「金を払ったからできる」とか「法律的にできる」からする、というのではなく、相手と「真意」に向き合あい、信頼関係を作ること。
これは人間が「関係」を持つ時の基本だ。
そういう「信頼できる人」が少なくなったから、法律で社会活動が制御される。
かつては思ってもいなかったことが起こり始めている。
これは、一人ひとりの意識があまりに「儲けること」にしか価値観を置かないから。
そしてそのためには、何でもする。
結果、弱い人を騙すとか、脅すとかしても「訴えられなければ、やったもの勝ち」という意識。
どちらも、「人」と思わず「モノ」としか捉えていない。
個人や個人の創造物に対して「尊重する教育」が必要だ。
どんな人間にも個性があるし、それは他者が尊重すべき貴重な命だ。
それは一人ひとりの行動からしか、変わらない。
だから、お金以外の価値観で、行動してみよう。
自分だけの殻に閉じこもらないで、一歩踏み出して。
自分から人に話す。たしかに今の時代、勇気がいることかもしれない。
でも、まずやってみよう。
騙されるかも知れない。
でも、いい人もたくさんいる。
自分の意見と合いそうなボランティア先に電話をかけてみよう。
まずは、ミーティングに足を運んでみよう。
参加を続けてみよう。
自分で考えながら。
誰かの意見ではなく、自分で選んだ場所に行って人に会ってみよう。
実際の空気を共有する場所で。
出会ったことに感謝し、一緒に食事でもして、話を聞いて、自分の意見も交換する。
その先に何か「ビジネス」になるものが生まれるかも知れない。
生まれるものは「家族」かもしれない。
一人だけでは決して生まれなかったものが、誰かと出会うことで、必ず生まれる。
それが、「人」が出会う理由だ。
2013年7月31日水曜日
法律や値段より、もっと重要なこと、忘れてませんか
いろいろなニュースを読んでいると、今や、社会の価値観が2つの条件下で意見を展開しているように思える。
ひとつは「金を払っている」からという条件。
もうひとつは「違法か合法か」という条件。
「お金を払っている」のに、こんなことされた。
「お金を払っているから」こうするべきだ。
「違法」だから、こういうことをするのはまずい。
確かにこれらの意見は理解できるけれど、根本的なことを忘れてはいないだろうか。
人として「やってはいけないこと」がある。
これは、法律や金額より、重要なことではないか。
個人的には、これが唯一の判断基準だと思っている。
法律があろうがなかろうか、金を払っていようがなかろうが、人を、命を、そして、創作物ならその作者を尊重しないことは「やってはいけない」ことだ。
最近、舞台が中止になって裁判だ、なんだ、と訴えているニュースを読んだ。
結果には、あまり興味がない。
でも、誰かの創作物から、別の創作物を作成するなら、まず、きちんと「契約(合意)」するのが普通だろう。
対象者が老人だろうが、障がい者だろうが、健常者だろうが関係ない。
ビジネスの基本として合意したことを形に残す。
大抵、それは「契約書」と言われるが、形の問題や法律の問題ではない。
「この業界は、口約束でやってきた。売れるからいいんだろう。」という人には「それは、おかしい」と反論したい。
誰かの創作物から、何かを作ってゆくのなら、どんな時代でも、原作者を尊重するのは当然だ。
そのためには、話し合い、知り合って、信頼関係を作って、物事が決められて行く。
舞台の原作となった、本が出版されたのも、それらの信頼関係ができて作られたはずだ。
人が作った文章や絵、写真を勝手にコピーし、加工したり、自分のものとすることが、「盗む」行為と同じであることを知らない世代から、新しいものは生まれない。
どんな物でも「形」にすることは、簡単ではない。
ひとつは「金を払っている」からという条件。
もうひとつは「違法か合法か」という条件。
「お金を払っている」のに、こんなことされた。
「お金を払っているから」こうするべきだ。
「違法」だから、こういうことをするのはまずい。
確かにこれらの意見は理解できるけれど、根本的なことを忘れてはいないだろうか。
人として「やってはいけないこと」がある。
これは、法律や金額より、重要なことではないか。
個人的には、これが唯一の判断基準だと思っている。
法律があろうがなかろうか、金を払っていようがなかろうが、人を、命を、そして、創作物ならその作者を尊重しないことは「やってはいけない」ことだ。
最近、舞台が中止になって裁判だ、なんだ、と訴えているニュースを読んだ。
結果には、あまり興味がない。
でも、誰かの創作物から、別の創作物を作成するなら、まず、きちんと「契約(合意)」するのが普通だろう。
対象者が老人だろうが、障がい者だろうが、健常者だろうが関係ない。
ビジネスの基本として合意したことを形に残す。
大抵、それは「契約書」と言われるが、形の問題や法律の問題ではない。
「この業界は、口約束でやってきた。売れるからいいんだろう。」という人には「それは、おかしい」と反論したい。
誰かの創作物から、何かを作ってゆくのなら、どんな時代でも、原作者を尊重するのは当然だ。
そのためには、話し合い、知り合って、信頼関係を作って、物事が決められて行く。
舞台の原作となった、本が出版されたのも、それらの信頼関係ができて作られたはずだ。
人が作った文章や絵、写真を勝手にコピーし、加工したり、自分のものとすることが、「盗む」行為と同じであることを知らない世代から、新しいものは生まれない。
どんな物でも「形」にすることは、簡単ではない。
「職業」を持つということ
「仕事」ではなく、「職業」を語る人が少ない。
いつの間にか企業(会社)で働くことが「仕事」になり、そこでの就業形態だけが問題になっている。
「仕事」と「職業」は違うものだ。
「仕事」は「時給」や「給与」が重要だけれど、「職業」にとって重要なのは「情熱」と「技術」であり、そのプロとして責任を果たした結果を「報酬」として得られる。
それは、自営であろうが、企業内であろうが、あまり関係ない。
今、職業は「サラリーマン」と答える人がいるらしい。
これを「職業」とする「文化」の不思議さは、日本人以外でなければ理解できないだろう。
特に、日本では、金銭的価値だけで、仕事の価値が評価されるようになって、職人になるためにいろいろ我慢することに価値を見出さなくなった。
そもそも、それほど「職業」にこだわる人がいなくなったからだろう。
「仕事」が「職業」ではなく「生活の糧」に成り下がってから、プロフェッショナルは激減した。
若い人は、その背中を見て育つから、もちろん、次の世代にプロが増えるなんて思えない。
どんな職業でも、最初がある。
でも、それをやり続けて1年、2年経てば、成長した自分を見ることができる。
お金で換算できない自信を得ることができる。
この自信が、プロという意識を育て、社会の一員である「責任感」の種が植えられる。
「労働時間=収入」と考えることを止められば、だけれども。
人間の欲望は、限りない。
何もしなくて、お金が手に入れば、その環境から出る必要なんてない。
でも、そんなことがいつまで続くのだろうか。
いつの間にか企業(会社)で働くことが「仕事」になり、そこでの就業形態だけが問題になっている。
「仕事」と「職業」は違うものだ。
「仕事」は「時給」や「給与」が重要だけれど、「職業」にとって重要なのは「情熱」と「技術」であり、そのプロとして責任を果たした結果を「報酬」として得られる。
それは、自営であろうが、企業内であろうが、あまり関係ない。
今、職業は「サラリーマン」と答える人がいるらしい。
これを「職業」とする「文化」の不思議さは、日本人以外でなければ理解できないだろう。
特に、日本では、金銭的価値だけで、仕事の価値が評価されるようになって、職人になるためにいろいろ我慢することに価値を見出さなくなった。
そもそも、それほど「職業」にこだわる人がいなくなったからだろう。
「仕事」が「職業」ではなく「生活の糧」に成り下がってから、プロフェッショナルは激減した。
若い人は、その背中を見て育つから、もちろん、次の世代にプロが増えるなんて思えない。
どんな職業でも、最初がある。
でも、それをやり続けて1年、2年経てば、成長した自分を見ることができる。
お金で換算できない自信を得ることができる。
この自信が、プロという意識を育て、社会の一員である「責任感」の種が植えられる。
「労働時間=収入」と考えることを止められば、だけれども。
人間の欲望は、限りない。
何もしなくて、お金が手に入れば、その環境から出る必要なんてない。
でも、そんなことがいつまで続くのだろうか。
2013年7月30日火曜日
職業の向き、不向き
人と会うのが怖い人は、簡単に手に入るコンビニやマクドナルドのような接客の仕事は止めた方がいい。
絶対に向いていない。
勇気を出してやってみても、失敗して落ち込むだけだ。
「やってみなきゃ、わからないだろう」という人は、自分自身を知らない人だ。
「自分は変わるんだ」と思って、変われる人は素晴らしい。
接客業の人たちは、製造業のような世界の人たちと全く異なった文化を持っている。
それはそれで、すごい才能だ。
接客業の人に求められる性格や能力は、ただ、こつこつ、何かに向かってやるようなプログラマーのような人に求められるものとは根本的に異なるものだ。
だから、農作物の収穫とか地方のアルバイトに参加した方がいい。
もちろん、どんな仕事も、簡単な仕事は無い。
単純に「向いているか、向いていないか」だ。
考えてみて欲しい。
人がひしめき合っている都会で、「人と話さなくて良い職業」なんてあるわけがない。だから、そこに住むかぎり、コミュニケーションが苦手な人が働くためには、物凄い努力が必要だ。
でも、地方にゆけば、人の量がぐっと減る。
仕事で人と話すことより「経験」がモノをいう世界だ。
もちろん、そういうところに突然飛び込めば、初心者は必ず失敗する。
雇う方だって、判っている。
雇う方が気がかりなのは「この人はいつまで続くだろう」ということだ。
1日や2日で逃げ出す人はたくさんいる。
だから、彼らもあまり驚かない。
でも、逃げる前に考えて欲しい。
ここに来る前の自分の生活を。
もちろん、地方の仕事にだって向き、不向きはある。
でも、どんな仕事も続けられなければ、モノにならない。
1日の終わりに充実感をちょっとでも感じたのなら、それは貴重なことだ。
その日以前に「やり遂げた」という達成感を感じたのは、何時だったのかを思い出して欲しい。
絶対に向いていない。
勇気を出してやってみても、失敗して落ち込むだけだ。
「やってみなきゃ、わからないだろう」という人は、自分自身を知らない人だ。
「自分は変わるんだ」と思って、変われる人は素晴らしい。
接客業の人たちは、製造業のような世界の人たちと全く異なった文化を持っている。
それはそれで、すごい才能だ。
接客業の人に求められる性格や能力は、ただ、こつこつ、何かに向かってやるようなプログラマーのような人に求められるものとは根本的に異なるものだ。
だから、農作物の収穫とか地方のアルバイトに参加した方がいい。
もちろん、どんな仕事も、簡単な仕事は無い。
単純に「向いているか、向いていないか」だ。
考えてみて欲しい。
人がひしめき合っている都会で、「人と話さなくて良い職業」なんてあるわけがない。だから、そこに住むかぎり、コミュニケーションが苦手な人が働くためには、物凄い努力が必要だ。
でも、地方にゆけば、人の量がぐっと減る。
仕事で人と話すことより「経験」がモノをいう世界だ。
もちろん、そういうところに突然飛び込めば、初心者は必ず失敗する。
雇う方だって、判っている。
雇う方が気がかりなのは「この人はいつまで続くだろう」ということだ。
1日や2日で逃げ出す人はたくさんいる。
だから、彼らもあまり驚かない。
でも、逃げる前に考えて欲しい。
ここに来る前の自分の生活を。
もちろん、地方の仕事にだって向き、不向きはある。
でも、どんな仕事も続けられなければ、モノにならない。
1日の終わりに充実感をちょっとでも感じたのなら、それは貴重なことだ。
その日以前に「やり遂げた」という達成感を感じたのは、何時だったのかを思い出して欲しい。
何のために働くのか
田舎に行く、農業をすることを「変化する」ことと考えている訳ではない。
変わろうとすることは、とてもしんどいことだ。
でも、職場も生活環境も変えれば「変わること」はそれら新しい日常に対処することで「変わって」しまう。
もちろん、職場があれば、の話だ。
でも、その前に、働く意味が良くわからない。
お金が十分にある訳ではない。
でも、母は、私といっしょにいるとうれしそうだ。
家があるから家賃はかからない。
収入が少なければ、健康保険も安い。
でも、何のために生きるのか良くわからない。
「どこか」に就職できない日々が続いても、それはそれで、学ぶことがたくさんある。
問題は、自分が何を「やるべきために生まれてきたのか」が判らないことだ。
長年生きてきたのに、こんなことすら判らない。
部屋に篭ってネットサーフをしたり、本を読んでも答えは出ない。
ただ、都会から離れ、新しい土地で、新しい人に会って、話してゆくうちに、いろいろ考えが整理されてきたことは確かだ。
人を動かすのは「情報」ではない。
情報は「やる気」になるけれど、結局、出会いがあり、一緒に働いたり、過ごしたりする「人」を知らないと、新しい生活に根がおりない。
人を動かすのは「人の思い」だけだ。
そして、人の思いは「人」と会って話さないと、伝わらない。
人としばらく話さないと、人と話すことが怖くなる。
書類審査に落ち続けると自分のやってきたことに疑問を持つ。
でも、それ以外の事実に目を向けてみる。
都会では無かった、感動できることがたくさんある。
どこにいても、人を信じて、人と接し続けよう。
きっと、新しい「何か」が生まれる。
これは、事実だ。
変わろうとすることは、とてもしんどいことだ。
でも、職場も生活環境も変えれば「変わること」はそれら新しい日常に対処することで「変わって」しまう。
もちろん、職場があれば、の話だ。
でも、その前に、働く意味が良くわからない。
お金が十分にある訳ではない。
でも、母は、私といっしょにいるとうれしそうだ。
家があるから家賃はかからない。
収入が少なければ、健康保険も安い。
でも、何のために生きるのか良くわからない。
「どこか」に就職できない日々が続いても、それはそれで、学ぶことがたくさんある。
問題は、自分が何を「やるべきために生まれてきたのか」が判らないことだ。
長年生きてきたのに、こんなことすら判らない。
部屋に篭ってネットサーフをしたり、本を読んでも答えは出ない。
ただ、都会から離れ、新しい土地で、新しい人に会って、話してゆくうちに、いろいろ考えが整理されてきたことは確かだ。
人を動かすのは「情報」ではない。
