2013年10月18日金曜日

大人の勘違い?

産経新聞の「いじめ問題は「大人の勘違い」だらけ 自死遺族が著書で訴え」の記事に取り上げられている著者の活動は素晴らしい。

ただ、「大人が勘違いしている」という点は違うと思う。

いつの時代も、持てるものは責任を負う。

英語で「obligation」という言葉がある。
これは、貴族や王族などの「立場に与えられた責務」という意味だ。

天に召された女の子はやさしい心を持っていた。
そんな貴重な心を持ったから故、責任の重さに耐え切れなかったんだろう。

やさしさは強さになること、そして、その優しさを支える大人がいること。

そんな事が彼女に伝えらていたら、と思う。

そして、そんな「優しい魂」は、素晴らしい活動をしている著者が育てたものだからこそ、加害者や傍観者を理解できるのだろう。

ただ、「理解」はしても「同情」するのは納得できない。

いじめられても、いじめられなくても、一人が自分の行動に責任を持って立ち向かう勇気を持つべきだ。

しかし、その勇気は鍛えないと、家族などの支えられないと、身に着けることができない。

天に召された女の子は、その力を付けるチャンスが無かった。
だから、優しい魂は行く場所が無くなってしまったのは仕方が無いことなのかもしれない。

だから、人として正しい選択をしたなら「小さな人(子供)」を尊敬すべきだ。

ただ、嫌われ理由となる行動があったかもしれない。

だから、大切なことは「小さな人」も「大人」も自分の行動を振り変えること、そして考えることだ。

その上で「正しい選択をした」と信じるなら、胸を張るべきだ。
そして、大人はその選択をした「小さな人」を誇りに思って守る必要がある。

受け入れられないことはつらいことだ。

多数に迎合する必要はないが「いじめ」と「犯罪」は別物だ。

仲間に無視されることは「いじめ」程度かもしれないが、それが靴やかばんを破られたら「器物破損」の犯罪だし、ネットでの中傷は「名誉毀損」だ。

大人がその違いを正しく認識せず「いじめ」と呼んで「あいまいにすること」が問題なのだ。

暴力はエスカレートする。
大人はそれを体験から知っているが、子供は知らない。

だからこそ、大人は「犯罪」を告発し、行為の結果に対して責任を明確にすべきなのだ。

責任はどこにある?

産経新聞の「いじめ問題は「大人の勘違い」だらけ 自死遺族が著書で訴え」の記事を読んで腑に落ちない点がいくつもあった。

その中でも「加害者も傍観者も被害者だ」と言う点。

たしかに、彼女の意見は一理あるし、天に召された娘さんの気持ちも理解できる。

納得できない点は行動の責任を「あいまい」にしている点だ。

加害者がいじめをする理由は、どうやったって正当化できない。
傍観者が立ち上がらない理由もまた、理解はできるが、正当化できない。

彼らを被害者と捉えてしまえば、「責任の所在」は「誰か」になってしまう。


では、いじめという「現象」が起こった責任は誰が持つのだろうか。


人は、自分のやったことに責任を持つ必要がある。
それは「しなかったこと」も含めてだ。

問題に対して「誰かのせい」にすることが当たり前になっている。

自分がそれを選んだ「責任」を無視する人が多くなっている。
大人が自分の行動に「責任」を持たずに「社会」「企業」「政府」のせいにして、自分が「選択した責任」を持たないなら、それを見て育った子供は「責任」をどこから学ぶのか。

自由は素晴らしい。
でも、それには常に「責任」を伴うのだ。

これは、民衆が勝ち得たものであり、同時に背負ったものでもある。

今、必要なのは、大人が「責任を持たなくても良い」という価値観を子供に与えているということを認識することだ。

子供でも大人でも関係ない。

行動の責任は、自身にあるのだから。

別にauだけの話じゃあないでしょ

井上久男氏が、ビジネスジャーナルに「auのKDDI、あきれた二枚舌営業」という記事を寄稿している。

これ、別に日本の仕組みからみたら当然で、別に驚く話ではない。

ただ、この記事のおかげでまた各社のコールセンターで泣く人間が多くなる。
そして、みんなすぐ仕事を辞めて行く。

まあ、その問題は横においておいて、彼の記事は日本の企業体質がより具体的に書かれている。

まず、誇大広告。

当然だ。

今や、製薬会社だって、国の認可を取るのにデータを加工する。

対面販売で対応する人は、商品の会社とは全く関係の無い「受注派遣」に来ている「派遣社員」という名のアルバイトだ。

だから、契約という「しばり」をつけてバイト社員が社員の「振り」をして「ノルマ」がある中で営業しているのだから、完全な「情報」など提供するのは無理な話だ。

加えて、いくつものキャンペーンが秩序無く広げられ、対面販売の担当者だってすべてを把握しきれていない。

そもそも「完全な情報」を提供するべき人も2ヶ月位しかそこで働いていないのだから。

そんな状況で、彼らの言葉に「完全」を求めるのは酷だ。

でも、それを信用して、違った時に文句を言えるような強い人はいい。

強く文句を言えば、会社は対応する。
何故なら「建前」で販売しているから、事実を指摘した人にだけ「こっそり」対応される。

それは、どのサービスでも同じこと。

脅しややりすぎは無理だけど、理論的に「誤解を生む」ような対応をされたこを明快に説明できれば、企業は折れる。

だって、お客様は神様なのだし、なんたって日本は「本音」と「建前」の社会なのだから。



大企業はみんな同じような状態

タイトルは、ビジネスジャーナルに寄稿した井上久男氏の「週刊朝日編集長の「セクハラ懲戒解雇」から透ける、朝日新聞の内部崩壊」を読んで思ったこと。

彼の「ジャーナリスト」としての意見は、もっともだと思う。
彼は「どこの出版社も同じ」とコメントしているが、日本の大企業はどこでも同じだ。別に出版社に限ったことではない。

ごますり人間が増えているというが、それは当然だろう。
日本企業で生きるためには、実力など必要ない。

いかにうまく立ち回る能力と、責任を取らないように問題を処理する、つまり、握りつぶす能力が必要なんだから。

まあ、そんな現実に向かって吼えることも必要だけど、単純な話「買わなければ」いいのだ。

企業なら、彼らの媒体には広告を出さない。
消費者なら、新聞を買わない。

すでに、若い人達は新聞を読まない。
通りいっぺんの情報なら、無料で手に入る。

だから、消費するのを止めればいい。

新聞会社が一つ潰れても今の日本社会に何の影響もない。

ただ、彼の記事にはこの会社が、メディア業界における変革の本質を議論することなく、手法を探ることに走り「これから起こりうる情報技術の変化などさまざまな因子を分析して、総合的に」企業として何をすべきかを考えようとしないことを問題視している。


これは日本企業全部に言えることだろう。


大手企業からその下請けまで、変化を嫌い、責任を嫌い、面倒な仕事を外注化し、子会社し「誰か」に任せる。

「見ない振り」が続くには限界がある。

これ、栄養士がやるの?

共同通信「栄養士ら、コメ代3千万円を着服」を読んで驚いた。

何故か?

普通に考えたら、ありえないでしょ。
だって、発注から、その支払いするまで、一人以上の「管理者」が「判子」押しているんだから。

それに監査役だっているんだし、まともに仕事しているのなら、決算時にバレないはずないでしょうに。

「7年」という情報を信じると、年間400万以上だ。

たった1500人の食費で「米なし」なのに、7年間も決算や予算の段階で何故承認が降りるんだ?

この町の給食費の予算がいくらかしらないけど、江差町は過疎化指定を受けた、人口1万人以下の町だ。

上ノ国町はたった5000人程度、厚沢部町に至っては5000人切っている。
江差町の予算をざっと見ても、個別予算、ほとんどが100万単位のものだ。

そんな中で「着服金額年間400万以上」だ。
組合って、そんなに潤沢な予算がもらえるのか?

栄養士個人だけで出来るわけ無い。
普通に考えたら「犯罪」だと思うけど、組合は警察に訴えていない。

それも不思議だ。

栄養士の購入を承認した人も、その予算を認めた人も、今日も雇用されているだろう。きっと。

2000万位の着服を見逃したり、予算を7年間も与え続けた「管理者」の責任を果さなかったことは解雇の理由にならないということなのか。

ニュースは理解できるが、共同通信以外、ほとんど問題視していない。

ということは、これは「犯罪」ではなく、大きな組織では「普通」のことなのだろうか。

それはそれで、理解できるかも。

この思考が「変化」へのアレルギー源だ

大塚 寿 がダイアモンドオンラインに寄稿した「40代を後悔しない50のリスト」はそれなりに事実だと思う。

そして、「良い人生を送れたかどうかは、40代の過ごし方に大きく左右されるといっても過言ではない」という著者の意見には理解できるが、ため息しかつけない。

この手の「思想」が日本人の「変化」へのアレルゲンだ。

そもそも、年代で何かを「訴え」る「嘘」にほとほと嫌気が差しているが、日本社会で「年代別」で「思考する」ことが現実であることも認識している。

何故ならメディアの「権威ある人」の言うことを信じるように洗脳された日本人にはそれに対して疑問を持たない。

加えて、いかにも「ごもっとも」みたいな「事実」があれば「権威」との相乗効果で「洗脳」されてしまう。

これから、50代が60、70と高年齢人口が増える未来に、このような思想をメディアは撒き散らすが、その影響力を考えたことがあるだろうか。

年代で考えることは個人の自由だけれど、それが集団的思考になった時、社会での「通念」となる。

労働法は求人で「年齢差別は違法」だとするが、事実は50代がどれだけ履歴書を送っても書類審査すら通らない。

何故なら、履歴書には相変わらず「生年月日」を記載する欄を作ってあるし、派遣会社に登録する時も「身分証明書」をコピーする。

もちろん「年齢が解るもの」だ。だから、「年齢不問」の「求人」も法律もまったくの建前。

当然だ。

日本人自身が「年代別」で考える思考から決して「変わろう」なんて思っていないのだから。

世界的変化に対する「言い訳」として、法律をどれだけ作っても社会は「変わらない」。

だって、そんな「変化」を誰も求めていないのだから。

問題は50代だけではない

ダイアモンドオンラインに片山繁載氏が連載中している「50代“アラウンド定年”社員のトリセツ」には絶望させられた。

なぜなら、「50代を活用しよう」なんて言っているけど、本当に現実を見ているのか。

年功序列で求職活動では年齢で門前払いの日本社会。

大手企業が金を出し合い、50代を出向させる「会社」まで合法化している社会の現実で「活用しよう」という言葉がどれだけ空しく響くことか。

管理職が「決められない」「責任を取らない」のは、何もJR北海道だけの現象じゃあない。

どこの会社も同じこと。

肩書きばかりの役職を増やし、部下も責任も持たせない、無くてもいいような部や課を作って役職を増殖した「組織」に一体何ができるのだろうか。

「年代別」にカテゴリ化し分析し「解ったような」気になる、この思想こそが問題なのに「誰かのせい」にして、問題の責任を「自分以外の誰か」にあることをもっともらしく語る。

