2013年12月17日火曜日

お金貰うには見返りがあるよねえ

東京都知事「返した」と言い張るお金が話題になっているけど「徳洲会施設に補助金7億5000万円」とすっぱ抜かれたんじゃあ、何を言っても言い訳にしか聞こえない。

しかし、これ補助金が「7億」ではなくて、ちょうど貰った「5000万」がくっついているところは偶然なのか。

まあ、借りたか、貰ったかはどうでもいいけど、7億以上の助成金を貰った事実があるんじゃ何を出しても説得力がない。

「7億の助成金、返してもらいます」と宣言すれば話は違うだろうけど、そんなことは天地がひっくり返ったって起きやしない。

この「助成金」の話、あんまり記事にしているメディアがない。
多分、言論統制でも入っているんだろうかとかんぐってしまう。

かつての石原知事だって、自分の息子を「アーティスト」として雇っていた。
彼には、都からオリンピックの予算が与えられ、豪遊していたんだから、師匠の弟子は錬金術の手法には熟知しているのだろう。

でも、大手新聞は当たり障りない程度にしか書かないし、2ヶ月もすれば忘れられる。

みずほ銀行の反勢力への融資だって、他社もやっているという記事を撒くことで、国民に「安心感」を与えた。

偽装ニュースもそう。「他社と同じ」が一番みんな安心するんだから。

今回の事件だってそのうち忘れ去られるだろう。

それか、バッシングで辞めるのか。
みのもんんた氏も坂東栄治氏も言い訳したけどだめだった。

知事も日本人だ。

はたして「みんなと同じ」を重要視するだろうか。

300億円人材紹介会社にばら撒くの?!

信じられないニュースをやっている。

国が金をばら撒くのは地方省庁だけではない。
国は、なんと転職支援会社に助成金を与えるという。

つまり、企業が中高年の転職支援会社を使えば補助金を与えるという。

よく、考えて欲しい。

中高年が転職する場合は、年収は半分だ。

それでも、就職できればいい。

そもそも、日本の会社で再就職ができるのは30代まで。
派遣の仕事だって、40代、50代には紹介すらされない。

登録を薦められるのは、派遣会社の大きさを水増しするためだ。

転職支援会社も大した変わりはない。

私は「転職支援会社」に「退職した大企業」を通して登録しているが、1年半、一社とも面接したことない。

そもそも、会社を紹介もしてもらったことがない。
企業はリストラの言い訳に「充実した転職支援」をうたい、こういう会社を使う。

そして、それらを必要経費として落とす。
転職会社は対象者に何一つ紹介しなくても、企業にサービス費用を請求できる。

それだけでも十分搾取なのに、今度はこの転職会社に、税金から助成金を出すという。

ちなみに、これ今年の予算の150倍だ。
この予算、一人当たり上限40万までだそう。

給与半分で新しい職場に押し込めれば、人材紹介会社にはリストラした会社から、そして助成金が入っている。

こういう場合、何が起こるか?

まずは、人材登録だ。
また、派遣会社と同じ。
時間を3時間もかけて登録させるが、一切紹介はない。

そりゃあそうだ。
万が一、個人で就職できても助成金が出るんだから。

そんな中で、中高年求職者だけが何ももらえない。
助成金も、面接の機会も、職場も、仕事も・・・・

日本式コンプライアンス

キャリコネの「偽装請負」を訴えたらクビに 日立の内部告発窓口は機能しているのか」という記事、大手は全く記事にしない。

当然だ。
みんな「偽装請負」をやっているから、それを指摘したところで何も変わらない。

でないと、こんなにたくさんのサービス会社が成り立つわけがない。

このケースもそうだけど、元受は仕事をしない。
彼らは、名目上の「請負者」だ。
だから、発注主が「自分のプロジェクト」と思っている。

だから、発注者は「自分が雇った人材は自分が使う」のであり、何も変なところはない。

では「管理の元受」はどうか。

典型的な「お客様には逆らわない」という姿勢で対応する。

そんな元受はメンバーに「お客様が言っているんだから、そうして下さい。」としか繰り返さない。

そもそも、お金を貰う側が、お客様に「改善指示」なんてできる訳がない。
だから、お客様自ら「改善したい」と言うところだけを「改善する」ことで高いお金を貰う。

そして利益を取って下請けを使う。

だから、日本のシステムは変わらない。

この文化を指摘したところで、煙たがられるだけ。

で、これは「違法」だから当然、検査が入れば是正がかかる。

こんなことを各現場でやられれば会社としてはたまったものではない。

だから、そういう思想を持った人は追い出す。

当然だろう。

日本式のコンプライアンスとはそういうことだ。

法を「守ったふりをする」ことであり、法は世間へ向けた「建前」でしかない。

だって、そんな法を作るバックに居るのは大企業の団体なんだから。

2013年12月14日土曜日

決め付けるのは楽だけど

悪者を決め付けてそれを確定する。

これは、誰でもできること。

でも、その「悪者」が本当に悪いことをしたのかどうかを確定することはとても難しい。

なぜなら、本当にそれが「悪いこと」なのか、そしてその人が本当に「行動したのか」をはっきりさせなければ、事実の特定は無理な話だ。

読売新聞の「「警察呼び指紋採る」教諭の執拗聴取で精神疾患」の記事を読んでそう思った。

これは何も、教室の中だけはない。

悪いものを決め付けてそれを排除する。

どこでも行われているが、どのスタートは学校だ。

この件では5時間半も事情聞き取りをしたらしい。

この教員が行き過ぎたのはともかく、程度の違いはあっても、先生が特定の生徒を「悪者」と決め付けるのは日常的だ。

日ごとの態度から、そういうことが判るということもあるだろう。

でも、学校で必要なのは犯人探しではない。

「なぜ、彼(彼女)はそういうことをするのだろうか。」という「理由」をはっきりさせることだ。

それは、される側も含めてみんなで事象について「考えること」だ。

弱いものを苛めるのは、絶対的に苛める方が悪い。
傍観者も悪い。

でも、本当の問題は「なぜ、それが起こるのか。」をみんなで真剣に考え、当事者が議論しないことだ。

大人は、嫌い、好き、きもい、だけの子供の発言を肯定するのではなく、その先を彼らに考えさせるの役割だ。

大人が見せる「決め付ける」姿勢は、子供にそのような判断手法を教えている。

大人が変われなければ、未来は永遠と変わらない。

2013年12月9日月曜日

「コミュニティ」が意味すること

日本は震災以後「絆」とか「コミュニティ」という言葉が盛んに使われている。

ところが、こういうものを今まで大切にして来なかった人たちが使うので、誰が使っても薄っぺらいものにしか聞こえない。

使う人が「私って素敵っ」と思うための言葉にしか思えない。

今朝、CNNの「白血病の少年が「バットキッド」に」という記事を見て「ああ、これが大きく違うんだなあ」と思った。

このメイク・ア・ウイッシュという団体のことは以前から知っていた。

ただ、この記事は本当の意味での「コミュニティ」を現している。
1万2000人演じる「舞台」が「コミュニティ」として一体になった出来事は、たとえ影に醜い行為があったとしても、みんなが少年のために起こした行動は素晴らしいものだ。

人の良き「もの」は、人を動かす。
こういう一体感が「コミュニティ」という意識を育てるような気がする。

「5歳の病気と闘う姿が他者に勇気を与える」という記者のコメントは、与えた彼らと5歳の少年が対等であることを現している。

こんな風に「与える者、与えられる者」を作らない客観的な記事が書けるのは、アメリカ文化の根底にある平等意識のためだと思う。

東北の被害地域では、街づくりが難航しているらしい。

でも、コミュニティは、政府が作るのではない。
お金があるからできるものでもない。

そこに住む人達が「必要として」作られるものだ。
住む人一人一人が責任を持って作るものだ。

「誰か」が作ってくれるものではない。
「誰か」のために作るものでもない。

子供が、大人が、そして老人が、みんながお互いを支えあって作られるもの。
それがコミュニティだ。

それは、日本でもアメリカでも変わらない。

2013年12月8日日曜日

「幸せ」と「満足」の違い

最近のニュースに「日本人の満足度」は70%という統計結果を読んだ。
でも、日本人の自殺率はとても高い。

だから、疑問が沸いた。

「満足」と「幸せ」はそれぞれを求めた時、何が違うんだろうか。

定期的にゆく職場があり、収入があり、時々旅行に行く。趣味にもお金が使える。
こんな日々を過ごす人は「満足度70%」の一員なのだろう。

でも、それは「幸せ」なのだろうか。

東京を引き上げて、地方都市に引っ越した。
家はあるけど仕事がない。
「30歳以上」で女性の業務改善専門家など、誰も雇ってくれない。

でも履歴を隠したら、仕事が来た。

年収800万から、時給900円のテレフォンオペレータだ。

現状に満足は全くしていないが、心は東京に居た時より遥かに清清しい。
幸せとまでは言わないが、かなりそれに近いものがある。

体は正直で、体重が4キロ減って肥満気味が解消された。
食材が美味しいから、料理もうまい。

ジムも、教会も家から15分しかかからない。

未婚で中年へまっしぐら。
仕事は激安のアルバイト。
未来は真っ暗だけど、気が向いた時に、うまいものを友人と食べられるこの生活は、東京で感じた「満足」とは確実に違う「満足」だ。

4ヶ月に一度しか会わないけど、3週間前に夕食を計画しても、仕事を言い訳にして遅刻する友人との食事に、自分は本当に「満足」していたのだろうか。

「急だけど、今晩うちにご飯食べにこない?」と友人から誘われる今の生活を経験すると、過去の自分自身が感じていた「感覚」を疑わざる得ない。

私は本当にあの生活に「満足」していたのか。

人は「今」の生活「以外」の生活を経験して初めて「満足」と「幸せ」の違いを理解できるのかもしれない。

2013年11月28日木曜日

知っている人はニュースを信じない

時事通信が出した「ヤマトHD、通期業績予想を据え置き=常温仕分けによる解約なし」のニュース。

同じ発表の日経による記事は「ヤマトHD純利益53%増、宅急便大幅増 4~9月 」だ。

同じ発表でも、このタイトルを見る限り事実をどう記事にするのかの報道哲学が比較できるだろう。

大手大新聞社は動画まで使ってヤマトの「通常温度の仕分け」をさも大問題としてスクープした。

しかし、後続ニュースではゆうパックが「保冷もせずに配達していた」事実に対してあいまいに書く。

「ゆうパックなど常温配送 日本郵便、650局で」というタイトルがつくニュースに対して「チルドゆうパックも常温放置 日本郵便、苦情相次ぎ調査」だ。

これ、タイトルを読むとチルドパック「も」常温仕分けをしていたように読める。
しかし、事実はチルド配送すらしていない「詐欺」ともいえるサービスだ。

これを追求するか?
多分しないだろう。
仲間は助け合うのだから。

消費者も株主も馬鹿じゃあない。

ゆうパックに比べればヤマトの仕分け問題など大したことではない。
だから、ヤマトの解約も起きなければ、業績も順調だ。

ただ、純利益がこれだけ増えれば、現場の負担は計り知れない。

だからこそ、仕分けの部分に付け込まれたと思うけど、スクープ自体は、ヤマトの中での改善に繋がったのだから彼らにとっては利益になった。

ヤマトはニュースによるダメージがなく、社内改善の良いチャンスに変えた。

頭を下げても、売り上げは順調だ。

じゃあ、ヤマトの仕分けをスクープして誰が損をしたのか。

ゆうパックだ。
事実を暴露されたんだから。

だから、メディアの仲間は問題を大きくは決して扱わない。
できるだけあいまいにしてお茶を濁す。

だから、消費者は利口になって、メディアに騙されず、駄目なサービスを使わない選択をする必要がある。

会社を超えた忠誠心?

大手新聞社が無視したが、日経他何社が記事にした「NTT東社員:収賄容疑で捜査 東京地検」の事件。

これ、面白い。

何故なら、NTT東の社員が結託した委託先会社の社長だった人はNTTの元社員だ。

年齢から考えると、先輩と後輩か、それとも部下と上司か。

仮に上司と部下と仮定すると、上司の天下り先に部下は便宜を図った。
忠実な部下だ。
見返りを期待したかどうかは判らないが。

となれば、元上司も部下に褒美を上げるだろう。
一億円は多すぎると思うけど。

でも、都知事のニュースは5000万の見返りが7億5000万の補助金を貰うんだから日本では珍しくない。

だいたい、自分の金でなければ、100円も1000万もそれほど気にしない。

会社員という限られた権力の中で、既得権とコネを目いっぱい使えば、会社外からボーナスがでる。

だから、もっと便宜を図る。

そうやって、特定会社とのビジネスが増えてゆくから、公平な競争力なんてそもそも存在しない。

大企業とビジネスをするということ「コネ」がなければできない。
市町村の求人も公募はするけれど、すでに人は決まっている。

ハローワークへでの募集は「公平に募集しています」というポーズを見せるためだけだ。

仕事に家族的役割を求めるのならそれも仕方ないが、その先にあるのはこの事件のような「馴れ合い」だ。

職務としての意識はどこにもない。

だから、家族のために、自分の利益のために行動する。

職務意識無しの職場に、自浄作業は発生しない。

至極の建前

同じ記事でも、タイトル次第で印象が変わる。

「特定秘密保護法の修正案、衆院通過 与党・みんなが賛成」と「<秘密保護法案>福島バカにするな 公聴会翌日に強行可決」では、与える印象が全く違う。

だから、記事をどう伝えるかには、メディアの企業哲学がすけて見える。

「事実を伝える」という意味で最初のタイトル記事は正しいだろう。
でも、この法案、国民が問題にしているのは「通ったこと」ではない。
大体自民党が大半を占めた以上、通ることは「出来レース」だったのだから。

問題はその通し方だろう。

採決前日に、公聴会を福島で実施する。

しかも、公聴会は政党に繋がり、つまり「コネ」がある人間だけが傍聴できるという、いかにも日本的民主主義で開催された。

つまり、コネが無い日本国民は、政治現場の片隅を傍聴する権利すらない。

労働環境もまた、同じだ。正社員と非正規社員の間には、同じ労働者でも既得権を持つものと持たないものが存在する。

どこかに所属しないと主張できない社会であることは、政治も同じ。

ただ、そこで全員反対しても「公聴会実施」の事実は残る。

監査だって「やった事実」が重要で、本気で問題を見つけるつもりなどない。

オリンパスの事件はその代表的なことだろう。

どの世界も「建前」と「肩書き」が重要である以上、今回の結果は当然のことだ。

メディアが政治と結託すれば、その書きっぷりは知れている。

それを信じるかどうかは、一人ひとりの問題だ。

働かない人にも給与を与える企業の問題

楠木 新氏が東洋経済オンラインに連載している「なぜあのオジサンは、働かないのか?」を読んでげんなりした。

とうとうここまで来たか、と思った。

働かない事実に対して「どうしたらいい」という対処法をタイプ別まで分けて処方する、という。これを「解決案」と呼ぶのだろうか。

職位だけにぶら下がり、職務を果たさない社員を作ったのは企業だ。

そして、この存在を肯定しているのも企業だ。
何故肯定するのか。
面と向かって問題に取り組む責任者がいないからだ。

では、何故、経営層もこの問題に取り組まないのか?

そんな責任、誰も取りたくないからだ。
人件費として計上すれば、なんら問題ない。
経営層もまた50代だ。
自分の首をしめるような渦中の栗を拾うようなことをする人はいない。

こういう「お仕事」を肯定するから、50代は会社に行きさえすれば、年収700万以上もらえると思っている。

そういう大人を見ているから、若者は正社員になることが「最高の就職」だと思っている。

職務としての結果は問わず、年齢で求人を選別し、職務ではなく、職位という「肩書き」が重要な日本企業で起こることはどこも同じだ。

問題は、家族的経営文化における責任のあいまいさから発生している。

「職務定義」を明確にし、責任と仕事の範囲を適切に分ければ、社員だろうが派遣だろうが同じ給与を策定することはできる。

でも、できない。
何故ならそもそも「職務定義」が無いからだ。

だから、どんな解決案も気休めでしかない。

2013年11月25日月曜日

横領の刑期は、1億1年

年金機構や住宅供給公社、薬剤師など、管理職が判子しか押さない職場では横領というのは一般的のようだ。

その金額も、誰も確認しないから規模が大きい。
政府系では10億以上、民間でも億を超えている。

政府系の方では「管理職」という「人間を使ったチェックの仕組み」は全く機能していないようだ。

タイから送還された事務官もそうだが、この手の事件、頻繁にニュースになるので事件がリストになっている。

だから、調べると面白い。
実刑にはなるけれど刑期がそれほど長くない。

1億1年位か。

で、法律では横領罪、10年以下なので、10億以上着服した場合は、その分1億一年ほど付加されているようだ。

だから、長い間、刑務所に居るわけじゃあない。

これ、疑問が沸く。
経理担当が何人かいて、監査が居て、財務諸表も毎年チェックされているのに億単位の誤差が出てきても気がつかないのは何故なのか。

ビジネスの金は基本的に2つしかない。

入ってくる金、出てゆく金。
だから、どちらも予算を立てて、実績を確認する。

それらのデータを前年度と比較して次年度予算を作っているはず。
だから、管理職なら数字がズレれば、原因を探り出せるはずだ。

でも、その差が億を超えても「判らない」のが一般的だとしたら、やはり日本の管理職は「仕事をしていない」と思われても仕方がないだろう。

海外ならまず管理職の首が飛ぶ。

管理職という「人間」でチェックする「振り」を続けるなら、これからも横領事件のニュースは増えるだろう。

「非難する文化」が醸成される背景

週刊朝日の「ももクロ人気から分かる激しすぎる矢口真里バッシングの理由」という記事を引用した孫記事をざっと読んだ。

日本は1970年代から本当に変わらない。

アイドルを神聖化するのは、昔からだ。

山口百恵氏がアイドルだった時、自伝を出した。
かなり売れた。

その中で性について正直に書いている部分がある。
これは当時かなり画期的だった。

アイドルはそういう性の部分を持たない神聖性を持っていた。

でも、編集者が「人間」として自伝を書くなら避けて通れないところだからと説得した。

彼女はバッシングされなかった。
なぜなら、妻となり、主婦として「男」の理想通りに結婚したからだ。
彼らの「夢」は壊さなかった。

日本経済を動かしている「男性文化」が、特定のアイドルをバッシングする理由は彼女達を「守る」対象として見ているから。

つまり、これも日本男性が逃避の世界に住んでいる現実だ。

リアルの人間を「守る」責任は負いたくないけど、「誰かを守っている自分」として酔うための対象は欲しい。

それが、今のアイドルだ。

彼らはパフォーマーとしても稚拙な「彼ら」を応援し、保護者になったつもりになっている。

でも、彼らは人間だ。女は変化し、成長する。
でも、彼らの夢の世界にフィットしないなら愛は憎しみに変わる。

5歳の子供と同じだ。

男の欲望が何であれ、それをビジネスにするのは賢い。

しかし「誰かが思い通りにならなければ非難しよう。」という思想をメディアが「記事」というビジネスにするのは思想的にかなり病んでいる。

「他人に関わらない」という選択の先

「裁判官は「クビ」にならない!?」という記事、実際に福岡地裁で起こった事件らしい。

これ背景を読むとどうかしているとしか思わない。
これ、セクハラ以前のパワハラだ。
職場の飲み会としても「女性1人と男性5人」もありえないだろう。

だって、これ仕事上の上司から誘われて「司法修習生」が「嫌です。」っていえない。

職場ではよく「女性職員」をコンパニオン代わりに使う。
これが当然になるのは、女性職員が権威的に「弱い立場」であることが多いからだ。

派遣やパート社員も飲み会の役割として期待されることが多い。
だから、言い訳をしてなんとか「参加しないこと」でリスクを軽減しようとする。

逆に、こういうチャンスを利用して、上司の愛人になりコネを強くする人もいる。

これが現実だ。

この件は問題を起こした裁判官が依願退官したそうだが、コネ文化の日本、当然次の職場は紹介してもらえるだろう。

この記事は、裁判官への処分が甘いことを問題視しているけれど、そうだろうか。

5人の男性の中で1人の女性が「酒を飲む」という場に参加した背景を考えてみると悲しい現実がある。

まず、現場で男性の誰もが女性を「助けない」という現実。
そして、他の女性職員が誰も参加しなかった現実。

こちらの方が問題だと思う。

これが、野郎だけで飲む会なら何も問題は起きていないはずだ。
何故、女性一人が参加しなければならなかったのか判らない。
でも、同僚として、いっしょに働く人として、あまりにも無関心過ぎないだろうか。

「他人に関わらない」選択をするのは自由だ。

しかし、その未来は、自分が困った時、誰も助けてくれない。

2013年11月22日金曜日

作り手への敬意が無い社会の先

おまけ目的で、映画のチケットを買う。
だから、映画を見ない。

そんな話を聞いた時「映画が「おまけ」になるなんて本末転倒だなあ」と思った。

たくさんの人が時間をかけて作った映画は、チケットのおまけに配られる原価数十円のプラスチックの破片より価値がないらしい。

「金を出す人がどうしようとその人の自由だ」という考え方は、一般的だけど、本当にそうだろうか。

これは、危険な思想だ。
この思想を、食べ物や衣類にも同じ考えをすると「買ったのだから、残ったら、要らなかったら、捨てるのは当然」ということになる。

食べ物が「そこに在る」ためには、農家が、漁師が努力して収穫してくれたからだ。

彼らの努力の結果、小麦粉が出来て、ツナ缶ができる。

だから、レストランでビザが食べられるのだ。

安い衣類も遠いアジアの国に作った人がいる。


映画も、小説も消耗品ではない。


何人もの作り手の努力の結果、私達が楽しめる。

有名な映画解説者の淀川氏はどんな映画もけなさなかった。

それは、作り手がどれほど映画を作るのに苦労しているかを知っていたからだと言われている。

知り合いの男性は、決して妻の料理に決して「まずい」という単語を使わなかった。

まずいと思う時は「このレシピはもう使わない方がいいかもねえ」とぼそっとつぶやいた。

金を払った権利だけを主張するのは貧しい行為だ。

家庭でも、社会でも、作り手への敬意を表さなければ、近い未来、誰も作らなくなる。

だから手遅れになる前に、家庭や学校から教える必要がある。

所有権の主張より、作り手への感謝の気持ちが大切だということを。

2013年11月21日木曜日

感動の値段、モノの値段

ある映画館が、観客に「特典だけ貰って映画を見ないのは不快だ」と意見した。

これはある映画チケットの特典が市場で高値で売れるから映画を見ずに特典だけを貰うらしい。

だから、映画館の従業員が見かねて意見したらしい。
それに対して「金出した客が何をしてもいいだろう。」と苦情が来たらしい。
それで、結局映画館が「不愉快な思いをさせて申し訳ない」と謝ったという。