情報は「やる気」になるけれど、結局、出会いがあり、一緒に働いたり、過ごしたりする「人」を知らないと、新しい生活に根がおりない。
人を動かすのは「人の思い」だけだ。
そして、人の思いは「人」と会って話さないと、伝わらない。
人としばらく話さないと、人と話すことが怖くなる。
書類審査に落ち続けると自分のやってきたことに疑問を持つ。
でも、それ以外の事実に目を向けてみる。
都会では無かった、感動できることがたくさんある。
どこにいても、人を信じて、人と接し続けよう。
きっと、新しい「何か」が生まれる。
これは、事実だ。
「変化すること」を選ぶ時
新しい場所に行くことはとても不安だ。
今いる場所は、とても安心できる。
でも、自身に聞いてみて欲しい。
「今の毎日に充実感と生きる喜びはあるか」ということを。
「そんなことより、生活することが先だ」と言うけれど、今日の生活は、明日に繋がっている。
それは10年後に繋がる行動だ。
生活環境を変えるのは恐ろしい。
知らない人ばかりのところに飛び込むことは怖い。
都会から、田舎に行くならば、変化はもっと大きいだろう。
でも、若ければ新しいことにチャレンジできる。
年を取っていても、健康なら大丈夫だ。
問題は「変わる勇気」と「生きるために気力がある、か無いか」につきる。
生きる意味はいったい、なんだろう。
何のために仕事をするのだろう。
このままの生活が続いて、5年後の自分は、幸せや充実感を感じる人生を送っているのだろうか。
酪農でも農業でも、機械化されたといえどもとても大変な仕事だ。
でも、コミュニケーションを取る相手は、牛や野菜だ。
もちろん、人間もいるが、会社のようにたくさん居る訳ではない。
牛は、嫌がらせをしても、パワハラはしない。
食べ物を作る仕事は、食べて行くことには困らない。
住み込みの場所があれば、生きて行ける。
それを5年続ければ、ある程度の仕事はこなせる。
今の生活を5年続けて、「何か」ができるようになるのだろうか。
今いる場所は、とても安心できる。
でも、自身に聞いてみて欲しい。
「今の毎日に充実感と生きる喜びはあるか」ということを。
「そんなことより、生活することが先だ」と言うけれど、今日の生活は、明日に繋がっている。
それは10年後に繋がる行動だ。
生活環境を変えるのは恐ろしい。
知らない人ばかりのところに飛び込むことは怖い。
都会から、田舎に行くならば、変化はもっと大きいだろう。
でも、若ければ新しいことにチャレンジできる。
年を取っていても、健康なら大丈夫だ。
問題は「変わる勇気」と「生きるために気力がある、か無いか」につきる。
生きる意味はいったい、なんだろう。
何のために仕事をするのだろう。
このままの生活が続いて、5年後の自分は、幸せや充実感を感じる人生を送っているのだろうか。
酪農でも農業でも、機械化されたといえどもとても大変な仕事だ。
でも、コミュニケーションを取る相手は、牛や野菜だ。
もちろん、人間もいるが、会社のようにたくさん居る訳ではない。
牛は、嫌がらせをしても、パワハラはしない。
食べ物を作る仕事は、食べて行くことには困らない。
住み込みの場所があれば、生きて行ける。
それを5年続ければ、ある程度の仕事はこなせる。
今の生活を5年続けて、「何か」ができるようになるのだろうか。
「変化しないこと」を選ぶ
時代が違う、と言ってしまえばそれまでだが、昨今、みんな誰かに何かを「してもらう」ことばかり考えているように思える。
会社が給与をカットする、政府が保護費をカットする、年金がカットする。
みんな大騒ぎして「生きて行けない」と意見を述べる。
でも、やりたいことは「今の生活」にあるんだろうか。
これをチャンスとして「変えてみよう」とは思わないのだろうか。
未来が怖いけど「変わりたくない」から「今の生活を続ける」のでは破滅への道だろう。
だって、人は年を取って死んで行くのだから。
そのままの「安定」などあるわけがない。
ましてや、誰かが何かを「与えてくれる」なんてことはない。
国の借金は限界、会社は法律に縛られ、余剰人員に悩まされているのだから。
義務教育は中学まで、であった理由は、当時、その時までに大人になることを期待されていたからだろう。(決して、十分な教育期間だとは思わないが・・・)
大人とは、社会の一員として自立すると共に「助けてもらう側」から、「助ける側」になることだと思っている。
「労働」は社会に貢献するひとつの方法でしかない。
私達は、理由があってこの世に生まれてきている。
障害があろうが、無かろうが、同じだ。
昔だって、家庭内暴力や育児放棄はたくさんあった。
今は、状況への認識が変わり、声を大きくする人が多くて、情報がコピーできるからたくさんあるように見えるだけだ。
嫌な場所なら、逃げ出せばいい。
サラリーマンを止めればいい。他の土地や仕事をしても、生きて行ける。
農業や林業、漁業では労働力を常に求めている。
今の生活じゃあなくても、生きる方法はたくさんある。
時代の課題は、多くの人がその変化を「選択しないこと」だ。
会社が給与をカットする、政府が保護費をカットする、年金がカットする。
みんな大騒ぎして「生きて行けない」と意見を述べる。
でも、やりたいことは「今の生活」にあるんだろうか。
これをチャンスとして「変えてみよう」とは思わないのだろうか。
未来が怖いけど「変わりたくない」から「今の生活を続ける」のでは破滅への道だろう。
だって、人は年を取って死んで行くのだから。
そのままの「安定」などあるわけがない。
ましてや、誰かが何かを「与えてくれる」なんてことはない。
国の借金は限界、会社は法律に縛られ、余剰人員に悩まされているのだから。
義務教育は中学まで、であった理由は、当時、その時までに大人になることを期待されていたからだろう。(決して、十分な教育期間だとは思わないが・・・)
大人とは、社会の一員として自立すると共に「助けてもらう側」から、「助ける側」になることだと思っている。
「労働」は社会に貢献するひとつの方法でしかない。
私達は、理由があってこの世に生まれてきている。
障害があろうが、無かろうが、同じだ。
昔だって、家庭内暴力や育児放棄はたくさんあった。
今は、状況への認識が変わり、声を大きくする人が多くて、情報がコピーできるからたくさんあるように見えるだけだ。
嫌な場所なら、逃げ出せばいい。
サラリーマンを止めればいい。他の土地や仕事をしても、生きて行ける。
農業や林業、漁業では労働力を常に求めている。
今の生活じゃあなくても、生きる方法はたくさんある。
時代の課題は、多くの人がその変化を「選択しないこと」だ。
「作った」子供はどうなるか
この年配の友人は最高に素敵な人だ。
私の反論を聞いて、思わず笑い出した。
なぜなら、私の言っているポイントが理解できたからだろう。
そう、「作る」ものなら、「壊す」選択もある。
命に対して、それを人間がやるのならば、殺人者に対して「何故、人を殺してはいけないのか」という質問に答えることはできないだろう。
誰かが作ったものを壊したら、全員、テレビの前で頭を下げればいい。
所詮、誰かが「作った」ものだ。
でも、それは違う。
命は、一つ一つが貴重なものだ。
そして、その一つ一つに意思がある。知恵がある。
生まれてきた理由がある。
持てるものは、与えるものになり、与えられるものは、自分が与えるものになれるように努力する。
その結果、次の世代の「持てるもの」が「与えるもの」となって引き継がれて行く。
このように貴重なものを、本来、神しか奪えないものを人が奪うから「罪」なのだ。
「作ったもの」は違う。
所有物だから変化しない。
自分の思い通りになる。
ひとつの命として尊重されずに育った人間に「意思決定」を求めるのは無理な話だ。
そんなことは、プログラムされていない。
私の反論を聞いて、思わず笑い出した。
なぜなら、私の言っているポイントが理解できたからだろう。
そう、「作る」ものなら、「壊す」選択もある。
命に対して、それを人間がやるのならば、殺人者に対して「何故、人を殺してはいけないのか」という質問に答えることはできないだろう。
誰かが作ったものを壊したら、全員、テレビの前で頭を下げればいい。
所詮、誰かが「作った」ものだ。
でも、それは違う。
命は、一つ一つが貴重なものだ。
そして、その一つ一つに意思がある。知恵がある。
生まれてきた理由がある。
持てるものは、与えるものになり、与えられるものは、自分が与えるものになれるように努力する。
その結果、次の世代の「持てるもの」が「与えるもの」となって引き継がれて行く。
このように貴重なものを、本来、神しか奪えないものを人が奪うから「罪」なのだ。
「作ったもの」は違う。
所有物だから変化しない。
自分の思い通りになる。
ひとつの命として尊重されずに育った人間に「意思決定」を求めるのは無理な話だ。
そんなことは、プログラムされていない。
子供は「作るもの」だから
先日、年配の友人と話していて、結構な激論になった。
話題は最近のダウン症出生前検査から発生した。
彼女いわく、「ダウン症だからって言って、中絶するなんて理解不可能」というコメントに対して「何で?今子供は「作る」んだから、不良品は要らない、っていう考え方は普通ではないのですか?」と私はコメントを返したのだ。
「それはおかしい」と彼女が言うから説明した。
「何で?みんな子供を自分の「物」と思うから、自分の思う通りに「作れる」ものだと思っている。
作った「物」だから、20歳になっても、彼らがどう考えているか意見も聞かないでしょう。」と反論した。
赤ん坊はかつて「授かるもの」だった。
作り方は古来から変わらないが、授かった命に対して、選択の余地はない。
神がその子を地球上に、その家族に必要としたのだから。
問題は「作る」という概念が生み出した思想だ。
「作る」ものだから増やせるものだと思っている。
だから、増やす方法だけを必死に考えて、無駄な税金を使う。
そりゃ、牛だって馬だって「増やせる」んだから、人間だって大丈夫。
あほか、と思う。
「授からない」事実がある。
そこに「何故」は無い。
神が「不要」ととすれば、子供は生まれない。
それだけの話だ。
話題は最近のダウン症出生前検査から発生した。
彼女いわく、「ダウン症だからって言って、中絶するなんて理解不可能」というコメントに対して「何で?今子供は「作る」んだから、不良品は要らない、っていう考え方は普通ではないのですか?」と私はコメントを返したのだ。
「それはおかしい」と彼女が言うから説明した。
「何で?みんな子供を自分の「物」と思うから、自分の思う通りに「作れる」ものだと思っている。
作った「物」だから、20歳になっても、彼らがどう考えているか意見も聞かないでしょう。」と反論した。
赤ん坊はかつて「授かるもの」だった。
作り方は古来から変わらないが、授かった命に対して、選択の余地はない。
神がその子を地球上に、その家族に必要としたのだから。
問題は「作る」という概念が生み出した思想だ。
「作る」ものだから増やせるものだと思っている。
だから、増やす方法だけを必死に考えて、無駄な税金を使う。
そりゃ、牛だって馬だって「増やせる」んだから、人間だって大丈夫。
あほか、と思う。
「授からない」事実がある。
そこに「何故」は無い。
神が「不要」ととすれば、子供は生まれない。
それだけの話だ。
何故「彼」を愛している、と確信できるのか
「愛がなきゃ結婚できません」という言葉は、一見、他者の個性を尊重しているような意見に見える。
しかし、本人は何を持って「彼を愛している」と確信できるのだろうか。
「好き」と「愛」はまったく違う概念だ。
「愛」は、尊敬がなければ成り立たない。
クリスチャン的には、尊敬が無くても「愛しなさい」と聖書では教えている。
「愛しなさい、許しなさい」これが、イエスの教えだ。
だから、「好き」とはまったく異なる概念だ。
でも、何故人は「愛する」必要があるのか。
ひとつひとつの命が、出会いが貴重だから。
子供も老人も、神様がこの世に必要として送った大切な人たち。
だから、愛し合う必要がある。
そして、その中でも「人生を共にしたい」という相手に会えば、その意思決定は、相手への「尊敬」なしには生まれないだろう。
尊敬は、尊重にも繋がる。個性を認めるということだ。
相手の「条件」を認めるというのではなく。
人間関係を続けてゆこうとすると、他者との時間を過ごして相手を知ってゆかないと関係は深まらない。
相手に向き合い、相手を知る。そして認める。
そうでもないと、人生を共に送る覚悟なんてできない。
少なくても、私はそう思っている。
だから「結婚しない人たち」が「決断」が出来ない理由が理解できる。
たぶん、出会う相手はたくさんいるだろう。
でも、決断に繋がる「何か」が無い。
当然だ。
だって、結婚は「リスク回避」なんだから。
人間関係が形骸化すると、相手と向き合う必要が無くなる。
いっしょに時間を過ごすこともない形だけの「関係」。
形骸化した文化で生きる人が「結婚」を求めるのは「安定」だ。
安定は「自分のため」であり、相手のためではない。
自分の「安心感」という感情は、他者を「愛する」感情と同義語ではない。
しかし、本人は何を持って「彼を愛している」と確信できるのだろうか。
「好き」と「愛」はまったく違う概念だ。
「愛」は、尊敬がなければ成り立たない。
クリスチャン的には、尊敬が無くても「愛しなさい」と聖書では教えている。
「愛しなさい、許しなさい」これが、イエスの教えだ。
だから、「好き」とはまったく異なる概念だ。
でも、何故人は「愛する」必要があるのか。
ひとつひとつの命が、出会いが貴重だから。
子供も老人も、神様がこの世に必要として送った大切な人たち。
だから、愛し合う必要がある。
そして、その中でも「人生を共にしたい」という相手に会えば、その意思決定は、相手への「尊敬」なしには生まれないだろう。
尊敬は、尊重にも繋がる。個性を認めるということだ。
相手の「条件」を認めるというのではなく。
人間関係を続けてゆこうとすると、他者との時間を過ごして相手を知ってゆかないと関係は深まらない。
相手に向き合い、相手を知る。そして認める。
そうでもないと、人生を共に送る覚悟なんてできない。
少なくても、私はそう思っている。
だから「結婚しない人たち」が「決断」が出来ない理由が理解できる。
たぶん、出会う相手はたくさんいるだろう。
でも、決断に繋がる「何か」が無い。
当然だ。
だって、結婚は「リスク回避」なんだから。
人間関係が形骸化すると、相手と向き合う必要が無くなる。
いっしょに時間を過ごすこともない形だけの「関係」。
形骸化した文化で生きる人が「結婚」を求めるのは「安定」だ。
安定は「自分のため」であり、相手のためではない。
自分の「安心感」という感情は、他者を「愛する」感情と同義語ではない。
結婚相手、何故「好き」ですか?