バブルがはじけて、ありとあらゆる業界で語られた「自分以外の誰かが起こす問題」は解決したか?

するわけない。

年代別に考えている「思考」自体が問題なのだ。

役職に対して責任を問わず「年代」で「差別」し、問題の本質を考えない。

職務に対して給与が払われないことが「管理職」の問題なのだ。

年代はたまたま「50代」が多いだけの話であり、多いから「50代」の問題に見えるだけだ。職務を定義し、無駄な役職を省く。

そして、給与をその職務に見合ったものにする。

責任を果たす人材を作らない会社に問題解決する未来は無い。

2013年10月13日日曜日

素顔はその人「個人」が持つもの

社会の正義を気取る某大手新聞社の記事で「僕ら生活保護育ち 「素顔知って」雑誌創刊」というのがあった。

これ、驚いたというより意味が判らなかった。

何か社会で成し遂げた人が、人格形成を知ってもらうために「自分の環境」を振り返りことはあるだろう。

でも、普通の人が「自分の生活はこうです」と語る雑誌はいったい誰に向けて何を発信するのだろうか。

生活保護は日本だけにある仕組みではない。

バッシングを受けるのだって日本だけではない。

アメリカではフードスタンプを換金する場所だってあるほどだ。
そんな仕組みや受給者が批判されることがあっても、それを理由に自分の不幸を叫んでも、誰も同情などしない。

第一、そんなことは人間関係を作る上でたいした問題でない。

金持ちでも貧乏人でも嫌なやつは嫌われる。

事実を受け止めず、問題に向き合わず、愚痴ばかり言っている人間は大抵煙たがれる。

夜間や通信で高校に行く人はみんなで支える。
年齢も関係ない。

「文化が違う」ということはあっても、その人自身が「がんばっている」なら応援したくなるのは、人の情ではないのか。

だから、自分自身をどこかの「カテゴリ」の中の一人ではなく、個人として「自分の現実を見つめ、受け入れること」がまず必要だろう。

それが橋の下であろうと、銀のスプーンを咥えていても。

環境は変わらなくても自身は変わることができるのだから。
「助けられる者」はいずれ「助ける側」になるのだから。
誰もが「変える力」を持っているのだから。

厚生省は財務諸表は作らないの?

毎日新聞の「厚労省所管の8施設 備品15億円が行方不明」という記事を読んで驚いた。

厚生省の施設では、財務諸表を作る必要が無いのだろうか。

これ、資産の行方不明が「問題」ではない。

簿記をかじったことがある人ならすぐ分かることだけど、特に高額な資産は毎年「減価償却」が必要だ。

つまり、会計担当は年に一度の決算時に、高額資産の存在を確認をしていないことになる。

そんな資産を帳簿の上だけで減価償却していたんだろうか。

でも、2割の資産が無くなっていても作られている財務諸表、誰もおかしいとは思わなかったんだろうか。

だって、毎年、監査人が「判子」押しているのに。

そして、その監査人には安くない給与が払われているのは確実だ。

日本の「監査人」の仕事が建前であることは判っているけど、これは少し無責任すぎるのではないのか。

まあ、オリンパスの粉飾だって、公開情報だけで発見できた粉飾を、会計士というプロが見逃して判子を押してもその本人は何の懲罰の受けないのだから、日本の社会では、別に不思議な話ではないのかもしれない。

仲間は助け合うから「見ない振り」しないと、次の「監査人」として年雇ってもらえないからだろうか。

まあ、日本という組織の中で「金」のために働くことは理解できるけれど、税金で買った資産が消えたことを「見ない振り」した自分自身をどう思うのだろうか。

「プロ」として仕事をしている社会人として「恥じる」という感覚はないのだろうか。

不思議でしょうがない。

破綻しているのはどこでも同じだし・・・

東洋経済オンラインは、かなりエッジな書き方をする寄稿者がいるので、楽しく読んでいるが「ノマドドクターXは見た!」を連載している筒井冨美氏は、その中でもかなり飛んでいる。

女性性社員の妊娠問題の記事で「キラキラ時短正社員の下には、非正規女子の水子が埋まっている」と書かれた文書を読んで「この人すごいなあ」と感じ入ってしまった。

ここまで書いたら敵を多く作りそうだ。
でも、その勇気には感服する。

ただ、記事の方向性を依頼されているのかもしれないが「女性VS男性」「未婚VS既婚」「お局VS若者」というわかり易い「比較」というテクニックを多様して書かれているのが気になった。

女性も男性も能力に差などない。

しかし、「職務」が無い日本企業においては能力の差を「貢献度」という長時間勤務によって「作られる」のだ。

そもそも企業の中で「プロフェッショナル」は求められない。

特にホワイトカラーの仕事では顕著だ。

また、肩書きだけでも「資格」がないとその「プロ」とは認めない。

つまり資格保持は、企業団体に金を使った証明であり、「仲間」であることの保障する制度なのだから。

経歴には目も向けず、年齢だけで雇われる現在、どんな保護(「規制」とも言うらしい。私もそう思う)も何の役も立たない。

男性が、企業にぶら下がるのなら、そこで働く女性だって同じこと。

迷惑を「かけられる」同僚もまたその思想の一員だ。

職場は辞めることは簡単だ。
でも辞めない。

職場で働く人のメンタリティにたいした違いはない。

この筆者のように、独立する人が多くなれば、国も企業もあわてるだろう。

でも、消費者も労働者も「権威」「大企業」に「安心」を求める国民には無理な話だ。

2013年10月11日金曜日

法律を変えるのは国民の意識だけど・・・

ほとんど記事につく「コメント」を読むことは無いのだけれど、ふとしたことで読んでいたら驚愕した。

「結婚、離婚をくり返す事実婚夫婦「必要あれば何回でも」」という記事について書かれたコメントだ。

「わがままな人だ」「法律に守られたいなら、法律婚をすべきだ」とか、法律重視の意見に驚いた。

この人たちは、法律が「どんどん変わるもの」であることを知らないのだろうか。

電話回線の権利権などは、大企業のご都合に合わせて法律を変えた。
権力の都合に合わせて法律は簡単に変わる。
だから、生活に関わる「法律」だって、変えようと思えば変わる。

ただ、権力はそんなものを変えたところで何のメリットもない。
だから、別に変える努力をしないだけ。

じゃあ、何がきっかけで変わるのか。

司法の指摘だ。
三権分立は、そのためにある。

本来、人が結婚するのは「生活の安定」のためではなく、大人が覚悟と責任を持って独立した家族を作ることだった。

法律と現実はほぼ一致していた。

でも、時代は変わった。

離婚が簡単になり、現実が変わったのに、法律は残った。
ただ、法があろうとなかろうと、結婚は大人同士の契約だ。
個人が取り交わす契約の結果、責任を持つのは当事者以外いない。
どんな状況でできた子供に対しても責任の重さは変わらない。

だから「責任」を明確にするために法律がある。
法律があるから、権利が守られるのではない。
憲法の下に、人の権利は平等なのだから。

憲法は、法律を超える力がある。

とは言っても、法律を作るのも、変えるのも、運用するのも人間だ。
そして、人間の意識を変えるのは、至難の技だ。
特に「変化を嫌う」日本人の「法」への意識は変わらない。

親の価値観は、その子供に与えられるのだから、これからも主張する人たちは非難され続けるだろう。

でも、負けないでほしい。

私は主張する人を応援する。
どんな変化も、最初の一歩、最初の一声がなければ起こらないのだから。

「建物」を消費する余裕はあるのか

世界中、資源不足を憂う中、日本では相変わらず20年程度で建物が壊される。

近所に平屋のコンビニYがあったが、3年位で潰れた。
その後、更地になった後、今度は同じ大きさ程度の2階建てのコンビニLが建てられた。

更地にした方が売りやすいらしい。

ビジネス面からは理解できるが、日本にそれだけの余裕があるのだろうか。

ダムしかり、公共事業しかり、すでにあるたくさんの建物は「誰か」の責任だから、新しいところに建てる。

その後のメンテナンスを怠った「たくさんの建物」を横目で見ながら、借金でまた建物を建てる。

地元の「雇用増加」は、たった1年程度なのに。

その後、いったい誰がメンテナンス費用を払うのだろう。

借金が一人1000万になった今、本来、10年後を考えて建物だけではなく、街も作る必要があるだろう。

そして、消えてゆく街があることの現実にも向き合うべきだ。
その上でそこに住む人達が「どうしたいのか」の覚悟を決めなければ将来自分達の負担になることを自覚する必要がある。