これに対して「そういうものを作る企業が悪い」みたいな意見もあった。
それも正論だろう。

世の中が映画を「ビジネス」と捉えた以上、金儲けのために「映画を作るつくり手」にお金をかけず、「チケットを売るため」に努力するのは当然だろう。

映画がビジネスになれば「良い映画を作ろう」とするのではなく、「映画をできるだけ売ろう」という思想に侵される。

だから「おまけ」をつけることになる。
これが「売れるから映画化する」発想で上質な映画が出来るはずが無い。

映画は芸術表現の形だ。
感動が欲しくてその時間を劇場で過す。

そこから人生を学び、アーティストの表現を楽しんだ。

映画が与える、何度も思い出せる感動の瞬間。
そして、誰かと過ごした大切な時間。

それが映画だった。

しかし、映画が「ビジネス」になれば心理学をマーケティングに応用し消費者の欲望を刺激する。

消費者が欲しいのは感動じゃあない。

「モノ」だ。

「特殊なものを所有すること」で優越感をくすぐるからだ。

「所有すること」を「幸せ」と考える思想が高度成長を支えた。
そして、誰も尋ねて来ない家をモノで一杯にして一人で暮らす人が増えた。

そこから、新しい感動を与える「モノ」が生まれることはあるのだろうか。

2013年11月19日火曜日

行為が問題ではない

ロイターの「コカイン使用のトロント市長が再び謝罪」という記事を読んで、昨日ラジオで聞いた「あの市長だ」と思い出した。

この市長の謝罪会見を聞いて「そうじゃあないでしょ」と思っていたからだ。

記事からは、この市長についての「事実」だけが書かれている。

これはニュース記事として素晴らしい。

でも、肉声の謝罪会見を聞いた印象とはかなり違う。

彼は最後に言った。

「私は間違いを起こしたけど、この街をずいぶん改善してきた。
赤字も解消してきた。
そんな自分を不要というのなら仕方ない。
後は勝手にやってくれ。」

そんな印象を与えるスピーチだった。

それはトロントの街に対してかなり貢献した自分を、(バレてしまった)一度の過ちすら許してくれない議会へ不満あふれるものだった。

彼は理解していない。

彼がトロントの街にどんなに貢献していても、社会のルールを守らない人が、社会の秩序を保つ仕事はできない。

どれだけ能力があってもだ。

リーダーとして公人になった以上、求められるのは結果だけではない。

彼の市政への行動を、市民が、国民が信用できるような人格が何より必要なのだ。

それは、リーダーが「やる」と決めて「選択したこと」が街の未来のために正しいことである、利害関係はない、と市民は確信する必要があるからだ。

これでは、彼が思う過去の「成功」すら裏があると思われても仕方ないだろう。

このスキャンダル、地元紙がすっぱ抜いたらしい。

日本の新聞がすっぱ抜くのは、クール宅急便がいつも「クールじゃあない」ことだ。

この差は、新聞という「機能」についての「公民意識」の違いだろう。
それはまた、国民が考える「大切なことは何か」という違いでもある。

2013年11月14日木曜日

小さなコミュニケーション

東京から、この地方都市に出稼ぎに来て思ったことがある。
この街が持つ余裕だ。

東京で仕事をしていた時、乗り換えとなる「要」の駅の一駅前に住んでいた。
つまり、あの殺人的な満員電車は1駅だけを我慢すればなんとか通勤に耐えられたということだ。

1駅が我慢の限界だった。

東京の4月、新人社員が満員電車に耐えられず、一駅前の私が使う駅で降りて吐いている時があった。

でも、誰も声をかけない。

私は2人ほどティッシュを手渡したことがある。
彼らも恥ずかしいだろうから、声は掛けないけど。

周りは誰もが「見ない振り」をしていた。

先日、地下鉄の駅の階段を上っている時、前の人の靴が脱げた。

後ろにいた私に見られて、とても恥ずかしそうにしていたので「シンデレラみたいですね」と声をかけた。

そうしたらうれしそうに「王子様は拾ってくれないけどねえ。」と答えてくれた。

その日一日、ちょっと楽しい気分になった。

買い物をしていても、知らない人と小さな会話をすることがある。
覚えてもいないようなことだけど、東京とは大違いだ。

「見ない振り」をするのは、簡単だ。
でも、他者に関心を持たない人は自分が困っている時に、見捨てられる。

やさしさやユーモアは循環する。
そんな空気は社会に広がってゆく。

社会を作るのは、一人ひとりの考え方だ。

そして、一言かけるかどうか、その行動を選択する自由は誰もが持っている。

返信不要の自動メール

最近、いろいろな派遣業者の求人に応募する。

そうすると、年齢のこともあって、まず丁寧な「応募ありがとうございます。でも、貴方は無理です。」というメールが来る。

こういうメールは大抵、担当者の名前がない。

アドレスも個人名ではない。

つまり、自動メールだ。

だから、職務経歴など読んでいない。
まず、見るのは年齢だ。
中年に転職は「無理」なんだから。

たぶん、これ担当をはっきりするといろいろ問題が起きるのだろう。
たとえば、応募者が「この経歴で、何故なのか」を問い合わせるとか。

まあ、面倒なやり取りで無駄な時間を削除するためには、誰をはっきりさせないことだ。

そうすれば、仕事は発生しない。

だから、応募者も無駄を承知で応募する。

どれに送ったかわからなくなることを心配する必要はない。
どうせ、自動メールの対応なのだから。
万が一、年齢以外で必要とされるなら、人間が調べる。

礼儀を思って、お断りのメールに返信しても、どうせ誰も読まないし無駄なこと。

今や、求職は人との礼儀ではなく「数」の問題だ。

今の時代、求人について「本物の人間」に「履歴書を読んでもらう」こと自体、大変だ。

だから、求人情報の「年齢不問」は冗談でしかないことを受け入れた上で、応募し続ける。

宝くじと同じだ。

続けないないと何も起こらないのだから。

想像力が不要な職場だけど・・・

読売新聞の「元市職員「嫌がらせ」女性になりすまし確定申告」って凄いニュースだ。

そこまで労力使って嫌がらせしようというエネルギー、他に使うところ、無かったのだろうか。

だって、バレることはやる前から判るでしょうに。
そうしたら、犯罪者になることを想像できなかったのが不思議でしょうがない。

でも、これって可能なんだ。
どうやったか判らないけど、住基ネットの情報だけで出来るっていうことは、たいした情報が無くても申請が出来るってことだ。

そういえば、確定申告で本人確認を求められたことって無い。
代理人を使うこともあるだろうから、当然といえば当然なのかも知れない。

この手の事件って、内部の犯人が多いけどアクセス権の管理はどうなっているのだろう。

かつてグローバル人事部のアクセス権の設計をした時、経営側より「閲覧できる範囲を制限しろ」と言われた。

つまり、部長だからここまで閲覧できるという「レベル」の制御ではなく、その部長の「部員」だけ見られる「範囲」の制御だ。

この範囲は職務とのクロス設定だ。
でも、職位を重要視する日本では「職位」が2つもある人が居る。

つまり、兼務だ。

建前は「人が居ないから」とか言うけど、結局、昇格しても、既得権を手放したくない場合が多かった。

これは、同じ目的で部を減らすこともできない場合にも発生する。
だから、このクロス設定をしようとすると、経営層が設定したルールを無視することになる。

もちろん、そんな設定できないから日本では「使えないから、使わない」と主張する。

上に対して「出来ません」と言う根拠は「文化の違い」だ。

どこかで外国人社長追放した時の話みたいだけど、これ、変わらない日本企業の現実だ。

大企業の「人材派遣子会社」って一般的なんだ

求職活動をしていて、恐ろしいことに気が付いた。

「TOTOエキスパート株式会社」や「日本郵政スタッフ株式会社」のように、企業が自分のグループ会社に「派遣社員」、つまり「非正規社員」を送りこめるように派遣会社を作っている。

NTTとか富士通とかは業界大手だから理解できた。

たしかに、これらの会社も業界大手だけど「派遣会社」を作って儲けはグループ内で分け合おうということが一般化してきたことに驚愕する。

だって、こうなると大手「派遣会社」に仕事の依頼がこなくなる。

そうなると今度は単価の低下だ。

で、会社名も表示されていないような下請けの「受注派遣」がメインになる。
大手のSやP派遣会社の派遣状況が変わるはずだ。

これ「派遣社員」側から見るとトンでもない話。
だって、WEBの求職ごとに毎回、各派遣業者に登録しなければならないのだから、こんな非効率な話はない。

しかも、登録は2時間以上かかる。
だって、実質、スキルチェックと称してテストをいくつも受けるのだから。

でも、その時間は求職者側の経費だ。

正社員を数を減らし、派遣会社を作る大企業。
そして、余剰正社員は出向と称してこれも派遣会社に送り込む。

「派遣」という言葉はひとつだけど、ずいぶんたくさんの意味を持つ言葉になっていたこと、初めて知った。

求職者が求めるのは正社員という「既得権」だけではないことは確かだ。

これじゃあ派遣社員は仕事を得たらそこから離れたくないのも当然だ。

私は、会社を、定年で退職しまして・・・の意味(2)

意識は社会環境の変化で変わる。

でも、社会が「所属先」を信用する限り、個人と向き合うことはない。
なんたって「組織」に所属するのが「存在の条件」ともいえる日本社会だ。

「組織」という言葉が適切でないのなら「分類のための肩書き」とでも言おうか。

無職で求職活動すると、サラリーマンが退職後も会社にこだわる理由は良く判る。

働きながら求職活動する時と応募する派遣会社のリアクションがまるで違うのだから。

「経験」は「所属して」初めて「経験」として認めてもらえる。

たとえば、主婦が身障者へのボランティアを10年も続ければ、立派な介助のプロだ。

しかし、社会は彼らを「介助士」とは認めない。
資格がないからだ。
でも「主婦」であることは認める。
所属は「家庭」であることは変わらないから。

所属場所を失った人は引きこもる。

でも、彼らもその存在価値を社会に認めさせるには「組織」を作るしかない。
だから、先日引きこもる人達がみんなで会社を作ったことも当然の動きだ。

でも、「組織に所属」して「肩書き」を持つ人を感銘させても、関係は作れない。

「状況に応じた自分の決断」に「責任を持つこと」が他者から信用される元だ。

そして、それが関係に発展する。
結果、お金が稼げるかどうかは二次的なことでしかない。

「責任」を負う覚悟をすると、毎日が挑戦だ。
これは、母親になる時も同じだろう。

どこに所属していようが自分の選択に「責任」を持てるなら、その人自身を信頼する人が現れる。

関係ができる。

一時的な優越感は、関係を続ける元になることは、決して、無い。

私は、会社を、定年で退職しまして・・・の意味(1)

茂木 健一郎氏の書く文章が好きで良く読む。

PRESIDENTの「40代から始まる退職後の人生への準備」という記事は、的を得ている。

日本人は会社を退職しても、そこに所属する。
そこから年金を貰い、当時の仲間とゴルフをする。
大企業なら金銭的にも余裕があるけれど、新しいことなんてしない。

そもそも、そんな挑戦的な人生を送ったことがないのだから。

だからタイトルの言葉が出る。

「自分が所属していた組織を誇る」ともとれそうだが、事実は違う。

「長い間、所属した凄い自分」を誇っているのだ。

所属したことが重要なのだ。
何をしたか、何者であることは関係ない。

日本人はブランドを信用するから。

退職しても、しなくても、職務がきちんと評価される世界なら、自分自身が「どこに所属していた」という「だけ」の過去が「自身を語る言葉」にはならない。

彼のエッセイは、そんな退職後を送らないためにも「準備は会社に居るときから始める必要がある」と伝える。

でも、今のサラリーマンにそれが可能なのだろうか。

何も変わらない会社に通い、給与を貰い、時々国外に憂さを晴らしに行く。

金は「自分のため」だけに使うことが当然で、社会に還元する思想すらない。

そもそも「会社」の一員であっても「社会」の一員という意識はないのだから当然だ。

そんな意識の一人ひとりが今の日本の「社会」を作っている。

この事実は変わらない。

ブランド信仰は、別に食品だけじゃあない

NEWSポストセブンは、この食品偽装の問題でいくつか面白い記事を書いている。

「食品偽装 日本人の根強いブランド志向を考え直すきっかけに」は、最後に「ホテルや旅館の格が信用できなくなった今、消費者自身が知識武装するしかない。」とまとめているが、これは違うだろうと思った。

知識武装した結果、ブランド信仰に至ったのだ。

自分の目で確かめず、有名「ブランド」のガイドブックを信用する。
また、企業自身が発信する「XXさんもいらっしゃいました」という「有名人」というブランドを信用する。

「肩書き」というブランドも重要だ。

XXの社長、有名商社の部長、どれも人を信用させるのには必要な「ブランド」だ。

世界一「資格」の種類も多いことも、日本人が自分の目を信用せず「ブランド」を信用する人種であることがはっきりしている。

だからどこの業界でも「偽装」するのは当然。

何をしたか、どれほどおいしいか、は問題じゃあない。
個人の意見より「誰かの保障」が重要だ。

何故なら、結果が駄目な場合、その「ブランド」に責任を押し付けることができる。

それが偽装なら、「騙されたかわいそうな自分」を演出できる。

偽装もバレなければ実力になることもあるのだけどね。

でも、だんだんバレることが多くなると「騙されないためのノウハウ」をみんな必死で読む。

これほど騙されているのにまだ「ブランド」を信じている自分に気が付いていない。

だから、日本社会はいつまでたっても変わらない。

みんな思ってる。「貰えるものは、貰わないと」

共同通信は短いけれど、的確な記事なので、感情モリモリの某大手新聞よりずっと内容が明快だ。

この「特養入所者の補助給付、案見直し 不動産要件取り下げ検討」の記事も短いけれど「何故記事になったか」が判る。

だって「不動産2000万以上持っている人にも税金使います。」ってことに「市町村」の役人は「反対」なんだから。

その理由が「実効性が疑わしく事務負担も大きい」という言い訳だ。

つまり、補助金は国の税金だから、申請したら貰える。
でも、この仕組みが導入されると市町村は今のやり方を「変える」必要がある。

税務部門とも連携をとる必要となる。

そんなことは余計に面倒だ。
だから「反対」になる。

変えることが何より嫌いな日本人。
役人は特にその傾向が強い。

それに、今まで貰えた「既得権」は絶対に手放さない。
生活保護を不当に貰う人と同じメンタリティだ。

国にできる次の手は補助金を減らすこと位だろう。

そうすれば、市町村は負担金を増やす。

つまり、ニュース的には「老人負担を増やす無慈悲な国」ということになる。

そんな記事なら大きく取り上げられても、こういう記事は重要視されない現実。

こんな風にトップダウンが成り立たない政治だから、補助金は垂れ流しになる。

これじゃあ、国民も死亡消費税でがっぱり取られても文句は言えんでしょう。

「実施する」ことに意義があると思っているのだろうか

週プレNews の「専門家が「ギャンブル」と呼ぶ、福島第一原発4号機の核燃料取り出し作業」は、ざっと読んた素人でも「ギャンブル」だと思う。

水深11mの「核燃料」をクレーンキャッチャーするだけでもたいへんなのに、これを70回繰り返して毎回成功させる必要があるという。

毎回、吊り上げに耐えられるほど捕まれているかどうかの確認方法は限られるから、持ち上げてから落ちる可能性だって0じゃあない。

キャッチするモノは、爆発するだけですまない。

もちろん、2重、3重の予防をするだろう。

でも、人は慣れるとミスを起こす。
10回、20回、成功すれば、もう大丈夫と思ってしまう。

かつて、東海村で起きたJOCの事故もそうだった。

マニュアル通りが面倒だから裏マニュアルを作り、バケツで作業するのが日本人だ。

「今回は違う」とは思わない。
日本人はそれほど変わらない。
日本人が変わるのはいつも「事故が起きてから」なのだから。

まあ、今回の場合、それが起きると東京は住めなくなるけど。

個人でも組織でも日本人には「自分だけは大丈夫」という考えに染まっているらしい。

エイズ予防も食品偽装の問題そうだけれど、対応がいつも「事故が起こって」からだ。

事故が起こってからでは「遅い」ということが、感覚的に理解していない。

たぶん、それはいつも仲間通しで「何とかした」からだろう。

でもせめて「何とかなる問題」と「どうにもならない問題」の判断くらいは出来ないとまずくないか?

銀行本体でも反社会組織へ融資って・・・

毎日新聞の「 <みずほ銀>本体でも問題融資 参考人招致で頭取」の記事の中には、結構すごいこと書いてある。

まず、メインはみずほ銀行の本体でも反社会的勢力へ融資していたという事実。

そして、その言い訳。

「東日本大震災後のシステム障害で問題を継続して認識できなかった」というのはお粗末過ぎるだろう。

いまや、バックアップは2重、3重にされているんだから。

事実、個人の債務超過者はブラックデータベースがあって、借りられない仕組みが確立している。
震災後だって、びくともしない。

それとも、わざと継続しなかったのだろうか。

何故なら、参考人として呼ばれた全国銀行協会の国部毅会長(三井住友銀行頭取)も「反社認定される融資先はある」と言っている。

つまり、どこの銀行も、それほど彼らを社会的に悪い存在とは考えていないのだろう。

そんな銀行を監査すべき立場の金融庁は「時間も人も足りない」っていう言い訳だ。

みんな誰かのせいにして言い訳のオンパレード。

これ、審議会という舞台での「せりふ」にしか聞こえない。
既得権の仲間だからまあ「これから気をつけよう」ということで終わりだろう。

歴史を振り返れば、合併前の銀行で彼らはかつて総会屋を雇ってた訳だし、経営層では個人的に知り合いの人も少なくないじゃあないだろうか。

銀行名はいろいろ変わるけど、人は変わらない。

総会屋として世話になった関係者なら融資も「見ない振り」をすることがあるのは理解はできる。

でも、普通なら、それ以外の人がどこかで問題提議するはずだ。
チェックは一度ではないのだから。

ああ、そうか。

管理職は判子押すだけで中身なんてチェックしなかったね。

2013年11月13日水曜日

「買う」行為に必要な「価値観」

「買う」行為は「物を得る」ことだ。

食べ物であり、サービスであり、自分以外の「誰か」が努力して得たものを「お金」を払って分けてもらっている。

まずは、それに感謝する必要があるだろう。

消費者が「誰か」から買い続けることで、企業や職人が信じることをやり続けられる。

だから、「安い」だけで「買う」行為は社会的に考えた時、不健全な行為に思う。

「売れるなら何でもあり」という消費思想に基づいて、より安く、より大量に、提供される社会になった。

だから、物を大切にしなくなった。

家も20年経つと壊される。
でも、新しい家は6ヶ月もしないで建ってしまう。
そんな家の売りは「安さ」になる。

食べ物も建物も簡単に手に入るものは大切にしない。

コンビニエンスストアで、出来合いの食べ物が簡単に手に入るから、食事を作る人を大切にしない。

食材を作る人もイメージできないような食べ物が満たすのは食欲だけだ。

「物」を買う行為は、関係を作る行為だったことを思い出して欲しい。

近所の八百屋さんにおまけしてもらったこと。
魚屋さんからお魚料理のコツを教えてもらったこと。

過去に戻ることは決して出来ないが、「買う」行為の意味を改めて考えることはできる。

提供する側と関係を作る。

食べ物から家まで。

そして、介護やレストランで受けるサービスにも。

安さと利便性だけで金を使う自分自身の日々の選択をちょっとだけ振り返って見て欲しい。

その購買時の選択基準が「安さ」であるのなら、その結果は「何」を「誰」を支えたのか。

ちょっとだけ、考えてみて欲しい。


措置命令出すのに時間かかり過ぎてませんか?

株式会社ヘルスがパワーヘルスという家庭用電位治療器に対して消費社庁から措置命令が出された。

安愚楽牧場が倒産した後に出されたものものと同じ種類の命令だ。

違反対象期間は22年11月からとなっているこの会社、1978年に創立している。

問題の機械が売り出されたのは80年代に入ってからだそうだ。
命令対象となった体験会の口上は、実際、創立時から今のように過剰だったらしい。

安愚楽牧場もそうだが、潰れる間際になると宣伝は過剰になる。
だから、クレームも増える。

そもそも、政府は消費者センターへの苦情が増えることで「問題の大きさ」を測っているのではないのか。

この会社、30年もこんな売り方をしているのに、消費者庁への苦情がが平成22年からしか始まっていないというのは信じられない。

でも最近、この会社への苦情が増えたとなると、それだけ50万を超える高額商品が買える人が居るということだ。
(不況ってどこの国の話なんだろうか?)

民間企業も、クレームが多くなって初めて対応に動き出す。

カネボウの白斑事件はクレーム初期の頃は、無視した。

企業が本格的に問題に取り組んだのは、クレームが増えだしてからだ。
その時、最初のクレームからすでに4年が経っていた。

消費社庁の措置命令や企業の対応って、彼らが作る「基準クレーム数」に達しないと何もしない社内ルールでもあるのだろうか?