マイナビのニュースは、本当に現代の読者が何を求めているかを、微妙な切り口で提供してくれて興味が尽きない。
恋愛結婚を望む女性は81.5% -「結婚できれば何でもいい」の声も……
http://news.mynavi.jp/news/2013/07/24/089/index.html
ニュース自体は、たいしたことはない。結婚したい女性、200名に聞いたら「恋愛結婚」したい人が8割以上だったとういうこと。
「何でもいい」なんて言葉をタイトルにするところなんて「夫」はすでに「人」でもない。「誰でもいい」と言わないところに、結婚が「資格化」しているように思える。
その事実がアンケート結果のまとめに顕著だ。
夫本人の個性に関わる意見がとても少ない。「リスク回避のため」「体裁が・・」という意見は既に結婚が「対外的理由」でするものであることが明白だ。
「個性」に繋がるコメントは唯一「相手を知りたいから、恋愛結婚したい」というもの。
でも、何故、その人を知ることが「恋愛結婚」に繋がるのか。
他のコメントを眺めると、どれもとても「人事」だ。
本来「相手を知る」ことは、結婚の相手だけの問題ではなく、親、兄弟、親戚、そして友人、近所、みんなに対して必要なことではないのか。
それでも「この人と人生を歩みたい」と意思決定し、愛するためには、相手を知った上で、何かが、どこかが、尊敬できないと無理だ。
「尊敬できる人と人生を歩みたいから」という意見は、ひとつくらいあったのだろうか。
恋愛結婚を望む女性は81.5% -「結婚できれば何でもいい」の声も……
http://news.mynavi.jp/news/2013/07/24/089/index.html
ニュース自体は、たいしたことはない。結婚したい女性、200名に聞いたら「恋愛結婚」したい人が8割以上だったとういうこと。
「何でもいい」なんて言葉をタイトルにするところなんて「夫」はすでに「人」でもない。「誰でもいい」と言わないところに、結婚が「資格化」しているように思える。
その事実がアンケート結果のまとめに顕著だ。
夫本人の個性に関わる意見がとても少ない。「リスク回避のため」「体裁が・・」という意見は既に結婚が「対外的理由」でするものであることが明白だ。
「個性」に繋がるコメントは唯一「相手を知りたいから、恋愛結婚したい」というもの。
でも、何故、その人を知ることが「恋愛結婚」に繋がるのか。
他のコメントを眺めると、どれもとても「人事」だ。
本来「相手を知る」ことは、結婚の相手だけの問題ではなく、親、兄弟、親戚、そして友人、近所、みんなに対して必要なことではないのか。
それでも「この人と人生を歩みたい」と意思決定し、愛するためには、相手を知った上で、何かが、どこかが、尊敬できないと無理だ。
「尊敬できる人と人生を歩みたいから」という意見は、ひとつくらいあったのだろうか。
「敬うこと」の学び方
最近テレビで「XX歳なのに元気」という番組が多い。
若者はテレビを見ないし、視聴者が老人ばかりだから、このような切り口の番組は、ある程度の視聴率が取れるのだろう。
「こういうプロがいる」というような番組もあるが、これもかならず「XX歳になっても」みたいな切り口が混じる。
「年配者を敬うこと」と、「個人を尊重する」ことは、まったく異なることとだ。
年配者を敬う理由は、私たちが今居る世界を作ってきた人だから。
個人を尊重するのは、その人を「貴重な命、意思を持つ者」と認めるからだ。
私はそう思う。
命がこの世に生み出され、大切に育てて次の世代で活躍する人間を作った年配者達。
それぞれ個性がある。
嫌な人もいるだろう。
自分達に関係の深い年配者、一人ひとりに「神が与えた大切な出会い」と信じて真剣に向き合う必要がある。
そしてそのためには、一緒に過ごす時間がたくさん必要である。
大嫌いな姑もまた、彼女がいなければ旦那は存在せず、自分の子供も存在していない。
出会った人間ときちんと向き合わず「最低限の礼儀」だけすれば良いという考え方が「普通」なら、少しだけ、考えた方がいい。
息子は貴方の背中を見て育つのだから、将来、貴方に対して同じように扱う。
建前だけの関係しか学ばない環境で、他者を思いやるような愛の必要性をどうして感じることができるだろうか。
若者はテレビを見ないし、視聴者が老人ばかりだから、このような切り口の番組は、ある程度の視聴率が取れるのだろう。
「こういうプロがいる」というような番組もあるが、これもかならず「XX歳になっても」みたいな切り口が混じる。
「年配者を敬うこと」と、「個人を尊重する」ことは、まったく異なることとだ。
年配者を敬う理由は、私たちが今居る世界を作ってきた人だから。
個人を尊重するのは、その人を「貴重な命、意思を持つ者」と認めるからだ。
私はそう思う。
命がこの世に生み出され、大切に育てて次の世代で活躍する人間を作った年配者達。
それぞれ個性がある。
嫌な人もいるだろう。
自分達に関係の深い年配者、一人ひとりに「神が与えた大切な出会い」と信じて真剣に向き合う必要がある。
そしてそのためには、一緒に過ごす時間がたくさん必要である。
大嫌いな姑もまた、彼女がいなければ旦那は存在せず、自分の子供も存在していない。
出会った人間ときちんと向き合わず「最低限の礼儀」だけすれば良いという考え方が「普通」なら、少しだけ、考えた方がいい。
息子は貴方の背中を見て育つのだから、将来、貴方に対して同じように扱う。
建前だけの関係しか学ばない環境で、他者を思いやるような愛の必要性をどうして感じることができるだろうか。
日本において「年齢」は個性より重要
マックの最高齢店員は92歳か、英国の88歳に対抗して米国で“発見”
http://www.excite.co.jp/News/column_g/20130723/Narinari_20130723_22383.html
とういう記事を読ん、日本で「個人を尊重する」なんて価値観を理解させるのは無理かも、と思った。
たしかに珍しいことだ。
でも、各個人が働く経緯に至ったのは、社会もまた「年齢」より、「個人」を尊重する思想があるからで、日本では絶対に起きない。
日舞の上手な私の叔母は、時々、老人ホームに慰問に行く。
その夫が死んだ。一人暮らしになって、息子は心配になる。
それで、近くにできた老人ホームを見学に連れて行った。
彼女は怒ったそうだ。当然だろう。
息子は進歩的な人だと思っていたが、やはり「年齢」で判断する社会思想に染まっていた。
個人を見ないで「年齢」という「数」に頼って意思決定するのは簡単だ。
個人を理解するためには、その本人と時間を過ごし、その人と話して、どんな考えを持っているかを知り合う必要がある。
遠く疎遠になった母や父を「年齢」だけで心配し、老人ホームを探してお金を払うことは、若者の自己満足でしかない。
記事の後半、マクドナルドは「データベースがないからわからない」というコメントをしているが、当然だ。
アメリカでは就職時に年齢や肌の色を聞くことは違法である。
そもそも、日本のように、提出する履歴書に性別や年齢、肌の色を書く必要もない。
年齢や性別は、雇用を判断する時に、必要な情報じゃあない。
働くために必要なのは「意欲」と「能力」だ。
社会で、組織で、助け合って生きる「仲間」を選ぶのに必要な情報はそれだけだ。
http://www.excite.co.jp/News/column_g/20130723/Narinari_20130723_22383.html
とういう記事を読ん、日本で「個人を尊重する」なんて価値観を理解させるのは無理かも、と思った。
たしかに珍しいことだ。
でも、各個人が働く経緯に至ったのは、社会もまた「年齢」より、「個人」を尊重する思想があるからで、日本では絶対に起きない。
日舞の上手な私の叔母は、時々、老人ホームに慰問に行く。
その夫が死んだ。一人暮らしになって、息子は心配になる。
それで、近くにできた老人ホームを見学に連れて行った。
彼女は怒ったそうだ。当然だろう。
息子は進歩的な人だと思っていたが、やはり「年齢」で判断する社会思想に染まっていた。
個人を見ないで「年齢」という「数」に頼って意思決定するのは簡単だ。
個人を理解するためには、その本人と時間を過ごし、その人と話して、どんな考えを持っているかを知り合う必要がある。
遠く疎遠になった母や父を「年齢」だけで心配し、老人ホームを探してお金を払うことは、若者の自己満足でしかない。
記事の後半、マクドナルドは「データベースがないからわからない」というコメントをしているが、当然だ。
アメリカでは就職時に年齢や肌の色を聞くことは違法である。
そもそも、日本のように、提出する履歴書に性別や年齢、肌の色を書く必要もない。
年齢や性別は、雇用を判断する時に、必要な情報じゃあない。
働くために必要なのは「意欲」と「能力」だ。
社会で、組織で、助け合って生きる「仲間」を選ぶのに必要な情報はそれだけだ。
自分が決める
自分でいろいろな情報を調べて毎日を過ごす。
ニュースはどこも「大学教授が、権威ある人が言っている」と情報を信じてもらうために社会の問題が「政府にある」ことを流し続けている。
そんなニュースを読んで、1ヶ月、1年、5年。
ニュースは、もっとたくさんのお金を得る方法、異性から持てるために、ああすべき、こうすべきと、情報を撒き散らす。
これらの意見に共通する思想は「こうしないから、今、こうなっている」という「もしも・・・したら」という起きなかったことを基本に今を語る。
今より、もっと欲しい。もっと幸せになりたい。そのためには「こうすべきだ」という方法論を次から次へと紹介する。
でも、自身で「何が欲しいか」も解らずに毎日を過ごす。
自分「自身」は変わらないのに、権威の言葉を信じて「あれ」や「これ」の「新しい方法」を確認し、自分の生活がどうなのか、チェックする。
何故「方法」で自分や社会、会社が変わると信じられるのだろか。
今までの「方法」だって、変わらなかったのに、なぜ「今回は変わる」と信じることができるのだろうか。
何も変わらないから、誰も振り向かなかったから、変わる必要がある。
それは「方法」ではなく「価値観」だ。
そうして、自分の価値観を、生活を、仕事を、変える。
価値観が変われば、行動が変わる。
どう、変わるのか。
それは自身が決める。
自身が変わる決断をし、変化しなければ、周りは変わらない。
「今より」幸せになりたいのなら、自分の「幸せ」を自分で決める必要がある。
結婚も、離婚も、妊娠も、自分が選んだ結果だ。
間違いもあるかも知れない。
それでいいじゃないか。
人生が終わったわけじゃあない。
間違った事実を認めればいい。
そんな貴方は、社会にとっても、神にとっても、貴重な命だ。
そうやって自身が変わってゆけば、周りも変化する。
何のために、生きているの?
それは、自身が「発見」するもの。選ぶものだ。
神は、そのために人間に自由意志を与えたのだから。
ニュースはどこも「大学教授が、権威ある人が言っている」と情報を信じてもらうために社会の問題が「政府にある」ことを流し続けている。
そんなニュースを読んで、1ヶ月、1年、5年。
ニュースは、もっとたくさんのお金を得る方法、異性から持てるために、ああすべき、こうすべきと、情報を撒き散らす。
これらの意見に共通する思想は「こうしないから、今、こうなっている」という「もしも・・・したら」という起きなかったことを基本に今を語る。
今より、もっと欲しい。もっと幸せになりたい。そのためには「こうすべきだ」という方法論を次から次へと紹介する。
でも、自身で「何が欲しいか」も解らずに毎日を過ごす。
自分「自身」は変わらないのに、権威の言葉を信じて「あれ」や「これ」の「新しい方法」を確認し、自分の生活がどうなのか、チェックする。
何故「方法」で自分や社会、会社が変わると信じられるのだろか。
今までの「方法」だって、変わらなかったのに、なぜ「今回は変わる」と信じることができるのだろうか。
何も変わらないから、誰も振り向かなかったから、変わる必要がある。
それは「方法」ではなく「価値観」だ。
そうして、自分の価値観を、生活を、仕事を、変える。
価値観が変われば、行動が変わる。
どう、変わるのか。
それは自身が決める。
自身が変わる決断をし、変化しなければ、周りは変わらない。
「今より」幸せになりたいのなら、自分の「幸せ」を自分で決める必要がある。
結婚も、離婚も、妊娠も、自分が選んだ結果だ。
間違いもあるかも知れない。
それでいいじゃないか。
人生が終わったわけじゃあない。
間違った事実を認めればいい。
そんな貴方は、社会にとっても、神にとっても、貴重な命だ。
そうやって自身が変わってゆけば、周りも変化する。
何のために、生きているの?
それは、自身が「発見」するもの。選ぶものだ。
神は、そのために人間に自由意志を与えたのだから。
自分だけが
自分だけが損をしている気がしている毎日を過ごす。
上司がうるさい、会社の給料が安い、休みが少ない、と自分以外の「何か」に不満を向ける。
そんな気持ちを持って、1ヶ月、1年、5年。
それなのに、もっとたくさんのお金が欲しい、結婚がしたい、とか考えている。
これらの不満と欲望に共通する基本思想は「誰かが私を幸せにする」ということだ。
今より、もっと欲しい。もっと幸せになりたい。
不満を持って毎日過ごす「自身」は変わらないのに、何故「誰か」が社会や会社を変えると信じることができるのだろうか。
何も変わらないから、誰も振り向かなかったのに、出会いが増えただけで結婚して、どうして「今より」幸せになれると考えるられるのだろうか。
不安が減るから?
家賃が半分になるから?
子供ができるから?
そうやって自身の周りは変化しても、自身は変わらない。
だから、不満はいつまでも止らない。
そして離婚する。
でも、不満は不満は止らない。
会社に対して、社会に対して。そして自分自身に言い聞かせる。
「私がこんなにやっているのに、みんな解ってくれない。」
何のためにある「人生」なのか。
「誰」のための人生なのか。
上司がうるさい、会社の給料が安い、休みが少ない、と自分以外の「何か」に不満を向ける。
そんな気持ちを持って、1ヶ月、1年、5年。
それなのに、もっとたくさんのお金が欲しい、結婚がしたい、とか考えている。
これらの不満と欲望に共通する基本思想は「誰かが私を幸せにする」ということだ。
今より、もっと欲しい。もっと幸せになりたい。
不満を持って毎日過ごす「自身」は変わらないのに、何故「誰か」が社会や会社を変えると信じることができるのだろうか。
何も変わらないから、誰も振り向かなかったのに、出会いが増えただけで結婚して、どうして「今より」幸せになれると考えるられるのだろうか。
不安が減るから?
家賃が半分になるから?
子供ができるから?
そうやって自身の周りは変化しても、自身は変わらない。
だから、不満はいつまでも止らない。
そして離婚する。
でも、不満は不満は止らない。
会社に対して、社会に対して。そして自分自身に言い聞かせる。
「私がこんなにやっているのに、みんな解ってくれない。」
何のためにある「人生」なのか。
「誰」のための人生なのか。
2013年7月24日水曜日
何故、統計の「少ない方」がタイトルになるの?