だからこそ、考えるべきだ。
そして声を出す必要がある。

役人は予算消化のためにやりたいことをする。
そして、彼らは10年後その街にいない。

必要なのはサービスであり、建物ではない。

まずは、賃貸でもいいから、サービスやビジネスを始める。
そして、その基盤を作ってから必要であれば、建物を建てればいい。

景気促進に昔成功したやり方を「変えたくない」気持ちは分かるけど、今やそんな消費が許されるほど、日本も、地球も資源は余っていない。

2013年10月10日木曜日

「技術」は伝わっても「哲学」は伝わらない

心から尊敬する大工がいる。

母と同じ年齢であるが、本当にすばらしい大工だ。

技術的に宮大工並みだから、というのではない。
彼の建物への哲学を尊敬している。

だから大手業者の倍近くの金額を払ったけど、彼の工務店と契約して、家を建ててもらった。

彼の息子が継いでいる。

彼は、とっくに「退職年齢」だから、工務店自体は息子が活躍している。

でも、その活躍は「請負棟梁」だ。

つまり、大手建築会社、もしくはそこに派遣している会社から仕事を「受注」することが「仕事」だ。

建築ラッシュの今、ほとんど休む暇なく現場で働いている。

工務店に「一軒まるごと受注」は無いらしい。

そもそも大手建築会社ならその半分で建つんだから、彼らがやればどうしても高価になる。

反面、大手建築会社は大工が足りないから、小さな工務店の大工を雇う。

そうして、そこに住む人と家を作る人は何の繋がりも無く建物が建てられてゆく。

彼の技術は確かに父親と仕事をしながら伝えられただろう。

でも、父親の大工としての哲学はどうだろうか。

父親は、30年前に請け負った家に毎年年賀はがきを出していたそうだ。
そうしたらある時「息子の家を建てて欲しい」と電話が入った。

彼の哲学は「10年したら生活が変わるのだから、その時を考えて作るべき」というものだ。

つまり、何年先もその建物に「人が住み、生活する」ことを考えて建てている。

哲学無き家の30年後はどうなっているのだろうか。

評価は、請負値段を落とすためにも必要?

電力会社は、客からの電話も外注し、実際の工事も外注する。

じゃあ、いったい何が仕事なのか。

これら、外注のサービスの質を管理し、契約更新時に値段を「下げる」ための原因を常に探しているうとしか思えない。

このアンケートに悪いことを書くつもりは全くないが、実は本当はちょっとしたやり取りがあった。

60Aの基本料金が高いから、アンペア数を減らしたのだが、うちの場合、40Aでも不足しないらしい。

でも、薦められたのは50A。

温水器を利用しているうちの場合、40Aでも50Aでも基本料金にそれほど違いはないらしい。

でも、もちろん基本料金は50Aの方が高い。

工事のおっちゃんは、基本的なことを知っていても自分の担当は「工事」だ。

余計な説明は禁止されているはず。
だから、私が質問しても電話案内を「肯定」するしかできない。

そんな「ルールを守っている」こともたぶん評価対象になるのだろう。

そして「問題ない」なら下請け契約更新。
問題あれば契約が切られるか、値引きを求められるのか。

じゃあ、評判が良かったら?
たくさん払ってくれるのか?

そんなことは無い。

外注に払う料金は「同じ仕事をすれば、同じ金額」だ。「同一作業同一賃金」がどの会社に発注しても適用される。

だから、客の意見を使い外注を評価するのは、「経費削減」という目的のためには重要な「正社員」の仕事なのだ。

いまどきの「電力のプロ」の意味は一昔とはずいぶん違う。

でも、どこの業界でもたいした違いはないのだろう。

だから、プロが消えてゆく。当然だ。

電力会社の仕事ってなんだろう

家の電気アンペアを変えた時、地元の電気工事のおっちゃんが一人来た。

工事完了書にサインをしてちょっとした話をしたことはすでにブログに書いた。

で、さっき気がついたことがある。
紙を残して行ったのだ。

つまり、控えだと思っていたのだが、これ、良く見ると「シールを貼って投函して下さい」と書いてある。

「はあ?」と思って良く読んでみると「工事アンケート」がついている。

これ、9個の質問があるんだけど、3つが電話案内について、6個が「工事業者」への質問だ。

このアンケートから見ると、たぶん案内してくれた電話も「コールセンター」への外注なのかも知れない。

工事業者は完全に下請けだ。
では、電力会社の「仕事」は何か。

このアンケートから見ると、外注業者の品質管理なのか。

一応行き先は電力会社になっている。

JR北海道もそうだけど「正社員」が現場から離れて利用者の「変化の現実」が見えるのだろうか。

下請けに仕事を回して、地元企業を活用するのはいいけど、楽して金を稼ぐことが当たり前になった現在、もう大変な仕事には人が来ない。

すでに、ドライバー業界は人材不足が始まっている。

電力関係は技術がいるからさすがに派遣という訳にはいかないと思うけど、こんなもん、当事者にでもWEBに直接入力させれば終わるようなものを、人件費をかけて郵送し、また入力するのか。

それともこれも「正社員」が「お仕事」しているポーズのためのプロセスなのか。

「名古屋ハイウエイ株式会社」の実体は?

ある記事を読んで、ちょっと気になったから調べてみた。

読売新聞の「ハイウエイ社契約解除へ、都市高公社 飲酒不祥事で」に出てくる「名古屋ハイウエイ株式会社」だ。

この会社、HPはもちろん、どこにも情報がない。
検索でヒットするのは、どれも求人情報だけ。
ハローワークのものも少なくない。

でも、会社概要、株主比率などはまったくなし。とある求人情報の「会社概要」では、代表者名、設立年、資本金が空欄だ。従業員が670人。

得られた情報はこれだけだ。
そのWEBサイトも繋がらなくなってしまった。

発注元は「福岡北九州高速道路公社」だ。つまり、この公社って、代表者名も公開されていないような会社に発注するのは社内的に「問題ない」ってことなんだ。

でも、道路公社の入札概要を読んでみると、ちゃんと資本金も書くことになっている。
でも、確認するすべは無いでしょう。
だって公表されていないんだから。

まあ、どんな会社に仕事を発注しても彼らの自由し、どうせ仲間内で発注し合っているだろうから、別にいいのだけれどちょっとだけ気になる。

今回、公社は「契約解除する」と発表し、責任を果たしたような姿勢が見える。

でも、この「契約解除されるべき会社」のHPも無く、代表取締役もはっきりしない会社。
だから、会社名を変えて契約しなおせば問題は消える。

日本はどこも正社員は首にできないし、変えることは「悪」だ。

会社名は簡単に変えられる。
問題を起こした派遣社員は切ればいい。

守るべきは仲間である「正社員」の「職場」だ。

これが妄想だといいんだけどね。

2013年10月9日水曜日

遺産金額の問題ではない

最高裁がようやく日本の恥部にメスを入れた。

結婚していない男女の間に生まれた非嫡出子(婚外子)の遺産相続分を嫡出子の半分と定めた民法の規定が、法の下の平等を保障した憲法に違反するとようやく判断した。

それまでに在ったケースも1995年での判決を「前例」として「権威ある人達」は勇気ある決断をしなかった。

つまり、社会的に日本はあまり変わらないが、世界が変わり始めたということだ。

裁判にかかわった両者のコメントが興味深い。

家族側は「私たちは介護などの苦労をしたのに、彼らはしていない。にもかかわらず半分も持って行くなんて。」と語る。

そして、家族とされなかった子供は「半分の人生が始めてひとつと認められた」という。

そもそも、遺産が大きければこの件は金の問題が強調される。

でも、この判決はもっと大きな意味を持っていることに法的な家族側は気がついていない。

人が生まれに寄って差別しないことを、ようやく日本は「選択」したのだ。

人が愛し合って子供ができる。
その後、親がどんな関係であっても事実は変わらない。
彼らが親であり、その子供であることに。

製造物責任法を持ち出す訳ではないけれど、できた「命」に違いなどない。

人が「違い」を作るのだ。
それで優越感を感じるのなら、日本国憲法をもう一度読んだ方がいい。

この裁判のために、闘った人達を尊敬する。
スタートはいつも、勇気のある人達の行動の結果だ。






「命」を手に入れた責任の所在

日本人の「責任を取らない」「社会が悪くて自分は悪くない」の文化はついにここまできたかと思った。

さすがは正義を気取る大新聞社。
取り上げる本も社会受けしそうな本だ。

これは、小林美希氏の「ルポ 産ませない社会」という本のタイトルを見て感じたこと。

子供のころから「誰かの責任」にする大人を見て育った昔の「子供」は今や自分で選んで身を任した「結果」すら「誰かの責任」にしようとしている。

たしかにルポの内容は現実だけれども、それでも子供を生んでる人は生んでいる。

作り方は昔と変わってないのだし、欲しければ生めばいい。

その自由は与えられている。

育てられないのなら、仕事を辞めて実家にでも戻ればいい。
社会福祉もある。

これは「自分のやり方」を変えたくないだけの言い訳だろう。

結婚しなければ駄目だというのなら、田舎にはあぶれた男性がたくさんいる。
好きな種を選べばいい。

子供を「女だけ」の視点で「作るもの」と考えた時、こういう愚痴にしかならないだろう。

だって、日本の会社は「正社員」の「権利」だけを主張し「変わること」を否定する。

それは、女性も同じ。

だから、自分の「妊娠」という「変化」も会社や社会が考慮するのは「当然」と考える。

でも、協力する男性との繋がりを重要視しなかったり、母としての覚悟がない、親から生まれる子供の未来は、この本も語っている。

だから、「生ませない社会」でいい。

命を「作った」後の責任を「社会」のせいにするような人間は、増殖されるべきではないのだから。

仕組みを変えることが怖いから、続けるしかない

電力会社の社員だけで、これだけのメンテナンスが続けられる訳がない。

だから、地元の電気屋が受託する。

ここでも大企業ができないことを「下請け」をすることで中小企業が成り立っている。

かつては、電力会社の社員がやっていた仕事だ。
でも、正社員でやっていたんでは、電力料金をどんなに上げても無理な話。

だから、下請けに回す。

で、おっちゃんに聞いた。
「で、若い人がお宅に入ってくるんですか?」と。

おっちゃんは若い人材が来ないことを嘆く。

そりゃあそうだ。みんな大企業の正社員になりたがるんだから、中小企業、というより、ほとんど弱小企業と言えるような会社になんて来る訳がない。

で、おっちゃん達が退職したら、いったい過剰ともいえるような漏電防止の「メンテナンス」は誰がやるんだ?