それなら、問題の「深刻さ」は誰も判断しなくていい訳だ。

そりゃあ改ざんするでしょ

タイトルは「レール検査データ改ざんか JR北海道、緊急調査」というニュースを読んで思ったこと。

だって、当然でしょう。

現場で危険な数字出ても「事なかれ主義」で何もしなかった管理職だ。
バレたら保身に走るのは普通だろう。

たとえ、バレてなくても入力時に改ざんすることは面倒なことを避ける「事なかれ主義」なら当然の行動だ。

重要なのは、現場はちゃんと「測って」いること。

記録していること。

でも、それを誰かが「加工している」事実だ。

かつて、ある審査関係の仕事をしていた時、データを改ざんがバレないようにシステム変更の要望があった。

つまり、一旦審査開始前に決まった内容を変更するには、部門長の再承認が要る。

でも、実際は審査後に資格を与える企業(お客様)のいうまま、変更プロセス無しで現場の審査員が変えてしまうケースが頻発した。

だから、帳票の印刷日が自動的に印字されると困るのだ。
この場合、「修正後」のデータに「審査前」の帳票を作り変えて保管する。

監査が来る前に差し替えするのは通常手段だった。

本来、システム(業務プロセス)通りに実施すれば、この印刷日で送付漏れや内容の妥当性を確認できるはずだった。

でも、そこまで自分達が作った「品質管理プロセス」を厳密に守る気はそもそもない。

だから、審査員を指導せず書類を改ざんする。

だって、それでお客様を怒らすリスクが減るのだから。
会社としては、監査で矛盾を指摘されないことが一番重要なんだから。

でも、品質管理の認証を与える会社がそれじゃあ、やっぱりまずいと思う。

改ざんも改善も、そこでそこで働く人のモラルや意識あっての「結果」でしかない。

重要なのは、リスクを特定し、軽減することだ。

でも、みんな判ってないよねえ。

セクハラ10年放置、「再発防止に努める」と言うけれど

時事通信の「セクハラ10年続ける=40代事務職員を減給―福島県警」の記事には驚いた。

これ、本当の話なんだろうか。

だって、「セクハラ10年」とあるからには被害者が訴えた記録があるのだろう。

でも、管理職も、事務職員の上司も何とかしようと思わなかったのだろうか。
彼らは被害者の気持ちを考えたことがあるのだろうか。

それでもようやく彼女の言葉が裏づけされ、事務員の処分が決まった。

でも、減給だけ。

仕事は続けるということだ。

そして首席監察官はこの件に対して「指導を徹底し、再発防止に努める。」とのコメントを出した。

これほど虚無的な言葉は聞いたことがない。

セクハラ期間が10年でも1年でも、セクハラ放置に言い訳はできない。

現場に「事なかれ主義」が蔓延するのは、トップの意識も「事なかれ主義」だからだ。

だいたい、歴代の官僚が「まことに遺憾である」という言葉を発した後に、状況が改善したという話を聞いたことが無い。

「善処します。対処します。」も同じだ。

被害者のことを考えず、組織の中で保身に走る気持ちは理解できるが、警察の存在意義に照らし合わせても誰一人、正義感は沸かなかったのか。

この記事が示すのは、男性だけが「仲間」である現実だ。

「見ない振り」をしたセクハラ事務員の上司、セクハラ対応部門の管理長。

処分されるべき人はまだまだたくさんいるけれど、「男」なら守られる。

これじゃあ、安部政権の推進する「女性活用戦略」なんてファンタジーでしかない。

データ改ざんは人手不足のせいじゃないでしょ

某大手新聞に「「人手足りず、やむなく改ざん」 JR北海道社員が証言」という記事がある。

これ、文中に

「「ポイントが安全上重要だということは認識していた。現場では人手が足りず、優先順位を付けるためにやむを得ずそうしていた」と話した。」

とあるのでタイトルがこうなったと思うけど、これはタイトルにする文章として不適切だ。

「現場では人手が足りず」を抜いて読んで欲しい。
より原因が明快になる。

だから、「修理の優先順位をつけるために(やむなく)改ざん」が正しいタイトルだ。

人手があろうが、無かろうが、一個人の独断で選別するということが危険だから規定やルールがある。

管理職は、上を説得し、必要な予算を取ること。

現実の数字を隠して、事なかれ主義に徹した結果、「人手不足」とは恐れ入る。

記事には「やむなく」という単語が使われているが、これも読者の同情を引くためだろう。

誰に取材したか知らないが、こういう記事は叔父が保線区長だった頃の話に似ている。

彼は、雪の降り方を見て「これじゃあ、脱線するから今から作業した方がいい」と「長」のつく人にアドバイスした。

でも、彼らは作業指示をせず、結局、叔父の予告通り貨物が脱線する。

叔父はそれを見て「長」のつく人に向かって「それ、みたことか」と言い放ったそうだ。

おかげで叔父は、昇進できなかった。
それでも、下からはずいぶん慕われたらしい。

今回も現場はきちんと計測している。

そして、その仕事を無駄にする「お仕事」が存在する。
そのごまかしを指示する管理職が存在する。

読者は記事を信じる前に良く考えた方がいい。

それでも不思議でしょうがない

国立競技場の立替予算、本当に理解できない。

だって予備調査に予算はつく。
期間もある。
だけど、その調査で「仕事をした人達」は一体何を「調査」したのか全く理解できない。

だって、実際計算したが「その倍以上の予算が要る」って言うんだから。

その段階で「はあ?」って誰も疑問を持たないんだろうか。

関係者が何人いるか知らないけど、世界中で一番高いスタジアムの建設費が1600億程度とすると予算はそれより、100億多い。

100円じゃあない。

多分、いろんな資料を作って提出したと思うけど、それを読んだから1700億の予算が「妥当だ」と思って承認したはず。

で、2倍以上の金額請求されたら疑問をも持たないのか?
で、その倍の金額を請求されたとき、どうして「NO」って言わないのか?
仲間だから?
国の予算って、誰もチェックしないの?

まあ、確かに外務省のパスポートシステムや、原発広告車のニュースを読む限り、誰もしてないのは、事実だけど。

でも、これって家のローンの大半が残っている家族が100万の車をローンで買う、決めた後、店で突然夫が「いや、実は220万かかるんだ」と宣言したようなものだ。

だから、普通なら「何で?」と聞くだろう。
そして一旦、家に帰る。
そのまま「でも買いましょ」にはならない。

どうして「国民の税金」ならこんな「普通」の疑問が生まれないのだろう。

ああ、そうか。彼らは判子押すことが「お仕事」だもね。じゃあ、そうなるのも仕方ないかも。

予算が倍以上になってもプロジェクトは止まらない

代々木競技場立替の記事、かなり知識人の人達ががんぱってくれれているらしい。

今や予算3000億という数字だけが一人歩きしているようだけど、そもそも最初の予算がどうやって決められて、承認されたのか興味があってちょっと調べた。

そうしたら「Damejima's HARDBALL」というブログに行き着いた。
これ、すごく合理的に書かれている。

「November 05, 2013」の内容を読む限り、一般的な競技場は1000億もかからず、500億でもできるらしい。

でも、歴代の「一番高いスタジアム」のかかった金額が1700億だから「1700億の予算にしたんじゃあないか」というブロガーの意見はとても的をついている。

これ、事前調査費が出てると思うけど、それって一体何に使われたんだろう。

そして、そうやって「調査した数字」が「一番高いスタジアムの予算」と同じ金額であったのは多分、偶然だ、と思いたい。

でも、その後、実際にはその2倍以上かかると言われて「判った、しょうがない」とその金額を「承認する」官僚や政治家が居たわけだ。

この人達は、本当に自分達の決定は「税金を使う結果になる」という責任感を持っていたのだろうか。

国の借金はすでに1000兆円を超えているというのに、維持に金がかかる「器」作ってどうするのだ?

検討する時間がない、ということなら立替自体を延期すればいい。
オリンピック終わった後ならゆっくりできる。

建物が7年で崩壊すると言うわけでもないのんだから。
メンテナンスだって1500億円もかからんでしょうに。

国の仕事って、本当に利権が絡んでるから「変えられない」。

プロジェクトリーダーなんて名誉職だろうし、世論を煽る以外、対処無しかぁ。

2013年11月12日火曜日

消費者の変化は「いじめ」じゃあない

某大手新聞に「国産ネクタイ「3分の1」に減少の仰天、クールビズで大打撃…業界恨み節「国挙げてのイジメだ」」という記事があった。

要は、クールビスがネクタイ業界の「いじめだ」ということになるが、これは駄々を捏ねた子供と同じだ。

消費者が買わなくなったのは、単純に不要だから。

クールビスは「時代の変化」でしかない。

かつてのビジネスマンのクローゼットを考えて欲しい。
一体何本のネクタイを「持っていた」のか。
服以上にたくさん所有していたはずだ。

そして、今の50代、60代は何度それらのネクタイを身に着けたのか。

そして、今、それらのネクタイはどうなったのか。

消費を奨励していたから、成り立った世界だったのだ。

持つことがステイタスで、能力より見栄が重要だった「肩書き世代」に頼ったビジネスだっただけ。

時代は、彼らを重荷に感じて退職勧告だけでは済まず、人材紹介会社を「出向先」とし、自分の行き先を探させる「お仕事」を与える会社もあるというのに。

そんな人たちに頼ったビジネスが成り立たないのは当然だろう。

かつての帽子屋が廃業していったように時代が求めなくなった業界は消える。

縫製の腕を持つ人材や材料の調達ができるのなら、ネクタイ以外の物を作ればいいのだ。

売れない商品を作って売れないことに文句を言っても、それで何かが変わることは無いのだから。

コントロールしたい欲望の原因

学校が対応に困るモンスターペアレンツも、コールセンターで頻繁にいるクレーマーも、根本的な原因は同じだ。

「自分の思い通りにしたい」という「現象をコントロールする」という欲望と共に「コントロールできる自分」のパワーを感じ、そんな自分は「価値ある人間」と他者に認めさせようとしている。

何故なら、自身の人生を含めて、現実が思った通りにならないから。

クレーマーになることは、そういう欲望を満足させる。

何故なら、企業は「儲ける」ためにそれを許すから。
先生方は、問題を大事にしたくなくて土下座するから。

電話で「金返せ」というと、大抵は返してくれる。

最初に説明が無かったから。
すぐ壊れた。

適当な言い訳をすれば、大抵「思い通り」になる。

でも、自分の人生は思い通りにならない。

自分の言うことを聞かない我がままな子供。
金を稼ぐからと言って、家の掃除すら手伝わない夫。
だからと言って離婚して苦労もしたくない。

だから、女子会と称して愚痴を言い合う。

誰も、他の人の話なんて聞いていないから、そこから何も生まれない。

でも、それでいい。
ストレスは発散できたのだから。

そう。

そうやって、誰かの不満は空気中に撒かれ、社会全体に蔓延する。

政治や職場の待遇まで、「自分の」思い通りにならないことは問題だ。
誰かがなんとかすべきだ。

そして、批評家は増えるけど何も変わらない。

こんな「今」の現実を受け入れて「じゃあ、自分は何を選択するのか」を考えてみる。

私は縁あって、自分が出会う人を、個性ある「人間」として向き合う。

神が私に出会わせた人との縁。
だから、神が大切に思う命と真剣に向きあう。

小さなことだけど、これが私の選択だ。

暴力が育つ栄養素

家庭内暴力が社会的に認知し始めたことは素晴らしいことだ。

でも、法律だけはが充実し実際は「認知」が増えたこと、そして老人の増加、障がい者の就業増加で、暴力の数は増えているような気がする。

実際は「認知」されていない分が認知されただけなのかもしれないけど。

「いじめ」は暴力事件になる前の現象だ。

この「他者を苛める」行動の根底にあるものは「他者が自分の期待通りに動かない」という現実への不満だ。

これは他者を「コントロールする」という支配欲から生まれるが、これがあることで上下関係ができてしまうことを、人は意識していない。

そして、この「上下」という意識が優越感を刺激するから「自分の下」を作ろうとする。

弱い子供も、寝たきりの老人も、すべて一人の独立した人間だ。
誰かの所有物ではない。
神がこの世に必要だから送った大切な命だ。

にも関わらず、人間の理由をつけて人は人をコントロールし、優越感を持ちたがる。

だから、自分に優越感を「持たせない」他者には憎しみを感じる。


その結果が暴力だ。


言葉でも肉体的でも自分に「コントロールさせない者」への報復は肉体的に強い物が有利になる。

だから「いじめ」は学校で、会社で、家庭で起きる。

何故なら自分が「コントロールできない者」、つまり「自分の「言うことを聞く」べき者」が、自分の指示通りしないから。

それは、自身の人生もそうだ。

思った通りにならない「現実」を受け入れず、その周りの人間のせいにする。
社会のせいにする。
政治のせいにする。

誰かに責任にしてしまえば問題に言い訳できるから。

今の生活は、自分が「選び続けた」結果だ、という事実を忘れて。

これ、認知している人だけでしょう

THE PAGEの「女性の3人に1人がDV被害」という記事を読んで「実際は、もっとたくさんいるよ」と思った。

そもそも、家庭内暴力という言葉が「DV」という言葉で一般化される前から家庭内の暴力は存在していた。

そして、そこで暴力を受けるのは大抵女性や子供だ。
何故なら、日本文化では「男」が「主」だし、強いから「しつけ」の名目で殴る。

うちの爺さんは父親を妻を殴り、父親は妻を殴るようになった。

妻は「今度手を上げたら離婚する」と宣言してから、彼が殴る相手は娘になった。

それが私だ。

何か機嫌が悪ければ、すぐ手が飛んでくる。

それを見て育った弟もまた私を殴った。
彼とはそれ以来ほとんど交流は無い。
彼の子供もまた暴力を見て育つのだろうか。

私は当時、よく手を上げられていたけれど、それが「暴力」と意識したことは一度も無かった。

父親を殺したいと思ったこともあるが、それは単純に「殴られのが嫌」だったから。

それ以外の暴言や弟との差別、すべてが「日常」だったから、そこから逃げ出したかった。

残念ながら、そんな家庭は少なくない。

でも、それが「異常だ」と判ったのは、その後出会ったいくつもの仲の良い家族に出会ったからだ。

そして、クリスチャンになってそんな過去の関係者を「許す」という「概念」を適用しながら、彼らを客観的に理解することを知った。

渦中に居る人間には、それが人として「間違った扱い」をされていることを知らない。

だから、逃げ出すことが「出来るんだ、可能なんだ」と理解することも難しい。

DVは暴力だけの問題じゃあないことだけは確かだ。

2013年11月9日土曜日

ようやく動いた

「トランス脂肪酸、米で全面禁止へ 健康への悪影響理由に」という記事を読んでちょっとほっとした。

何故なら、消費者が買うのは売っているからなんだから、製造自体を禁止する方向に行かないいと物事は変わらない。

白熱球が製造禁止になるが、個人的には蛍光灯も製造禁止になればいいと思っている。

鉛の含有率が高いから、環境を汚す原因になるからだ。

バターもそうだけど、マーガリンが売られ続ければ決してバターの消費量は増えない。

だって、絶対的に安くて儲かるんだから。

だから、トランス脂肪酸を含まないマーガリンがあればいいのだろうけど、本物があるんだから本物を食べればいい。

まがい物は所詮まがい物でしかない。

有名ブランドのコピー商品のように。

日本は、企業と政府が仲良しだから、アメリカが何をしても「自分達は違う」と変える事はしない。

大体、規制が企業の損になることは、事件が起こるまで規制をしないのが日本の「仕組み」だ。

遺伝子組み換えの食品だって、毎日みんな口にしている。
できるだけ判り難くしているだけ。

砂糖の200倍に甘さを持つ「コーンシロップ」は代表的なものだろう。

これ、原料を果糖含有率によってわざわざ3種類の名称を作って表記するような「規制」を作っている。

ちなみに使われている表示は「ブドウ糖果糖液糖」「果糖ブドウ糖液糖」「高果糖液糖」だ。

逆立ちしたって、とうもろこしが原料なのかなんてイメージできない。

こうやって、判りにくくするのは企業のためだとしか思えない。

だから、マーガリンもそのうち何か規制されるだろうけどどうせ「規制したんだからいいでしょ」みたいな法律だろう。

お上のやることを信じるのはいいけど、必要なのは「安い」というだけで飛びつく前に「何故安いのか」を考えることだ。

事件が起きて「知りませんでした」という言い訳をする社長さん達は、安いマーガリンたくさん売れば高給が貰える。

だから、彼らはバター買うのも値段なんて気にならないんだから。

言い訳はどの会社も同じだ

タイトルは、東洋経済オンラインの「身内で傷の舐め合い、終わらぬ「みずほ危機」」を読んで思ったこと。

かつてオリンパスの社長が「文化の違い」で会社を追い出した日本人経営者。

すべてがバレても最終的に「反省」する姿をみせたら実刑を免れることができる「仲間意識」の高い社会。

みずほ銀行とオリエントコーポレーションの問題は「風土」だったそう。
だから、金融庁も追求しない。

たしかJR北海道のトップも似たようなことを言っていた。

ここで使われる「身内」という言葉は決してグループ企業だけを意味しているのではない。

日本社会で既得権を持った組織に属することは、役を演じることだ。

管理職や役員の「責務」は、演じることであり、チェックもせずに判子を押すこと。

お詫び会見で、どれだけ長く頭を下げるか。
短すぎては絶対にいけない。
みんなと「合わない」と格好悪いから。

彼らにとって、社会的責務より必要なことは、空気を読んで余計なことに口を出さないこと。

だって「肩書き」に責任は求められていないのだから。

「肩書き」が本当の「職務」であれば、こうはいかない。
「職務」を全うしていれば、事件が起きる前に予防できるはずだ。
(100%とは言わないが。)


どの事件も「起こる原因」は変わりない。


大企業という「ブランド」の中で「職務」なき「肩書き」でお仕事する人たちが作る社会を「風土」と呼ぶことを許す、日本社会に起因している。

でも、自分に関係ないから、政府の施策を批判する。
当事者は、変化は「悪」と考えるから、変える気がない。
指摘された政府は、ちょっと対応するだけで「やったこと」にして、後は「見ない振り」をする。

だから、結局何も変わらない。

他者に責任を任せて高い商品を買う国民

メニュー「誤表示」問題、大騒ぎした結果「お上がちゃんと見ていないから」と言って規制強化するのは別にいい。

ただ、国は「法律作ったんだから、責任は果したよ」というレベルであることは過去の事例が顕著に示している。

で、今度は現場の方だ。毎回、仕入れのたびに伝票確認して表示を変える必要が出てくる。

規制が始まったころはそれもきちんとやろうとするだろう。
日本人はまじめだから。

でも、そのうち間違ったところで誰も気がつかないし、問題視しない。
自給800円で働く現場の人はどだい無理な作業量が与えられているんだから、手を抜けるところは手を抜く。

レストランは、産地を「売り」にするなら、冷凍になるだろう。
普通は、仕入れによってメニューが変わるのは当然だ。
いつ行っても同じものが食えるレストランが使う食材が「生」な訳がない。

味は調味料で美味しくできるんだから。
だから、レストランであっても、美味しさは問題じゃない。
それで「高い金」を出してくれる消費者がいるのだから、問題は起きない。

日本人が企業に細かい「正確さ」を求めれば求めるほど、販売価格は高くなる。

そして、それを「信頼」し、安心して誰も気がつかなければ、またいい加減になるだろう。

そして大企業は肥える。

大企業を信頼することは消費者の自由だ。
でも、顔の見えない生産者や製造者を信用できるのか?

私は出来ないから、利用しない。

優越感のために「ブランド(産地)」を信じ、誰かが決めた「定価」を信じ、それより「安い」と言って飛びつく。

根本的な原因はどれも同じ。

買うか買わないかは「(自分の責任で)自分が決めた」ことを意識していないから、企業が売るために「盛った」情報を信じて「騙された」と騒ぐ。

誤表示する方も、それを信じる方も、問題の原因はひとつしかない。

「権威(ブランド)の価格を疑わない」消費者の存在だ。

自分で欲しいものやその価値を決められない人間が増えれば、増えるほど経済は活性化する。

だから、企業はそんな洗脳しやすい消費者から儲けようと「手法」に磨きをかける。
大企業なら人材も、予算もあるのだから、当然だ。

そうやって「肩書き」信仰の布教は進化する。

釣り記事の中の「恐怖」

「これ怖すぎ!「独身中高年女性」を待ち構えるリアルな恐怖が判明」という記事、タイトルに引かれて読んだら爆笑してしまった。

「恐怖は売れる」という広告セオリーの通りの釣り記事でしかないけど、すっかり釣られた。

でも、内容は個人の意見としてはともかく記事になるようなものなのだろうか。

この記者が言う「リアルな恐怖」の理由は、独身中高年女性は「相手を求めなくなり、求める行為もしない」という事実らしい。

だから「寂しさや孤独の回避のためにも恋をしよう」意見している。

中高年は「誰からも求めらない年齢で誰もが迎える」と断言するところから、多分若い記者だろう。

「恐怖」を煽れば商品(サービス・記事)は売れるのは当然だけど、不安や恐怖を煽った「広告」の目的はただひとつ。

自分の「商品(サービス、記事)を売る」ということしかない。
(私はそれに貢献してしまった。)

この記事、「恐怖」だけでは足りないようで「リアルな」という強調単語までつけて表現している。

そんな文章から感じるのは、心理的に子供の、精神的依存の強さだ。

だから、この記事の本当の「恐怖」は、寂しさや孤独が人と付き合うことで「回避できる」と信じていること。

孤独はそんなことで回避できるものじゃあない。
何故なら、孤独感は、他者と居る時ほど強く感じるからだ。

大多数と「違うこと」が「異常」と断言するような会話をする集団の中では顕著に感じる。

孤独を回避するために、パートナーを手に入れたのなら「自分」は満足できるだろう。
でも、それは新しい服を手に入れて満足することとあまり違わない。

しかし、服と大きく違うのは、相手も「選択」する「意思」があるということ。

相手と暮らすことは相手を受け入れることである。
そして、それは自分の「選択」だ。

そして、関係は変化する。
自分も相手も変化する。

「パートナーと暮らす」現実は、変化の結果、自分が選び続けることであり、すべて自分の責任だ。

記者が求めるようなパートナーは求愛行動をするだけで得られるもんじゃなない。
鳥じゃあないんだから。

楽天の問題なのか?