ウェブの記事でニュースを読むことが多いのだが、どうしてこうも「違い」を作り上げて大げさに取り上げるのだろうか。
女子に聞く、群れる男子は好きですか?「YES 12.8% ドロドロしてなさそう」 http://news.nifty.com/cs/item/detail/mnwoman-20130529-mw97663/1.htm
話題づくりであることは、理解しよう。
アフリエイトを稼ぎたい気持ちもわかる。
でも、タイトルをわざわざ「少ない方」にすることに、違和感がある。
その結果を「読み物」にするとき少数派を取り上げて、センセーショナルなタイトルにすること自体に「異端排除」の思想が透けて見える。
600件にも満たないアンケートで、10%程度の意見をわざわざタイトルとして「記事」にする。
私が違和感を感じるのは、この内容ではなく、この記事の背景にある思想だ。
アンケートにおいて「少数派の意見を尊重しなきゃね。」という考えは、逆説的に「ほら、普通じゃない人は、こんな風に考えるんだって」という「異端発見手法」ともいえる考えをタイトルとしている。
また、このように「大多数と違うこと」をわざわざアンケートまでして作り記事にすることは、それぞれの人の個性や、背景を理解しようとしない人を育てる。
だって「統計」がこうなんだから、貴方もきっとそうでしょう。
なぜなら、その方が楽だから。
そして、この記事は「アンケート結果」という「権威」で他者を理解することが「普通」であるという価値観も教えるだろう。
この記事の内容はどうでもいい。
この手の「アンケート結果」の記事を最近良く見かけるが、それは現代日本人が「自分がどこのグループにいるか」を常に意識しているとしか思えない。
そして、これらを読むということで、人にフィルターをかける思想も学んでいる。
思想は言葉からしか学べない。
そして、それはウィルスのようにゆっくり思考能力を取り除き、自分で判断する、観察する能力を侵食してゆく。
読んだ記事の内容は元より、その書かれ方の方が恐ろしい。
女子に聞く、群れる男子は好きですか?「YES 12.8% ドロドロしてなさそう」 http://news.nifty.com/cs/item/detail/mnwoman-20130529-mw97663/1.htm
話題づくりであることは、理解しよう。
アフリエイトを稼ぎたい気持ちもわかる。
でも、タイトルをわざわざ「少ない方」にすることに、違和感がある。
その結果を「読み物」にするとき少数派を取り上げて、センセーショナルなタイトルにすること自体に「異端排除」の思想が透けて見える。
600件にも満たないアンケートで、10%程度の意見をわざわざタイトルとして「記事」にする。
私が違和感を感じるのは、この内容ではなく、この記事の背景にある思想だ。
アンケートにおいて「少数派の意見を尊重しなきゃね。」という考えは、逆説的に「ほら、普通じゃない人は、こんな風に考えるんだって」という「異端発見手法」ともいえる考えをタイトルとしている。
また、このように「大多数と違うこと」をわざわざアンケートまでして作り記事にすることは、それぞれの人の個性や、背景を理解しようとしない人を育てる。
だって「統計」がこうなんだから、貴方もきっとそうでしょう。
なぜなら、その方が楽だから。
そして、この記事は「アンケート結果」という「権威」で他者を理解することが「普通」であるという価値観も教えるだろう。
この記事の内容はどうでもいい。
この手の「アンケート結果」の記事を最近良く見かけるが、それは現代日本人が「自分がどこのグループにいるか」を常に意識しているとしか思えない。
そして、これらを読むということで、人にフィルターをかける思想も学んでいる。
思想は言葉からしか学べない。
そして、それはウィルスのようにゆっくり思考能力を取り除き、自分で判断する、観察する能力を侵食してゆく。
読んだ記事の内容は元より、その書かれ方の方が恐ろしい。
一億総白痴化 完了
朝のワイドショーを何年も見ていない。そもそも、テレビを持ってないからだが、たまに見ると「一億総白痴化」と看破した社会評論家の大宅壮一さんはすごい人だと思う。
私は、この言葉を進化させていつも「一億総白痴化 完了」と思っているのだが。
彼がこの言葉を語って何年もたったけれど、今時々テレビを見ると、本当にそれが完了してから、もうしばらく経っているとしか思えない。
ワイドショーで見るニュースが、視聴者の求めるものであるならば、恐ろしいことだ。
何故なら、そんな視聴者が次の世代である子供達を育てているだから。
そして、老人は、そんなテレビを見ることしか、やることが無い。
報道される内容に問題があることは別にして、その報道の形にはあまりにもえげつなく、そして露悪的すぎる。
イメージしてほしい。お棺の近くにへばり付き、そこに訪れた人が何を語るか、高性能のマイクで「盗み録音」しているテレビ局。
そして、彼らは私人である人の画像と共にその「盗んだ声」を報道する。
許可を貰ったから、とかという問題ではない。
それを「放送する、視聴する」という状況が社会にどんな価値観を与えているか、放送する側は考えることがあるのだろうか。
そして視聴者は、これが「失礼、無礼、そしてえげつない」行為だとは思わないんだろうか。有名人だったら「当たり前」と思うのだろうか。もし、そうだったら、視聴者も病気だ。
有名だろうが、有名でなかろうが、そういうことを自分がされたら、どう思うのか。恩人の死に顔を見に来たら、自分の声まで録音されてテレビに出てしまったら、どう思うか。
「元有名人」ならニュースにするのも仕方が無いと考えるなら、日本の社会が「個人」を尊重しない証拠のような気がする。
私は、この言葉を進化させていつも「一億総白痴化 完了」と思っているのだが。
彼がこの言葉を語って何年もたったけれど、今時々テレビを見ると、本当にそれが完了してから、もうしばらく経っているとしか思えない。
ワイドショーで見るニュースが、視聴者の求めるものであるならば、恐ろしいことだ。
何故なら、そんな視聴者が次の世代である子供達を育てているだから。
そして、老人は、そんなテレビを見ることしか、やることが無い。
報道される内容に問題があることは別にして、その報道の形にはあまりにもえげつなく、そして露悪的すぎる。
イメージしてほしい。お棺の近くにへばり付き、そこに訪れた人が何を語るか、高性能のマイクで「盗み録音」しているテレビ局。
そして、彼らは私人である人の画像と共にその「盗んだ声」を報道する。
許可を貰ったから、とかという問題ではない。
それを「放送する、視聴する」という状況が社会にどんな価値観を与えているか、放送する側は考えることがあるのだろうか。
そして視聴者は、これが「失礼、無礼、そしてえげつない」行為だとは思わないんだろうか。有名人だったら「当たり前」と思うのだろうか。もし、そうだったら、視聴者も病気だ。
有名だろうが、有名でなかろうが、そういうことを自分がされたら、どう思うのか。恩人の死に顔を見に来たら、自分の声まで録音されてテレビに出てしまったら、どう思うか。
「元有名人」ならニュースにするのも仕方が無いと考えるなら、日本の社会が「個人」を尊重しない証拠のような気がする。
情報を「伝えた」という自己満足
今朝、久しぶりに朝テレビを見る時間があった。
桜田淳子さんが久しぶりに公の場に出たということで、各局がこぞって朝のワイドショーで報道していたが、この報道が面白かった。
「久しぶりに」と伝えるだけでは十分ではなく、「年齢」と同じように「数字」ではっきりさせる必要があると思っているらしい。
問題は、この数字である。
3つのワイドショーが「15年ぶり」「16年ぶりに・・・」「17年ぶりです」という3つの報道を聞いて笑うしかなかった。
適当にもほどがある。
今や、情報が正しいかどうかなど、ほとんど意味がない。
公の放送を使うのに必要なのは情報の正しさではなく「私はちゃんと伝えました」という自己満足だけ。
何のための「数字」なんだろうか。
誰のための情報(ニュース)なんだろうか。
そして、何が根拠で、これらの情報が「必要だ」と思うのだろうか。
桜田淳子さんが久しぶりに公の場に出たということで、各局がこぞって朝のワイドショーで報道していたが、この報道が面白かった。
「久しぶりに」と伝えるだけでは十分ではなく、「年齢」と同じように「数字」ではっきりさせる必要があると思っているらしい。
問題は、この数字である。
3つのワイドショーが「15年ぶり」「16年ぶりに・・・」「17年ぶりです」という3つの報道を聞いて笑うしかなかった。
適当にもほどがある。
今や、情報が正しいかどうかなど、ほとんど意味がない。
公の放送を使うのに必要なのは情報の正しさではなく「私はちゃんと伝えました」という自己満足だけ。
何のための「数字」なんだろうか。
誰のための情報(ニュース)なんだろうか。
そして、何が根拠で、これらの情報が「必要だ」と思うのだろうか。
IT時代のアフターサービス ソフトウエアの場合(1)
IT技術のおかげで、情報だけが移動し、物理的介入を不要としてきた。
音楽でも、小説でも、アプリケーションでも。
それは同時に「どんな環境で入手したのか」「どんな環境で、使ったのか。」なども、見当がつかないということだ。
昔は「プレスした分だけ」だけが「売った商品」であり、物理的な媒体が、利用できる環境を制限していた。
今は、これだけいろいろなOS環境で利用するならその問題の種類も、製造業の比じゃあない。
こうやって、売り上げることに血眼になった結果、誰も売った後の責任を取らず、消費者に能力に任せる。
そんなの無理だから、外注しよう。
企業はそんなアフターサービスのコールセンター会社に高い金額を払っているのだから。
「売った後」の責任を果たすために存在するコールセンター。
そんな部署の運用も、社内で賄える企業はほんの数社だ。
何故なら、ビジネスの増加量に人材調達のバックオフィス業務が追いつかないからだ。
売り上げがそれを凌駕しても、社内で働く1人の人間が処理できる業務量は限られている。
だから、投げ出した時の受け皿は外注だ。
オンラインのビジネス規模がリアル店舗のそれを追い越し始めている現在、コールセンターのビジネスは、これからもどんどん延びるだろう。このビジネス自体もすでに価格競争が始まっている。
求人広告の応募資格も変わってきた。大抵は、「コールセンター経験者を優遇します」だが「1年以上続けてコールセンターに勤めた人」という文面を見たこともある。
そこで利用される人材選別のためのITシステム化も進んでゆく。そして、量を捌くために、人材派遣業者も売り込みに走る。そして、ビジネスが拡大される。
欲望のままに、簡単に「物」を買う一人ひとりの行動の結果が、新しいビジネスの仕組みを支え、既存の仕組みが崩壊してゆく。でも、代わりにアフターサービスの経費が圧迫するようになった。
そりゃあ、販売自体がオンライン化すれば、余計な問題も増える。
売った「商品」の問題も含めてだ。
音楽でも、小説でも、アプリケーションでも。
それは同時に「どんな環境で入手したのか」「どんな環境で、使ったのか。」なども、見当がつかないということだ。
昔は「プレスした分だけ」だけが「売った商品」であり、物理的な媒体が、利用できる環境を制限していた。
今は、これだけいろいろなOS環境で利用するならその問題の種類も、製造業の比じゃあない。
こうやって、売り上げることに血眼になった結果、誰も売った後の責任を取らず、消費者に能力に任せる。
そんなの無理だから、外注しよう。
企業はそんなアフターサービスのコールセンター会社に高い金額を払っているのだから。
「売った後」の責任を果たすために存在するコールセンター。
そんな部署の運用も、社内で賄える企業はほんの数社だ。
何故なら、ビジネスの増加量に人材調達のバックオフィス業務が追いつかないからだ。
売り上げがそれを凌駕しても、社内で働く1人の人間が処理できる業務量は限られている。
だから、投げ出した時の受け皿は外注だ。
オンラインのビジネス規模がリアル店舗のそれを追い越し始めている現在、コールセンターのビジネスは、これからもどんどん延びるだろう。このビジネス自体もすでに価格競争が始まっている。
求人広告の応募資格も変わってきた。大抵は、「コールセンター経験者を優遇します」だが「1年以上続けてコールセンターに勤めた人」という文面を見たこともある。
そこで利用される人材選別のためのITシステム化も進んでゆく。そして、量を捌くために、人材派遣業者も売り込みに走る。そして、ビジネスが拡大される。
欲望のままに、簡単に「物」を買う一人ひとりの行動の結果が、新しいビジネスの仕組みを支え、既存の仕組みが崩壊してゆく。でも、代わりにアフターサービスの経費が圧迫するようになった。
そりゃあ、販売自体がオンライン化すれば、余計な問題も増える。
売った「商品」の問題も含めてだ。
IT時代のアフターサービス ネット通販の場合
消費者が「ワンクリック」で、商品が買えるなら、「返品」だって簡単だ。
だから、売り上げも増えるけど、余計なトランズアクションも増える。
某企業のテレビショッピングの返品率が6割以上と聞いてびっくりしたことがある。
(たしか、日本通販は最近潰れたけど、粉飾だったそう。しかも、ネット進出が遅れたせいともあったけど。)
だから、カスタマーサービスの請け負う作業量がここ何年かでどれだけ増えたか、想像するのは簡単だ。
だから、社内でなんて賄える業務量じゃあない。外注するに決まってる。
そして、コールセンター会社ができる。
そこに送り込む人材派遣会社が出来る。
必要は常に「ビジネスを生むもの」ということは歴史が証明している。
そして、こうやって「雇用」も生まれる。
大企業が「やりたくない」ことを「下請け」させることによって。
判っていても、今更ネットで物買うのは、止められない。
こうやって、簡単に欲しいものを手に入れる仕組みが出来た。
だから、物が安く、簡単に手に入る。
でも、欲望は「簡単に手に入る」ことから、余計に刺激される。
話題になっているから、みんなが持っているから。
気に入らなければ返品すればいい。「購入する」行為が大企業をより大きくさせている事実を大した考えもせずに。
でも、そのためには、金が要る。
だから、みんな金を稼ぐために必死になる。より、高い時給の仕事を求める。
そうだ、コールセンターでお仕事がある。
やっぱり、大企業は雇用を作るんだなあ。
だから、売り上げも増えるけど、余計なトランズアクションも増える。
某企業のテレビショッピングの返品率が6割以上と聞いてびっくりしたことがある。
(たしか、日本通販は最近潰れたけど、粉飾だったそう。しかも、ネット進出が遅れたせいともあったけど。)
だから、カスタマーサービスの請け負う作業量がここ何年かでどれだけ増えたか、想像するのは簡単だ。
だから、社内でなんて賄える業務量じゃあない。外注するに決まってる。
そして、コールセンター会社ができる。
そこに送り込む人材派遣会社が出来る。
必要は常に「ビジネスを生むもの」ということは歴史が証明している。
そして、こうやって「雇用」も生まれる。
大企業が「やりたくない」ことを「下請け」させることによって。
判っていても、今更ネットで物買うのは、止められない。
こうやって、簡単に欲しいものを手に入れる仕組みが出来た。
だから、物が安く、簡単に手に入る。
でも、欲望は「簡単に手に入る」ことから、余計に刺激される。
話題になっているから、みんなが持っているから。
気に入らなければ返品すればいい。「購入する」行為が大企業をより大きくさせている事実を大した考えもせずに。
でも、そのためには、金が要る。
だから、みんな金を稼ぐために必死になる。より、高い時給の仕事を求める。
そうだ、コールセンターでお仕事がある。
やっぱり、大企業は雇用を作るんだなあ。
IT時代のアフターサービス 01
仕事をすることは、その責任を果たすこと。時間を過ごすことではない。
もちろん、時間で計るべき仕事も沢山ある。
世の中の、半分以上の仕事はそうだと思う。
でも、ホワイトカラーの仕事の半分は「時間」で計れないものだろう。
たとえば、人員管理。
これは、そんなに簡単なことではない。
人事システムの開発をしていた時、それを強く感じた。
窓口や電話対応とか、プログラマーとか、沢山の均一したサービスを提供できる人材が必要な時、その人材調達はもちろん、その教育から退職まで含めると、その事務作業は膨大な量だ。
昨今、IT化でオンラインビジネスの躍進がすごい。
売り上げはシステムに依存しても、製品購入後に問題が起こった時、相談する窓口が必ず必要になる。
製造業でもそうだ。
オンラインのサービス業だって同じだが、ちょっと考えて欲しい。
製造業はで1年に作れる量が限られている。
そんな製品のカスタマーサービスなら、問い合わせの総量も限られている。
作った、そして売った製品の分しかユーザーは居ないのだから。
しかも、その製品の機能は限られているから、回答の種類もほとんどがパターン化できる。
でもITビジネスの場合はどうだろうか。
特にニーズが増加する場合、それに答えるため、販売業務プロセスを強化する。より、たくさん売る。当然だ。
でも、その後のアフターサービスプロセスはどうだろうか。
量の把握なんて、不可能だ。だって、「製造量」がないのだから。
しいていえば、取引処理ができる容量(マシンの性能としての)か。
それも、クラウドになれば、とんでもない量だ。
そこで、起こるトラブルの種類も複雑な商品(たとえば、ソフトウエア)であればあるほど、膨大になる。
大企業はどうするか?
もちろん、時間で計るべき仕事も沢山ある。
世の中の、半分以上の仕事はそうだと思う。
でも、ホワイトカラーの仕事の半分は「時間」で計れないものだろう。
たとえば、人員管理。
これは、そんなに簡単なことではない。
人事システムの開発をしていた時、それを強く感じた。
窓口や電話対応とか、プログラマーとか、沢山の均一したサービスを提供できる人材が必要な時、その人材調達はもちろん、その教育から退職まで含めると、その事務作業は膨大な量だ。
昨今、IT化でオンラインビジネスの躍進がすごい。
売り上げはシステムに依存しても、製品購入後に問題が起こった時、相談する窓口が必ず必要になる。
製造業でもそうだ。
オンラインのサービス業だって同じだが、ちょっと考えて欲しい。
製造業はで1年に作れる量が限られている。
そんな製品のカスタマーサービスなら、問い合わせの総量も限られている。
作った、そして売った製品の分しかユーザーは居ないのだから。
しかも、その製品の機能は限られているから、回答の種類もほとんどがパターン化できる。
でもITビジネスの場合はどうだろうか。
特にニーズが増加する場合、それに答えるため、販売業務プロセスを強化する。より、たくさん売る。当然だ。
でも、その後のアフターサービスプロセスはどうだろうか。
量の把握なんて、不可能だ。だって、「製造量」がないのだから。
しいていえば、取引処理ができる容量(マシンの性能としての)か。
それも、クラウドになれば、とんでもない量だ。
そこで、起こるトラブルの種類も複雑な商品(たとえば、ソフトウエア)であればあるほど、膨大になる。
大企業はどうするか?