もうやる人がいなくなって、初めて仕組みが変わるのだろうか。

たぶん、電話会社が加入権を巡って法律を変えてこっそり対応したように、電気もそのうち法律が変えて「過剰な予防」に向けて対応するんだろう。

そもそも、電気利用の状況を総体的に見て、配電の「仕組み」を変えても漏電リスクは増えない。

でも、それは誰も「今でしょ」なんて言わない。
だって、日本の消費者は文句を言っても払ってくるんだから。

別に自分の会社は困らない。
「俺がこの会社(議員)にいる間「変化」は起きて欲しくない。退職してからにして欲しい。」というのが日本人。

トップとして、責任者としての責任なんて定義されていないし、頭下げて根回しすることが仕事だし、未来のことは「誰か」が決めるでしょ。

過剰な予防が高い電気代になっているのに・・・

電気の基本料金があまりに高いので、アンペア数を変えた。

工事の人は、一人で来た地元の電気工事の中年のおっちゃんだった。

工事終了のサインをする時に「漏電」のパネルに「40A」という数字を見て不思議に思った。

だって、今50Aを付けたから。

彼の説明によると、漏電用の「数字」と利用用の「数字」の意味が違うそうだ。

漏電防止の数字は実際「その2倍」の意味を指している。
つまり、本80Aという「50A」に絶えられないくらい強い電気が外から流れてきたら「漏電パネル」の方が先にブレーカーが落ちる仕組みらしい。

他の国は知らないけど、日本では、この「漏電リスク」を軽減するために、電柱から分配される時、家に入る前、そして家に入った後、と3重の予防措置がとられているようだ。

もっとあるかも知れないけど。

これは、家庭が使う、家電側での電力コントロールがほとんどできなかった時代から変わっていない。

当時はアースの重要性など消費者も知らないし、そもそも家の中にある家電の数は数個だ。

時代は代わり、家電の漏電で事故が起こることはほとんど無くなった。
家にある家電の数も当時とは比較にならないほど多い。

漏電予防をひとつ減らしても、事故なんて起きないだろう。

でも、配電の仕組みは法律で決められているのだろうから、仕組みは変わらない。

でも、それをメンテナンスする手間は建物の数だけ増大する。

本当に続けられるのか?

大企業、仲間で作ろう、法律回避

東洋経済オンラインを最近読むことが多い。
記事も読み応えがあるものが多い。

武政秀明氏の「半沢直樹もたまげる、究極の「出向先」」という記事を読んで「さすが」と唸った。

この大手人材会社のP社は、私が大手大企業の子会社を辞めた時「就職斡旋会社」として指定され、まる1年間、毎月会ってくっちゃべる他、1社も面接する会社を紹介してくれなかった人材会社の大本だ。

この記事は「出向先」として大企業が使っているというこの「日本雇用創出機構」という余剰人員を合法的に扱うための「アウトソース」会社の話。

これ、大企業が合法的な法律回避の仕組みを仲間内で作ったということだ。

で、この「職場」にすら行かないで「退職勧告」された中高年はどうなるか。

人事は「退職パッケージには、再就職支援としてP社の人材紹介担当者が全力を尽くします。」と笑顔で言う。

実際は、何にもしなくて、四半期に一度、「求職状況はどうですか?」と連絡してくるだけだ。

何故なら「サービスを提供していることになっている中高年」の数は、企業へ請求できる金額を算出する基になるからだ。

だから、P社は、大企業が「合法的」に「正社員」、「かつての正社員」を「扱っていること」にするために様々な大企業の「ニーズ」に対応する「サービス」を考え出す。

金がある企業が仲間内で稼ぐだけじゃないんだ。

姥捨て山まで仲間で金を出して作るんだ。

みんなが必要だし、少しずつ出資して、利用すれば、費用としても計上できる。

自分が出資した会社なら、費用も投資だ。
自分達がたくさん利用すれば、利益は増えるのだから、配当金も増えるだろう。

だから、どんどん、活用しないきゃ、もったいない。
せっかく作ったんだから。


権力はみんな仲良しこよし

大笑いした。「みずほFG、不祥事で「情報公開優良企業」辞退」の記事だ。

日本証券アナリスト協会が、情報公開を積極的に行う企業を選んで「ディスクロージャー優良企業」を公表したそうだ。

これ、良く読んで欲しい。「取り消し」ではなく「辞退」だ。

そして、こんな話は過去にもあったそうだ。
となると、これが「最初」ではない。

協会はいったい何を基準に「情報公開優良企業」を決めているかは、明らかだ。

大手企業が権力を作って手前味噌の賞を作る。
これ、日本で起こる箔付け商法の典型的な形だ。

たぶん、この協会もたくさん大手銀行の関係者が関わっているだろう。

だから「取り消し」なんて「上から目線」の行動には絶対でない。
「今回は、ご遠慮を」程度のお願いだろう。

そりゃあ、みんな「できレース」は知っているけど、さすがに社会的にもタイミングは最悪だ。

だから「辞退」となる。そうすれば、銀行側は「謙虚さ」が演出できるし、協会側は面子がつぶれないで済む。

じゃあ、この賞の意味は何だろうか?

別に意味は無い。

無駄なことに予算を使うのは日本企業の「管理職」の大切な仕事だ。

だから、権力側の組織が「発表」することは、考えた方がいい。

それを重要視するかどうかは、貴方したいだ。

「「管理職」が不足」というのはどういう意味?

某大手新聞の記事に「JR北海道、JR東に管理職の派遣要請へ」というものがあって、驚いた。

JR北海道には、管理職が居なかったということなのか?

部長などの役職がついた「正社員」が「足りない」というのだろうか。

毎月の役職手当を含めた人件費は、いったい誰に対して払っていたのだろうか。

当然、そういう役職の人はJR北海道にだって、掃いて捨てるほどいるだろう。
でも、それはこの記事を読むかぎり彼らは「管理職」ではないようだ。

ということは「肩書き」の意味や、書類に押される判子はいったい何のためにやっているのだろうか。

もっとすごいと思うのが「管理職」を外部からつれてきて、内部の社会文化が変わると信じていることだ。

変わるわけないし、連れて来られた人だって、途中で逃げ出すだろう。

だって「肩書き」だけの「管理職」は残っているのだから。

似た様な話がある。

社員2人の会社に頼んで作った在庫管理システムの数字が1年以上かけても全く正しく出てこない。

そこで、技術派遣で呼ばれた私がファイルメーカとエクセルで営業の求めるレポートを5日ほどで作ってしまった。

契約更新時に時給倍額を求めると「それは無理だから、彼らといっしょに作り直せないか」と提案された。

だから「製作思想が違いますからできません。」と伝えた。

そうしたら、私の時給が倍増されて契約更新。
彼らは切られた。

変わらないものはどうしたって変わらない。

切って取り替えるなら、別の話だけど。

ただ、それを決断するのは「管理職」だけどね。

業者の問題?

某大手新聞に「機体に「防衛庁」で発覚 陸自、ヘリ輸出の業者指名停止」という記事があった。

これ、税関から連絡があって発覚した。

「自衛隊側の立ち会いのもとで機体を解体するのを売却条件」だったそうだが、ペナルティは業者だけ。

立ち会わない「権力組織」の責任は追及しない。

これ、典型的な「良きに計らえ」がバレたケースだろう。

こういう取引だと、権力側はできるだけ、権力側のルールに協力してくれる業者が「良い業者」ということになる。

「今後は監督下で解体を徹底する」とあるが、そもそも「徹底」しなくても権力組織にその責務を課しているなら、防衛庁側に担当責任者が居ただろう。

いったい彼らは何をしていたんだ?

で、権力側は言うんだ。「信用していたのだから」って。
じゃあ、権力側の「責任」はどうなるんだ?