有名デパートの中に借りている店舗「A」が不当表示をしたとする。

この場合、店舗「A」の問題で、デパートが景品表示法違反になるわけではない。

多分、店舗契約の更新しない程度の話だろう。

でも、これがネットだと違うらしい。

「楽天、二十数店舗で不適切表示=優勝セール、通常価格引き上げ」のニュースでは「消費者庁によると、景品表示法に違反する「有利誤認」に当たる可能性がある」という。

でも、これは「個別商店」の話で「楽天」の問題ではないはずだ。

そして、この「景品表示法」は今、話題の「メニュー誤表示」においての対象規制と同じ法律である。

つまり、レストランのメニューなら「売ってしまった商品」についてなら「誤表示」ですむが、通販なら「売ってない商品」の割引が不当ということで「違反」らしい。

ここで、規制の違いを言っているのではない。

1万円のシュークリームは大抵の人が「買わない」だろう。

77%なら「買う」というのならそれは「シュークリーム」が欲しいのではなく、「高いものを安く買いたい」という消費者を騙そうとしただけの話。

買った人はシュークリームに2000円以上の価値を認めたんだからいいじゃないか。

ダイエット食品なんて、そうやってぼろもうけしているんだから、シュークリームだけが違うはずがない。

でも、レストランのメニューなんて売ってしまったものを「誤表示」で通そうとしている。

悪意があろうが、無かろうが、行為自体の悪辣さはどちらが酷いか、一目瞭然だろう。

でも「違反」として追及されそうなのは「楽天」だという。
勝ってなセールをした企業でもない。

「仕組み」を壊そうとする革新者はいつでもいじめられる。

今、日本に必要なのは規制じゃあない。
だって、お上の作ったルールは、既得権が得をする仕組みに成り立っているのだから。

消費者に必要なことは、権威ある新聞社や政府発表を信じずに「人として悪辣な行為をした企業」を見極めて、行動を変えることだろう。

消費しないということを。

そんな行為をする企業はもちろん、事実を曲げて「記事」として売る新聞を買わず、そういうテレビを見ない。

規制をどれだけ作っても権威を信じる消費者がいる限り、騙そうとする人は決して減りはしないのだから。

株主の方がまともだわ

某大手新聞の「暴力団融資問題 みずほ株主が刑事告発」の記事を読んで「あれ、まともな人もいるんだ」と思った。

私は、みずほ銀行の株なんて持ってないけど、これ、良心がある株主なら「正当な責任ある行為」でしょう。

だって、彼らもそういう会社に「投資した責任」があるんだから。

彼らは辞める気ないし、責任追求するつもりもない。

金融庁だって「金融庁、みずほ刑事告発せず」という記事で判るように、既得権仲間を助けるつもりなんだから。

社会的な「良心」を持っているかどうかというのは、「持てるものの義務」を意識しているかどうかだと思う。

権力でも、お金でも、社会的地位でも、「持てる者」は持てない分の者達の幸せにも責任を負っている。

奴隷制度があった時代に聖書にも、主人として奴隷をどう扱うかべきかを教えている部分がある。

つまり、持てる者には社会的立場としての責務もあるということだ。
これは、権力やお金持ちという意味だけではない。

つまり、先進国と発展途上国との関係でも同じこと。
「義務」がどんなものか、どれだけ持つかは、意見が異なるとは思うけど。

だからこそ、この株主の行為には拍手を送る。

株主ではない利用者の私達には何もできないけれど、株主には出来るのだから。

「持てるもの」の義務を全うして欲しい。
より良い世の中にするために「持てる者」ができることはたくさんある。
そして、それは能力、権力、資産を「持てる者」の義務だ。

今こそ、「物言う株主」になって欲しい。

既得権死守の組織に居る人間に、責任感を求めても意味がない。
彼らは、変わるつもりなど、全くないのだから。

差別の現実

某大手新聞社のWEBに「「婚外子」平等化に反対、自民勉強会に23議員」という記事を見て目を疑った。

一人、二人の反対ならともかく、現役に法律を作る立場の人がこれだ。

この現実から考えれば、日本の求職活動における「年齢差別なしの平等」という法律が形骸化されるのは当然だ。

民法は「憲法」の下に存在することを、彼らは本当に理解しているのだろうか。

このようなニュースを読むほど、彼らを「選んだ」国民の「平等」という意識のゆがみを痛感させられる。

生まれた命に違いは何もない。

障がいがあろうが、社会的立場がどうであろうが、国籍がどうであろうが、命はこの世に必要だから生まれてくる。

どんな命も違いはない。

それを憲法が保障しているのは何故か。

命は尊いものだからだ。

それ以外の「区別」は「人」が作った概念でしかない。

にもかかわらず、こういう行動が「肯定」できるのは、自分達の権力が国民より「偉い」と信じているからとしか思えない。

司法でも「違法」と判断されたことを、政治家として堂々と「肯定する」行動をすることが、どれほど国民を馬鹿にしているか彼らは理解しているのだろうか。

ただ、これは彼らだけの問題ではない。

国民が政治家を選んでいるのだから。

政治家の意識は、また日本人の意識だ。

20人以上も憲法を否定する政治家を選んでしまった国民は自分達の選択を振り返る必要がある。

自分にとって「得」ということだけで選んだ結果、どんな未来を自分達の子供に残すのかを。

どんな価値観を伝えて行くのか。

貴方の孫は、障がいを持つかもしれない。
父親が判らないかもしれない。

でも、愛すべき、素晴らしく尊い命であることには違いないのだから。

規制自体がダブルスタンダードじゃん

タイトルは、ダイアモンドオンラインの「ホテル、百貨店で偽装を続発させた「レストラン」という世界の特殊性」の記事を読んでまず思ったことだ。

財部誠一氏は「レストランという世界が特殊であること」と法規制の強化、そして雪印の事件から学んだ食品会社の姿勢が必要だというけれど、これはレベルが違うだろう。

今回、騒がれたレストランで病気になった人はいない。

原料の「産地」をごまかしたり、えびの種類をごまかしたりしただけだ。

これ、スーパーの加工品も同じこと。

刺身盛り合わせなら原産地の表記は要らない。

原産地だって輸入して何日か日本の水につけておけば「日本産」になる「今の日本規制」の理論からいうと、レストランメニュー表示だけに「規制強化」を求めるのは変な話だ。

たしかに、えびの種類をごまかして安いものを使ったのはまずいかもしれないけど「えび」とだけ書いてあれば「規制」部分は満足できる。

そもそも、加工品なんだから。

これ、問題の本質はブランド物のコピー商品を「買う」ような消費者の「心理」を利用して「売ろう」とした企業の行為がうまくゆく「社会」が普通に存在することだろう。

高ければいいもの、日本産なら大丈夫。そんな「肩書き」を信用し、「味もわからない」消費者が金を払っただけ。

スーパーの加工食品は原産地があいまいでいいのは、はっきりさせると売れないからだし、そんなの毎日「仕入れが変わる」んだから、いちいち確認するなんて、無理な話だ。

だから、国の「規制」もこっそり甘くしている。

まあ、こういうことに大騒ぎする社会性が世界に向けて、日本製製品や食品の信頼性を上げている事実はあると思うけど。

夫の産休取得率を上げるのが先でしょ

「育休3年」長年の慣習は変わるか」という記事に、安倍首相が「企業が育児休暇を3年にするよう推進した」と書かれていた。

これについての意見は他の人に任せるが、彼の成長戦略から判るのは、未だ「育児は女性の仕事」から全く変えようとしないという日本の現実だ。

実際、「共働き世帯の「イクメン」増えず」の記事は「育児休業制度の利用割合も母親の42・9%に対し、父親は1・3%」の事実を伝える。

取得が女性の半分だったとしても期待は持てないが、40分の1しか取得しない現実は、日本で「家族を作ること」が絶望的にも思える。

この数字は、働く女性が育児をする時、夫の協力は「期待できない」という事実だ。

それは、思想の問題で制度の問題ではない。

日本男性が育児休暇を「取らない」現実を無視し、女性の育児休暇を「増やす」ことを「戦略」とする日本のリーダーの考える国の男性と、日本女性は「結婚して家族を持ちたい」と思うのだろうか。

税金を使って、いろいろな施策をするのはいいけど「やりました」という政府の「ポーズ」を信じるほど日本女性は馬鹿じゃあない。

だから、女は子供を産まない。

加えて未婚で子供をうむことを否定的に考える社会の現実を照らし合わせてますます「一人でいいわ」と考える女性は増えるだろう。

だから、政府が税金を投入し「結果は出ないけど」「がんばっていること」を評価し「きっと誰かなんとかしてくれるはず」と盲目的に信じるのも信じないのも国民の自由だ。

日本女性も含めて、私達から選択する権利は、誰も取上げることはできないのだから、結果は20年後、30年後の社会が教えてくれる。

2013年11月7日木曜日

魅力的な男性と人口増加

山下真弥氏の「「移民の受け入れか、女性の労働力か」 現実を見据えた政策を」という記事には驚いた。

まず、最初に「女性はそれほど働きたくないのだ」という統計数字を提示し、女性の労働意欲は「高くない」とまで言い切っている。

加えて非正規雇用の若い日本人男性は恋人すらいないから「雇用を安定させなければ、結婚、妊娠、と少子化対策は進まないのではないか」と疑問を投げかけている。

これ、根本的に変な理論だ。

まず、非正規雇用の男性に恋人が居ないのは、雇用の問題ではない。

単純に日本人男性に魅力が無いからだ。

事実、外国人と結婚する日本人女性は多く、「ハーフ」と呼ばれる若者も増加している。

この事実があるにも関わらず「若い男性の雇用さえ安定すれば、女性は妊娠する」という意見だ。

でも、女は子供が欲しけりゃ、男性など頼らない。

種は、どれでも子供は生まれるのだから。

女性が子供を産まない理由は、男性の雇用とは全く関係がない。

でも、そういうことにしておかないと「空気が読めない」人に思われてしまうから、社会のせいにして「生まない理由」を主張する。

でも、本音は一緒に人生を歩みたいと思うほどの男が居ないから。

子供が欲しければ作ればいい。
ティーンはそうやって若くして母になっている。

ただ、子供を投げ出す人もいるけれど。

統計を信じるのは自由だけど、どこもかしこも「偽装」されているんから、アンケート「だけ」が「正直に」答えるなんてありえない。

だから、そんな結果から導き出す意見って、あまり説得力ないと思う。

技術を擬人化する日本人

ここにもまた「変わらない」日本人の典型的な形が記事になっている。東洋経済オンラインの岡田 有花氏が連載している中にある「中年のゆがんだ“mixi愛”」だ。

ユーザーが会社を支えるのは当然だ。
サービスやソフトなど「使ってもらってなんぼ」なのだから。
だいたい、使われないなら、普及しないし。

でも、この記事、ユーザーが「親」で、「mixi」というサービスを子供のように思っているらしい。

自分達ユーザーが育てた「子供(サービス)」を「大きく変えるなんて、何事だ」と憤る。

でも、これって「俺は「これ」が欲しくて、金出して買った「物」なんだから」という考えだけど、「サービス」は無形だから、変化する。

でも、それを受け入れない。
このベースにあるのは「変わることは悪いこと」という日本人の意識だ。

ビジネスが技術開発に伴い、企業が提供するサービスを変えてもそれは企業の自由だ。

サービスの仕組みは提供している企業のものなのだから。

ユーザーの意見は聞くことはしても、企業としては未来への投資に「割り切り」も必要だ。

まあ、その読みが失敗することもあるだろうけど、切り捨てて行くこと、破壊することでしか、新しいモノは生まれない。

あるサービスを利用していて、それが「変わった」と言って文句を言うくらいなら、利用をするのを止めればいい。

所詮、企業にとってはビジネスでしかないのだから。

買う方法が違うと消費者は変わるのか

「一般用医薬品(大衆薬)のインターネット販売で規制を一部残す政府方針」は、本当に「変われない日本」の象徴的ニュースのひとつだ。

これ、行政訴訟にする方向になりそうだが、そもそも、この「行政訴訟」って、勝率が10%前後。

つまり日本では「お上の言うことには逆らわない」ということが常識だ。

でも、これに逆らった人がいる。

運輸省の真っ向から戦ったクロネコヤマトの創始者、小倉昌男氏だ。
結果は見ての通り。

日本の宅配事業は拡大し、生活は格段に便利になったのが現実だ。

彼は後年「役人のせいで、宅急便の全国展開が5年は遅れてしまった」とコメントしたらしい。

だから、日本で何かを「変える」人は「既得権死守」の組織と戦う必要があるらしい。

でないと、日本は変わらない。

このニュースで、政府側の経済再生担当相のコメントがイカしている。

「医学や薬学の専門家の意見を政府は無視できない」らしいが、これは翻訳すると「彼らの既得権を政府は無視できない」ということだろう。

だって、消費者が薬局10ヶ所回って10回買えば、市販薬なんて、買いたいだけ買える。

ネットで買おうが、店で買おうと消費者が「買いたい」と思えば買えるのは、対面販売だって同じことだ。

でも、大手テレビ局は既得権死守の仲間。

だから、ネット販売がいかに危険かをイメージさせるように薬害被害者のコメントをニュースに挟む。

大企業の「仲間」は振興企業のやることは「危険思想」というイメージを売り込むのに協力を惜しまない。

ま、これで政府が負けると、楽天の商品はクロネコヤマトが宅配するんだからストーリー的には、きれいにまとまるなあ。

措置命令だせばいいってもんじゃあないでしょ

メニューの「盛り」があまりに「一般的」になっていたようで、あちこちの企業の社長他、メインの仕事である「頭を下げること」で大忙しだ。

でも、この「誤表示」騒動も過去を調べると「日本劇場」の一部だ。

これ、防止するための法律は、とりあえずある。
そして、それを監督する省庁もある。

法律は「景品表示法」というもの。
昭和37年からある。

一応、罰則はある。

でも、「措置命令」で改善すれば、問題なしということ。
つまり、どんなに悪質な「表示」であっても「措置命令」という「お上の言うこと」を聞けば「おとがめなし」という仕組みだ。

それに従わない時に初めて「罰則」が適用されるが、罰則適用された会社なんて過去にあるんだろうか?

こんな疑問が生まれたのは、なんと2011年11月にあの「株式会社安愚楽牧場」に「措置命令」が出ているから。

つまり、国は「やばいことを改善しなさい」と言ったので「責任は果した」ということだ。

でも、この会社、その3ヶ月前に倒産している。

3ヶ月も経ってから「措置命令」を「倒産した会社」に出す意味って、税金使って「とりあえずやりました」という目的の他、どんな役に立ったのだろうか。

私には理解できない。

今回も、メニューを「盛って」いたレストランは「改善」するから、「お咎め無し」でしょう。

でも消費者だって、自分が就職活動するときには、履歴書「盛る」んだからお互い様。

何か(誰か)を売りたい時に「良く見せる」ことを「肯定する社会」だし、結果より「とりあえずやった」ことが実績になる社会だ。

まあ、これからも変わらんでしょ。

500円パソコンは月額5500円2年間の契約縛り付き

ラジオを良く聴くが、昔と大きく変わったことがある。

かつでDJは「それではコマーシャルの後で」と言うことで、CMなのか番組なのかを切り分けていた。

今や番組の中にCMがある。
ただし、これは「インフォメーション」らしい。

高速道路の交通情報も「インフォメーション」だ。

そんな「インフォメーション」のひとつに「パソコンが500円。50台限りです。」というのがあった。

聞いていると最後に「月額5550円の通信契約が条件です。」ということを本当にさらっと「一言」だけ付け加えた。

この金額にも驚いたが2年契約と聞いて「?!」と思った。

パソコン500円でも、これだけで12万以上の払う「契約」をすることになる。

パソコンなら最新機種が買えるだろう。

通信データ量にもよるが、私は電話とデータ通信、両方使い放題で月額6000円程度だ。

かつて、電話と通信両方契約していたが、これが嫌で携帯をデザリングできる機種に代えた。

結果、通信料金は半額になった。

これもXPサポート終了を脅し文句に「パソコン音痴」の個人を狙うビジネス商法でしかないが、ずいぶんえげつないと思う。

XPのサポートが終わっても、ネットに繋げないで使えばなんら問題ない。

既存ソフトでデータを加工し、印刷するには十分だ。

ネットだけならスマートフォンで十分だし、消費者は本当に12万の契約をすることを判って「500円パソコン」を買うのだろうか。

これ、解約する人がまた「騙された」って消費者センターに苦情を言うのだろうか。

まあ、気持ちは判らないでもないけど、何でも計算してから契約した方がいい。

掛け算九九は小学校で習っているんだから。

だから、変わらないって

米光一成氏の「呑み会を断る新人は何を手放したのか」の記事は、一見全うな意見に思えるが、そもそも論点が違う。

「日本の家族会社は時代に合わなくなったけど、ジョブ型にすれば問題解決になるわけではない」という意見には同意する。

しかし、企業が「家族」を求めるような「日本型雇用が日本に根付いたのか。」を考えて新しい道を考えるべきだ、という意見は見当違いだろう。

日本の就業形態に問題なのは「型」なのではない。
プロフェショナルが責任を取らないことが問題なのだ。

彼が言う「ジョブ型」の欧米方式には「職務」がある。

それは、年齢でも性別でもなく「プロ」だ。

家族的企業に必要なのは「お父さん役」や「お母さん役」だ。
だから、新人はいつでも「子ども扱い」しかされない。

学んだ最先端の学問も全く求められない。
だから、出来る新人は辞める。

当然だろう。

だって、大した仕事も意思決定もしない「お兄さん役」の「管理職」は「前例が無い」と言って何一つ変えようとはしないのだから。

家族の中で順列や秩序を壊すことは「悪いこと」だ。
「子供役」にはその役に見合った「振る舞い」がある。

それが、家族の一員として居続けるために必要なことなのに、それに意見するなんて「10年早い」ということなのだろう。

だから、日本でいう「就職」とは「年功序列による既得権を必死の確保することで生活を安定させること」である。

ならば、それを大多数の日本人が求める社会では、彼の言う「日本型雇用」はいつまで経っても変わらないのだ。

事務長って、21億も着服できるものなの?

WEBサーフをしていたら長野県建設業厚生年金基金の事務長がタイで捕まった、という記事があった。

読んだら驚いた。
ただの事務長が20億以上着服して高飛びしたらしい。

「世間を驚かせた厚生年金基金の不祥事問題」というタイトルで大和総研の記事があったが、まあ、日本らしいといえば日本らしい話た。

一介の担当者が億だけではなく、何十億も着服できる仕組みと無責任な管理者であっても職場が確保されるのは、日本以外に無いだろう。

結局、この20億も消えて無くなっても、誰も責任なんて取らないし、金も戻ってこない。

青森のチリ人の貢いだ男性のお金もほとんど戻ってこなかったというが、それも当然だ。

だって、そういう組織にお金を預けている「年金」という「仕組み」を「変えないこと」を選択しているのは日本人なのだから。

池田清彦氏はそれを「国家的ねずみ講」と看破した。

ただ、ねずみ講も既得権を持った上のランクの人達は変えられると損をするのだから、変えたくない。

だから、この事件はその中で既得権を目いっぱい利用したということでしかない。

あきれるほどの無責任にはある意味感動すらする。

人の金を自分の金と思える職場、そしてそれを誰もチェックしない仕組みが「雇用確保」という名目で成り立つ組織で働く人達は、犯罪を犯した人より遥かに大きな罪を負っている。

でも、日本では「悪事をやった人が悪い」という固定観念があるので、彼の悪事を見逃した上司達は誰一人良心は痛まないだろう。

「知らなかった」で責任が逃れられ、来月の給与も貰える。

みんな公務員や正社員になりたがる訳だわ。

過激だけど正論

週刊誌で早稲田大学教授である池田清彦氏の記事を拾い読みしたが、これに爆笑した。

この先生、過激な書き方だけどまさに正論だと思う。

日本を「自転車操業のねずみ講国家」と分析し、「奨学金で大学に行くのはサラ金でパチンコすることと変わりない」と断言する。

そもそも、日本の奨学金は「学生ローン」であり、日本語の使い方をメディアは完全に間違っている。

「奨学金」と商品名がついていから「奨学金」と呼ぶだけの話。

「奨学」の意味は「学問をすることを奨励する」のであるから、就職のために大学に行くならこの言葉は不適当だ。

「ローン」を自分の責任でしたいことをするために金を借りること。
パチンコもそのひとつだ。
ただ、行く場所が「大学」であっても変わりない。

日本人には、ローンや契約の意識が低いけれど、これは多分責任を「誰かに押し付ける」文化のせいだろう。

一時「自己責任」という言葉がはやったが、これ「馬から落馬する」と同じように重複している。

「責」や「任」には主語がはっきりしているのだから。

自分が選択した「責任」、職務として「責任」を意識しなければ、契約や投資も「誰かのせい」になってしまう。

ある意味、子供が大人の言う通りにやって失敗して「おかあさんが言ったからだっ」ってただを捏ねることと同じこと。

子供の頃から指示されて生きてきて、社会に出ても誰かの言うままに信じて騙されたら、文句は言いたい気持ちは判るけど、いい年してそれは無理でしょ。

大学って、学校だったっけ?

「「大学、簡単に卒業させません」 助成金制度見直しでキャンパスは留年学生だらけに?」という記事がある。

これ、読んで驚いた。
だって、あまりに日本の建前主義を率直に書いているんだもの。

これ、「大学は就職のために行くから、卒業できないことは社会問題だ」という意見だ。

そりゃあ、それは事実かもしれないけど、そもそも、大学で「何をするか」は一言も書かれていない。

大学の准教授に至っては「楽しいからといって学費は払える金額じゃあない」と意見を述べている。

この記事を読むかぎり、日本での大学は「楽しい場所」で「就職のために」行く所になる。

これが「本音」だから、子供の数は激減したのに、大学は増大した。
そして、助成金も増える。

税金も増える。

日本はいったん、決めると「変えない」から大学も潰れない。

で、学生を呼び込むために掛け算の九九もできないような生徒も受け入れる。

だって「大学は楽しいところ」なんだから。

そして「大学生の質が下がった」と新聞は騒ぐ。

そりゃあ、当然だ。

誰も大学に「学問」など求めないんだから。

それより、就職率や求職時期が重要だ。

で、今度は留年問題。

まあ、生徒がこない大学では留年もいいビジネスだ。

「温情卒業」にも現金が飛ぶかもしれない。
だって誰も大学が「高等学問の場所」なんて思っていないのだから。

これじゃあ、優秀な頭脳は海外に逃げ出すのも当然だわ。

そりゃあ、政府が金ばら撒くんだから当然でしょ

某大手新聞社の「求職支援不正、NPO強制捜査へ 大阪府警、詐欺容疑で」記事を読んで「そりゃあ、そうでしょ」と思った。

助成金が会社の存在を確かめずもしないで簡単に貰えるなら、組織的に貰おうとする人もいるでしょう。

その「組織」って、別に会社である必要はない。

助成金貰うためのプロジェクト」のメンバーはどこで働いていたっていいんだから。だから、独立法人で働いていた人がメンバーにいるのは当然。

助成金を「渡す」側の人間が、助成金を「貰う」側と組むのは普通でしょ。

だって、会社の存在すら確認しない「仕組み」に必要のは、抜き打ち検査に引っかからないことしかない。

だから、検査があれば、事前に知ることだけが必要だ。

だって、警察の一斉取締りだって、警察からこっそり教えてもらって逃れる人がいるんだから、「仕組み」はどこでも同じこと。

こんな会社を一社発見したからと言ってニュースにしてもあんまり意味がない。

だって、「簡単に貰える仕組み」を変えないんだから「助成金を貰うプロジェクト」を企画する人は減らないでしょう。

省庁の役人だって何もしない。

だって、日本人は誰かが「止めよう」と言えば「反対」するのが「礼儀」だから決まったことは変わらない。

だって誰も「余計な仕事」はしたくない。
役所で働く人たちは、言われたことをするのが「お仕事」ですから。

だから、ニュースを見て「悪いことをすればバレるんだ。」なんて思わない方がいい。
こんなの「ちゃんと仕事しています」という広告程度の話。

今、そしてこれからも多数いるだろう「捕まらない人」が貰う助成金の元は、みんなが払った税金なんだから。

誰がいったい企画して、予算が承認されるの?

某大手の新聞記事にはまあ時々驚くニュースを見る。

「核ゴミ処分のPR車売却へ 公費4億円、実働199日」ってたぶん、きっと本当だろう。

だって、外務省なんてパスポートひとつ作るのに1千万かかるシステム、外部から問題指摘されるまで止めなかったんだから、省庁にしてみれば4億くらい大した問題ではないのだろう。

でも、不思議なのはこれが「作られてしまう」ということ。
1億近くもかけた企画に予算がつくということ。

そのうえ、10年も稼動実態を見直さず、評価もせず、2億の予算が追加で使われていたってすごい。

これ会議とかもそうだけど「やること(実施すること)に意義がある」ので、結果を求めない典型的な日本のやり方だ。

しかし、管理職の人たちも、現場の人たちも誰も疑問を持たなかったのか?