2013年7月23日火曜日
「60歳でも働ける社会」を求める矛盾 03
そういう「仕組み」の中で「仕組み」を作り、「仕組み」を支えた人達が退職したら、誰かに「面倒みてもらう」のを求めるのは当然。
だから、天下り先のために、財団法人が沢山できたし、大企業は、子会社を作ったりしてその「仕組み」を作ってきた。
利益も分配できるし、経費もたくさん使って、税金を減らすこともできる。
その「仕組み」にぶら下がって、XX経済会に入っている「仲間」は助け合った。。そうやって、日本は発展してきた。
だから今、仲間の「大企業」が、彼らを満足させるだけの子会社が作れなくなると、困るのは政府だ。
若者の収める税金はたかが知れている。
だって、50代、60代が「仕組み」を変えないから、ITがあっても、仕事は時間ばかりかかる。にも関わらず、安い給与しか貰えない。
お金を持った「退職後サラリーマン」は自動的に税金を吸い取ることができる素晴らしい対象だ。
起業なんてしてもらうと困る。(そんな気合もないと思うけど。)
だから、きっとお国は何かの「仕組み」を作るだろうなあ。
でも、それって、誰が払うことになるんだろうか。また、国の借金かな?
だから、天下り先のために、財団法人が沢山できたし、大企業は、子会社を作ったりしてその「仕組み」を作ってきた。
利益も分配できるし、経費もたくさん使って、税金を減らすこともできる。
その「仕組み」にぶら下がって、XX経済会に入っている「仲間」は助け合った。。そうやって、日本は発展してきた。
だから今、仲間の「大企業」が、彼らを満足させるだけの子会社が作れなくなると、困るのは政府だ。
若者の収める税金はたかが知れている。
だって、50代、60代が「仕組み」を変えないから、ITがあっても、仕事は時間ばかりかかる。にも関わらず、安い給与しか貰えない。
お金を持った「退職後サラリーマン」は自動的に税金を吸い取ることができる素晴らしい対象だ。
起業なんてしてもらうと困る。(そんな気合もないと思うけど。)
だから、きっとお国は何かの「仕組み」を作るだろうなあ。
でも、それって、誰が払うことになるんだろうか。また、国の借金かな?
「60歳でも働ける社会」を求める矛盾 02
これは、一人ひとりが職場いる時、自分の仕事に「責任感」を、「プロ意識」を持って仕事をしようとしなかった歴史が作った問題だ。
誰かに、何かに責任を任せること、依存することは楽チンだ。
1人でやるというのは、リスクも大きいし、何よりものすごく大変。
だから、人間は、仲間を作って助け合う。
仕事をするということは、信頼関係を作ることでもあるはずだった。
労働問題の本質は、働く人が「金のために仕事をする」結果、責任を追求しない企業意識だ。
何故なら「変わりたくない」から。
悪いことをやった人が悪い。管理者は「知らなかった」のだから今度からちゃんとやればいい。
だから、「仕組みは悪くない」と考える。
正社員だろうが、そうでなかろうが、この労働思想は同じだ。
切羽詰まるまで、変えようとしない。
自分の仕事は、何のためにやっているのか。
具体的には「ここでやる業務の意味は何なのか」をきちんと考え、変化を恐れず取り組むこと。管理者の立場はそういう責任があったはずだ。
でも「既得権死守」の企業社会では、変化は「悪」なのだ。だから既存の仕組みを壊そうとする人、問題視する人は吊るし上げて叩き出す。
事実が明確になる前に。
何をしても大丈夫。世の中がすべて「肩書き信奉」だから、「部長」という肩書きが守ってくれる。そうして、「変わらない」企業文化が確立した。
誰かに、何かに責任を任せること、依存することは楽チンだ。
1人でやるというのは、リスクも大きいし、何よりものすごく大変。
だから、人間は、仲間を作って助け合う。
仕事をするということは、信頼関係を作ることでもあるはずだった。
労働問題の本質は、働く人が「金のために仕事をする」結果、責任を追求しない企業意識だ。
何故なら「変わりたくない」から。
悪いことをやった人が悪い。管理者は「知らなかった」のだから今度からちゃんとやればいい。
だから、「仕組みは悪くない」と考える。
正社員だろうが、そうでなかろうが、この労働思想は同じだ。
切羽詰まるまで、変えようとしない。
自分の仕事は、何のためにやっているのか。
具体的には「ここでやる業務の意味は何なのか」をきちんと考え、変化を恐れず取り組むこと。管理者の立場はそういう責任があったはずだ。
でも「既得権死守」の企業社会では、変化は「悪」なのだ。だから既存の仕組みを壊そうとする人、問題視する人は吊るし上げて叩き出す。
事実が明確になる前に。
何をしても大丈夫。世の中がすべて「肩書き信奉」だから、「部長」という肩書きが守ってくれる。そうして、「変わらない」企業文化が確立した。
それを今更、企業を退職するから、「仕組み」を変えて、「60歳でも働ける社会を!」と言っても説得力が無いのですけどねえ。
「60歳でも働ける社会」を求める矛盾 01
求人情報をサーフしていると、いろんな記事を目にする。
「働けない=死ぬしかない」時代の定年延長
http://allabout.co.jp/newsdig/w/40725
この記事は、退職後職を求める人が働ける社会をができるように「真剣に考える必要がある」という問題提議をしている。
その通りとも思うけど、説明はとても矛盾している。
だって「今の仕事の仕組みを変えたくない」「既得権死守」の人たちが雇用の責任を派遣に「丸投げ」してできた今の労働環境だ。
その人達が企業に居たとき、自分達のやり方を変えず、正社員であることの既得権を守ることを主張した。
派遣社員を「若くて使いやすい人」として雇った。
年齢でフィルターを掛ける「仕組み」を確立して、できるだけ効率よく若い応募者が抽出できるように。
この価値観や仕組みは残っているだけではなく、より巧妙になってきている。
「既得権死守」の思想の人たちは、退職してもやっぱり変わらない。
「誰かから給与か年金貰わなきゃ死んじゃう」っていう。
当然だ。
自分で責任を取って仕事をしてこなかったのだから。
だから、「自分達のために」企業が、政府が、「がんばるべき」ということになる。
誰かに依存する。誰かのせいにする。「自分はこのプロだ」と言える自信もなく、企業の名前と肩書きが「自分」だと思って、40年以上たってしまった人たち。
それが、無くなったら今度はお金が必要だから「仕事をくれ」だ。
「働けない=死ぬしかない」時代の定年延長
http://allabout.co.jp/newsdig/w/40725
この記事は、退職後職を求める人が働ける社会をができるように「真剣に考える必要がある」という問題提議をしている。
その通りとも思うけど、説明はとても矛盾している。
だって「今の仕事の仕組みを変えたくない」「既得権死守」の人たちが雇用の責任を派遣に「丸投げ」してできた今の労働環境だ。
その人達が企業に居たとき、自分達のやり方を変えず、正社員であることの既得権を守ることを主張した。
派遣社員を「若くて使いやすい人」として雇った。
年齢でフィルターを掛ける「仕組み」を確立して、できるだけ効率よく若い応募者が抽出できるように。
この価値観や仕組みは残っているだけではなく、より巧妙になってきている。
「既得権死守」の思想の人たちは、退職してもやっぱり変わらない。
「誰かから給与か年金貰わなきゃ死んじゃう」っていう。
当然だ。
自分で責任を取って仕事をしてこなかったのだから。
だから、「自分達のために」企業が、政府が、「がんばるべき」ということになる。
誰かに依存する。誰かのせいにする。「自分はこのプロだ」と言える自信もなく、企業の名前と肩書きが「自分」だと思って、40年以上たってしまった人たち。
それが、無くなったら今度はお金が必要だから「仕事をくれ」だ。
大企業を「信じて」消費行動をするという意味
ある特定の店から商品を購入する。
大手の通販でも、スーパーでもいい。
地方の直営店でもいい。それは、その店を支えることになる。
その店が商品を調達する仕組みを支えていることになる。
その店が「この商品だ」と判断する能力を信じていることになる。
つまり、その店が購入する商品を作っている人たちを支えているということだ。
どういう理由で購入しても「購入する」という行為はそういうことだ。
だから、大企業のスーパーで商品を「信じて」購入するのはサラリーマンとして利にかなっている。
何故なら、彼らが大量の商品を安く調達するためには、大量の商品を安くつくる工場が必要なのだから。
それを移動させる労働者も必要だ。
大企業で商品を購入するということは、自営する必要もなく、サラリーマンになるための職場をたくさん作るということだ。
今や、労働者の8割がサラリーマンである以上、「大企業」に買いにゆくのは、当然の行動だ。
商店街で購入するわけがない。
それに、商店街じゃあ大規模スーパーと違って職場も提供してくれない。
大手のスーパーで買えば、そこでパートが募集されるかもしれないけど。
だから「商店街を守ろう」なんてことがいか無意味か判るだろう。
商店街から「購入しない」という商品行動は、「卸問屋を儲けさせる仕組み」を否定したのだ。それが、今の消費者だ。
だから、個人商店の衰退は、当然だし、起業がどれほどたいへんか、理解できるだろう。
そもそも「肩書き信奉者」に向けて商売するんだから。
大手の通販でも、スーパーでもいい。
地方の直営店でもいい。それは、その店を支えることになる。
その店が商品を調達する仕組みを支えていることになる。
その店が「この商品だ」と判断する能力を信じていることになる。
つまり、その店が購入する商品を作っている人たちを支えているということだ。
どういう理由で購入しても「購入する」という行為はそういうことだ。
だから、大企業のスーパーで商品を「信じて」購入するのはサラリーマンとして利にかなっている。
何故なら、彼らが大量の商品を安く調達するためには、大量の商品を安くつくる工場が必要なのだから。
それを移動させる労働者も必要だ。
大企業で商品を購入するということは、自営する必要もなく、サラリーマンになるための職場をたくさん作るということだ。
今や、労働者の8割がサラリーマンである以上、「大企業」に買いにゆくのは、当然の行動だ。
商店街で購入するわけがない。
それに、商店街じゃあ大規模スーパーと違って職場も提供してくれない。
大手のスーパーで買えば、そこでパートが募集されるかもしれないけど。
だから「商店街を守ろう」なんてことがいか無意味か判るだろう。
商店街から「購入しない」という商品行動は、「卸問屋を儲けさせる仕組み」を否定したのだ。それが、今の消費者だ。
だから、個人商店の衰退は、当然だし、起業がどれほどたいへんか、理解できるだろう。
そもそも「肩書き信奉者」に向けて商売するんだから。
価値基準は自分が決める・・・のはこの国では理解されない
でも、本当に価値観を決めるのは「感動」とか「信頼」ではないだろうか。
アートも仕事も自身の「感動」は判断基準にならないのだろうか。
それとも、人はもう金額以外で「感動」しなくなったのだろうか。
値段はたしかに重要だ。
お金を出せば買える、お金をもらえれば働く、という考え方は判り易い。
でも、それらが「値段に見合わないもの」だった時、その人はその現実にどう反応するのか。
簡単だ。
大抵が「騙された」と思う。
「信じたのに、資格があるのに、ラベルがついているのに、国が承認しているのに。」
まあ、権威があればあるほど、それを認めた組織に腹を立てる。
でも、考えてみてほしい。
「権威」の判断を求め、自分で判断するより楽チンな仕組みを求めたのは、誰だったかを。
企業は政府という仲間といっしょに「仕組み」を作り「消費者が欲しいもの」を提供しただけだ。
だって、欲しがる人を満足させることは、「もっと売れる」ことであり、自分達が儲かるということであり、より、大企業の安定を保証する「仕組み」なんだから。
そして、消費者は自分で判断を止めたことでこの「仕組み」を支えている。
これが事実だ。
アートも仕事も自身の「感動」は判断基準にならないのだろうか。
それとも、人はもう金額以外で「感動」しなくなったのだろうか。
値段はたしかに重要だ。
お金を出せば買える、お金をもらえれば働く、という考え方は判り易い。
でも、それらが「値段に見合わないもの」だった時、その人はその現実にどう反応するのか。
簡単だ。
大抵が「騙された」と思う。
「信じたのに、資格があるのに、ラベルがついているのに、国が承認しているのに。」
まあ、権威があればあるほど、それを認めた組織に腹を立てる。
でも、考えてみてほしい。
「権威」の判断を求め、自分で判断するより楽チンな仕組みを求めたのは、誰だったかを。
企業は政府という仲間といっしょに「仕組み」を作り「消費者が欲しいもの」を提供しただけだ。
だって、欲しがる人を満足させることは、「もっと売れる」ことであり、自分達が儲かるということであり、より、大企業の安定を保証する「仕組み」なんだから。
そして、消費者は自分で判断を止めたことでこの「仕組み」を支えている。
これが事実だ。
自分で判断しない世界に住むということ
定価主義は表示を信じるのも同じ発想だ。
誰かが、値段を決めてくれる。自分で交渉する必要がない。
高いか安いかでしかその「物」の価値を判断しない。
食品表示も「偽装」と言って大騒ぎするけど、実際日本の食品、8割以上が輸入品だ。東京の、しかも大規模に輸入しているスーパーの半分以上の商品が日本製で占められるわけがない。
政府だって、そんなことはわかっている。
だから、輸入して、何日か日本の水に慣らしてから出荷すれば「日本産」になるようなルールも作る。
仕組みがおかしいとかじゃなくて、「誰かの判断」を求める消費者がいるから、そういう仕組みが必要になる。
大企業と政府は仲間だし、立法という武器を使って、仲間を助けるのは当然だ。
消費者が欲しいのは「安全で安心な食べ物」だ。
だから、それを提供する仕組みを作った。
何が安全なのか、判断基準を持たない人々には、「お墨付き」や「肩書き」が重要だ。
何かあったときには、責任を押し付けることができるから。
事実は、シンプルだ。
日本の食生活は、輸入に頼っている。
だって、誰も農家をやりたがらないから。漁業も林業も同じだ。
価値観がお金でしか判断しないから、給与が少なく、責任が重い仕事はしない。大変だから。当然の話だ。
でも、消費者が欲しいというものを与えると、買ってくれる。
「(一応)日本製」という「化粧」がつけること。
みんなお金を出せば買うことができると思っているから、特に問題はない。
それを「可能にする」のが政府なら、そりゃあ、大企業と仲良しになるはずだ。
だって、彼らだけが国民の求める値段で提供できるんだから。
誰かが、値段を決めてくれる。自分で交渉する必要がない。
高いか安いかでしかその「物」の価値を判断しない。
食品表示も「偽装」と言って大騒ぎするけど、実際日本の食品、8割以上が輸入品だ。東京の、しかも大規模に輸入しているスーパーの半分以上の商品が日本製で占められるわけがない。
政府だって、そんなことはわかっている。
だから、輸入して、何日か日本の水に慣らしてから出荷すれば「日本産」になるようなルールも作る。
仕組みがおかしいとかじゃなくて、「誰かの判断」を求める消費者がいるから、そういう仕組みが必要になる。
大企業と政府は仲間だし、立法という武器を使って、仲間を助けるのは当然だ。
消費者が欲しいのは「安全で安心な食べ物」だ。
だから、それを提供する仕組みを作った。
何が安全なのか、判断基準を持たない人々には、「お墨付き」や「肩書き」が重要だ。
何かあったときには、責任を押し付けることができるから。
事実は、シンプルだ。
日本の食生活は、輸入に頼っている。
だって、誰も農家をやりたがらないから。漁業も林業も同じだ。
価値観がお金でしか判断しないから、給与が少なく、責任が重い仕事はしない。大変だから。当然の話だ。
でも、消費者が欲しいというものを与えると、買ってくれる。
「(一応)日本製」という「化粧」がつけること。
みんなお金を出せば買うことができると思っているから、特に問題はない。
それを「可能にする」のが政府なら、そりゃあ、大企業と仲良しになるはずだ。
だって、彼らだけが国民の求める値段で提供できるんだから。
「誰か」が決めた価値を信じる根拠はどこにあるのか
今ある仕組みが「悪い」なんて思わない。
価値観が判り易いもの、変わらないものを重要視し、自分で判断しないで、誰かに、何かに「判断基準を委ねる社会」は楽チンだ。
特に金額は、この判断を楽にする。
いくらの車、家、時給、給料。だから、判りやすさを求めるテレビ番組を見ていると、必ず金額が伝えられる。
教授やXX委員のような権威者が出てきて、情報の価値を高める。
こういう価値観が一般的になった理由は、「肩書き信奉」が理由であることは間違いない。
その価値だって、金額でランキングする。職人やアートの世界だって、有名になるのは作品が高額だからだ。
ある番組で、有名人の家の中を紹介していたが、ものすごいインテリアだった。「豪華さ」だけが強調されて、スタイルの統一も調和もなく悪趣味としか見えなかった。(ライター、一応、美大出身:これも、肩書き病の一種か?)