ビジネスに信用は重要だ。
そして、業者がルールを守らないのは悪いけど、業者にしてみれば、そんなことやるだけ面倒だ。

誰もチェックしないなら、何故そんなことを手間暇かけてやる必要はどこにあるのか。

そもそも、権力側の「立会い」が「建前だけ」なら、業者が解体なんてするはずがない。

そんなことは子供だってわかる。

だから、多分、過去にも同じ問題が起きているはず。

権力側が取引にわざわざ「立会い条件」をつけたのはそれを防止するためだろうに。

だから、解体の必要は「業者」ではなく「権力側」の理由であることは明快だ。

この記事だけで判断できないけど、これ、責任を果たさない権力側の問題であり、業者の問題じゃあないような気がする。

2013年10月7日月曜日

「自分は特別」と考える無知の原因

読売新聞の「XP期限切れ、自治体「攻撃めったにない」」という記事を読んで、「ほんと、日本人って、変わらないよなあ」と思う。

避妊をしなくて、妊娠することも、エイズ罹患も、このメンタリティはすべて同じ。
「私だけは大丈夫」という変な自信が予防を怠る原因だ。

加えて、変化を嫌がる日本人は「今のパソコン」が変わって業務の「やり方を変えること」を拒絶する。

その上、責任者は決断できず、次の「担当者」に任せて、自分は何もしないで異動できることを願う。

だから、問題が起こった時、担当者は「そんなこと、知らなかった」と言い張る。

これは、不祥事のあった会社の社長がいう言い訳でもおなじみな光景だ。

だから、大組織のどの管理職も大した変わりない。

ま、問題だけで済めばいいけど、これ、多分事故が起きるだろう。

半分のPCがXPという旧式なままで、情報が格納されている以上、鍵をかけないで・・・というより、ドアを開けて泥棒を待っているとしか思えない。

でも、利用者は、ドアが開いていることも「気にしない」。なぜなら、「俺のせいじゃない」から。

個人情報がWEBの海に流れ込んでも、日本には「職務」が無いから、責任追及なんてうやむやになるだけ。

そして、大騒ぎする。
そして、マイクロソフトのせいにする。

消費者が「買った、使った責任」を棚に置いて、売った企業を叩く。
その方がニュースになるから。

でも、今回は大新聞も大手広告主だから、あまり騒がないだろうなあ。

この感覚で「マイナンバー制」の情報を管理するんだから、本当、知らないって、怖い。

高齢者はだめだけど、若者はいいの?

某大手新聞社の「高齢患者紹介ビジネス横行」という記事を読んで、とても不思議に思った。

何故、医者を高齢者に「紹介」するのが駄目なんだろう。

今、ハローワークでさえ、ブラック企業の求人をどうどうと紹介し、何も知らない若者を送り込んでいる。

金銭的見返りは個人的に無くとも、組織的にこういう施設を「運営」することで、余剰公務員の働き口に税金を使う理由がどうどうと成り立っているのだから、民間が「紹介、斡旋」をビジネスにするのは当然だろう。

だって、ニーズがあるんだから。

医者に患者を紹介する、結婚したい人に相手を紹介する、仕事が欲しい人に仕事を紹介する。

「人」が「物」と同じように「ビジネス」になれば、当然そこに仲介料は発生するだろう。

かつて、卸業者が消費者へ売る商品を仕入値の数倍にして売っていたことを考えれば、仲介料は妥当だ。

老人が増えればニーズがあるんだから、問題視することが良くわからない。

老人だから?
病人は、何も判らないから?
医者だから?

若者やリストラで放り出された中年に、サービス業ゼネコンの仕組みで受注派遣業を斡旋している日本。

派遣会社から渡される契約書に記載される「指揮命令者」には会ったこともない世界で働くことが「普通」になった日本。

ここではすべての「人」が「商品」でしかない。

だから、医者の「商品」だけを大新聞が特別視するのはきっと、何か特別な理由があるのだろう。

私には理解できないけど。

大学って、何するところだっけ?

サンケイWEBの「プロが教える就活最前線」という連載に「小学校の算数もあやうい」という記事を読んで、変わらない日本の未来にかなり絶望した。

このタイトル「大学卒業生の就職」についての記事だ。

大学の「肩書き」は、金さえあれば取れるような「仕組み」を作り続けた結果、小学校の算数があやうい「大学卒」が出来てしまった。

そもそも、この人たちは高校を「卒業する」ことだって、本来無理だろう。

義務教育が「中学」までであることには意味がある。

高校は「選択」だからこそ、学ぶことに「努力」が必要だ。

「今の時代、高校くらい卒業しなければ」というのは、意味が無い。
なぜなら、勉強ができないなら、学問を続けることが無理だからだ。

でも、別の道だってある。
技術職人だ。

高校3年間を職人として訓練するのなら、その後の技術の重要な基礎になる。
18才からでは遅いのだ。

それを、義務教育と同じように、彼らが「卒業できるレベル」の高校を作って「高校卒」のタイトルを誰もが持てるようにしてしまった。

今度は、その仕組みを「大学」まで広げてしまった。
だから、みんな勘違いする。

人には向き不向きがある。
勉強が嫌いなら、他の道もあるのだ。

それを「公平」という言葉を振りかざして、子供に「肩書き」を持たせることを重要視した結果が今の現実だ。

「肩書き」の言うことを信じ、自分で決断せず、「みんなと同じ」「目立たない」価値観を重要視した結果が今の現実だ。

それだけは、間違いない。

マラソン大会は「何のため」に予算を使うのか?

東洋経済オンラインの「市民マラソン大会は誰のためのもの?」という記事を読んで、ちょっと笑ってしまった。

これ、市民マラソンブームの中、ある「抽選式」になったマラソン大会でたくさんの地元ランナーが抽選に漏れたことを「”疑惑”」と題して書かれている。

彼の論点は、地元ランナーから見れば「正義」なのかもしれない。

しかし、実際これは「京都」のケースの方が「普通」のケースだと思う。

まず、応募数の総数だ。

地元ランナーの応募数が、県外からのそれの3倍あるなら、彼の「疑惑」は正しい。

しかし、現実はその逆だ。
だから、地元ランナーは全体の3分の1に満たないだろう。

都会で働く高い給与を貰い、お金も時間も自由になる「正社員」が地元ランナーの何倍も応募してくる。

だって、彼らにとっては「非日常」だから、お金をかける価値がある。

だいたい、ランニングブームの乗って「市民マラソン」を始めたのは、地元市民の「声」からではない。

観光業のイベントとしてなら県外からのランナーが多い方がずっと儲かる。

だから、「誰のため」というより「何のため、税金を使うのか?」を考えるとその目的は明確だ。

地元経済のためだ。

だから、「誰のため」を問うのは、的外れだ。

確かに、日本の文化だから、役所としては、建前的に「市民が主体」と言うけれど、本音は、「このブームにのって、おらが街も」でしかないことは明白だ。

明快な「建前」を突っついても仕方ない。

2013年10月5日土曜日

やっぱり、権力に負けたのか

「明石市、国指摘受け交付中止」の記事を読んで、すごく残念な思いをした。

やはり、日本の組織は変わらない。

これ、法相が「良くやってくれた。国も見習わなければ。」と言えば対応も違ったはず。

「権力」という既得権を持っている者は、特に日本では、企業であれ、国であれ大した違いはない。

この様式だって、欄については「不要」と判断しているし、差別することも「違法」となった。

この欄が存在することだけで、意味のない「情報」を書かせることで、提出する人に不要な屈辱を与えているのだ。

でも、権力者はその責任を全く意識していない。

「法」の上に胡坐をかいて、正しいことを行った自治体を「違法」と言って責める。

それが、日本という国の国民が選んだリーダーである。

「変える」ことがでず、「変えた」人を責める。

権力を使って。

そんなリーダーしか選べない国民もまた、そんな建前主義にどっぷり染まっている。

日本という変わらない組織の自治体の一員として、今回の「交付中止」をしなければならない現実に向き合えば、自分達の「決断」が間違っていたと思うかもしれない。

でも、明石市の「決断」は間違っていない。

憲法の公平に照らし合わせ、いち早く様式を「変えた」ことほど、市民を思った行為は無いだろう。

勇気ある決断だし、正しいことだ。

明石市の決断こそ、正義の実行だ。

建前主義の仕組みの中では、無茶な行為ではあったかもしれないけど、尊敬に値する決断であったと、心底思う。

2013年10月4日金曜日

借金して私立大学行くなんて・・・

M新聞の「特集ワイド:続報真相 若者つぶす奨学金」の記事には物凄い違和感があった。

まず、この「奨学金」という「名称」だ。

これは、「学生ローン」と新聞媒体がきちんと呼称を変えてゆく必要がある。

それと「大学進学」を「働きながら出来ない」と決めて「奨学金」というローンを組んで私大に行く心理が理解できない。

借金することをあまりに気軽に考えているのではないのか。

そして卒業後「仕事が無いから払えません」という若者が「かわいそう」というような記事の書き方。

これは、頂けない。

高卒で「仕事が無い」のではない。

仕事はある。
安定してなくてもいいじゃないか。
バイトだってある。

もし、どうしても大学に行きたければ、通信教育もある。

それを私立に借金してまで行くという価値観を「肯定」し「社会が悪い」と正義を装って意見するメディアの方がずっと大きな問題だ。

単純な話だ。

高校を卒業したら、一人前の大人なのだ。
子供扱いはするべきではない。

自分が、能力的にも金銭的にも「大学に行けない」という現実に向き合うべきだ。

この決断は、その子が決めることだ。

それでも学問を続けたいのならば、お金をためて行けばいい。
1年2年、必死で働けば学費位貯まる。

もしくは、国立に行けばいいのだ。

簡単に大学に入れるようになったので、みんな勘違いしている。
高等学問はそれほど簡単なことではない。

ましてや「就職」のために「借金して」「試験もなく入れる大学」に行くのは「あほ」としか言いようがない。

「違法」というけど、じゃあ、罰則は何?

兵庫県明石市が「婚外子」の記載不要の様式を利用し始めた。

2010年から、法務省だって「記載内容が無くても受理するように」と通知しているのだし、別に問題は無いだろう。

でも、法務省はこれを「法律違反」と言い張る。

じゃあ、知りたい。
明石市への罰則は何が適用されるのか?