まあ、日本の「正社員」や「公務員」は言われたことしかしないから。仮に誰か問題提議しようとしても、出世を狙う管理職は握りつぶすだろう。

「前例が無い」というのは、余計な仕事をしないための魔法の言葉だ。

担当部門だって、予算がつく限りは、そりゃあ止めないわ。

それにしても、センスがなさ過ぎる。

企画をした会社は、営業口上で「経産省のプロジェクトを担当しました」と言って他社の仕事を取ったのだろうか。

肩書き社会だから、当然だろう。

でも、こんな結果を出すプロジェクトが「実力と信用」になる会社が存在できる国ってすごい。

そして10年前のデフレでもこんな予算がつくのは、やっぱりお金持ちの国なんだなあ。

建前だけの法律なんだから当然でしょう

某大手新聞社の見出しを読んで大笑いしてしまった。

「「男女平等」日本は105位、なんで?」って、そんなこと解りきっているじゃあない。
変わりたくない日本なんだから。
それを「なんで?」ってとぼける記事には笑うしかない。

年齢不問といっても、女性でキャリアがある40歳以上は雇う気もなく、未婚の出産に大騒ぎするメディアが「なんで?」って読者に問う神経は、どう理解したらいいのだろうか。

大手新聞社が、みんな知っていることを、さも「ニュースです」というように報道するのは、何故なんだろうか。

どんな会社も、女性の役員なんて皆無に等しい。

男性が育児休暇を取ることを「出世する資格無し」のような扱いをする企業で「女性を活用しています」という宣言は空しく響くだけだ。

年齢不問という「法律」も先進国として海外との差が無いように見せかけるだけ。

履歴書には永遠に「生年月日」を記載することを「当然」とするのなら、日本社会はグローバル化のスタートラインにすら立っていない。

特に、派遣法の形骸化はすさまじく、政府はそれを弄繰り回すのに、膨大な税金を使っている。

いろいろな政府の施策は予算だけが消化され、結果がでなくても「問題なし」だ。

日本には結果や責任を問わないことが「暗黙の了解」のため「努力しています」の姿勢を見せれば、後は大手新聞社が記事らしく書いてくれる。

民間企業の不祥事も同じ。
大事なのは結果ではなく「努力しているところ」を見せること。

だから、日本企業に専門家は不要なのだ。

2013年11月4日月曜日

まともな意見と大物の息子達

みのもんた氏の息子が起こした事件で、あらゆる人が意見を言っている。

でも、面白かったのは日刊ゲンダイ。

「バカ息子の不祥事「20歳過ぎたら別人格」で救われた大物たち」と記事にならなかった「馬鹿息子」を持った「大物」を洗い出している。

これは誰かがするだろうなあ、と思ったら日刊ゲンダイだったことがちょっと意外だった。

でも、ここはオリジナルな切り口での記事が多い。
眉唾ものもあるけれど。

うんざりしたのは、鳥越俊太郎氏のコメント。
彼のコメントではなく、彼の意見を「加工」した記事とも呼べないコピペ記事の多さ。

鳥越氏のオリジナル記事を読んだ時「なるほどねえ」と思ったから探したけれど、あまりに加工記事が多すぎて見つけられらなかった。

「鳥越氏、ばっさり」とか「上から目線」とか加工記事にはいろいろ過激な言葉が並んでいるが、オリジナル文章はもっと冷静に書かれていた。

そこから感じた鳥越氏の意見は「息子の事件はきっかけでしかなかった」ということだ。

「彼自身の問題があったから、こういう結果になったのではないのか」という見方は確かにひとつの考えだ。

個人的には、成人男性の責任を親が取る必要は無いと思うし、今回のように糾弾する日本のメディアもどうかしている。

昔から、親の権力によってメディアは取上げるか、無視するかを決めていたのだから。

ただ、彼が「煙たい」人にはチャンスだったのだろう。

権力を持った人物を引き摺り下ろしたい人はたくさんいる。

それは、どこの世界でも同じだし、それが現実だ。

小泉劇場とかなんとかまた言うんだろうなあ

共同通信の「小泉元首相、脱原発批判に反論 「政治が方針を」」の短い記事には、彼が今の信念の通り行動しようとする意思が明快になっているように思う。

人の考えは変わる。

今回あちこちで起こっている「盛りすぎた」メニューだって「ミスだった」「コミュニケーションの問題だ」と言い訳するより「解ってて、やってました。(だって売れるんだもん。)これからはハッキリ解らないように曖昧にします。」と主張すればいいのだ。

でも、絶対に言わない。

まあ、言える訳ないけど。

で、小泉元首相。

自分の過去の判断に対して「間違った」とは言っていないようだけど、その判断に対してなんらかの責任を感じたから発言し始めたのだろう。

もし、権力が欲しかったのなら、もっと前からしゃしゃり出るはずだ。

長い間沈黙していた彼が、福島の問題にも目をつぶり、原発推進を進める現在の政治に対して本気で自分の過去の判断を考えたのだろう。

だから「考えが変わった」ということを明快にして発言し始めている。

勇気があると思う。

日本は「変わること」が悪だから彼のように「考えは変わるものだ」と堂々と主張されることが大嫌いだ。

そんなこと言ったら「責任を取れ」と言って議員を辞めさせることもできない。

彼の場合は、そういう点では自由だ。

だって、辞める必要がないから。

個人的には、彼が声を上げ始めることに歓迎する。

彼の言葉に耳を傾ける人は多い。
小泉劇場だ、何だと言われようが、言論の自由は憲法で保障されている。

彼には自由に自分の意見を語る権利がある。

それを大手新聞社が無視しても大した問題じゃあない。

口コミだって「思い」は伝わるのだから。

助成金渡すのに、会社の存在って確認しないの?

毎日新聞の「詐欺容疑:失業者職業訓練の助成金を不正受給 10人逮捕」の記事を読んで「?」となった。

これって、休眠会社の名前を使って助成金申請すれば、チェックもなくお金が貰える仕組みっていこと?

もし、そうだったら、すごいことだ。

一体、お金を渡す担当者って、何にも仕事していないことになる。
だったら、自分でオンライン登録にした方がいい。

少なくても、既存の登記データを利用して申請される会社の存在を自動にチェックできるのだから。

これ、基本的なことだけど、まず、申請書を提出する人が居て、助成金を認める側には、複数の管理職がいる。

だから、そこには、1つ以上の判子が押されているはず。

この判子は一体何を意味しているのだろうか。

空欄がないかどうか?

だったら、これもオンライン入力でチェックは自動化できる。
制作費は、正社員一人の管理職年俸でおつりがくるだろう。

金が申請者に渡されるまで、いくつもの「正社員」が「確認」しているらしいが、申請されている会社の存在を確認することは含まれていなかったようだ。

これ、騙した方が悪いっていうのは絶対的な事実だけど、その仕組み変えたのは、何年もたってからという「決断」と「行動」のスローさにも恐れ入る。

「発見された不正受給」だけで3億以上のバラまきだ。

「発見されていない不正需給」をいれれば、一体どの位の税金がばら撒かれたのだろうか。

これ、暴力団だっからニュースになったけど、普通の企業ならただの「不正」だ。

バレなきゃ助成金の丸儲けだ。

助成金って元は税金なんだから、税金渡す時には、少なくても会社の存在くらいは確認して渡す責任ってあるんじゃあないだろうか。

でも、たぶん「それは自分の仕事じゃあない」って下の担当者も管理者の担当者も言うんだろうなあ。

でも、誰も辞めないよねえ

共同通信の「みずほ銀行の頭取、辞任否定 暴力団融資、OB含め54人処分」って、記事の見出しには映えるけど結局何も変わらないってことだ。

だって、誰も辞めないんだから。

そりゃあ金融庁には「こう変えます」っていうけど、あれ以上、どうするんだ?

金融業界の暴力団チェックなんて、アルバイトの求人募集にだってする必要のあるプロセスだ。

当然、金を貸すなら、ある程厳しいものがすでに存在している。

だから、やり方変えても何にも変わらない。

でも「変わった振り」はできる。金融庁も面子を保てるし、銀行側はこれで社会的な「禊」は終わらせたことにできる。

でも、一番重要なのは「再発防止」に変わる要素が何にもないことだ。

だいたい、誰も責任取らない「仕組み」をどれだけ変えても問題は解決しない。

トップを辞めさせても大した変わりはないけれど、それでも人が変わることで日本の場合は激変することがある。
(特殊なケースだけれども)

日産がそうだった。

あんな変化は銀行のような硬い業種で起きるわけがないが、それでも日本で唯一「変化」がおきる可能性はトップが代わることだ。

だから、この銀行はまず変わらない。

メディアの仲間もこれ以上探らないだろうし、1ヶ月もすれば誰も話題にも上げないだろう。

ようやく税金が納められるほど回復したんだから、金融庁だって多くは求めないだろう。

国だって税金は欲しいんだから、大げさな事件にするつもりはないんでしょ、きっと。

どうして「合併」されたのか解ってない

これ、矛盾を感じないんだろうか。

毎日新聞の「<阪急阪神ホテルズ>鉄道畑の出崎社長、畑違いで掌握できず」の記事を読んで思わず「意味が解らない」と思った。

そもそも、合併に至ったのも非効率な経営だったからだろう。

それれを「やっかみなどでバランスが崩れてうまくゆかないから、中立の社長を」という人選をしたというが、合併した会社の関係者がこの人選に合意したこと自体、理解に苦しむ。

経営はリーダーシップではないのか。

意思決定をし、方向性を決めて行動する。
日産のトップを見てみるといい。

いろいろ言われたけど結果を見るかぎりトップのおかげと思わざる終えないだろう。

調整するのはトップの職務ではない。

それを「職務」とした「社長」という「肩書き」が率いる会社では、メニューの「誤表示」の問題が起こって当然だったことだろう。

レストラン部門にしては「社長」など誰がなっても同じことだったんだから。

グループ企業が経営のプロに求めたものが「中立」というのも日本らしい。


そして、それに疑問を持たないのもまた日本だ。


以前に居た会社も、4年間で社長が4回変わった。

みんな新しい「ビジョン」を掲げたが何一つ変化しないうちに結果を出せず去っていった。

親会社の出向社員が役員として20人、30人も居る会社で、社長一人がどれだけ新しいことが出来るだろうか。

何もできない。

だから、変化はせず、責任を誰かに押し付けて、出来なかった言い訳をする。

所詮、日本の会社なんだから、どこだってそれほど変わらない。

2013年11月3日日曜日

「草食投資家」って・・・

東洋経済オンラインって、かなりエッジな記事が多いけど、このタイトルには爆笑させられた。

投資ってリスクテイクの「肉食系」の「自分の行動を決める」という積極的なイメージしかないのに、この逆的表現には、笑うしかない。

この「草食投資家をフォローせよ」という連載、始まったばかりのようだけど「欠陥だらけのNISA、どうすりゃいいのさ?」の記事は一見の価値があると思う。

一番びっくりしたのは、中学、高校の6年間で「経済や株式会社」について書かれているのがたった2ページということ。

大笑いさせられた。

それほど、日本の教育では自分でリスクをとる野心家ではなく、企業に頼る「家畜」ならぬ「社畜」を育てるということだ。

それは見事に成功した。
変化を嫌がる日本は、企業の正社員という既得権にしがみつき、責任を問わず、自分の「意思決定」で失敗したことなのにそれを「誰かのせい」にする。

たとえば、自分から投資をして損をすると「説明されていなかった」とだだをこねる。
サラ金だって、契約書にサインしたのに「グレーゾーン」がはっきりしたら「金返せ」だ。

商品やサービスの売買に「契約」の意識がなく、どうどうとクレームを言う消費者には「申し訳ありません」という言葉を連呼することでなんとかしようとする。

そもそも、企業は売れるとなるとメニューを「盛って」も、非常識な金額のキャッシュバックでもなんでもありだ。

消費者は企業のミスを見つけてつるし上げて溜飲を下げ、金が取れるなら毟り取る。

どうでもいいけど、こんな消費者を持つ企業に「草食投資家」が投資するの?

「誇り」の値段は材料の値段と無関係

レストランのメニューから始まった事件自体は大したことがないけれど、それを言い訳する人たちの発言には大いに笑わせてもらっている。

スポニチアネックスの「リッツ 偽装7年前から 詳細説明は拒否も「高い誇りは持ち続けたい」」の記事のタイトルは素晴らしい。

この記事のタイトルをつけた人のセンスは最高だ。

どれほどこの言葉が「場違い」かを「偽装7年」と「誇り」を一文にすることで見事にあらわしている。

この記事のすごいところはホテルにかけてある「絵」の真偽まで質問した事もまとめたことだ。

質問した記者のセンスも最高だ。

彼から「絵について専門家ではないから解らない」という言葉を引き出して「消費者もまた料理の専門家ではないからレストランを信用するのではないのか」という質問を投げ返したのだから。

まあ、誇りを持つのは自由だし、別に対外的価値などない。

価格に「誇り」が見えるなら、消費者には選択肢がある。

買わないだけだ。

記事を読むと総支配人は「原因追求」より「再発防止」に興味があるらしい。

でも、大体、7年もメニューを「盛り」続けていた「組織」で「再発防止」が本当にできるんだろうか。

だって、責任者は処分されない、経営層も変わらないのだ。

だってすべては「ミス」だったのだから。

そして「誇り」だけは持ち続けるから「価格」に反映されるのだろう。

そもそも、実際の材料は三流でも値段は一流だったのはこの「誇り」のせいなんだから。

メニューを「盛らない」で「誇り」の値段だけ付けておけば問題なんて起きなかったのにね。

メニューの誤表示は「ミス」っていう言い訳は・・・・

時事通信の「メニュー虚偽表示「人的ミス」」という記事を読んで「日本だけで通用する話だなあ」と思った。

責任者はもちろん処分などない。

何故ならこの誤表示は単なる「ミス」だから。

国民みんなが知っている。
これは「ミス」なんかではなく「誇大広告」だったことを。

そして、この言い訳を受け入れてしまう国民性がある。

裸の王様の話を思い出す。

当事者が「ミス」と言えばミスになる社会だ。

オリンパスの社長が「反省している」といる姿勢を見せるだけで執行猶予になった。

大切なのは「反省している」姿を見せること。

だから、社長の仕事は「頭を下げること」になる。
責任は取らなくていいのだから、楽なものだ。

そして、消費者はそういう姿を見ることによって、大手企業が「恥」をかくところを見て溜飲を下げる。

だから誰もが「そんなことは大嘘だ」と思っても「知らなかった」「間違いだった」という「言い訳」を「信じる振り」をする。

大手新聞はこの「言い訳」を「嘘」と確定するところまで原因を探って記事にはしない。
せいぜい、みんなが知っている「他社がやっている」ことを記事にして「襟を正せよ」と正義を振りかざす程度だ。

何故なら「仲間」が「形」を見せたのだから「和」を保つのが日本の方法だ。

彼らは、新聞やテレビの広告枠を買ってくれるのだから、適当なところで止めるのは当然だ。

日本の社会は求職時において、自分を良く見せるために履歴書も「盛る」らしい。

レストランのメニューも「盛った」だけの話。

企業も労働者も発想は同じなんだから、お互い様でしょう。

でも、これを「ミスだ」と言い張るのは表現が乏しすぎる。
センスが無いなあ。

命の責任は誰にあるのか

ある物語で獣医になるのを止めた友人が主人公に向かって言う言葉がある。

主人公は「私は、殺せないから獣医になれない」という返事に「獣医ならば、命を奪うことも必要な時がある」からこそ「命の大切さを誰よりも知っている」と答える。

ペットを飼うというのは「命の責任を持つこと」であり、終わりを決めるのもまた飼い主だ。

だから、某大手新聞の「「老犬ホーム」看取りまで 飼えない、でも殺処分は…」の記事を読んで考えさせられた。

海外の友人の犬が癌だと解った時、彼女は悩んだ末に犬を眠らすことにした。

彼女は犬が苦しむことを望まなかった。

飼い主として愛犬が苦しまないようにその決断をした。

その前日に、愛犬の大好物のものを食べさせて、草原で自由に走らせて、写真をたくさん撮って素晴らしい思い出を作った。

そして、獣医の元でお別れした。

これ、考え方は違うが、ペットの幸せは飼い主の責任だ。

だからこそ重要な「決断」は飼い主だけができることだ。

犬の身になれば大好きな飼い主からも離され、動けず生きることが本当に「幸せ」なのだろうか。

命の責任を「誰か」に任せ、それがビジネスになることもニーズがあるならそれでいい。

その値段は、飼い主がペットの幸せを考えて決断できない「責任」の値段だ。

ペットは「飼い主」のためにある「もの」でしかなければ、生かし続けるのもまた飼い主のためだ。

この先にあるのは「言い訳」と「ビジネス」だ。

そして、絶対にペットは幸せには死ねない。

予算の中でのやりくりでしかないでしょ

某大手新聞社の「東電、除染費用支払い拒否 74億円、国は黙認」の記事を読んで「これ、何が問題なんだろうか」と思ってしまった。

国が除染費用を立て替えて東京電力に請求したけど「払ってくれなかった」ということだ。

国と東京電力を「グループ企業」と考えるとわかりやすい。
親会社が子会社の「不始末」にかかった費用を請求したら子会社が「払えません」ということ。親会社はどうするか。

損失を出して終わりだ。

東京電力を普通の「民間企業」と考えて、いかに「東京電力」が「酷い会社」としてイメージを作りたいメディアの気持ちはわかるけど、これ、無理な話でしょ。

日本の原発が止まって困るのは日本政府なんだから。
運転再開の許可だって「儀式」でしかない。

この費用だって、政府の中で福島原発に使う予算が決まっているんだし、東京電力は払える金額はとうの昔に超えている。

それでも利権が絡んでいるから送電分離はまだしばらくしないし、何も変わらない。

親と子の間では合意しているんだから、一応会計上の「お作法」はしておくだけだ。

それが「請求しました」という記録だ。

そして「それは対象外です」という記録を作っておく。

どちらも「お仕事しました」の記録がきちんとできる。

国と東電の馴れ合いは解っているんだから、それを大騒ぎして何になるのか。

本当によく解らない。

危険を煽って記事を売る

昔から「Sex sell」と言って、性に絡めて商品を売るのは当たり前だった。

今は「Fear sell」というところだろうか。

某大手新聞社の有料記事には本当に興味深いものが多い。

「欧州の食品にも大量セシウム」の記事を読む限り「ヨーロッパの食べ物は危ない」ということを言いたいようだけれど、これ、もっと現実的に考えて欲しい。

一人当たり、一体どれだけのジャムを食べるのか。
そして一週間に何度食べるのか。
そして、その量はどのくらいなのか。

セシウムで食中毒にならない。
白菜の浅漬けで老人は死んだが、ヨーロッパのジャムを食べて死んだ人はいないのだ。

この記事の書き方も「有機農場で取れたものなのに」という書きっぷりだが、これもひどい。

乾燥きのこに至っては、危険を煽った後「ただ、条件を変えると問題ない」という書き方だ。

これでは、「国のつくる基準が悪い」というような印象を与える。

この記事、週刊誌に載せて売って、デジタルで210円で売ろうと煽る。

週刊誌が売れなくなったから、記事もリサイクルが必要だ。
原価は0円だし。

だから消費者も利口になった方がいい。

国が決めた「基準」より多いから「大変だっ」と恐れて買わないという選択肢もあるだろう。

でも、口に入る量を考えたとき、セシウムより遥かに危険なものが流通している事実を忘れない方がいい。

追求して記事にするのは、大手企業に「関係ない企業」だけ。
仲間の悪口は「さらっ」としか書かない。

でも、消費者には「選択」の自由がある。
そして、「信じる」「買う」を決めるのはひとりひとりの意思だ。

だから、どこもあんまり変わらないって

某大手新聞社が「保険7社、提携ローンの審査丸投げ」という記事を書いている。

こんな、当たり前のことをさも「みずほ銀行だけではなかった!」と書くところも正義を叫ぶ大新聞らしい。

日本はどこも変わらない。

責任は「誰か」に任せて「お仕事」しかしないから、判子を押すプロセスと、判子を押す欄だけがレイアウトに増えてゆく。

正直言ってこれは、ITシステム化で8割以上自動チェックできる。

ブラックデータベースをきちんとアップデートするITシステム(すでにある)と情報を更新する「組織(仕組み)」を作ってあればクロスチェックをかけるだけで申請書類は発見できる。

この「ブラックデーターベース」を共有することで目星をつける精度は上がる。

でも、しない。
「やり方」を変えたくないから。
役職も不要になるから、正社員も要らなくなる。

そして、何より管理者が責任を負いたくないから。

だって「誰か」が申請を許可したんだから、それにいちゃもんつけるなんて、無駄な「仕事」が増えるだけだ。

だから、判子押す方が楽だし、「肩書き」に相応しい面子も保てる。

まあ、責任を負わない「管理職」にあるのは「肩書き」だけだから、理解できない訳ではないけれど、何も変わらない。

だから、来任にならないうちに会社も社会もみーんな忘れてる。
そして、何にも変わらない。

金があると、こういうことも出来るんだ

「ドコモ、ABCクッキングスタジオ買収へ」を読んで驚いた。

だって、通信会社だよ。
料理よりレシピの「配信」がメイン事業なんだって。

この料理教室、体験に行ったことがある。
割と値段もお手ごろでいろいろなクラスがあってお得感があった。

料理教室の敷居を低くして、本当の初心者にやさしいクラスを多く作った社会への貢献度が高い会社だったと思う。

でも、やっぱり大手企業に買収された。

たしかに都心部の立地条件の高いところによく見かけた。
事業として「動画コンテンツを売る」とあるが、ABCのよさは「リアル」だった。

実際、難しいと思うような料理を体験教室で「割と簡単なんだ」という感覚を掴んだ後は教室に入りたくなる。

ただ、ジムと同じで「続ける」会員を増やさないと利益は出ない。
特にイベントもなく、ある程度料理を覚えた人はABCのクラスでは物足りなく感じるだろう。

婚活料理教室とかもあったが、ある程度料理を学んだ人が求めるのは結局、専門的知識であり「資格」に繋がる「何か」なのかもしれない。

ドコモは、レシピの動画配信を企画しているようだが、本当にどれだけのニーズがあるんだろうか。

YouTubeで無料で見られる時代、配信ビジネスで利益を出すのは簡単ではないだろう。

でも、お金持ちの会社だから、失敗しても大したことじゃあない。

また会社を売っぱらって、特損だせば、税金も減る。

ただ、将来ABCが放り出されないか、ちょっと心配だ。
大企業は買うのも早いけど、見切るのも早い。

料理初心者には本当に良い教室なんだけどな。

定価思想が求める「誰かが決めること」

最近、この大手新聞社の既成概念的発想、そして透けて見えるような「正義」的記事には驚くばかりだ。

「チケット1枚40万円 ネットダフ屋、いいのか」という記事は「オークション価格に上限を決めるべき」という企業が決めた「定価信奉」の元に展開する意見が主張されている。

定価は「企業」が決めたことだ。
企業は、それで売れればいいのだからそれでいい。

日本の有名な某Fという男性歌手のコンサートチケットだって全く取れない。

友人に聞けば「あれはファンクラブに入っていないと買えない」と言われた。

定価信奉の元で「消費者の権利」を叫ぶのは自由だが、この理論だと、骨董品にも「規制」が必要になるだろう。

「金持ちしか行けないコンサート」というが、それでいいだろう。

昔からそうだった。
貧乏人はレコードやラジオで我慢した。
悔しければ金持ちになればいい。
ダフ屋に騙されたのなら、それもまた自分の愚かな行為の結果だ。

価格が自由に決まるのが「資本主義」の良いところだ。

企業はその値段を決めている。
だから、「常識的な」の価格しかつけない。

でも、それは大企業だけではない。
最近こそ家電でも「オープン価格」があるが、かつては「定価」があった。

価格は「持つ者」が決める。

チケットの値段を「卸値」と考えればもっと簡単だ。

人気のあるライブには、法律外の「市場」がある。

当然、そこで儲けようとする人が出てくる。

こんなことに税金たくさん使って建前の法律作るなんて無駄だから、止めた方がいい。

「ずさん」というほどのものなのか

某大手新聞社のサイトで動画付きでヤマト運輸の「クール宅急便」の「クール宅急便、ずさんな温度管理」というものが「どうだ、暴いたぞ」というようにでも大げさに載っている。

もう、いいかげんにしてほしい。

ヤマト運輸のおかげで、郵政省だけが利権をむさぼっていた日本の運送業界が激変した。

そして、消費者に便利な仕組みを考えて提供している会社を叩くターゲットにする新聞社の目的は一体なんなんだ?