確かに好みは意見が異なるが、金額は万人に共通する。
だから、金額を表示することでそれらが「すごいもの」であることを証明し、そんなものを「買う人」はすごい人だから、ニュースになるということになるのだろう。
東京オリンピックのPRの場で猪瀬知事は「私達は、すでに予算がこんなにある」と具体的な金額を言った後、「キャッシュで銀行にあるんだ」と付け加えた。
この彼の言っているニュース映像を見たとき、あまりのえげつなさに絶句した。
しかし、これが今の日本人のレベルだ。
金額でしか価値を計れない。
まあ、この思想は日本だけじゃあないけれど。
価値観が判り易いもの、変わらないものを重要視し、自分で判断しないで、誰かに、何かに「判断基準を委ねる社会」は楽チンだ。
特に金額は、この判断を楽にする。
いくらの車、家、時給、給料。だから、判りやすさを求めるテレビ番組を見ていると、必ず金額が伝えられる。
教授やXX委員のような権威者が出てきて、情報の価値を高める。
こういう価値観が一般的になった理由は、「肩書き信奉」が理由であることは間違いない。
その価値だって、金額でランキングする。職人やアートの世界だって、有名になるのは作品が高額だからだ。
ある番組で、有名人の家の中を紹介していたが、ものすごいインテリアだった。「豪華さ」だけが強調されて、スタイルの統一も調和もなく悪趣味としか見えなかった。(ライター、一応、美大出身:これも、肩書き病の一種か?)
確かに好みは意見が異なるが、金額は万人に共通する。
だから、金額を表示することでそれらが「すごいもの」であることを証明し、そんなものを「買う人」はすごい人だから、ニュースになるということになるのだろう。
東京オリンピックのPRの場で猪瀬知事は「私達は、すでに予算がこんなにある」と具体的な金額を言った後、「キャッシュで銀行にあるんだ」と付け加えた。
この彼の言っているニュース映像を見たとき、あまりのえげつなさに絶句した。
しかし、これが今の日本人のレベルだ。
金額でしか価値を計れない。
まあ、この思想は日本だけじゃあないけれど。
ホワイトカラーの職務定義が無い理由は、誰も求めていないから
部長、課長の肩書きが重要な世界では、職務定義なんて不要だ。
特に年功序列でこの「肩書き」で給与が決まる世界ならば、どんなにワークシェアリングを叫んでも意味のない。
そもそも、業務範囲があいまいなんだから、職務や責務の範囲がはっきりするわけない。派遣社員が「技術」が売れないほど、業務があいまいなら、物理的にその場所を離れるわけが無い。
だから、3年も休職したら、会社に居場所が無くなるのは誰だって判ることだ。
その「場所」にいることが「仕事」だのだから。
「いいや、今は、評価の基準が変わって実力評価だ」と言う人もいるだろう。
でも、日本の「仕組み」に変化がないのに、評価の「価値観」が本当に変わるのか?
たとえば、管理職に必要な責任感や統率力。「持っている」と評価されたから、その役職なのか、肩書きがあるから「持っている」と思われるのか。
そもそも、評価できるほど、その能力を持っていると「誰が」判断したのか?
機嫌をとっている上司?
既得権を死守する社会を作ったのは「肩書信者」であり、企業内の価値も肩書きなのに、評価の仕組みは「公平な能力の基準に基づく」と信じている人がいるわけがない。
ましてや、責任範囲もあいまいなタイトルなのに、能力は何を「評価」するのか。
大体、部下はリーダーの背中を見て、子供は親の背中を見て価値観を学ぶ。
1960年代、出世競争に勝つために、上司の引越しを手伝う親を見て育った子供達が部長になった時、その価値観が「時代が違うんだから、息子は違う」と考えることができるのなら、それはそれで素晴らしいことでだ。
どうして、そう信じられるのかは理解できないけど。
特に年功序列でこの「肩書き」で給与が決まる世界ならば、どんなにワークシェアリングを叫んでも意味のない。
そもそも、業務範囲があいまいなんだから、職務や責務の範囲がはっきりするわけない。派遣社員が「技術」が売れないほど、業務があいまいなら、物理的にその場所を離れるわけが無い。
だから、3年も休職したら、会社に居場所が無くなるのは誰だって判ることだ。
その「場所」にいることが「仕事」だのだから。
「いいや、今は、評価の基準が変わって実力評価だ」と言う人もいるだろう。
でも、日本の「仕組み」に変化がないのに、評価の「価値観」が本当に変わるのか?
たとえば、管理職に必要な責任感や統率力。「持っている」と評価されたから、その役職なのか、肩書きがあるから「持っている」と思われるのか。
そもそも、評価できるほど、その能力を持っていると「誰が」判断したのか?
機嫌をとっている上司?
既得権を死守する社会を作ったのは「肩書信者」であり、企業内の価値も肩書きなのに、評価の仕組みは「公平な能力の基準に基づく」と信じている人がいるわけがない。
ましてや、責任範囲もあいまいなタイトルなのに、能力は何を「評価」するのか。
大体、部下はリーダーの背中を見て、子供は親の背中を見て価値観を学ぶ。
1960年代、出世競争に勝つために、上司の引越しを手伝う親を見て育った子供達が部長になった時、その価値観が「時代が違うんだから、息子は違う」と考えることができるのなら、それはそれで素晴らしいことでだ。
どうして、そう信じられるのかは理解できないけど。
「仕組み」が計画した人数を超える時、どうなるんだろう
ISOの取得が義務付けられる前には、ほとんど無かった「経験者が活躍できる職場」として、業界がお金を出し合って作ったこれらのISOの会社。
そして、そこで働く審査員に資格を与えるための資格協会は、財団法人だったりする。
これらに、社員を出向させることで、年配の余剰人員を活用する。
企業はそこにISOの審査を発注する。
企業は、余った正社員を辞めさせる必要もない。
しかも、転籍させれば、自分の会社の利益を圧迫しない
しかも、彼らを活用し、取得したISOは経費として計上できる。
審査員資格もISOも、どちらも維持費がかかる仕組みだ。
つまり、半永久的に、仕事が存在する。
政府の入札案件は、公共事業だけではなく、備品購買などもある。
それだって、納入者の入札に、ISO保持を必須にすれば、仕組みに貢献できる。
したがって、政府が、企業にISOの取得を入札の「必須条件」とするだけで、大量の50代、60代の職場が出来る仕組みが出来上がった。
政府も、企業も、「雇用」という既得権を守るために、年配の正社員を送り込む場所を確保した。
XX経済団体は政府と仲間だから、これらの仕組みを税金でつくれば、雇用も守れるし、企業も(政府の)特定部門も予算が確保できる。
でも、最近は、年配の正社員が多すぎて、これでも足りないようだ。また、何か規制して、資格商法ができるのか、楽しみでもある。
そして、そこで働く審査員に資格を与えるための資格協会は、財団法人だったりする。
これらに、社員を出向させることで、年配の余剰人員を活用する。
企業はそこにISOの審査を発注する。
企業は、余った正社員を辞めさせる必要もない。
しかも、転籍させれば、自分の会社の利益を圧迫しない
しかも、彼らを活用し、取得したISOは経費として計上できる。
審査員資格もISOも、どちらも維持費がかかる仕組みだ。
つまり、半永久的に、仕事が存在する。
政府の入札案件は、公共事業だけではなく、備品購買などもある。
それだって、納入者の入札に、ISO保持を必須にすれば、仕組みに貢献できる。
したがって、政府が、企業にISOの取得を入札の「必須条件」とするだけで、大量の50代、60代の職場が出来る仕組みが出来上がった。
政府も、企業も、「雇用」という既得権を守るために、年配の正社員を送り込む場所を確保した。
XX経済団体は政府と仲間だから、これらの仕組みを税金でつくれば、雇用も守れるし、企業も(政府の)特定部門も予算が確保できる。
でも、最近は、年配の正社員が多すぎて、これでも足りないようだ。また、何か規制して、資格商法ができるのか、楽しみでもある。
60歳ではなく、65歳でサラリーマンは求められる?
テレビのニュースで必ず年齢が表示されるように、日本人にとって年齢とは、男性か女性かという区別と同じくらい情報判断に必要な要素らしい。
他国では考えられない。
ある日、テレビ番組をみていたら、犬の年齢まで表示していた。
2歳。
いったい、この数字にどんな意味があるのか。
このような年齢を評価基準とした社会的価値観は労働市場にて明快に現れる。万年課長をした大企業正社員が退職後、後ろ盾もなく仕事を探しても見つかりっこない。
だから、大会社は子会社をたくさん持っている。
政府もまた、とっくにこれを知っているから、社団法人を大量に作って、彼らの行く場所を作る。
政府特定部門では、購入している取引先の子会社に人材を送り込むことで取引契約が成り立つこともある。
じゃあ、XX経済団体はどうか。
かれらは、審査商法を活用する。
かつて、建築業界で品質、環境ISOを取得することがはやった。
一種の資格商法だ。
たとえば、「環境ISOを持たないと、市町村の公募案件に入札できない」というような形で保持を強制した。
だから、業界団体は、ISOを取らせるための審査会社を作る。
建築業界がお金を出し合って作った、そんな会社で働いたことがある。
そして、そこに役員になれなかった50~60代の男性を送り込む。
経験はあるから、審査員には簡単になれる。
この資格を取得するも、保有するのもまた、結構な金額がかかる。
この資格を与えるのも「財団法人」だ。
ここにいるのは、かつて建築申請でお世話になった、のか申請通すために「お世話した」のかわからないが、やはり業界の天下りの人達だ。
企業がお金を出し合って、ISO会社を作る。
そこに、役人まで成れなかった正社員が出向、転籍して働く。
そこで、企業はISOを取得する。
これで、入札資格を得て、国や地方の予算を確保する。
大きな組織は、余剰人材も「仲間」だから、きちんと仕組みを作ってあげている。
他国では考えられない。
ある日、テレビ番組をみていたら、犬の年齢まで表示していた。
2歳。
いったい、この数字にどんな意味があるのか。
このような年齢を評価基準とした社会的価値観は労働市場にて明快に現れる。万年課長をした大企業正社員が退職後、後ろ盾もなく仕事を探しても見つかりっこない。
だから、大会社は子会社をたくさん持っている。
政府もまた、とっくにこれを知っているから、社団法人を大量に作って、彼らの行く場所を作る。
政府特定部門では、購入している取引先の子会社に人材を送り込むことで取引契約が成り立つこともある。
じゃあ、XX経済団体はどうか。
かれらは、審査商法を活用する。
かつて、建築業界で品質、環境ISOを取得することがはやった。
一種の資格商法だ。
たとえば、「環境ISOを持たないと、市町村の公募案件に入札できない」というような形で保持を強制した。
だから、業界団体は、ISOを取らせるための審査会社を作る。
建築業界がお金を出し合って作った、そんな会社で働いたことがある。
そして、そこに役員になれなかった50~60代の男性を送り込む。
経験はあるから、審査員には簡単になれる。
この資格を取得するも、保有するのもまた、結構な金額がかかる。
この資格を与えるのも「財団法人」だ。
ここにいるのは、かつて建築申請でお世話になった、のか申請通すために「お世話した」のかわからないが、やはり業界の天下りの人達だ。
企業がお金を出し合って、ISO会社を作る。
そこに、役人まで成れなかった正社員が出向、転籍して働く。
そこで、企業はISOを取得する。
これで、入札資格を得て、国や地方の予算を確保する。
大きな組織は、余剰人材も「仲間」だから、きちんと仕組みを作ってあげている。
無駄がお金を生む「仕組み」 02
そんな、営業電話でも、暇な老人は聞いてくれることもある。
そして、買ってくれる。母もそうだった。
その売り上げは、半端ないのだろう。
彼らは金も持っているし。5分程度で5000円位の「健康食品」が売れたら、そりゃあ、止められないだろう。
だから、テレフォンアポイントの仕事が増える。
若い子を安く使って。
そのために、より安く雇えるように、派遣会社を競争させる。
そうやって、雇用に貢献する。
求人率は上がるだろう。
そして、彼らは1年ほどで辞めて行く。
老人たちは、自分たちの「買い物」がこんな仕組みの「元」になっているとは思ってみたこともないだろうなあ。
そして、買ってくれる。母もそうだった。
その売り上げは、半端ないのだろう。
彼らは金も持っているし。5分程度で5000円位の「健康食品」が売れたら、そりゃあ、止められないだろう。
だから、テレフォンアポイントの仕事が増える。
若い子を安く使って。
そのために、より安く雇えるように、派遣会社を競争させる。
そうやって、雇用に貢献する。
求人率は上がるだろう。
そして、彼らは1年ほどで辞めて行く。
老人たちは、自分たちの「買い物」がこんな仕組みの「元」になっているとは思ってみたこともないだろうなあ。
無駄がお金を生む「仕組み」 01
10年以上前、電話セールスでも同じことが起こった。
こういうことだ。
アメリカでの話しだが、10年以上前、夕食時にセールスの電話がかかってくることがあった。出ると、コンピュータが話す。
セールスの電話だ。友人は、常に留守電にするほど、大量にかかって来た。
訴えられたりして、悪評が立つと、今度はリストに沿って人間がかけるようになった。
日本では、今でもやっている。
実在する「誰か」が営業ターゲットとなることでは、スパムメールと本質は変わらない。
母はそれで何度か商品を購入した。
おかげで「特級」の鴨リストに載っているから、多種多様の電話がかかってくる。
最近は、いろいろ言い訳をさせているので、大分少なくなったけど、一つ断っても、新しい会社がまた、電話を掛けてくる。
昨今、ブームの押し付け詐欺も電話がかかってきたそうだ。
そこまで、ぼけてないから、「そんなもん、頼んでない」と言って、何とか撃退したらしいが。
いったん、リストに載れば実在するまで、それは永遠だ。
今度、電話かかってきたら「ああ、その人、亡くなりました」と答えるように教えておこう。鴨ターゲットは老人が多いし、不自然な答えじゃあないでしょ。
こういうことだ。
アメリカでの話しだが、10年以上前、夕食時にセールスの電話がかかってくることがあった。出ると、コンピュータが話す。
セールスの電話だ。友人は、常に留守電にするほど、大量にかかって来た。
訴えられたりして、悪評が立つと、今度はリストに沿って人間がかけるようになった。
日本では、今でもやっている。
実在する「誰か」が営業ターゲットとなることでは、スパムメールと本質は変わらない。
母はそれで何度か商品を購入した。
おかげで「特級」の鴨リストに載っているから、多種多様の電話がかかってくる。
最近は、いろいろ言い訳をさせているので、大分少なくなったけど、一つ断っても、新しい会社がまた、電話を掛けてくる。
昨今、ブームの押し付け詐欺も電話がかかってきたそうだ。
そこまで、ぼけてないから、「そんなもん、頼んでない」と言って、何とか撃退したらしいが。
いったん、リストに載れば実在するまで、それは永遠だ。