何も無いはずだ。法務省の面子として自分達が作った「様式」が否定されたことがしゃくに障るというのは判る。

でも、最高裁でも「差別」と出たのに、その区別をつけるレイアウトを修正しない法務省の方が怠慢じゃあないのか。

あっぱれ、明石市。
この英断をしたリーダーを持つ明石市は他のどの街より未来は明るいと思った。

権威ある組織は、自分達のやり方を否定されるのを何よりも嫌う。

決められないくせに、誰かがそれを「決断」したら、ちゃちゃを入れる。
政府でも企業でもどんな組織も違いは無い。

火災報知機もそうだ。装着の義務はあるけれど、罰則があるのか。

無い。

しょうがないから、法律だけ「作りました」という法律が山ほどある。

それらの法律間の矛盾も発生しているというのに、裁判沙汰になるまで、誰も変えようとしない。

今回の明石市のケースは、国家権力の決断が「とろいんだよっ」と言っているようなもの。

そして、それが事実だ。

国として、自治体に先を越されたことにぶつぶつ言うより、早いところ仕事をすべきだろう。

それとも、裁判沙汰にして「不要だ」と裁判所が指摘するまで待つというのか?

まあ、法務省なら、それもあるかも。

だまされないための“占い師選び”のルール

このタイトル記事を読んで、大笑いした。
内容もざっと読んだが本当に笑わせてもらった。

これは「釣り」と呼ばれる記事なのだろうか。
それとも、本当にこの記事を真剣に読む人がいるのだろうか。

記事の内容はともかく、この「ルール」に「高すぎる金額を言う人はだましている」というような「提言」があることは興味深い。

そもそも、占い師を必要とするのは、自分で意思決定できないから、未来を知りたくなる人だと仮定してみよう。

そして、その人に誰かが「結婚する相手に出会います」という提言をするとしよう。

この記事は占い師が「3万円」なら「雇わない」し、「騙されている」としている。つまり「3000円」なら「信じる」ということだろうか。

信じることを「値段」で決める「概念」は、クリスチャンには理解できない。

「信じること」は心が決める。
「値段」ではない。

先輩クリスチャンの人生、つまり、「信じること」と共に「生きている」人生から、「信じていること」が「真実」であることを発見する。

そして、「真実」への思いが強くなる。
それが「信仰」だ。

もちろん、占いと信仰は全く違うものだ。

でも、価格のついた「未来」を信じた先に何があるのだろうか。

何を信じるのも個人の自由だ。
でも、それを信じて「騙された」というのはちょっと違うと思う。

「信じる」と決めたのは「自分自身」なのだから。

選択の自由もまた、神が人間に与えたものなのだから。

「手」を使うことが教えること

先日、TV番組で自分の日本語を充実させるためにやるべきことが3つ紹介されていた。

ひとつは、辞書を引いて知っている漢字を調べること。
それを書いてそのページに付箋を貼る。

次は、判らない言葉を調べて登録記録を作ること。

最後に、単語カードにそれらの言葉を書いて覚えること。

英単語を覚えるように50枚ほど作った後は、一日3回トランプのように引いてそれを確認するという手法の紹介だった。

この方法は「書く」ことがいかに重要かわかる。
そして、これらの作業には「手」を使って行っている。

この「手」を使う作業が人の人生に与える価値観はとても大きなものだ。

一昔前、物の値段が高かった時代、子供はみんな手作りしていた。

凧が欲しくても、キットなども売っていない。
仮に売っていたとしてもおこずかいで手に入る金額ではなかった。

だから、近所に生えていた木の枝と、家に取ってあった、使い捨てのビニール風呂敷を再利用して作ったものだった。

あまり、飛ばなかったが、飛ぶようにだんだん工夫した。
自分の手で作ることは、失敗も教えてくれたが、それを乗り越えた成功の喜びも教えてくれた。

それは、自信につながり、変化を恐れなくなった。

そんなことが当たり前の生活で無くなった。

最初から、完全な「キット」が100円ショップで買える時代になった。
失敗を体験しなくても、何でも簡単に手に入る時代になった。

「手」が「失敗」を学ばなくなれば「失敗」の意味も変わってくる。

「失敗」は「恐れる」ものではない。

誰もが通る道だ。

「手」を使って生活すれば分かることだ。

2013年10月3日木曜日

助け合って暮らすことは「貧しい」ことなのか

ダイヤモンドオンラインには読み応えのある記事が多い。
しかし、読んでいてげんなりする記事もまた少なくない。

「生活保護のリアル」には念入りなルポされていて読み応えはあるのだが、そのステレオタイプの価値観にはがっかりさせられることが多い。

彼女は「貧困」は「自立」するチャンスがないから起きてしまう。
特に弱者は就業が難しく自立するには「生活保護が必要」という解釈だ。

「国」はそれを守る必要があり、改正は「改悪」という意見する。

実際、障がい者から教育のチャンスが奪われていたのは事実だ。

教育がなければ、就業も無理だろう。
でも、チャンスの平等化がされれば、後はその人の努力だ。

また、農業や林業、漁業など就業先は「企業」に限られる必要はないだろう。

第10回では、都会のと地方の貧困の違いを説明する福祉のプロへのインタビューがあるのだがここでの違和感は強烈だった。

彼女は「助け合って暮らさなければいけない地域の貧しさ」ということを説明している。

「近所で食料を交換しながら、助け合って生活する」ことを「貧しさ」と捕らえる感性にショックだった。

「国」に頼る生活を「理想」とするのは理解できるが、海外などではその前に「自立」が存在する。

健常者、障がい者の区別なく、人が人として自立する。
これには、「他者を助ける力を持つこと」も含まれるのだ。

それは社会において責任を負うこと。
どんな人間であっても、助けてもらうことだけではなく、助けることができる自負を持つ必要がある。

身近な人が助け合って生きることは「貧しさ」ではなく、「たくましさ」ではないのか。

加えて、どんな障害があっても、教育が公平に受けられたのなら、立場は健常者と変わりない。
(社会的偏見がまだまだ存在することは事実ではあるけれど。)

IT時代なら、別に企業に勤めなくても自立することはできる。

これは、障害があろうが、無かろうが大した違いはない。

解雇特区、経済団体とは合意済みか?

政府が検討し、推し進めている「解雇がしやすい特区」の設定、彼らはずいぶん、乗り気になっている。

これって、やる意味ないと思ってたけれど、政府がごり押しする時は、必ず大企業はすでに合意している場合でしか起きない。

何故なら、日本は政府が民主主義の「振り」をしているが、実際は大企業の仲間で出来ている経済団体が日本を動かしているのだから。

だから、これだけ政府が推し進めるのは、多分大企業が「特区」の設立を切望しているとしか思えない。

だから、特区ができれば、そこに「指定してほしい」と手を上げる大企業はいくつもあると思う。

最初、政府の「特区設定」は、特区を日本の特定地域の「どこ」と指定するのか思っていた。

だから「こんな施策って、あほだなあ」と思ったが、これひょっとして「特区の存在を法律で確立すること」に目的があるのではないのだろうか。

だから、法律で「特区」が確立した後、企業が「この工場のある地域全部特区にしてくれ。」という申請をするような気がする。

大学みたいに申請すれば必ず許可されるような仕組みが適用されるだろう。

そうなれば、大企業はようやく余剰正社員を切り、3分の1で働く非正規社員を雇うことができる。

これ、大企業の正社員には悪夢な仕組みだけれど、それ以外のサラリーマンには、あまり関係ない話だ。

別に今だって、法が労働者の何かを守ってくれる訳ではないのだから。

4千万円ムダにしても誰も責任なんて取らないし・・・

某大手新聞社に「会計システム更新失敗、4千万円ムダに 国際交流基金」という記事があった。

これ、「送金データを金融機関に送る前に内容を確認できない」というような、問題があったと、いかにもITシステム会社が悪いような書き方になっているけれど、これが日本企業の現実だ。

発注側は、現在の業務の無駄を分析して「変える」なんて発想はない。

やり方は「変えたくない」から、結局IT会社は、彼らが「言ったまま」にシステムを作ることになる。

そうしたら、大抵「言われていないこと」が「できない」システムになり「使えない」となる。

しかも、これ4社に発注している。
これだけで、責任を取る会社は居なくなる。
彼らもこうなるのはきっと判っていたと思う。
でも「お金を払ってくれる」発注者を説得する人がいなかったのだろう。

彼らにしてみれば「言われた通りに作った」のだから、文句を言われる筋合いはない。

で、発注側では、IT会社のアドバイスなんて受け入れない。
しかも、失敗しても「責任者」の責任は取られない。

この場合、受注側も発注側も、責任の押し付け合いでうやむやになるだろう。

責任は多分、誰も取らない。

担当者は来年あたり、どこかに飛ばされるだけだ。

どうせ税金で「企業」に払う金だし、独立行政法人なのだから、予算はまた貰えばいい。

IT業界だろうが、建築業界だろうがゼネコンの仕組みに大した違いはない。

無駄なダムや公共施設に比べればたった4000万程度だ。

国は、4社に仕事を発注し、税金を使って景気にも貢献したのだし、どこかの建物やパスポート発券システムみたいに無駄に管理費がかかるものでもないし、会計帳簿上、特損にでもすれば済む話だ。