まあ、記事は売れるから、新聞の売上げは伸びるけど、新聞社としてのプライドって無いのか?

ユニクロもそうだけど、どうしてがんばって大きくなった大企業を叩くのだ?

この話も、ゆうパックのクール便も調べるべきだろう。
佐川急便もしかり。

それも1つではなく「いくつも実験」してからだ。

その上で「記事」にするなら、「記事」の価値がある。

たまたま、ひとつだけの事業所で起こっていることを大騒ぎするのはゴシップ新聞と同じレベルだ。

そして、大手新聞社は国民洗脳のための道具も持っている。

テレビだ。テレビでも大騒ぎすると、権力を信じる「国民」は「これはたいへんなこと」と思うだろう。

ゴシップを「大問題」にするのもお手の物だ。
新聞を売るためには持っている資産を活用するのは当然だ。

もうそろそろ、消費者も大手新聞社の記事を信じるのは止めた方がいい。

冷凍食品やクール宅急便の「中」にあるものは冷えているものだ。

外気の温度が少々高くても中身がすぐに暖かくなるというものではない。

大体狭い日本で、どれだけ大きい冷凍庫を個別事業所に持てるというのか、考えてほしい。

そして、このサービスが無くなったら、誰が一番困るのか。

サービスに文句あって、嫌ならばそれを使わなければいいだけの話だ。

決算に判子が押されるのは何のため?

ほんと、あきれるほど、着服のニュースが多い。

産経新聞の「着服2000万円「ほとんど競馬に」…介護施設・口座管理の男を逮捕」のニュースでは「口座管理」の男とある。

役職すらない。
しかも、介護施設の社員でもない。

経理事務を「別会社」に委託しているのか「ホロニクス」という会社の社員だ。

つまり、この上司が居て、確認し、最終的には、委託先の医療法人が承認していることになる。

どちらの会社でも、決算書を作って「管理職」が印鑑を押して、次の年の予算も作っているはずなのだ。

だから、最低でも4人の確認がされている。

そして、各会社の「監査」が入っているなら、チェックの仕組み「だけ」は、完璧だ。

委託先の医療法人は、着服されたのは1億以上だと告訴をしているらしい。

でも、その男の作った書類もデータも「判子」を押して承認していた「管理職」の責任は問われないのは何故なのか。

4人以上いる「正社員」で高給の「肩書き」がついた「管理職」は、全く「知りませんでした」で通る社会なのだろうか。

たぶん、そうなんだろう。

そして、管理職の彼らはクビにもならず、見逃した責任も問われず、定年までまた「判子」を押し続けるのだろう。

意味のまったくない「作業」をすることに、無駄な人件費を払っても全く「変える」ことをしない日本の企業は、これからも変わらない。

結局、この病院に行く患者、もしくは出資している人が彼の競馬代を払うことになるけど、誰も文句は言わないんだろうあ。

「誤登録」に気がついた時、こうするのは当然でしょ

日経新聞オンラインで「ソフトバンク「未入金」と誤登録」の記事を読んで「ずいぶん早いリアクションだなあ」と思った。

IT業界だから、というよりこれ、企業文化の問題なのかもしれない。

最近ホテルの「誇大広告」の場合、7年間も現場は黙って「誇大広告」を見ぬふりしてきた。

カネボウの白斑は2年間だ。

みずほ銀行も暴力団に融資しているのを知っていても会計監査に指摘されるまでの2年間、見てみぬ振りをしている。

ニュースから計算すると、ソフトバンクが3月に気がついてから4ヶ月程度で「トップ」の意思決定、作業計画の策定、実施、を行っていることになる。

役員のリスク管理の意識も高いからだけど、まずトップの実行力がある会社である。

消費者が間違ってブラックリストに載ったことでソフトバンクを「訴えることができる」らしいが、果たしてそれで勝てるのだろうか。

だって、この会社、ミスをきちんと公表してアクションをしている。

オリンパスなんて、百億単位の粉飾隠して、外国人社長をクビにしてまで隠そうとしたのに。

それから比べたら良心的な企業ではないのか。

だから、この場合消費者が「勝つ」ことはイメージができない。

金と情報では価値が違うと思うかもしれないが、どちらも「情報」でしかない。

しかし、その影響度を考え、意思決定するのが「トップ」の責任だ。

判断だけではなく、行動力もあるトップがいる企業が日本にもあるらしい。

「見ない振り」がバレそうな会社は、少し見習った方がいい。

「偽装」というより「誇大広告」程度でしょ

阪急阪神ホテルズがメニューの表記と異なる食材を使っていたバレて、大騒ぎになっている。

個人的には「偽装」というほどのことではなく、せいぜい「誇大広告」の程度だと思う。

別に病人が出たわけではないのだからホテルの方だって、ぺこぺこ頭を下げる必要は無いのに。

でも、日本の経営トップは、頭を下げることが仕事だから仕方ない。
JR北海道もオリンパスもそうだったし、トップ経営者の重要な仕事だ。
おじぎの角度や時間に違いはあるかもしれないけど。

ただ、世間があまりホテルの方を責めることに首をかしげる。

大体、メニューに書いてある「鮮魚」の味が悪ければ、行かないだけだ。

このWEBでの時代、口コミで「鮮魚だけどまずい」と書かれたら最後、誰も行かなくなるだけの話し。

でも、レストランの話であっても誰も「味」のことは気にしなかったようだ。

これ、消費者も企業もどちらも「肩書き」を信じることしかしないから、こういうことになる。

大手のホテルだから、メニューにあるから、と消費者は信じて、自分の舌を信じない。
そして、企業は「鮮魚」や「有機栽培」という「肩書き」が売上げに貢献することを知っている。

一昔、有名な置屋が、老けた女郎に、厚化粧して「若い子が居るよ」と誘うことと大した変わりはない。

客だって「有名なら」ということで、ホイホイ着いて行くのだから、客側だって大した変化はない。

まあ、メニューと違う食材を使って客に料理を出し続けるシェフって、サラリーマンと同じように給料もらうために「問題起こさない」ことが一番重要だったのかも。

サラリーマンなら、責任は誰かが取ってくれる。
今回も社長が取ってくれるから、クビにもされないし、生活は安定だ。

2890万のプロジェクト・・・責任はどこ?

大手新聞社の「放医研の啓発ビデオ、内容スカスカ 2890万円返還」を読んでとても不思議に思った。

これ、入札もしていない「随意契約」での話しだ。

基本的に公共事業は「入札原則」だ。
だって、値段で頼んだらトンでもないものだった、という話はよくあることだ。

だから、入札しなくて良い発注方法も認められていたと思っていた。

「随意契約」の意味は「競争入札によらずに任意で決定した相手と契約を締結すること」ともあるから、この理解は正しいと思う。

これ、8社も提案させて随意契約だ。
もちろん、会社の経歴も確認しているだろうし、ほぼ3000万のプロジェクトだ。

でも、この記事が記す結果は笑い話だ。

そもそも、1時間の納品物を12分で納品する会社って、社会に存在してもいいのだろうか?

企業としての責任は?
そもそも、この会社を選んだ担当者(管理者)の責任はどこにあるんだろうか?

しかも、12分のビデオに対して、この会社に3000万ほど払われている。
だって「会計監査」でこのことが発見されたのだから。

つまり、「独立行政法人」に「判子を押す管理職」がこの12分を「納品物」として承認している。

だって「監査」に指摘されるまで、誰も何もしていないことは明白だ。

何故だ?

まあ、それはそうと「独立行政法人」が「文部科学省」に「返金した」とある。

会社に対しては?

行政法人がその会社に「作り直しの指示をした」とかの記録があれば、こんなニュースにはならないだろう。

つまり、業者はスカスカのビデオ作って3000万ほど儲けたということだ。

そりゃあ、独立法人の数が少なくならないはずだわ。

学生だけの話じゃあない

共同通信の「就活中の21%「死にたい」」の記事は、たった120人のアンケートの結果だ。

数字を信じるか信じないかは別として「企業の不誠実な対応」が不満というのは、理解できる。

オンラインだから、大量に応募してくるからだろうけど、2週間以上返事が来ないことも今は普通だ。

でなければ、通り一遍等の「コンピュータが書いた返事」が飛んでくる。

私は、某外資大手通販の面接希望のメールを受け取った時「相談してください」と記載されていた言葉を信じて返信した。

10秒後に「またとない機会ですので、ぜひ、調整して来てください」という返事を信じて面接に行ったことがある。

最初のメールも、次のメールも「自動送信」だった。
私は、コンピュータプログラムに訴えようとしていた訳だ。

20代の就職活動の場合、7次、8次面接も珍しくないと聞いた。

私も2度目に「上司が面接したいので」と呼ばれて2度目に行ったら、テレカンの機械があった。

機会に話して、落とされた。

面接した人が「決められない」から何度も面接することになる。
そこで権力のある人が「だめ」と言ったら終わり。

求職者は「モノ」であり、「記号」だから、人扱いされないのが現実だ。

だから「死にたい」と思う比率は求職者全員を対象とすれば、もっと増えるはずだ。

「納得して就職活動できる環境を作る必要がある」とのコメントがあるが、それは無理だろう。

日本社会が求めるのは「人材」ではなくプログラムのような「パーツ」なのだから。

2013年10月18日金曜日

大人の勘違い?

産経新聞の「いじめ問題は「大人の勘違い」だらけ 自死遺族が著書で訴え」の記事に取り上げられている著者の活動は素晴らしい。

ただ、「大人が勘違いしている」という点は違うと思う。

いつの時代も、持てるものは責任を負う。

英語で「obligation」という言葉がある。
これは、貴族や王族などの「立場に与えられた責務」という意味だ。

天に召された女の子はやさしい心を持っていた。
そんな貴重な心を持ったから故、責任の重さに耐え切れなかったんだろう。

やさしさは強さになること、そして、その優しさを支える大人がいること。

そんな事が彼女に伝えらていたら、と思う。

そして、そんな「優しい魂」は、素晴らしい活動をしている著者が育てたものだからこそ、加害者や傍観者を理解できるのだろう。

ただ、「理解」はしても「同情」するのは納得できない。

いじめられても、いじめられなくても、一人が自分の行動に責任を持って立ち向かう勇気を持つべきだ。

しかし、その勇気は鍛えないと、家族などの支えられないと、身に着けることができない。

天に召された女の子は、その力を付けるチャンスが無かった。
だから、優しい魂は行く場所が無くなってしまったのは仕方が無いことなのかもしれない。

だから、人として正しい選択をしたなら「小さな人(子供)」を尊敬すべきだ。

ただ、嫌われ理由となる行動があったかもしれない。

だから、大切なことは「小さな人」も「大人」も自分の行動を振り変えること、そして考えることだ。

その上で「正しい選択をした」と信じるなら、胸を張るべきだ。
そして、大人はその選択をした「小さな人」を誇りに思って守る必要がある。

受け入れられないことはつらいことだ。

多数に迎合する必要はないが「いじめ」と「犯罪」は別物だ。

仲間に無視されることは「いじめ」程度かもしれないが、それが靴やかばんを破られたら「器物破損」の犯罪だし、ネットでの中傷は「名誉毀損」だ。

大人がその違いを正しく認識せず「いじめ」と呼んで「あいまいにすること」が問題なのだ。

暴力はエスカレートする。
大人はそれを体験から知っているが、子供は知らない。

だからこそ、大人は「犯罪」を告発し、行為の結果に対して責任を明確にすべきなのだ。

責任はどこにある?

産経新聞の「いじめ問題は「大人の勘違い」だらけ 自死遺族が著書で訴え」の記事を読んで腑に落ちない点がいくつもあった。

その中でも「加害者も傍観者も被害者だ」と言う点。

たしかに、彼女の意見は一理あるし、天に召された娘さんの気持ちも理解できる。

納得できない点は行動の責任を「あいまい」にしている点だ。

加害者がいじめをする理由は、どうやったって正当化できない。
傍観者が立ち上がらない理由もまた、理解はできるが、正当化できない。

彼らを被害者と捉えてしまえば、「責任の所在」は「誰か」になってしまう。


では、いじめという「現象」が起こった責任は誰が持つのだろうか。


人は、自分のやったことに責任を持つ必要がある。
それは「しなかったこと」も含めてだ。

問題に対して「誰かのせい」にすることが当たり前になっている。

自分がそれを選んだ「責任」を無視する人が多くなっている。
大人が自分の行動に「責任」を持たずに「社会」「企業」「政府」のせいにして、自分が「選択した責任」を持たないなら、それを見て育った子供は「責任」をどこから学ぶのか。

自由は素晴らしい。
でも、それには常に「責任」を伴うのだ。

これは、民衆が勝ち得たものであり、同時に背負ったものでもある。

今、必要なのは、大人が「責任を持たなくても良い」という価値観を子供に与えているということを認識することだ。

子供でも大人でも関係ない。

行動の責任は、自身にあるのだから。

別にauだけの話じゃあないでしょ

井上久男氏が、ビジネスジャーナルに「auのKDDI、あきれた二枚舌営業」という記事を寄稿している。

これ、別に日本の仕組みからみたら当然で、別に驚く話ではない。

ただ、この記事のおかげでまた各社のコールセンターで泣く人間が多くなる。
そして、みんなすぐ仕事を辞めて行く。

まあ、その問題は横においておいて、彼の記事は日本の企業体質がより具体的に書かれている。

まず、誇大広告。

当然だ。

今や、製薬会社だって、国の認可を取るのにデータを加工する。

対面販売で対応する人は、商品の会社とは全く関係の無い「受注派遣」に来ている「派遣社員」という名のアルバイトだ。

だから、契約という「しばり」をつけてバイト社員が社員の「振り」をして「ノルマ」がある中で営業しているのだから、完全な「情報」など提供するのは無理な話だ。

加えて、いくつものキャンペーンが秩序無く広げられ、対面販売の担当者だってすべてを把握しきれていない。

そもそも「完全な情報」を提供するべき人も2ヶ月位しかそこで働いていないのだから。

そんな状況で、彼らの言葉に「完全」を求めるのは酷だ。

でも、それを信用して、違った時に文句を言えるような強い人はいい。

強く文句を言えば、会社は対応する。
何故なら「建前」で販売しているから、事実を指摘した人にだけ「こっそり」対応される。

それは、どのサービスでも同じこと。

脅しややりすぎは無理だけど、理論的に「誤解を生む」ような対応をされたこを明快に説明できれば、企業は折れる。

だって、お客様は神様なのだし、なんたって日本は「本音」と「建前」の社会なのだから。



大企業はみんな同じような状態

タイトルは、ビジネスジャーナルに寄稿した井上久男氏の「週刊朝日編集長の「セクハラ懲戒解雇」から透ける、朝日新聞の内部崩壊」を読んで思ったこと。

彼の「ジャーナリスト」としての意見は、もっともだと思う。
彼は「どこの出版社も同じ」とコメントしているが、日本の大企業はどこでも同じだ。別に出版社に限ったことではない。

ごますり人間が増えているというが、それは当然だろう。
日本企業で生きるためには、実力など必要ない。

いかにうまく立ち回る能力と、責任を取らないように問題を処理する、つまり、握りつぶす能力が必要なんだから。

まあ、そんな現実に向かって吼えることも必要だけど、単純な話「買わなければ」いいのだ。

企業なら、彼らの媒体には広告を出さない。
消費者なら、新聞を買わない。

すでに、若い人達は新聞を読まない。
通りいっぺんの情報なら、無料で手に入る。

だから、消費するのを止めればいい。

新聞会社が一つ潰れても今の日本社会に何の影響もない。

ただ、彼の記事にはこの会社が、メディア業界における変革の本質を議論することなく、手法を探ることに走り「これから起こりうる情報技術の変化などさまざまな因子を分析して、総合的に」企業として何をすべきかを考えようとしないことを問題視している。


これは日本企業全部に言えることだろう。


大手企業からその下請けまで、変化を嫌い、責任を嫌い、面倒な仕事を外注化し、子会社し「誰か」に任せる。

「見ない振り」が続くには限界がある。

これ、栄養士がやるの?

共同通信「栄養士ら、コメ代3千万円を着服」を読んで驚いた。

何故か?

普通に考えたら、ありえないでしょ。
だって、発注から、その支払いするまで、一人以上の「管理者」が「判子」押しているんだから。

それに監査役だっているんだし、まともに仕事しているのなら、決算時にバレないはずないでしょうに。

「7年」という情報を信じると、年間400万以上だ。

たった1500人の食費で「米なし」なのに、7年間も決算や予算の段階で何故承認が降りるんだ?

この町の給食費の予算がいくらかしらないけど、江差町は過疎化指定を受けた、人口1万人以下の町だ。

上ノ国町はたった5000人程度、厚沢部町に至っては5000人切っている。
江差町の予算をざっと見ても、個別予算、ほとんどが100万単位のものだ。

そんな中で「着服金額年間400万以上」だ。
組合って、そんなに潤沢な予算がもらえるのか?

栄養士個人だけで出来るわけ無い。
普通に考えたら「犯罪」だと思うけど、組合は警察に訴えていない。

それも不思議だ。

栄養士の購入を承認した人も、その予算を認めた人も、今日も雇用されているだろう。きっと。

2000万位の着服を見逃したり、予算を7年間も与え続けた「管理者」の責任を果さなかったことは解雇の理由にならないということなのか。

ニュースは理解できるが、共同通信以外、ほとんど問題視していない。

ということは、これは「犯罪」ではなく、大きな組織では「普通」のことなのだろうか。

それはそれで、理解できるかも。

この思考が「変化」へのアレルギー源だ

大塚 寿 がダイアモンドオンラインに寄稿した「40代を後悔しない50のリスト」はそれなりに事実だと思う。

そして、「良い人生を送れたかどうかは、40代の過ごし方に大きく左右されるといっても過言ではない」という著者の意見には理解できるが、ため息しかつけない。

この手の「思想」が日本人の「変化」へのアレルゲンだ。

そもそも、年代で何かを「訴え」る「嘘」にほとほと嫌気が差しているが、日本社会で「年代別」で「思考する」ことが現実であることも認識している。

何故ならメディアの「権威ある人」の言うことを信じるように洗脳された日本人にはそれに対して疑問を持たない。

加えて、いかにも「ごもっとも」みたいな「事実」があれば「権威」との相乗効果で「洗脳」されてしまう。

これから、50代が60、70と高年齢人口が増える未来に、このような思想をメディアは撒き散らすが、その影響力を考えたことがあるだろうか。

年代で考えることは個人の自由だけれど、それが集団的思考になった時、社会での「通念」となる。

労働法は求人で「年齢差別は違法」だとするが、事実は50代がどれだけ履歴書を送っても書類審査すら通らない。

何故なら、履歴書には相変わらず「生年月日」を記載する欄を作ってあるし、派遣会社に登録する時も「身分証明書」をコピーする。

もちろん「年齢が解るもの」だ。だから、「年齢不問」の「求人」も法律もまったくの建前。

当然だ。

日本人自身が「年代別」で考える思考から決して「変わろう」なんて思っていないのだから。

世界的変化に対する「言い訳」として、法律をどれだけ作っても社会は「変わらない」。

だって、そんな「変化」を誰も求めていないのだから。

問題は50代だけではない

ダイアモンドオンラインに片山繁載氏が連載中している「50代“アラウンド定年”社員のトリセツ」には絶望させられた。

なぜなら、「50代を活用しよう」なんて言っているけど、本当に現実を見ているのか。

年功序列で求職活動では年齢で門前払いの日本社会。

大手企業が金を出し合い、50代を出向させる「会社」まで合法化している社会の現実で「活用しよう」という言葉がどれだけ空しく響くことか。

管理職が「決められない」「責任を取らない」のは、何もJR北海道だけの現象じゃあない。

どこの会社も同じこと。

肩書きばかりの役職を増やし、部下も責任も持たせない、無くてもいいような部や課を作って役職を増殖した「組織」に一体何ができるのだろうか。

「年代別」にカテゴリ化し分析し「解ったような」気になる、この思想こそが問題なのに「誰かのせい」にして、問題の責任を「自分以外の誰か」にあることをもっともらしく語る。

バブルがはじけて、ありとあらゆる業界で語られた「自分以外の誰かが起こす問題」は解決したか?

するわけない。

年代別に考えている「思考」自体が問題なのだ。

役職に対して責任を問わず「年代」で「差別」し、問題の本質を考えない。

職務に対して給与が払われないことが「管理職」の問題なのだ。

年代はたまたま「50代」が多いだけの話であり、多いから「50代」の問題に見えるだけだ。職務を定義し、無駄な役職を省く。

そして、給与をその職務に見合ったものにする。

責任を果たす人材を作らない会社に問題解決する未来は無い。

2013年10月13日日曜日

素顔はその人「個人」が持つもの

社会の正義を気取る某大手新聞社の記事で「僕ら生活保護育ち 「素顔知って」雑誌創刊」というのがあった。

これ、驚いたというより意味が判らなかった。

何か社会で成し遂げた人が、人格形成を知ってもらうために「自分の環境」を振り返りことはあるだろう。

でも、普通の人が「自分の生活はこうです」と語る雑誌はいったい誰に向けて何を発信するのだろうか。

生活保護は日本だけにある仕組みではない。

バッシングを受けるのだって日本だけではない。

アメリカではフードスタンプを換金する場所だってあるほどだ。
そんな仕組みや受給者が批判されることがあっても、それを理由に自分の不幸を叫んでも、誰も同情などしない。

第一、そんなことは人間関係を作る上でたいした問題でない。

金持ちでも貧乏人でも嫌なやつは嫌われる。

事実を受け止めず、問題に向き合わず、愚痴ばかり言っている人間は大抵煙たがれる。

夜間や通信で高校に行く人はみんなで支える。
年齢も関係ない。

「文化が違う」ということはあっても、その人自身が「がんばっている」なら応援したくなるのは、人の情ではないのか。

だから、自分自身をどこかの「カテゴリ」の中の一人ではなく、個人として「自分の現実を見つめ、受け入れること」がまず必要だろう。

それが橋の下であろうと、銀のスプーンを咥えていても。

環境は変わらなくても自身は変わることができるのだから。
「助けられる者」はいずれ「助ける側」になるのだから。
誰もが「変える力」を持っているのだから。

厚生省は財務諸表は作らないの?