今度、電話かかってきたら「ああ、その人、亡くなりました」と答えるように教えておこう。鴨ターゲットは老人が多いし、不自然な答えじゃあないでしょ。
「スカウトメール」は、人材会社への登録を進めるメール
オンラインの人材紹介会社に登録しているのだが、そこから「スカウトメール」が届いた。どこの会社かと思うと、すでに登録している別の人材会社からだった。
クロス検索(自社のDBでヒットしない人だけを検索するような方法)はしていないので、スカウトメール送信の対象になったのだろう。
派遣業界における無駄な作業もすごいけど、人材紹介業界も負けてはいない。
人材紹介会社の中で、別の人材会社に登録するのを薦めることができる仕組みを活用するって、蛇が尻尾を食べるのと、あまり変わりないような気がするんだけど。
そういえば、その会社に登録した時は、別の人材紹介会社から登録を促すメールが飛んできたような気がする。
登録を薦める背景は、派遣業界と同じだ。
自分のデータベースに取り込む労働者は多い方がいい。
だから、登録を促す。応募者の時間を使って。
だから、人材紹介会社もまた、派遣業者と同じように「まずは登録を」ということになる。
メールという媒体から、個人に当てられたものとして捕らえがちだが、その送信の仕組みはスパムの仕組みとあまり変わらない。
メール内容は万人向けで、目的は一つ。
登録者を増やして自分の会社のデータベースを充実させるためだ。
もちろん、企業側のかかる人件費は0だ。何故なら、すべてITシステムで自動化しているから。
クロス検索(自社のDBでヒットしない人だけを検索するような方法)はしていないので、スカウトメール送信の対象になったのだろう。
派遣業界における無駄な作業もすごいけど、人材紹介業界も負けてはいない。
人材紹介会社の中で、別の人材会社に登録するのを薦めることができる仕組みを活用するって、蛇が尻尾を食べるのと、あまり変わりないような気がするんだけど。
そういえば、その会社に登録した時は、別の人材紹介会社から登録を促すメールが飛んできたような気がする。
登録を薦める背景は、派遣業界と同じだ。
自分のデータベースに取り込む労働者は多い方がいい。
だから、登録を促す。応募者の時間を使って。
だから、人材紹介会社もまた、派遣業者と同じように「まずは登録を」ということになる。
メールという媒体から、個人に当てられたものとして捕らえがちだが、その送信の仕組みはスパムの仕組みとあまり変わらない。
メール内容は万人向けで、目的は一つ。
登録者を増やして自分の会社のデータベースを充実させるためだ。
もちろん、企業側のかかる人件費は0だ。何故なら、すべてITシステムで自動化しているから。
「テレマーケット」ではなく「コンサルティング」って呼ぶのはどうよ
今日も求人情報を見ているが、だんだん面白くなってきた。
この中堅都市では、なぜかテレマーケティングの仕事が大量にあり、常に募集している。
テレマーケティングの派遣専門会社まであるようで、本当にコールセンターがものすごく多い。
まあ、それはいいとして、その過酷で安価な上、ほとんどキャリアに繋がらない仕事から、大量の人材が短期間で辞めるのはもちろんだが、求人してもだんだん集まらなくなってきたようだ。
そこで、今度は「テレマーケット」といわず「コンサルタント」と呼ぶ会社も出てきた。たしかに20代の子なら騙せるかもしれない。
「コールセンターからキャリアをスタートするライフコンサルティング業務」という「仕事内容」は結局、電話での保険営業だ。
「電話営業」と「コンサルティング」では、想像する業務イメージは完全に異なっていると思うのは、私だけだろうか。
日本語を「自分の解釈」で使う人は沢山いたし、そうやって言葉は変化してゆく。それ自体は自然なことだろう。
ただ、どんな言葉を使っても、物事の本質は変わらない。
「バラは他の名前でも美しい」という言葉を読んて「その通りだ」と漠然と思ったことがある。
求人募集を魅力的に語って、若い子達を集める大人が要る限り、仕事に対してプロ意識を持つような職場は少なくなる。
この中堅都市では、なぜかテレマーケティングの仕事が大量にあり、常に募集している。
テレマーケティングの派遣専門会社まであるようで、本当にコールセンターがものすごく多い。
まあ、それはいいとして、その過酷で安価な上、ほとんどキャリアに繋がらない仕事から、大量の人材が短期間で辞めるのはもちろんだが、求人してもだんだん集まらなくなってきたようだ。
そこで、今度は「テレマーケット」といわず「コンサルタント」と呼ぶ会社も出てきた。たしかに20代の子なら騙せるかもしれない。
「コールセンターからキャリアをスタートするライフコンサルティング業務」という「仕事内容」は結局、電話での保険営業だ。
「電話営業」と「コンサルティング」では、想像する業務イメージは完全に異なっていると思うのは、私だけだろうか。
日本語を「自分の解釈」で使う人は沢山いたし、そうやって言葉は変化してゆく。それ自体は自然なことだろう。
ただ、どんな言葉を使っても、物事の本質は変わらない。
「バラは他の名前でも美しい」という言葉を読んて「その通りだ」と漠然と思ったことがある。
求人募集を魅力的に語って、若い子達を集める大人が要る限り、仕事に対してプロ意識を持つような職場は少なくなる。
「既得権を放棄しない社会」の先にあるもの
企業団体と政府は仲間だから、仲間が困っていることは何とか「立法」という武器で助けようとする。
それが「期間限定正社員」ということなら「これからの労働者は既得権を諦めなさい」って言っていることにならないだろうか。
企業労働者だけに既得権放棄を求めて、政府や企業仲間の既得権は死守するのならば、それは、いじめっ子が自分でお菓子を持っているのに、弱虫の子からお菓子を取り上げるみたいなものでしょ。
こういう考え方、理解できるけど「既得権を持っていない人」達はどうしたらいいの?
いろいろな理由で、既得権(退職)を放棄した人も生活しなければならない。
でもそういう人は「若くて」「転職が少ない」という履歴を持った人じゃない。
プロとして何かを持っている人もいれば、いない人もいる。
働く意欲もあるけれど、応募しても無視され続ける。
何故なら「売れる商品(若さ)」ではないから。企業は欲しくない。
いずれ、その意欲も不満や病気に変わる。
そのまま定年という仕組みに組み込まれる人もこれからは多くなるだろう。
そうすれば、社会的コストは、企業と政府の仲間が「生活保護」「年金」とか「医療」という形で払うことになる。
忘れないで欲しい。80%以上の労働者がサラリーマンである現在、そこで働く人が「変わりたくない」と思えば、社会は変わらない。
労働者はこの「仕組み」から給与を貰って、すでに「既得権」のメリットを享受しているのだから。
それが「期間限定正社員」ということなら「これからの労働者は既得権を諦めなさい」って言っていることにならないだろうか。
企業労働者だけに既得権放棄を求めて、政府や企業仲間の既得権は死守するのならば、それは、いじめっ子が自分でお菓子を持っているのに、弱虫の子からお菓子を取り上げるみたいなものでしょ。
こういう考え方、理解できるけど「既得権を持っていない人」達はどうしたらいいの?
いろいろな理由で、既得権(退職)を放棄した人も生活しなければならない。
でもそういう人は「若くて」「転職が少ない」という履歴を持った人じゃない。
プロとして何かを持っている人もいれば、いない人もいる。
働く意欲もあるけれど、応募しても無視され続ける。
何故なら「売れる商品(若さ)」ではないから。企業は欲しくない。
いずれ、その意欲も不満や病気に変わる。
そのまま定年という仕組みに組み込まれる人もこれからは多くなるだろう。
そうすれば、社会的コストは、企業と政府の仲間が「生活保護」「年金」とか「医療」という形で払うことになる。
忘れないで欲しい。80%以上の労働者がサラリーマンである現在、そこで働く人が「変わりたくない」と思えば、社会は変わらない。
労働者はこの「仕組み」から給与を貰って、すでに「既得権」のメリットを享受しているのだから。
派遣社員という「従業員」に求めることは、いったい何なのか
やり方を変えたくない企業で、無駄な作業が発生すれば、当然、それをやる人たちが雇用される。
雇用された人たちが既得権を主張し始めた時、企業は「何故?」と思っただろう。
でも、労働する側から見れば、当然だ。
だから、本来「人が足りない」という現場の声が来たら、上層部は「3ヶ月人をやるから、やり方を変えなさい」という「変化を求める「意思決定」」が必要だったはず。
でも、「人が足りない」という稟議書がに判子を押すだけ。
稟議書に押されている判子の数は、「管理」しない管理者の数でもある。
だから、高い時給は払えない。
仕事のやり方を「変えたくない」という「正社員」という既得権を持った人たちを抱えた企業は、人件費という固定費が利益を圧迫し、にっちもさっちも行かない状況だ。
社員をハラスメントして、自ら辞めさせようともした。
でも、無理。日本全体が「既得権死守」の文化なんだから。
それでも企業団体や政府の仲間はまだ本当の問題に向き合おうとしない。
今度は「期間限定正社員」だって。
ケーキやお菓子じゃああるまいし、どんな用語を使っても企業が「都合のいい人材」が必要なのは「今の正社員が辞めないから」でしょう。
彼ら、65歳まで雇う法律まで作って「仲間」を守るのはいいけれど、彼らが70歳になった時代はどうするのだろうか。
雇用された人たちが既得権を主張し始めた時、企業は「何故?」と思っただろう。
でも、労働する側から見れば、当然だ。
だから、本来「人が足りない」という現場の声が来たら、上層部は「3ヶ月人をやるから、やり方を変えなさい」という「変化を求める「意思決定」」が必要だったはず。
でも、「人が足りない」という稟議書がに判子を押すだけ。
稟議書に押されている判子の数は、「管理」しない管理者の数でもある。
だから、高い時給は払えない。
仕事のやり方を「変えたくない」という「正社員」という既得権を持った人たちを抱えた企業は、人件費という固定費が利益を圧迫し、にっちもさっちも行かない状況だ。
社員をハラスメントして、自ら辞めさせようともした。
でも、無理。日本全体が「既得権死守」の文化なんだから。
それでも企業団体や政府の仲間はまだ本当の問題に向き合おうとしない。
今度は「期間限定正社員」だって。
ケーキやお菓子じゃああるまいし、どんな用語を使っても企業が「都合のいい人材」が必要なのは「今の正社員が辞めないから」でしょう。
彼ら、65歳まで雇う法律まで作って「仲間」を守るのはいいけれど、彼らが70歳になった時代はどうするのだろうか。
既得権を肯定した「仕組み」が生んだ結果
企業が「人件費を圧縮」させるために、本来の正社員雇用の問題に真剣に取り組まず、派遣を安く使うことで、対応してきた。
そうしたら、今度は派遣社員が「既得権の主張」をしだした。
つまり、「何年も働いたのだから正社員にしろ」ということ。
そうやって、法律が変わった。
でも、忘れないで欲しい。
そもそも、企業にとって何故「派遣」でなければいけなかったのかを。
ビジネスの推移に従って、労働力を調整できないから、それができる派遣に頼ったはずだった。
でも、それが出来なくなれば、なんとかする方法を考えるだろう。
すでに「紹介予定派遣」という形で、労働力のお試し期間は作ったわけで、要る、要らないの意思決定は管理者の仕事だ。
3ヶ月たっても「決められない」管理者なら、いったい部署の何を「管理」しているのか。
雇う時の責任も派遣会社に丸投げしたのだから、雇った後の責任は企業が持ってくれ、というのは無理な話なのか。
無理だろう。
だって、「雇用」が問題ではなく「解雇」が問題なのだから。
そしてこれは一人ひとりの「変わりたくない」思いと「既得権」の問題だ。
現場は「人が足りない」から、「派遣」という安直な考え方で仕事をしてきた。
儲かっている企業は「短期なら」ということでそれをOKする。
でも、派遣さんがいる「やり方」が確立すると、変えたくないし、「変えると困る」となる。
当然だ。そもそも、派遣にやってもらう仕事は、今のやり方を変えない自分が、変わりたくなくて、雇ったんだから。
企業はまた、自分で自分の首を絞め始めている。
そうしたら、今度は派遣社員が「既得権の主張」をしだした。
つまり、「何年も働いたのだから正社員にしろ」ということ。
そうやって、法律が変わった。
でも、忘れないで欲しい。
そもそも、企業にとって何故「派遣」でなければいけなかったのかを。
ビジネスの推移に従って、労働力を調整できないから、それができる派遣に頼ったはずだった。
でも、それが出来なくなれば、なんとかする方法を考えるだろう。
すでに「紹介予定派遣」という形で、労働力のお試し期間は作ったわけで、要る、要らないの意思決定は管理者の仕事だ。
3ヶ月たっても「決められない」管理者なら、いったい部署の何を「管理」しているのか。
雇う時の責任も派遣会社に丸投げしたのだから、雇った後の責任は企業が持ってくれ、というのは無理な話なのか。
無理だろう。
だって、「雇用」が問題ではなく「解雇」が問題なのだから。
そしてこれは一人ひとりの「変わりたくない」思いと「既得権」の問題だ。
現場は「人が足りない」から、「派遣」という安直な考え方で仕事をしてきた。
儲かっている企業は「短期なら」ということでそれをOKする。
でも、派遣さんがいる「やり方」が確立すると、変えたくないし、「変えると困る」となる。
当然だ。そもそも、派遣にやってもらう仕事は、今のやり方を変えない自分が、変わりたくなくて、雇ったんだから。
企業はまた、自分で自分の首を絞め始めている。
派遣会社内での書類選考:応募に返事をしない理由
派遣会社が無駄に作業を増やして、ビジネスを拡大していることをすでにここにも書いた。
求職の段階で、派遣に登録しているから、派遣という言葉に敏感になってたのかもしれないけれど、今、話題の「俺のフレンチ」「俺のイタリアン」の創始者の書評の中で「シェフ達は、人材紹介会社で探す」と知ってはっとされたことがある。
一つは、時給の安い人に応募の返事が来ない「仕組み」。
もう一つは、時給がどんどん安くなった「仕組み」。
たとえば、時給800円の人を一社に紹介して得るマージンはどれくらいだろうか。
つまり、たかた800円程度の応募に10人応募してきたら、担当者が10人に返事をする時間はない。大体、それをすべて処理する時間は就業時間全部使っても足りないだろう。
だから「応募しても連絡が来ない」ことにどうこう言っても無駄な話だ。
単価が高い仕事ではないのだから。
応募者は自分に向いてそう、と思う求人に片っ端からクリックしてもたいした問題じゃあない。「35歳以上、プロフェッショナル」はそもそも対象外。
貴方が彼らの目に留まるだけ。そして、無視される。そういう「仕組み」だ。
彼らが欲しいのは「若くて」「転職が少ない」必要がある。
本来、派遣の営業マンにとって、同じ1人を紹介するなら、売値(時給)の高い人を紹介する方が儲かる。
プロの技術を売る場合、時給や紹介料が高くなる。
でも、今の派遣に「プロ」や「キャリア」が求められない以上、単価が高くなることはない。