それほど酷い話じゃあないでしょう。

現場にはまだプロフェッショナルがいるんだ

JR北海道のニュースがあちこちで取り上げられている。

経営層を一新する、という記事もあったが、たいした変化はないだろう。

まあ、禊みたいなものだ。
日本の企業がよくやること。
これで「変わった振り」ができるから。

ただ、読売新聞の「JR北、レール土台不良を放置…3年前に勧告」に希望の光とも思える記述があった。

「函館保線所の担当部署は、土台の修繕にかかる予算を本社に要求した」という一文を読むと、現場にはやはりプロフェッショナルは残っているようだ。

みんな、現場がどれだけ「無知だった」かを記事にしたいようだけれど、それは違うような気がする。

たしかに、新旧線路の違いを知らない保線担当も居るだろう。

でも、この記事を読むかぎり、監査は「保線担当部署が本社に要求している」という記録を見つけたからその点を「指摘」したのだ。

レールのゆがんだ「数値」が記録にあったことが最初に記事になった時も「権威ある人」が「ほおって置くなど考えられない」というもっともな意見を語っていた。

でも、その「数値」は保線の現場が「測ったから」「残っていた」のだ。

そう、現場は「プロ」として仕事をしている。

その結果から「意思決定ができない管理職」が居ることは、問題だが、現場からプロフェッショナルが「消える」ことに比べたら、たいした問題じゃあない。

だからこそ、彼らの「仕事」に対する責任感が報われるような変化が経営層に起きることを、未来のJR北海道のために祈りたい。

「20代」を育てるって、子供じゃあないのに

日本企業の問題がいろいろなところで記事になっている。
特に、今のブームはパワハラであり、若い社員の「うつ休業」だ。

「権威ある人」達がいろいろ媒体で議論しているけれど、役職定義が無い日本企業の価値観で、全く理解できないことがある。

それは「若い従業員を育てる」という考えだ。

これ、あまりにも若い労働者に対して「失礼」な考えだと思う。
だって、「育てる」なんて、子ども扱いではないか。

給与を貰って仕事をするのなら、まず一人の大人として扱うべきだろう。

それは、まず仕事においての責任の重さを自覚させること。

経験の無い彼らは、小さな仕事しかできないかも知れない。
だからこそ「仕事をして給与を貰うというのは大変なこと」をまず教える必要がある。

でも、今、企業は彼らを「選んで」「(自社企業が)育てやすい」人を正社員にする。

そして、子供のように「育てる」つもりで接している。

上司は、彼らの母親や父親ではないのにも関わらず。

専門の大学を出ているのにも関わらず、企業がそのプロフェッショナルを求めなければ、彼らの社会人出発は「学生」の時から何も変わらない。

どこに配属されても、そこでの「組織」としての責務を理解させ、その中で新人なりの「仕事の責任」があることをまずは学ぶ必要があるではないのか。

でなければ、新人は仕事を「時間給」としか考えない。

企業が自社に「都合の良い社員」を「育てよう」とすれば、プロフェッショナルは育たない。

企業がそんな「プロ」を不要とするのなら、日本企業は永遠と変わらない。

何故なら、企業が「育てる社員」は今の管理職がチェックもせずに判子を押すことを「お仕事」と呼ぶ「職務」のない「正社員」なのだから。

「見ない振り」をすることで給料が貰える

この件、おもしろいことがいくつかある。

まず、信販会社の方。融資するには、何人かの責任者が判を押す。
でも、誰一人「No」と言う「役職」もつ「管理者」が居なかったということだ。

当然だ。

職務がないから「責任」は特に問われない。

重要なのは「面倒を起こさない」ことだ。

会社に殴りこみに来られても困る。

まあ、内部の「見なかった振り」は理解できても、外部監査も2回もやって「発見」できないとはちょっと理解できない。

加えて、今回の「発覚」は、たった12%程度の株をもっている「みずほ銀行」の監査で見つかったものだ。

これの事実は、持ち株の量は少なくても、オリコへの「融資」金額がかなり多いと推定できる。

そして、みずほ銀行のコメント。

「審査したのは信販会社で、銀行ではないという認識から、抜本的な対策を取らなかった」らしい。

たしかにそうだろう。でも、判っていたのに12%のオリコ株を保有している大株主の立場として2年も何も意見しなかったのは、どうしてだろうか。

やっぱり「見ない振り」なのだろうか。

どっちにしても、高い給与をもらっている「役職」がついた「正社員」が判を押していなければ融資はされない。

つまり、責任者が複数いるのにもかかわらず、230回も「見逃す」してもお給料が貰えるのが今の「正社員」の仕事だ。

日本は「変わることは悪」なのだから、たぶん、これからも「見逃すこと」が「お仕事」なんだろう。

これ、誰か「役職」のある人が勇気を持って「融資しない」と責務を果たそうとすると、いじめられるんだろうなあ。

看板架け替えただけなんだから仕方ない

毎日新聞の「みずほ銀:揺らぐ信頼 反社会的勢力に甘い対応」という記事を読んで、つくづく「日本の企業はどこも同じだなあ」と思った。

記事は、信販会社オリコが230件、約2億円の自動車ローンを反社会勢力に融資していたということだ。

みずほ銀行はこの事実を、2010年12月から判っていたのにも何にも対策を取らずに融資を続けたらしく、今回「みずほ銀行」の検査で発覚したそうだ。

これ、オリコの中で「チェックの仕組み」はすでに存在しているはず。

何故なら、融資の場合必ずかなりな書類を提出させるはずだ。

昔の金融会社の人事部では、これ「暴力団チェック」というプロセスと呼ばれており、派遣の採用プロセスにだってあるチェックの仕組みだった。

だから、融資の時に無いはずがない。

でも、この会社の社長は旧第一勧銀の出身。

この会社はその昔、組織ぐるみで総会屋に100億円を超える利益を供与していた事件が発覚している。

結果、1990年代末に多くの幹部が商法違反の有罪判決を受けているが、借りて、返してくれるお客様なら、別に貸す相手は気にしない文化なのだろう。

会社合併が起こっても、結局、看板が変わるだけ。
「正社員」は首にはならないから、そのまま「新しい看板」の元で働くことになる。

それがたまたま、信販会社だったということ。

変わったのは社名だけなのだから、その価値観が変わるわけではない。
だから、もちろん、企業文化だって変わるはずがない。

だから、起こって当然だし、それほど驚く話なのだろうか。

銀行と電力会社は仲良しこよし

メガバンク3社、「東電に800億円弱の融資継続」とのニュースを読んで、「やっぱり仲間で助け合うんだなあ」とひしひし思った。

はっきり言って、銀行がこの会社に融資しなければ、倒産するし、送電分離の仕組みも前進できる。

分社して買われるなら、原子力部分は誰も買わないから国が面倒みるしかないし、一気に体制崩壊が進むのに、絶対にしない。

なぜなら日本は「変わることは悪」だから。

そして、仲間は助ける。

東電に機械やシステムを販売している大手商社やIT会社だって、彼らが潰れれば困るのだから当然といえば、当然だ。

旧そごうデパートの倒産もそうだった。
結局、倒産させても再生させて「正社員死守」のために、税金が投入されることになった。

雇用の流動性を否定するのが、日本の企業文化だから、どんなことをしても「東電継続」が経済界の命題になるのだろう。

そうなると、当然高い電気料は消費者が払うことになる。

値上がりする前だって、世界一高い電気料を払っているのに、まだそれ以上払うことに対して、大新聞は何も言わない。

そりゃあそうだ。
だって、東電だけではなく、そこが「潰れて困る」大企業からだって、たくさん広告貰うのだから、ご機嫌を損ねる記事などを書けるはずがない。

だから無難な事実だけを「ニュース」とする。

そして、日本の社会は何にも変わらない。

これが日本の「職務」の現実

「サラリーマン年収 2年連続減」というタイトルにだまされないでほしい。

某ニュースのタイトルだが、記事の内容は最悪だ。

国税庁の調査で、「正社員」の平均年収は「408万」、非正規労働者が「168万円」で、その差はなんと300万。

日本には「職務定義」がないので、技術や能力があっても一旦、企業から押し出されると、年寄りは就職ができない。

だから、「同一賃金労働」や「ワークバランス」なんて語るだけ無駄だ。

それは解かっていたが、ここまで酷いとは思っていなかった。

これは、同じ仕事をしても「正社員」という「職務」でなければ、「半分の価値」しか払わなくても「問題無し」という価値観が今の日本では「あたりまえ」になっているということだ。

実力が「不要」で「職務」がない日本企業だから、これが成り立つ。
しかし、どこの先進国に行っても、こんな不公平を「当然ですが・・・」とニュースにする国はない。

もっと驚くのは、このニュース、タイトルを見て解かるように「サラリーマン年収が下がったこと」がニュースであり、この金額差は「つけたし」程度なのだ。

そもそも、「非正規労働者」の平均給与調査も今年初めてなのだから。

これでも、まだ「給与は上がる」と言い続ける総理大臣の言葉を信じれるなら、それは、それでおめでたいことだ。

結婚できないのは、相談所のせい?