毎日新聞の「厚労省所管の8施設 備品15億円が行方不明」という記事を読んで驚いた。

厚生省の施設では、財務諸表を作る必要が無いのだろうか。

これ、資産の行方不明が「問題」ではない。

簿記をかじったことがある人ならすぐ分かることだけど、特に高額な資産は毎年「減価償却」が必要だ。

つまり、会計担当は年に一度の決算時に、高額資産の存在を確認をしていないことになる。

そんな資産を帳簿の上だけで減価償却していたんだろうか。

でも、2割の資産が無くなっていても作られている財務諸表、誰もおかしいとは思わなかったんだろうか。

だって、毎年、監査人が「判子」押しているのに。

そして、その監査人には安くない給与が払われているのは確実だ。

日本の「監査人」の仕事が建前であることは判っているけど、これは少し無責任すぎるのではないのか。

まあ、オリンパスの粉飾だって、公開情報だけで発見できた粉飾を、会計士というプロが見逃して判子を押してもその本人は何の懲罰の受けないのだから、日本の社会では、別に不思議な話ではないのかもしれない。

仲間は助け合うから「見ない振り」しないと、次の「監査人」として年雇ってもらえないからだろうか。

まあ、日本という組織の中で「金」のために働くことは理解できるけれど、税金で買った資産が消えたことを「見ない振り」した自分自身をどう思うのだろうか。

「プロ」として仕事をしている社会人として「恥じる」という感覚はないのだろうか。

不思議でしょうがない。

破綻しているのはどこでも同じだし・・・

東洋経済オンラインは、かなりエッジな書き方をする寄稿者がいるので、楽しく読んでいるが「ノマドドクターXは見た!」を連載している筒井冨美氏は、その中でもかなり飛んでいる。

女性性社員の妊娠問題の記事で「キラキラ時短正社員の下には、非正規女子の水子が埋まっている」と書かれた文書を読んで「この人すごいなあ」と感じ入ってしまった。

ここまで書いたら敵を多く作りそうだ。
でも、その勇気には感服する。

ただ、記事の方向性を依頼されているのかもしれないが「女性VS男性」「未婚VS既婚」「お局VS若者」というわかり易い「比較」というテクニックを多様して書かれているのが気になった。

女性も男性も能力に差などない。

しかし、「職務」が無い日本企業においては能力の差を「貢献度」という長時間勤務によって「作られる」のだ。

そもそも企業の中で「プロフェッショナル」は求められない。

特にホワイトカラーの仕事では顕著だ。

また、肩書きだけでも「資格」がないとその「プロ」とは認めない。

つまり資格保持は、企業団体に金を使った証明であり、「仲間」であることの保障する制度なのだから。

経歴には目も向けず、年齢だけで雇われる現在、どんな保護(「規制」とも言うらしい。私もそう思う)も何の役も立たない。

男性が、企業にぶら下がるのなら、そこで働く女性だって同じこと。

迷惑を「かけられる」同僚もまたその思想の一員だ。

職場は辞めることは簡単だ。
でも辞めない。

職場で働く人のメンタリティにたいした違いはない。

この筆者のように、独立する人が多くなれば、国も企業もあわてるだろう。

でも、消費者も労働者も「権威」「大企業」に「安心」を求める国民には無理な話だ。

2013年10月11日金曜日

法律を変えるのは国民の意識だけど・・・

ほとんど記事につく「コメント」を読むことは無いのだけれど、ふとしたことで読んでいたら驚愕した。

「結婚、離婚をくり返す事実婚夫婦「必要あれば何回でも」」という記事について書かれたコメントだ。

「わがままな人だ」「法律に守られたいなら、法律婚をすべきだ」とか、法律重視の意見に驚いた。

この人たちは、法律が「どんどん変わるもの」であることを知らないのだろうか。

電話回線の権利権などは、大企業のご都合に合わせて法律を変えた。
権力の都合に合わせて法律は簡単に変わる。
だから、生活に関わる「法律」だって、変えようと思えば変わる。

ただ、権力はそんなものを変えたところで何のメリットもない。
だから、別に変える努力をしないだけ。

じゃあ、何がきっかけで変わるのか。

司法の指摘だ。
三権分立は、そのためにある。

本来、人が結婚するのは「生活の安定」のためではなく、大人が覚悟と責任を持って独立した家族を作ることだった。

法律と現実はほぼ一致していた。

でも、時代は変わった。

離婚が簡単になり、現実が変わったのに、法律は残った。
ただ、法があろうとなかろうと、結婚は大人同士の契約だ。
個人が取り交わす契約の結果、責任を持つのは当事者以外いない。
どんな状況でできた子供に対しても責任の重さは変わらない。

だから「責任」を明確にするために法律がある。
法律があるから、権利が守られるのではない。
憲法の下に、人の権利は平等なのだから。

憲法は、法律を超える力がある。

とは言っても、法律を作るのも、変えるのも、運用するのも人間だ。
そして、人間の意識を変えるのは、至難の技だ。
特に「変化を嫌う」日本人の「法」への意識は変わらない。

親の価値観は、その子供に与えられるのだから、これからも主張する人たちは非難され続けるだろう。

でも、負けないでほしい。

私は主張する人を応援する。
どんな変化も、最初の一歩、最初の一声がなければ起こらないのだから。

「建物」を消費する余裕はあるのか

世界中、資源不足を憂う中、日本では相変わらず20年程度で建物が壊される。

近所に平屋のコンビニYがあったが、3年位で潰れた。
その後、更地になった後、今度は同じ大きさ程度の2階建てのコンビニLが建てられた。

更地にした方が売りやすいらしい。

ビジネス面からは理解できるが、日本にそれだけの余裕があるのだろうか。

ダムしかり、公共事業しかり、すでにあるたくさんの建物は「誰か」の責任だから、新しいところに建てる。

その後のメンテナンスを怠った「たくさんの建物」を横目で見ながら、借金でまた建物を建てる。

地元の「雇用増加」は、たった1年程度なのに。

その後、いったい誰がメンテナンス費用を払うのだろう。

借金が一人1000万になった今、本来、10年後を考えて建物だけではなく、街も作る必要があるだろう。

そして、消えてゆく街があることの現実にも向き合うべきだ。
その上でそこに住む人達が「どうしたいのか」の覚悟を決めなければ将来自分達の負担になることを自覚する必要がある。

だからこそ、考えるべきだ。
そして声を出す必要がある。

役人は予算消化のためにやりたいことをする。
そして、彼らは10年後その街にいない。

必要なのはサービスであり、建物ではない。

まずは、賃貸でもいいから、サービスやビジネスを始める。
そして、その基盤を作ってから必要であれば、建物を建てればいい。

景気促進に昔成功したやり方を「変えたくない」気持ちは分かるけど、今やそんな消費が許されるほど、日本も、地球も資源は余っていない。

2013年10月10日木曜日

「技術」は伝わっても「哲学」は伝わらない

心から尊敬する大工がいる。

母と同じ年齢であるが、本当にすばらしい大工だ。

技術的に宮大工並みだから、というのではない。
彼の建物への哲学を尊敬している。

だから大手業者の倍近くの金額を払ったけど、彼の工務店と契約して、家を建ててもらった。

彼の息子が継いでいる。

彼は、とっくに「退職年齢」だから、工務店自体は息子が活躍している。

でも、その活躍は「請負棟梁」だ。

つまり、大手建築会社、もしくはそこに派遣している会社から仕事を「受注」することが「仕事」だ。

建築ラッシュの今、ほとんど休む暇なく現場で働いている。

工務店に「一軒まるごと受注」は無いらしい。

そもそも大手建築会社ならその半分で建つんだから、彼らがやればどうしても高価になる。

反面、大手建築会社は大工が足りないから、小さな工務店の大工を雇う。

そうして、そこに住む人と家を作る人は何の繋がりも無く建物が建てられてゆく。

彼の技術は確かに父親と仕事をしながら伝えられただろう。

でも、父親の大工としての哲学はどうだろうか。

父親は、30年前に請け負った家に毎年年賀はがきを出していたそうだ。
そうしたらある時「息子の家を建てて欲しい」と電話が入った。

彼の哲学は「10年したら生活が変わるのだから、その時を考えて作るべき」というものだ。

つまり、何年先もその建物に「人が住み、生活する」ことを考えて建てている。

哲学無き家の30年後はどうなっているのだろうか。

評価は、請負値段を落とすためにも必要?

電力会社は、客からの電話も外注し、実際の工事も外注する。

じゃあ、いったい何が仕事なのか。

これら、外注のサービスの質を管理し、契約更新時に値段を「下げる」ための原因を常に探しているうとしか思えない。

このアンケートに悪いことを書くつもりは全くないが、実は本当はちょっとしたやり取りがあった。

60Aの基本料金が高いから、アンペア数を減らしたのだが、うちの場合、40Aでも不足しないらしい。

でも、薦められたのは50A。

温水器を利用しているうちの場合、40Aでも50Aでも基本料金にそれほど違いはないらしい。

でも、もちろん基本料金は50Aの方が高い。

工事のおっちゃんは、基本的なことを知っていても自分の担当は「工事」だ。

余計な説明は禁止されているはず。
だから、私が質問しても電話案内を「肯定」するしかできない。

そんな「ルールを守っている」こともたぶん評価対象になるのだろう。

そして「問題ない」なら下請け契約更新。
問題あれば契約が切られるか、値引きを求められるのか。

じゃあ、評判が良かったら?
たくさん払ってくれるのか?

そんなことは無い。

外注に払う料金は「同じ仕事をすれば、同じ金額」だ。「同一作業同一賃金」がどの会社に発注しても適用される。

だから、客の意見を使い外注を評価するのは、「経費削減」という目的のためには重要な「正社員」の仕事なのだ。

いまどきの「電力のプロ」の意味は一昔とはずいぶん違う。

でも、どこの業界でもたいした違いはないのだろう。

だから、プロが消えてゆく。当然だ。

電力会社の仕事ってなんだろう

家の電気アンペアを変えた時、地元の電気工事のおっちゃんが一人来た。

工事完了書にサインをしてちょっとした話をしたことはすでにブログに書いた。

で、さっき気がついたことがある。
紙を残して行ったのだ。

つまり、控えだと思っていたのだが、これ、良く見ると「シールを貼って投函して下さい」と書いてある。

「はあ?」と思って良く読んでみると「工事アンケート」がついている。

これ、9個の質問があるんだけど、3つが電話案内について、6個が「工事業者」への質問だ。

このアンケートから見ると、たぶん案内してくれた電話も「コールセンター」への外注なのかも知れない。

工事業者は完全に下請けだ。
では、電力会社の「仕事」は何か。

このアンケートから見ると、外注業者の品質管理なのか。

一応行き先は電力会社になっている。

JR北海道もそうだけど「正社員」が現場から離れて利用者の「変化の現実」が見えるのだろうか。

下請けに仕事を回して、地元企業を活用するのはいいけど、楽して金を稼ぐことが当たり前になった現在、もう大変な仕事には人が来ない。

すでに、ドライバー業界は人材不足が始まっている。

電力関係は技術がいるからさすがに派遣という訳にはいかないと思うけど、こんなもん、当事者にでもWEBに直接入力させれば終わるようなものを、人件費をかけて郵送し、また入力するのか。

それともこれも「正社員」が「お仕事」しているポーズのためのプロセスなのか。

「名古屋ハイウエイ株式会社」の実体は?

ある記事を読んで、ちょっと気になったから調べてみた。

読売新聞の「ハイウエイ社契約解除へ、都市高公社 飲酒不祥事で」に出てくる「名古屋ハイウエイ株式会社」だ。

この会社、HPはもちろん、どこにも情報がない。
検索でヒットするのは、どれも求人情報だけ。
ハローワークのものも少なくない。

でも、会社概要、株主比率などはまったくなし。とある求人情報の「会社概要」では、代表者名、設立年、資本金が空欄だ。従業員が670人。

得られた情報はこれだけだ。
そのWEBサイトも繋がらなくなってしまった。

発注元は「福岡北九州高速道路公社」だ。つまり、この公社って、代表者名も公開されていないような会社に発注するのは社内的に「問題ない」ってことなんだ。

でも、道路公社の入札概要を読んでみると、ちゃんと資本金も書くことになっている。
でも、確認するすべは無いでしょう。
だって公表されていないんだから。

まあ、どんな会社に仕事を発注しても彼らの自由し、どうせ仲間内で発注し合っているだろうから、別にいいのだけれどちょっとだけ気になる。

今回、公社は「契約解除する」と発表し、責任を果たしたような姿勢が見える。

でも、この「契約解除されるべき会社」のHPも無く、代表取締役もはっきりしない会社。
だから、会社名を変えて契約しなおせば問題は消える。

日本はどこも正社員は首にできないし、変えることは「悪」だ。

会社名は簡単に変えられる。
問題を起こした派遣社員は切ればいい。

守るべきは仲間である「正社員」の「職場」だ。

これが妄想だといいんだけどね。

2013年10月9日水曜日

遺産金額の問題ではない

最高裁がようやく日本の恥部にメスを入れた。

結婚していない男女の間に生まれた非嫡出子(婚外子)の遺産相続分を嫡出子の半分と定めた民法の規定が、法の下の平等を保障した憲法に違反するとようやく判断した。

それまでに在ったケースも1995年での判決を「前例」として「権威ある人達」は勇気ある決断をしなかった。

つまり、社会的に日本はあまり変わらないが、世界が変わり始めたということだ。

裁判にかかわった両者のコメントが興味深い。

家族側は「私たちは介護などの苦労をしたのに、彼らはしていない。にもかかわらず半分も持って行くなんて。」と語る。

そして、家族とされなかった子供は「半分の人生が始めてひとつと認められた」という。

そもそも、遺産が大きければこの件は金の問題が強調される。

でも、この判決はもっと大きな意味を持っていることに法的な家族側は気がついていない。

人が生まれに寄って差別しないことを、ようやく日本は「選択」したのだ。

人が愛し合って子供ができる。
その後、親がどんな関係であっても事実は変わらない。
彼らが親であり、その子供であることに。

製造物責任法を持ち出す訳ではないけれど、できた「命」に違いなどない。

人が「違い」を作るのだ。
それで優越感を感じるのなら、日本国憲法をもう一度読んだ方がいい。

この裁判のために、闘った人達を尊敬する。
スタートはいつも、勇気のある人達の行動の結果だ。






「命」を手に入れた責任の所在

日本人の「責任を取らない」「社会が悪くて自分は悪くない」の文化はついにここまできたかと思った。

さすがは正義を気取る大新聞社。
取り上げる本も社会受けしそうな本だ。

これは、小林美希氏の「ルポ 産ませない社会」という本のタイトルを見て感じたこと。

子供のころから「誰かの責任」にする大人を見て育った昔の「子供」は今や自分で選んで身を任した「結果」すら「誰かの責任」にしようとしている。

たしかにルポの内容は現実だけれども、それでも子供を生んでる人は生んでいる。

作り方は昔と変わってないのだし、欲しければ生めばいい。

その自由は与えられている。

育てられないのなら、仕事を辞めて実家にでも戻ればいい。
社会福祉もある。

これは「自分のやり方」を変えたくないだけの言い訳だろう。

結婚しなければ駄目だというのなら、田舎にはあぶれた男性がたくさんいる。
好きな種を選べばいい。

子供を「女だけ」の視点で「作るもの」と考えた時、こういう愚痴にしかならないだろう。

だって、日本の会社は「正社員」の「権利」だけを主張し「変わること」を否定する。

それは、女性も同じ。

だから、自分の「妊娠」という「変化」も会社や社会が考慮するのは「当然」と考える。

でも、協力する男性との繋がりを重要視しなかったり、母としての覚悟がない、親から生まれる子供の未来は、この本も語っている。

だから、「生ませない社会」でいい。

命を「作った」後の責任を「社会」のせいにするような人間は、増殖されるべきではないのだから。

仕組みを変えることが怖いから、続けるしかない

電力会社の社員だけで、これだけのメンテナンスが続けられる訳がない。

だから、地元の電気屋が受託する。

ここでも大企業ができないことを「下請け」をすることで中小企業が成り立っている。

かつては、電力会社の社員がやっていた仕事だ。
でも、正社員でやっていたんでは、電力料金をどんなに上げても無理な話。

だから、下請けに回す。

で、おっちゃんに聞いた。
「で、若い人がお宅に入ってくるんですか?」と。

おっちゃんは若い人材が来ないことを嘆く。

そりゃあそうだ。みんな大企業の正社員になりたがるんだから、中小企業、というより、ほとんど弱小企業と言えるような会社になんて来る訳がない。

で、おっちゃん達が退職したら、いったい過剰ともいえるような漏電防止の「メンテナンス」は誰がやるんだ?

もうやる人がいなくなって、初めて仕組みが変わるのだろうか。

たぶん、電話会社が加入権を巡って法律を変えてこっそり対応したように、電気もそのうち法律が変えて「過剰な予防」に向けて対応するんだろう。

そもそも、電気利用の状況を総体的に見て、配電の「仕組み」を変えても漏電リスクは増えない。

でも、それは誰も「今でしょ」なんて言わない。
だって、日本の消費者は文句を言っても払ってくるんだから。

別に自分の会社は困らない。
「俺がこの会社(議員)にいる間「変化」は起きて欲しくない。退職してからにして欲しい。」というのが日本人。

トップとして、責任者としての責任なんて定義されていないし、頭下げて根回しすることが仕事だし、未来のことは「誰か」が決めるでしょ。

過剰な予防が高い電気代になっているのに・・・

電気の基本料金があまりに高いので、アンペア数を変えた。

工事の人は、一人で来た地元の電気工事の中年のおっちゃんだった。

工事終了のサインをする時に「漏電」のパネルに「40A」という数字を見て不思議に思った。

だって、今50Aを付けたから。

彼の説明によると、漏電用の「数字」と利用用の「数字」の意味が違うそうだ。

漏電防止の数字は実際「その2倍」の意味を指している。
つまり、本80Aという「50A」に絶えられないくらい強い電気が外から流れてきたら「漏電パネル」の方が先にブレーカーが落ちる仕組みらしい。

他の国は知らないけど、日本では、この「漏電リスク」を軽減するために、電柱から分配される時、家に入る前、そして家に入った後、と3重の予防措置がとられているようだ。

もっとあるかも知れないけど。

これは、家庭が使う、家電側での電力コントロールがほとんどできなかった時代から変わっていない。

当時はアースの重要性など消費者も知らないし、そもそも家の中にある家電の数は数個だ。

時代は代わり、家電の漏電で事故が起こることはほとんど無くなった。
家にある家電の数も当時とは比較にならないほど多い。

漏電予防をひとつ減らしても、事故なんて起きないだろう。

でも、配電の仕組みは法律で決められているのだろうから、仕組みは変わらない。

でも、それをメンテナンスする手間は建物の数だけ増大する。

本当に続けられるのか?

大企業、仲間で作ろう、法律回避

東洋経済オンラインを最近読むことが多い。
記事も読み応えがあるものが多い。

武政秀明氏の「半沢直樹もたまげる、究極の「出向先」」という記事を読んで「さすが」と唸った。

この大手人材会社のP社は、私が大手大企業の子会社を辞めた時「就職斡旋会社」として指定され、まる1年間、毎月会ってくっちゃべる他、1社も面接する会社を紹介してくれなかった人材会社の大本だ。

この記事は「出向先」として大企業が使っているというこの「日本雇用創出機構」という余剰人員を合法的に扱うための「アウトソース」会社の話。

これ、大企業が合法的な法律回避の仕組みを仲間内で作ったということだ。

で、この「職場」にすら行かないで「退職勧告」された中高年はどうなるか。

人事は「退職パッケージには、再就職支援としてP社の人材紹介担当者が全力を尽くします。」と笑顔で言う。

実際は、何にもしなくて、四半期に一度、「求職状況はどうですか?」と連絡してくるだけだ。

何故なら「サービスを提供していることになっている中高年」の数は、企業へ請求できる金額を算出する基になるからだ。

だから、P社は、大企業が「合法的」に「正社員」、「かつての正社員」を「扱っていること」にするために様々な大企業の「ニーズ」に対応する「サービス」を考え出す。

金がある企業が仲間内で稼ぐだけじゃないんだ。

姥捨て山まで仲間で金を出して作るんだ。

みんなが必要だし、少しずつ出資して、利用すれば、費用としても計上できる。

自分が出資した会社なら、費用も投資だ。
自分達がたくさん利用すれば、利益は増えるのだから、配当金も増えるだろう。

だから、どんどん、活用しないきゃ、もったいない。
せっかく作ったんだから。


権力はみんな仲良しこよし

大笑いした。「みずほFG、不祥事で「情報公開優良企業」辞退」の記事だ。

日本証券アナリスト協会が、情報公開を積極的に行う企業を選んで「ディスクロージャー優良企業」を公表したそうだ。

これ、良く読んで欲しい。「取り消し」ではなく「辞退」だ。

そして、こんな話は過去にもあったそうだ。
となると、これが「最初」ではない。

協会はいったい何を基準に「情報公開優良企業」を決めているかは、明らかだ。

大手企業が権力を作って手前味噌の賞を作る。
これ、日本で起こる箔付け商法の典型的な形だ。

たぶん、この協会もたくさん大手銀行の関係者が関わっているだろう。

だから「取り消し」なんて「上から目線」の行動には絶対でない。
「今回は、ご遠慮を」程度のお願いだろう。

そりゃあ、みんな「できレース」は知っているけど、さすがに社会的にもタイミングは最悪だ。

だから「辞退」となる。そうすれば、銀行側は「謙虚さ」が演出できるし、協会側は面子がつぶれないで済む。

じゃあ、この賞の意味は何だろうか?

別に意味は無い。

無駄なことに予算を使うのは日本企業の「管理職」の大切な仕事だ。

だから、権力側の組織が「発表」することは、考えた方がいい。

それを重要視するかどうかは、貴方したいだ。

「「管理職」が不足」というのはどういう意味?

某大手新聞の記事に「JR北海道、JR東に管理職の派遣要請へ」というものがあって、驚いた。

JR北海道には、管理職が居なかったということなのか?

部長などの役職がついた「正社員」が「足りない」というのだろうか。

毎月の役職手当を含めた人件費は、いったい誰に対して払っていたのだろうか。

当然、そういう役職の人はJR北海道にだって、掃いて捨てるほどいるだろう。
でも、それはこの記事を読むかぎり彼らは「管理職」ではないようだ。

ということは「肩書き」の意味や、書類に押される判子はいったい何のためにやっているのだろうか。

もっとすごいと思うのが「管理職」を外部からつれてきて、内部の社会文化が変わると信じていることだ。

変わるわけないし、連れて来られた人だって、途中で逃げ出すだろう。

だって「肩書き」だけの「管理職」は残っているのだから。

似た様な話がある。

社員2人の会社に頼んで作った在庫管理システムの数字が1年以上かけても全く正しく出てこない。

そこで、技術派遣で呼ばれた私がファイルメーカとエクセルで営業の求めるレポートを5日ほどで作ってしまった。

契約更新時に時給倍額を求めると「それは無理だから、彼らといっしょに作り直せないか」と提案された。

だから「製作思想が違いますからできません。」と伝えた。

そうしたら、私の時給が倍増されて契約更新。
彼らは切られた。

変わらないものはどうしたって変わらない。

切って取り替えるなら、別の話だけど。

ただ、それを決断するのは「管理職」だけどね。

業者の問題?

