒を「悪者」と決め付けるのは日常的だ。
日ごとの態度から、そういうことが判るということもあるだろう。
でも、学校で必要なのは犯人探しではない。
「なぜ、彼(彼女)はそういうことをするのだろうか。」という「理由」をはっきりさせることだ。
それは、される側も含めてみんなで事象について「考えること」だ。
弱いものを苛めるのは、絶対的に苛める方が悪い。
傍観者も悪い。
でも、本当の問題は「なぜ、それが起こるのか。」をみんなで真剣に考え、当事者が議論しないことだ。
大人は、嫌い、好き、きもい、だけの子供の発言を肯定するのではなく、その先を彼らに考えさせるの役割だ。
大人が見せる「決め付ける」姿勢は、子供にそのような判断手法を教えている。
大人が変われなければ、未来は永遠と変わらない。
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