産経新聞の「なぜ男性だけ年収開示するの?」の記事は、面白かった。

これ、未婚男性記者が知人から送られてきた結婚相談所の資料を見て疑問に思ったことを調べたらしい。

それは「年収の開示」。

これ、男性には「必須」だが、女性は「任意」だそう。

しかも、男性は入会条件が「定職についていること」。

女性はこの条件がないことに不公平感を感じ、彼はこの相談所を取材している。

女性は「年齢が若ければ「需要」があるから、定職についているかどうかは不問」だとの回答を貰うも、彼は、他社の動向も調べて中々興味深い記事に仕上げている。

記事によれば、男女公平に「年収開示」をしている相談所もあるらしい。
でも彼が「少子化対策の第一歩は、相談所の意識改革」と意見をまとめていることには、笑わせてもらった。

「結婚相談所」において「商品」は「男」と「女」だ。
だから、商品に魅力がなければ売れない。
だから、魅力がなければ、陳列(入会)させない。

派遣会社は会員数が規模の大きさになるから、登録だけはさせて35歳以上の求職者は無視するが、結婚相談所は「成婚率」が売りだ。

だから、市場が求めている「商品」を「魅力的に展示」する。
だから、そこに意識改革を求めるのは無意味だ。

だって、それが「日本人自身」が求めているものだから。

「結婚」が「縁」ではなく、ビジネスなら、年齢や年収など「分かりやすい」ことは良いことだ。

人間性はそれから。

まあ、そうやってたくさんの人間に会っても「決められない」人が多い。

ということは、相談所が儲かり、雇用は増え、成婚率は下がり、少子化は続くということだ。

「悪のシステム」を選んだのは日本人自身

週刊ダイヤモンドで「働く女の出産・育児を阻む悪のシステム」というセンセーショナルなタイトルで記事を紹介していた。

内容をざっと読むといかに日本の企業で働きながら出産、育児がたいへんかを体験談を交えて語られている。

この記事、全部ではないが、読んでいて「ちょっと違うだろう」という感覚を受けた。

そもそも、不妊治療みたいなプライベートな話を会社で話す必要があるのだろうか。

「理解してもらいたい」という気持ちはわかるけど仕事とプライベートは別な話だろう。

子供が生まれて「早く帰る」こともそうだ。

日本では「職務」がない。
だから「正社員」という「職務」はみんな同じでなければいけない。

この「職務」は「責務」によってではなく「会社に居る時間」に準じる。

だから、一人だけ早く帰ることは「正社員」という職務を全うしていないのだ。

本来、ホワイトカラーの仕事において、「職務」を全うしていれば、時間など関係ない。

極端な話、管理職など意思決定するだけなら、現場にいる時間は4時間でも全く問題はないはずだ。

でも「正社員」という「職務」は既得権を持っている。
それは「解雇されない」ということだ。

それを「正」としてシステムを選んだのは、決して男性だけではない。

今、子供を生んでも会社を「辞めない」のは男性サラリーマンと同じように女性も「既得権」を主張するなら、そりゃあ嫌がらせはあるだろう。

でも、それを選んだのは「自分自身」である。
自営業なら、そんな悩みは無いのだから。

「働く女性、リーダー望まずが8割」の本音

これ、共同通信の短い記事なのだが、これはある団体が実施したアンケートの結果。

しかも、たった300人の女性にしか聞いていない。

この団体は「仕事より私生活を重視する意識などが影響している」と考えているが、それはかなり違う。

日本企業には「職務」が無いから、管理職になる「意味」がない。

年功序列で給与が決まるから、長く働き続けるには「言われたこと」をやる「メンバー」の方が続けやすい。

メンバーならバックアップ体制もあるし、そもそも無駄な派閥戦争に巻き込まれる必要もない。

そして、なにより「男性村社会」でリーダーとしてなんて、たとえ能力があっても部下がついてくるはずがない。

そもそも、「根回し」が主な「お仕事」の管理職では実力はそれほど必要ない。

意思決定するより、どれだけ長く「検討している振り」をうまくやらないと、「男性」上司には好かれない。

そうやって毎日「お仕事」して「男性」だけが昇格するのを見ている。

同じ「企業劇」で端役を演じながら、現実の「リーダー(中間管理職)」の役割を傍で見ていて「リーダーになりたい」と思う「女性」がいるだろうか。

女性は、肩書きなんて要らない。
給与がもらえて、勤続に合わせて上がってゆけば、それで十分。

日本は、同じ仕事をしても、同じ給与を払う「仕組み」ではないから、一旦手に入れた「正社員」という「既得権」を逃がさないためにも、余計なストレスは不要なのだ。

「職務」としての「プロ」意識が低いのは、日本人である女性もまた同じ。
だって、日本企業で働いているのだから。

だから「変える」なんて無理だって

JR北海道の脱線事故、だんだん大きな問題になっている。

でも、今更驚く話じゃあない。

ここ1年ほど、火災事故が起こっても「その事故だけが特別」として対策も取らなかった。

でも、その後、似たような事故が繰り返されてようやく「やばい」と思ったのだろう。
記録を見れば、原因はすぐわかることをぐだぐだ時間をかけてようやく発表した。

その調査から発表への「姿勢」を見れば、今回の脱線事故が起こる原因が内在していることは当然に思える。

面白いことに、北海道JRは、未だ国営企業であった。

国が100%株を所有している以上、民間企業としての試練は全く無かったことになる。

その上、余剰人員のため、雇用抑制を何年も続けたため、世代の壁があるらしい。

でも法律は「年齢差別はない」という建前になっている以上、「職務」を全うしているのなら、世代問題があるはずが無い。

どだい、検査結果が出ているのは、現場がきちんと仕事をしていたことの証拠だ。

問題は「管理者」がそれに対して「判断しなかった」ことだろう。
それが「世代問題」というには無理がある。

どこの企業も「見ない振り」をして、「事なかれ主義」で自分が管理職の間、面倒なことは「起こさない」ことを「お仕事」としている。

だから、自分の給与がどんな「職務」をしているから、それだけのものを貰うのか理解していないのだろう。

これも、責任者なんて追及しないし、社長が頭さげて終わりだろう。

来年にはみんな事件も忘れてるわ。

仮想空間だけに起きる話じゃあない

塚越健司氏が、WEDGE Infinityに寄稿した「Twitter犯罪自慢の構造」の視点は、とても興味深いものがある。

最近の若者の「犯罪自慢」についてその社会的心理について意見しているものだ。

彼曰く「日本人は、安心と信頼が区別されていない」そうだ。
それを「集団主義」と呼んでいる。

ただ、彼は社会心理学者の山岸俊男氏の言葉を引用し「環境の変化が人の行動規範に影響を与える」から「環境が変われば日本人の思想も変わる」と主張する。

もちろん、「環境変化だけが人に影響を与えるわけではない」と断ってはいるけれど。

興味深い点は、「環境の変化が人の行動を変える」というのは、別に「若者」だけの「社会現象」ではない。

デジタル化が進み、たしかに「環境」は変わったかもしれないが、日本人としての「精神環境」は全く変わっていない。

「集団主義」の中で「職務」が意識しない大人を見て育った若者は、仕事に対しての「責任感」を持たない。

時間をそこですごすと「お金がもらえる」と思っている。
でも、時間にこだわる働き方を教えたのは大人たちだ。

だから、職場も「プロとして行動の結果に対価が払われる場所」ではなく、単に「時間を過ごしてお金を貰う場所」になっている。

そこで働く者としての責任感の欠如は、社会全体として欠けているのだから環境は変わらない。

だから、人の行動も変わらないだろう。

別に若者だけが特別じゃあない。

ドラマ「半沢直樹」は現代の「水戸黄門」

日本人の意識や価値観が戦後全く変わっていないことは、この一言ではっきりした。

ムーギー・キム 氏が東洋経済オンラインに連載している「グローバルエリートは見た!」の中で城繁幸氏と対談している中で言われたのが、このタイトル。

「なるほど!」と思った。

彼曰く、50年前、水戸黄門に夢中になった日本人が、単純にアレンジされた銀行という舞台で悪を「征伐」をしているドラマに夢中になっているだけだという。

キム氏もドラマをみていないらしいが、私も3秒見て大げさな演技に呆れてすぐチャンネルを変えた。

彼の意見を借りると、「半沢直樹」に夢中になっている日本人の精神は、50年前の高度成長から何も変わっていないことになる。

そして、私はその意見に激しく同意する。

日本人は、サラリーマンは変わらない。

本当の意味で「職務」が無い企業文化において、トップになるのに必要なのは、実力ではない。

根回し力とコネだけだ。

外国人にはこの日本独特の「正社員」という「職務」は理解できないだろう。

「正社員」という既得権を得ると、後は定年まで「何事も無く」過ごすことが最重要視するサラリーマンは、何も銀行だけにある話ではない。

大企業のほとんどは、そんなサラリーマンの管理職が無駄な「お仕事」をしている。

だから「業務の効率化」など「悪」でしかない。

それこそ、会社が雇った外部コンサルタントが効率的なやり方を「新システム」の強要を「正社員」に強いて、「正社員」が協力し合ってコンサル追い出す、なんてドラマなら、もっと売れるんじゃあないだろうか。

「日本は停滞し老化してる」けど若作りもしている

某新聞社が紹介した、ライス大統領補佐官の本についたコンテンツタイトルは「日本は停滞し老化してる」だった。

これを読んでまず思ったことは「そのとおり」ということ。

そして「でも、若作りは上手だと思う」ということ。

日本人は、問題があっても誰もそれを「問題」と認知しない。
だから、「それが問題なのは知っている」といいながら、何も対処しない。

せいぜい「対処する振り」をして、年度が終わって人事が変わるのを待つ程度だ。

だから、変化しない。

それを彼女は「日本の老化」とみたのだろう。

ただ、日本人サラリーマン、特に「管理職」にある「正社員」の「見ない振り」のテクニックは職人技のレベルになっている。

いかに新しい法案が、各省庁が、そして企業の提案が、社会を、企業を「変えるか」を訴えるが、結果は全く問われない。

だから、予算が消化されて終わる。

復興予算しかり、どこかのダム工事しかり、結果はどうなったか。
何も変わらない。

これを私は「若作り」と見た。

でも、所詮「振り」は「振り」。

現実を向き合わず、小手先だけ「手法」をかえて対応するには、国も日本企業もすでに限界を超えている。

化粧のひび割れが崩れ落ちるのは、時間の問題だ。

ばらばら、崩れるのをまた糊で固め続けるか、剥がして現実を直視するか。

選ぶのは、「見ない振り」が得意な国民、一人ひとりだから、結果はすでに決まってる。