某大手新聞に「機体に「防衛庁」で発覚 陸自、ヘリ輸出の業者指名停止」という記事があった。

これ、税関から連絡があって発覚した。

「自衛隊側の立ち会いのもとで機体を解体するのを売却条件」だったそうだが、ペナルティは業者だけ。

立ち会わない「権力組織」の責任は追及しない。

これ、典型的な「良きに計らえ」がバレたケースだろう。

こういう取引だと、権力側はできるだけ、権力側のルールに協力してくれる業者が「良い業者」ということになる。

「今後は監督下で解体を徹底する」とあるが、そもそも「徹底」しなくても権力組織にその責務を課しているなら、防衛庁側に担当責任者が居ただろう。

いったい彼らは何をしていたんだ?

で、権力側は言うんだ。「信用していたのだから」って。
じゃあ、権力側の「責任」はどうなるんだ?

ビジネスに信用は重要だ。
そして、業者がルールを守らないのは悪いけど、業者にしてみれば、そんなことやるだけ面倒だ。

誰もチェックしないなら、何故そんなことを手間暇かけてやる必要はどこにあるのか。

そもそも、権力側の「立会い」が「建前だけ」なら、業者が解体なんてするはずがない。

そんなことは子供だってわかる。

だから、多分、過去にも同じ問題が起きているはず。

権力側が取引にわざわざ「立会い条件」をつけたのはそれを防止するためだろうに。

だから、解体の必要は「業者」ではなく「権力側」の理由であることは明快だ。

この記事だけで判断できないけど、これ、責任を果たさない権力側の問題であり、業者の問題じゃあないような気がする。

2013年10月7日月曜日

「自分は特別」と考える無知の原因

読売新聞の「XP期限切れ、自治体「攻撃めったにない」」という記事を読んで、「ほんと、日本人って、変わらないよなあ」と思う。

避妊をしなくて、妊娠することも、エイズ罹患も、このメンタリティはすべて同じ。
「私だけは大丈夫」という変な自信が予防を怠る原因だ。

加えて、変化を嫌がる日本人は「今のパソコン」が変わって業務の「やり方を変えること」を拒絶する。

その上、責任者は決断できず、次の「担当者」に任せて、自分は何もしないで異動できることを願う。

だから、問題が起こった時、担当者は「そんなこと、知らなかった」と言い張る。

これは、不祥事のあった会社の社長がいう言い訳でもおなじみな光景だ。

だから、大組織のどの管理職も大した変わりない。

ま、問題だけで済めばいいけど、これ、多分事故が起きるだろう。

半分のPCがXPという旧式なままで、情報が格納されている以上、鍵をかけないで・・・というより、ドアを開けて泥棒を待っているとしか思えない。

でも、利用者は、ドアが開いていることも「気にしない」。なぜなら、「俺のせいじゃない」から。

個人情報がWEBの海に流れ込んでも、日本には「職務」が無いから、責任追及なんてうやむやになるだけ。

そして、大騒ぎする。
そして、マイクロソフトのせいにする。

消費者が「買った、使った責任」を棚に置いて、売った企業を叩く。
その方がニュースになるから。

でも、今回は大新聞も大手広告主だから、あまり騒がないだろうなあ。

この感覚で「マイナンバー制」の情報を管理するんだから、本当、知らないって、怖い。

高齢者はだめだけど、若者はいいの?

某大手新聞社の「高齢患者紹介ビジネス横行」という記事を読んで、とても不思議に思った。

何故、医者を高齢者に「紹介」するのが駄目なんだろう。

今、ハローワークでさえ、ブラック企業の求人をどうどうと紹介し、何も知らない若者を送り込んでいる。

金銭的見返りは個人的に無くとも、組織的にこういう施設を「運営」することで、余剰公務員の働き口に税金を使う理由がどうどうと成り立っているのだから、民間が「紹介、斡旋」をビジネスにするのは当然だろう。

だって、ニーズがあるんだから。

医者に患者を紹介する、結婚したい人に相手を紹介する、仕事が欲しい人に仕事を紹介する。

「人」が「物」と同じように「ビジネス」になれば、当然そこに仲介料は発生するだろう。

かつて、卸業者が消費者へ売る商品を仕入値の数倍にして売っていたことを考えれば、仲介料は妥当だ。

老人が増えればニーズがあるんだから、問題視することが良くわからない。

老人だから?
病人は、何も判らないから?
医者だから?

若者やリストラで放り出された中年に、サービス業ゼネコンの仕組みで受注派遣業を斡旋している日本。

派遣会社から渡される契約書に記載される「指揮命令者」には会ったこともない世界で働くことが「普通」になった日本。

ここではすべての「人」が「商品」でしかない。

だから、医者の「商品」だけを大新聞が特別視するのはきっと、何か特別な理由があるのだろう。

私には理解できないけど。

大学って、何するところだっけ?

サンケイWEBの「プロが教える就活最前線」という連載に「小学校の算数もあやうい」という記事を読んで、変わらない日本の未来にかなり絶望した。

このタイトル「大学卒業生の就職」についての記事だ。

大学の「肩書き」は、金さえあれば取れるような「仕組み」を作り続けた結果、小学校の算数があやうい「大学卒」が出来てしまった。

そもそも、この人たちは高校を「卒業する」ことだって、本来無理だろう。

義務教育が「中学」までであることには意味がある。

高校は「選択」だからこそ、学ぶことに「努力」が必要だ。

「今の時代、高校くらい卒業しなければ」というのは、意味が無い。
なぜなら、勉強ができないなら、学問を続けることが無理だからだ。

でも、別の道だってある。
技術職人だ。

高校3年間を職人として訓練するのなら、その後の技術の重要な基礎になる。
18才からでは遅いのだ。

それを、義務教育と同じように、彼らが「卒業できるレベル」の高校を作って「高校卒」のタイトルを誰もが持てるようにしてしまった。

今度は、その仕組みを「大学」まで広げてしまった。
だから、みんな勘違いする。

人には向き不向きがある。
勉強が嫌いなら、他の道もあるのだ。

それを「公平」という言葉を振りかざして、子供に「肩書き」を持たせることを重要視した結果が今の現実だ。

「肩書き」の言うことを信じ、自分で決断せず、「みんなと同じ」「目立たない」価値観を重要視した結果が今の現実だ。

それだけは、間違いない。

マラソン大会は「何のため」に予算を使うのか?

東洋経済オンラインの「市民マラソン大会は誰のためのもの?」という記事を読んで、ちょっと笑ってしまった。

これ、市民マラソンブームの中、ある「抽選式」になったマラソン大会でたくさんの地元ランナーが抽選に漏れたことを「”疑惑”」と題して書かれている。

彼の論点は、地元ランナーから見れば「正義」なのかもしれない。

しかし、実際これは「京都」のケースの方が「普通」のケースだと思う。

まず、応募数の総数だ。

地元ランナーの応募数が、県外からのそれの3倍あるなら、彼の「疑惑」は正しい。

しかし、現実はその逆だ。
だから、地元ランナーは全体の3分の1に満たないだろう。

都会で働く高い給与を貰い、お金も時間も自由になる「正社員」が地元ランナーの何倍も応募してくる。

だって、彼らにとっては「非日常」だから、お金をかける価値がある。

だいたい、ランニングブームの乗って「市民マラソン」を始めたのは、地元市民の「声」からではない。

観光業のイベントとしてなら県外からのランナーが多い方がずっと儲かる。

だから、「誰のため」というより「何のため、税金を使うのか?」を考えるとその目的は明確だ。

地元経済のためだ。

だから、「誰のため」を問うのは、的外れだ。

確かに、日本の文化だから、役所としては、建前的に「市民が主体」と言うけれど、本音は、「このブームにのって、おらが街も」でしかないことは明白だ。

明快な「建前」を突っついても仕方ない。

2013年10月5日土曜日

やっぱり、権力に負けたのか

「明石市、国指摘受け交付中止」の記事を読んで、すごく残念な思いをした。

やはり、日本の組織は変わらない。

これ、法相が「良くやってくれた。国も見習わなければ。」と言えば対応も違ったはず。

「権力」という既得権を持っている者は、特に日本では、企業であれ、国であれ大した違いはない。

この様式だって、欄については「不要」と判断しているし、差別することも「違法」となった。

この欄が存在することだけで、意味のない「情報」を書かせることで、提出する人に不要な屈辱を与えているのだ。

でも、権力者はその責任を全く意識していない。

「法」の上に胡坐をかいて、正しいことを行った自治体を「違法」と言って責める。

それが、日本という国の国民が選んだリーダーである。

「変える」ことがでず、「変えた」人を責める。

権力を使って。

そんなリーダーしか選べない国民もまた、そんな建前主義にどっぷり染まっている。

日本という変わらない組織の自治体の一員として、今回の「交付中止」をしなければならない現実に向き合えば、自分達の「決断」が間違っていたと思うかもしれない。

でも、明石市の「決断」は間違っていない。

憲法の公平に照らし合わせ、いち早く様式を「変えた」ことほど、市民を思った行為は無いだろう。

勇気ある決断だし、正しいことだ。

明石市の決断こそ、正義の実行だ。

建前主義の仕組みの中では、無茶な行為ではあったかもしれないけど、尊敬に値する決断であったと、心底思う。

2013年10月4日金曜日

借金して私立大学行くなんて・・・

M新聞の「特集ワイド:続報真相 若者つぶす奨学金」の記事には物凄い違和感があった。

まず、この「奨学金」という「名称」だ。

これは、「学生ローン」と新聞媒体がきちんと呼称を変えてゆく必要がある。

それと「大学進学」を「働きながら出来ない」と決めて「奨学金」というローンを組んで私大に行く心理が理解できない。

借金することをあまりに気軽に考えているのではないのか。

そして卒業後「仕事が無いから払えません」という若者が「かわいそう」というような記事の書き方。

これは、頂けない。

高卒で「仕事が無い」のではない。

仕事はある。
安定してなくてもいいじゃないか。
バイトだってある。

もし、どうしても大学に行きたければ、通信教育もある。

それを私立に借金してまで行くという価値観を「肯定」し「社会が悪い」と正義を装って意見するメディアの方がずっと大きな問題だ。

単純な話だ。

高校を卒業したら、一人前の大人なのだ。
子供扱いはするべきではない。

自分が、能力的にも金銭的にも「大学に行けない」という現実に向き合うべきだ。

この決断は、その子が決めることだ。

それでも学問を続けたいのならば、お金をためて行けばいい。
1年2年、必死で働けば学費位貯まる。

もしくは、国立に行けばいいのだ。

簡単に大学に入れるようになったので、みんな勘違いしている。
高等学問はそれほど簡単なことではない。

ましてや「就職」のために「借金して」「試験もなく入れる大学」に行くのは「あほ」としか言いようがない。

「違法」というけど、じゃあ、罰則は何?

兵庫県明石市が「婚外子」の記載不要の様式を利用し始めた。

2010年から、法務省だって「記載内容が無くても受理するように」と通知しているのだし、別に問題は無いだろう。

でも、法務省はこれを「法律違反」と言い張る。

じゃあ、知りたい。
明石市への罰則は何が適用されるのか?

何も無いはずだ。法務省の面子として自分達が作った「様式」が否定されたことがしゃくに障るというのは判る。

でも、最高裁でも「差別」と出たのに、その区別をつけるレイアウトを修正しない法務省の方が怠慢じゃあないのか。

あっぱれ、明石市。
この英断をしたリーダーを持つ明石市は他のどの街より未来は明るいと思った。

権威ある組織は、自分達のやり方を否定されるのを何よりも嫌う。

決められないくせに、誰かがそれを「決断」したら、ちゃちゃを入れる。
政府でも企業でもどんな組織も違いは無い。

火災報知機もそうだ。装着の義務はあるけれど、罰則があるのか。

無い。

しょうがないから、法律だけ「作りました」という法律が山ほどある。

それらの法律間の矛盾も発生しているというのに、裁判沙汰になるまで、誰も変えようとしない。

今回の明石市のケースは、国家権力の決断が「とろいんだよっ」と言っているようなもの。

そして、それが事実だ。

国として、自治体に先を越されたことにぶつぶつ言うより、早いところ仕事をすべきだろう。

それとも、裁判沙汰にして「不要だ」と裁判所が指摘するまで待つというのか?

まあ、法務省なら、それもあるかも。

だまされないための“占い師選び”のルール

このタイトル記事を読んで、大笑いした。
内容もざっと読んだが本当に笑わせてもらった。

これは「釣り」と呼ばれる記事なのだろうか。
それとも、本当にこの記事を真剣に読む人がいるのだろうか。

記事の内容はともかく、この「ルール」に「高すぎる金額を言う人はだましている」というような「提言」があることは興味深い。

そもそも、占い師を必要とするのは、自分で意思決定できないから、未来を知りたくなる人だと仮定してみよう。

そして、その人に誰かが「結婚する相手に出会います」という提言をするとしよう。

この記事は占い師が「3万円」なら「雇わない」し、「騙されている」としている。つまり「3000円」なら「信じる」ということだろうか。

信じることを「値段」で決める「概念」は、クリスチャンには理解できない。

「信じること」は心が決める。
「値段」ではない。

先輩クリスチャンの人生、つまり、「信じること」と共に「生きている」人生から、「信じていること」が「真実」であることを発見する。

そして、「真実」への思いが強くなる。
それが「信仰」だ。

もちろん、占いと信仰は全く違うものだ。

でも、価格のついた「未来」を信じた先に何があるのだろうか。

何を信じるのも個人の自由だ。
でも、それを信じて「騙された」というのはちょっと違うと思う。

「信じる」と決めたのは「自分自身」なのだから。

選択の自由もまた、神が人間に与えたものなのだから。

「手」を使うことが教えること

先日、TV番組で自分の日本語を充実させるためにやるべきことが3つ紹介されていた。

ひとつは、辞書を引いて知っている漢字を調べること。
それを書いてそのページに付箋を貼る。

次は、判らない言葉を調べて登録記録を作ること。

最後に、単語カードにそれらの言葉を書いて覚えること。

英単語を覚えるように50枚ほど作った後は、一日3回トランプのように引いてそれを確認するという手法の紹介だった。

この方法は「書く」ことがいかに重要かわかる。
そして、これらの作業には「手」を使って行っている。

この「手」を使う作業が人の人生に与える価値観はとても大きなものだ。

一昔前、物の値段が高かった時代、子供はみんな手作りしていた。

凧が欲しくても、キットなども売っていない。
仮に売っていたとしてもおこずかいで手に入る金額ではなかった。

だから、近所に生えていた木の枝と、家に取ってあった、使い捨てのビニール風呂敷を再利用して作ったものだった。

あまり、飛ばなかったが、飛ぶようにだんだん工夫した。
自分の手で作ることは、失敗も教えてくれたが、それを乗り越えた成功の喜びも教えてくれた。

それは、自信につながり、変化を恐れなくなった。

そんなことが当たり前の生活で無くなった。

最初から、完全な「キット」が100円ショップで買える時代になった。
失敗を体験しなくても、何でも簡単に手に入る時代になった。

「手」が「失敗」を学ばなくなれば「失敗」の意味も変わってくる。

「失敗」は「恐れる」ものではない。

誰もが通る道だ。

「手」を使って生活すれば分かることだ。

2013年10月3日木曜日

助け合って暮らすことは「貧しい」ことなのか

ダイヤモンドオンラインには読み応えのある記事が多い。
しかし、読んでいてげんなりする記事もまた少なくない。

「生活保護のリアル」には念入りなルポされていて読み応えはあるのだが、そのステレオタイプの価値観にはがっかりさせられることが多い。

彼女は「貧困」は「自立」するチャンスがないから起きてしまう。
特に弱者は就業が難しく自立するには「生活保護が必要」という解釈だ。

「国」はそれを守る必要があり、改正は「改悪」という意見する。

実際、障がい者から教育のチャンスが奪われていたのは事実だ。

教育がなければ、就業も無理だろう。
でも、チャンスの平等化がされれば、後はその人の努力だ。

また、農業や林業、漁業など就業先は「企業」に限られる必要はないだろう。

第10回では、都会のと地方の貧困の違いを説明する福祉のプロへのインタビューがあるのだがここでの違和感は強烈だった。

彼女は「助け合って暮らさなければいけない地域の貧しさ」ということを説明している。

「近所で食料を交換しながら、助け合って生活する」ことを「貧しさ」と捕らえる感性にショックだった。

「国」に頼る生活を「理想」とするのは理解できるが、海外などではその前に「自立」が存在する。

健常者、障がい者の区別なく、人が人として自立する。
これには、「他者を助ける力を持つこと」も含まれるのだ。

それは社会において責任を負うこと。
どんな人間であっても、助けてもらうことだけではなく、助けることができる自負を持つ必要がある。

身近な人が助け合って生きることは「貧しさ」ではなく、「たくましさ」ではないのか。

加えて、どんな障害があっても、教育が公平に受けられたのなら、立場は健常者と変わりない。
(社会的偏見がまだまだ存在することは事実ではあるけれど。)

IT時代なら、別に企業に勤めなくても自立することはできる。

これは、障害があろうが、無かろうが大した違いはない。

解雇特区、経済団体とは合意済みか?

政府が検討し、推し進めている「解雇がしやすい特区」の設定、彼らはずいぶん、乗り気になっている。

これって、やる意味ないと思ってたけれど、政府がごり押しする時は、必ず大企業はすでに合意している場合でしか起きない。

何故なら、日本は政府が民主主義の「振り」をしているが、実際は大企業の仲間で出来ている経済団体が日本を動かしているのだから。

だから、これだけ政府が推し進めるのは、多分大企業が「特区」の設立を切望しているとしか思えない。

だから、特区ができれば、そこに「指定してほしい」と手を上げる大企業はいくつもあると思う。

最初、政府の「特区設定」は、特区を日本の特定地域の「どこ」と指定するのか思っていた。

だから「こんな施策って、あほだなあ」と思ったが、これひょっとして「特区の存在を法律で確立すること」に目的があるのではないのだろうか。

だから、法律で「特区」が確立した後、企業が「この工場のある地域全部特区にしてくれ。」という申請をするような気がする。

大学みたいに申請すれば必ず許可されるような仕組みが適用されるだろう。

そうなれば、大企業はようやく余剰正社員を切り、3分の1で働く非正規社員を雇うことができる。

これ、大企業の正社員には悪夢な仕組みだけれど、それ以外のサラリーマンには、あまり関係ない話だ。

別に今だって、法が労働者の何かを守ってくれる訳ではないのだから。

4千万円ムダにしても誰も責任なんて取らないし・・・

某大手新聞社に「会計システム更新失敗、4千万円ムダに 国際交流基金」という記事があった。

これ、「送金データを金融機関に送る前に内容を確認できない」というような、問題があったと、いかにもITシステム会社が悪いような書き方になっているけれど、これが日本企業の現実だ。

発注側は、現在の業務の無駄を分析して「変える」なんて発想はない。

やり方は「変えたくない」から、結局IT会社は、彼らが「言ったまま」にシステムを作ることになる。

そうしたら、大抵「言われていないこと」が「できない」システムになり「使えない」となる。

しかも、これ4社に発注している。
これだけで、責任を取る会社は居なくなる。
彼らもこうなるのはきっと判っていたと思う。
でも「お金を払ってくれる」発注者を説得する人がいなかったのだろう。

彼らにしてみれば「言われた通りに作った」のだから、文句を言われる筋合いはない。

で、発注側では、IT会社のアドバイスなんて受け入れない。
しかも、失敗しても「責任者」の責任は取られない。

この場合、受注側も発注側も、責任の押し付け合いでうやむやになるだろう。

責任は多分、誰も取らない。

担当者は来年あたり、どこかに飛ばされるだけだ。

どうせ税金で「企業」に払う金だし、独立行政法人なのだから、予算はまた貰えばいい。

IT業界だろうが、建築業界だろうがゼネコンの仕組みに大した違いはない。

無駄なダムや公共施設に比べればたった4000万程度だ。

国は、4社に仕事を発注し、税金を使って景気にも貢献したのだし、どこかの建物やパスポート発券システムみたいに無駄に管理費がかかるものでもないし、会計帳簿上、特損にでもすれば済む話だ。

それほど酷い話じゃあないでしょう。

現場にはまだプロフェッショナルがいるんだ

JR北海道のニュースがあちこちで取り上げられている。

経営層を一新する、という記事もあったが、たいした変化はないだろう。

まあ、禊みたいなものだ。
日本の企業がよくやること。
これで「変わった振り」ができるから。

ただ、読売新聞の「JR北、レール土台不良を放置…3年前に勧告」に希望の光とも思える記述があった。

「函館保線所の担当部署は、土台の修繕にかかる予算を本社に要求した」という一文を読むと、現場にはやはりプロフェッショナルは残っているようだ。

みんな、現場がどれだけ「無知だった」かを記事にしたいようだけれど、それは違うような気がする。

たしかに、新旧線路の違いを知らない保線担当も居るだろう。

でも、この記事を読むかぎり、監査は「保線担当部署が本社に要求している」という記録を見つけたからその点を「指摘」したのだ。

レールのゆがんだ「数値」が記録にあったことが最初に記事になった時も「権威ある人」が「ほおって置くなど考えられない」というもっともな意見を語っていた。

でも、その「数値」は保線の現場が「測ったから」「残っていた」のだ。

そう、現場は「プロ」として仕事をしている。

その結果から「意思決定ができない管理職」が居ることは、問題だが、現場からプロフェッショナルが「消える」ことに比べたら、たいした問題じゃあない。

だからこそ、彼らの「仕事」に対する責任感が報われるような変化が経営層に起きることを、未来のJR北海道のために祈りたい。

「20代」を育てるって、子供じゃあないのに

日本企業の問題がいろいろなところで記事になっている。
特に、今のブームはパワハラであり、若い社員の「うつ休業」だ。

「権威ある人」達がいろいろ媒体で議論しているけれど、役職定義が無い日本企業の価値観で、全く理解できないことがある。

それは「若い従業員を育てる」という考えだ。

これ、あまりにも若い労働者に対して「失礼」な考えだと思う。
だって、「育てる」なんて、子ども扱いではないか。

給与を貰って仕事をするのなら、まず一人の大人として扱うべきだろう。

それは、まず仕事においての責任の重さを自覚させること。

経験の無い彼らは、小さな仕事しかできないかも知れない。
だからこそ「仕事をして給与を貰うというのは大変なこと」をまず教える必要がある。

でも、今、企業は彼らを「選んで」「(自社企業が)育てやすい」人を正社員にする。

そして、子供のように「育てる」つもりで接している。

上司は、彼らの母親や父親ではないのにも関わらず。

専門の大学を出ているのにも関わらず、企業がそのプロフェッショナルを求めなければ、彼らの社会人出発は「学生」の時から何も変わらない。

どこに配属されても、そこでの「組織」としての責務を理解させ、その中で新人なりの「仕事の責任」があることをまずは学ぶ必要があるではないのか。

でなければ、新人は仕事を「時間給」としか考えない。

企業が自社に「都合の良い社員」を「育てよう」とすれば、プロフェッショナルは育たない。

企業がそんな「プロ」を不要とするのなら、日本企業は永遠と変わらない。

何故なら、企業が「育てる社員」は今の管理職がチェックもせずに判子を押すことを「お仕事」と呼ぶ「職務」のない「正社員」なのだから。