私は、かつてものすごい年俸、時給で2度ほど、企業に紹介してもらったことがある。営業マンは、この記録を抱えて2人とも転職した。
だから、若くないのに、派遣で仕事をしたいのなら、無視されてもうるさく担当者に電話するしかないだろう。それでも、駄目だろうねえ。
求職の段階で、派遣に登録しているから、派遣という言葉に敏感になってたのかもしれないけれど、今、話題の「俺のフレンチ」「俺のイタリアン」の創始者の書評の中で「シェフ達は、人材紹介会社で探す」と知ってはっとされたことがある。
一つは、時給の安い人に応募の返事が来ない「仕組み」。
もう一つは、時給がどんどん安くなった「仕組み」。
たとえば、時給800円の人を一社に紹介して得るマージンはどれくらいだろうか。
つまり、たかた800円程度の応募に10人応募してきたら、担当者が10人に返事をする時間はない。大体、それをすべて処理する時間は就業時間全部使っても足りないだろう。
だから「応募しても連絡が来ない」ことにどうこう言っても無駄な話だ。
単価が高い仕事ではないのだから。
応募者は自分に向いてそう、と思う求人に片っ端からクリックしてもたいした問題じゃあない。「35歳以上、プロフェッショナル」はそもそも対象外。
貴方が彼らの目に留まるだけ。そして、無視される。そういう「仕組み」だ。
彼らが欲しいのは「若くて」「転職が少ない」必要がある。
本来、派遣の営業マンにとって、同じ1人を紹介するなら、売値(時給)の高い人を紹介する方が儲かる。
プロの技術を売る場合、時給や紹介料が高くなる。
でも、今の派遣に「プロ」や「キャリア」が求められない以上、単価が高くなることはない。
私は、かつてものすごい年俸、時給で2度ほど、企業に紹介してもらったことがある。営業マンは、この記録を抱えて2人とも転職した。
だから、若くないのに、派遣で仕事をしたいのなら、無視されてもうるさく担当者に電話するしかないだろう。それでも、駄目だろうねえ。
派遣会社内での書類選考:応募に返事をしない理由
ここまで判れば、派遣がプロを求めず、時給がどんどん安くなったのも理解できる。
だって、これだけ無駄なバックオフィス業務が発生しているんだもの。
ただ、現象原因は規制緩和で派遣会社が増えたからだと思う。
何故なら、企業は求人1件に対して、3件の派遣会社を競争させることができるほど、派遣会社が乱立しているのが実状だからだ。
でも、これらの現象の根本原因は「企業の人件費圧縮」が企業利益を圧迫するほど深刻だったからだと思う。
だって、正社員の人件費は圧縮できないんだから。首にしたいような正社員も、既得権世界の一員だ。
だから、より安い人材派遣会社を競わせて、入札価格を下げさせる。そうすれば、より安く、気軽に使える人材を調達できる。
そもそも、仕事は誰でもできるようなことで、プロであることは求められていない。企業にしてみれば、いつも3000円で買っていた人材を2500円で売ります、という派遣が出てくれば、当然既得権を持った会社に脅しをかけるだろう。
「別会社に変えますよ」と。
だから、派遣の値段はどんどん下がる。派遣会社はマージンを減らしても、10人送り込めばペイする。
だから、登録されている人間は沢山いた方がいい。
連絡してきた人に「まずは登録を」というのはこのためだ。
そして「それはすでに応募が終わっています」とか言う。
そしてまた、無駄なデータが蓄積されてゆく。誰かの営業ノルマのために。
だって、これだけ無駄なバックオフィス業務が発生しているんだもの。
ただ、現象原因は規制緩和で派遣会社が増えたからだと思う。
何故なら、企業は求人1件に対して、3件の派遣会社を競争させることができるほど、派遣会社が乱立しているのが実状だからだ。
でも、これらの現象の根本原因は「企業の人件費圧縮」が企業利益を圧迫するほど深刻だったからだと思う。
だって、正社員の人件費は圧縮できないんだから。首にしたいような正社員も、既得権世界の一員だ。
だから、より安い人材派遣会社を競わせて、入札価格を下げさせる。そうすれば、より安く、気軽に使える人材を調達できる。
そもそも、仕事は誰でもできるようなことで、プロであることは求められていない。企業にしてみれば、いつも3000円で買っていた人材を2500円で売ります、という派遣が出てくれば、当然既得権を持った会社に脅しをかけるだろう。
「別会社に変えますよ」と。
だから、派遣の値段はどんどん下がる。派遣会社はマージンを減らしても、10人送り込めばペイする。
だから、登録されている人間は沢山いた方がいい。
連絡してきた人に「まずは登録を」というのはこのためだ。
そして「それはすでに応募が終わっています」とか言う。
そしてまた、無駄なデータが蓄積されてゆく。誰かの営業ノルマのために。
既得権をまもるために
覚えている人もいるだろうか。
かつて、パスポート電子申請システムというものが存在していた。
外務省が企画、もちろん政府が予算つけて、開発、運用し始めたら利用者が年間133人しか居なかった。
あまりに利用者が少なく、結局2007年に廃止。
これにかかった税金は、2005年段階で21億円以上。
一冊パスポート発行するのに1600万かかった。
ま、中古の家一件分ですね。
開発にはざっと20億、ランニングコストは2006年までに大体50億。
しかも、これを動かす機材ももちろん、特定の会社から買って、しかも契約で止められないことになっていた。
しかも、外務省自らこの無駄を認めず、財務省が更新をしないように勧告した。
どこが受注したか。
もちろん、NTTグループです。
加入権の価値が消滅したののが、2004年頃。
つまり、既得権を活用していろいろ予算を取る活動を何年も前から経営がやばくなることがわかっていたから、国の予算にたかったんですね。
まあ、仲間は利益を、予算を、既得権を失わないために、いろんな理由を作る。その能力、もっと別な方向に使うことができれば、こんなに国の借金、増えてなかったでしょうねえ。
かつて、パスポート電子申請システムというものが存在していた。
外務省が企画、もちろん政府が予算つけて、開発、運用し始めたら利用者が年間133人しか居なかった。
あまりに利用者が少なく、結局2007年に廃止。
これにかかった税金は、2005年段階で21億円以上。
一冊パスポート発行するのに1600万かかった。
ま、中古の家一件分ですね。
開発にはざっと20億、ランニングコストは2006年までに大体50億。
しかも、これを動かす機材ももちろん、特定の会社から買って、しかも契約で止められないことになっていた。
しかも、外務省自らこの無駄を認めず、財務省が更新をしないように勧告した。
どこが受注したか。
もちろん、NTTグループです。
加入権の価値が消滅したののが、2004年頃。
つまり、既得権を活用していろいろ予算を取る活動を何年も前から経営がやばくなることがわかっていたから、国の予算にたかったんですね。
まあ、仲間は利益を、予算を、既得権を失わないために、いろんな理由を作る。その能力、もっと別な方向に使うことができれば、こんなに国の借金、増えてなかったでしょうねえ。
本質は変わらない
日本が変わらない問題は日本人自身が「変わりたくない」という思いが強いからである。
既得権があると、生活が楽になる「仕組み」を支える以上、大企業はよりシェアを牛耳って、安いものを提供する。
そのためには、偽装もするし、法律も作る。
安い給与しか得られない人達は、それらを買って、大企業の仕組みを支える。
結果、小さなお店はつぶれて行く。
その店の息子は大企業に就職し、夜10時まで働き、家族と疎遠になって行く。
そして大企業は、生産、流通、販売、すべてを牛耳っているから、ますます大きくなる。
でも、環境に合わせて形が「変わる」場合がある。
グループの人事部を集約するとか、政党が変わるとか、組織の形はかわっても、価値観の本質は変わらないから、結果、何も変わらない。
アインシュタインは、“狂気とは、同じことを何度も繰り返しているだけなのに、違う結果を期待することである”と言った。
まるで、日本の仕組みの話をしているようだ。
政治も企業も、首相が変われば、政党が変われば、災害があったから、日本は変わると思うかも知れない。
でも、日本人一人ひとりが「変わりたくない」と思っているから、変わらない。
アインシュタインは正しい。
狂気の中にいる人間ほど、その現実を客観視しない。
既得権があると、生活が楽になる「仕組み」を支える以上、大企業はよりシェアを牛耳って、安いものを提供する。
そのためには、偽装もするし、法律も作る。
安い給与しか得られない人達は、それらを買って、大企業の仕組みを支える。
結果、小さなお店はつぶれて行く。
その店の息子は大企業に就職し、夜10時まで働き、家族と疎遠になって行く。
そして大企業は、生産、流通、販売、すべてを牛耳っているから、ますます大きくなる。
でも、環境に合わせて形が「変わる」場合がある。
グループの人事部を集約するとか、政党が変わるとか、組織の形はかわっても、価値観の本質は変わらないから、結果、何も変わらない。
アインシュタインは、“狂気とは、同じことを何度も繰り返しているだけなのに、違う結果を期待することである”と言った。
まるで、日本の仕組みの話をしているようだ。
政治も企業も、首相が変われば、政党が変われば、災害があったから、日本は変わると思うかも知れない。
でも、日本人一人ひとりが「変わりたくない」と思っているから、変わらない。
アインシュタインは正しい。
狂気の中にいる人間ほど、その現実を客観視しない。
求人応募の負担と対応 03
でも、考えて欲しい。
人口の減少で、若い人ばかり雇ってプロを育てない先にある日本の企業を支える「未来の人材」のことを。
「正社員」というえさで、人を使い捨てする文化に「プロ」は育たない。
コミュニケーションの基本すら忘れた方法に人材を投入し、この業界はふくらみ続けている。
若ければ、ここで目出つ確立も高いが、キャリアを持った人は、100通応募してもたぶん選ばれないだろう。
何故なら派遣ではキャリアなんてそもそも見ていない。
彼らの本音は「35歳以上は登録されても無駄よぉ」だろうが、教室にはたくさん人がいた方がいいから、派遣会社は「まず登録を」というように薦めるわけだ。
技術があれば、仕事を紹介してくれる「仕組み」はすでに無い。
若さがあれば、仕事は紹介してもらえる。
その中で不利な条件で戦うには、応募者は手をあげないと、競争のスタート位置にすら立てない。これが、現実。
派遣という仕事のプロフェッショナルを売るはずだったけれども、こうなったらじゃあ、応募者はどうしたらいいか。
まあ、応募をあきらめないか、あきらめるか、のどちらかだ。
人口の減少で、若い人ばかり雇ってプロを育てない先にある日本の企業を支える「未来の人材」のことを。
「正社員」というえさで、人を使い捨てする文化に「プロ」は育たない。
コミュニケーションの基本すら忘れた方法に人材を投入し、この業界はふくらみ続けている。
若ければ、ここで目出つ確立も高いが、キャリアを持った人は、100通応募してもたぶん選ばれないだろう。
何故なら派遣ではキャリアなんてそもそも見ていない。
彼らの本音は「35歳以上は登録されても無駄よぉ」だろうが、教室にはたくさん人がいた方がいいから、派遣会社は「まず登録を」というように薦めるわけだ。
技術があれば、仕事を紹介してくれる「仕組み」はすでに無い。
若さがあれば、仕事は紹介してもらえる。
その中で不利な条件で戦うには、応募者は手をあげないと、競争のスタート位置にすら立てない。これが、現実。
派遣という仕事のプロフェッショナルを売るはずだったけれども、こうなったらじゃあ、応募者はどうしたらいいか。
まあ、応募をあきらめないか、あきらめるか、のどちらかだ。
求人応募の負担と対応 02
「人を大切にします」という派遣企業のキャッチフレーズがある会社の応募の「仕組み」は人間味がまったく欠如したものだ。
以前の求人は、人間が書類を持ってくるから、ちゃんと人と向き合う。
大手では連絡来なかったということもあったらしいが、たいていは落選報告が来る。そりゃあ、人が人と会っているもの。
でも、大量面接なら、面接者全員、記号にしか見えないんだろう。
某通販会社へ面接まで行った話をここでも書いたが、そこでは出会った人間にすら当落の通知がこなかった。
求人業務は「人と向き合う業務」であることも忘れて、ひたすら効率化を求めている。
それ自体は良い方向だと思うが、求めるものがキャリアではなく、若さであるのなら、いずれコンピュータに代用されるだろう。
誕生日が入力されていれば、自動化は可能だ。
すでに、もう実用されている会社もあるだろう。
だから、貴方が40代、50代で何も資格がなければ、派遣会社の書類審査にすら通らない。
だから、何度応募しても「返事がこない」のだ。
この第一関門を抜けるためにも、たくさんの資格を書く必要がある。
システム開発に携わった人も仕事を得るためには、資格の数が重要だ。
ひょっとしたら、MOSの資格も必要かもしれない。
「PCなしではシステム開発なんてできないのに金をかけて使い方の資格を取るなんて馬鹿げてる。」と思うだろう。
でも日本人は権威信奉信者だ。人間に向き合わない世界で自分と話して貰うためには、大企業が作った資格という「ブランド」で身を飾った方がいい。
グッチのかばんを持って街を歩くように。
以前の求人は、人間が書類を持ってくるから、ちゃんと人と向き合う。
大手では連絡来なかったということもあったらしいが、たいていは落選報告が来る。そりゃあ、人が人と会っているもの。
でも、大量面接なら、面接者全員、記号にしか見えないんだろう。
某通販会社へ面接まで行った話をここでも書いたが、そこでは出会った人間にすら当落の通知がこなかった。
求人業務は「人と向き合う業務」であることも忘れて、ひたすら効率化を求めている。
それ自体は良い方向だと思うが、求めるものがキャリアではなく、若さであるのなら、いずれコンピュータに代用されるだろう。
誕生日が入力されていれば、自動化は可能だ。
すでに、もう実用されている会社もあるだろう。
だから、貴方が40代、50代で何も資格がなければ、派遣会社の書類審査にすら通らない。
だから、何度応募しても「返事がこない」のだ。
この第一関門を抜けるためにも、たくさんの資格を書く必要がある。
システム開発に携わった人も仕事を得るためには、資格の数が重要だ。
ひょっとしたら、MOSの資格も必要かもしれない。
「PCなしではシステム開発なんてできないのに金をかけて使い方の資格を取るなんて馬鹿げてる。」と思うだろう。
でも日本人は権威信奉信者だ。人間に向き合わない世界で自分と話して貰うためには、大企業が作った資格という「ブランド」で身を飾った方がいい。
グッチのかばんを持って街を歩くように。
求人応募の負担と対応 01
現代の求人募集の仕組みは弱肉強食の時代だ。
派遣という仕事に派遣社内で書類審査がある。
派遣社員の「仕組み」には、そんなものは無いが、今は普通だ。
ただ、人間の対応として、何かに応募すれば書類審査にだって「落選」なのか「当選」のかが連絡くるはず。
でも、求人作業が12倍に増えた結果、どうなったのか。
応募しても何も対応がない。
つまり、何度応募しても何も連絡が来ないのだ。
ワンクリックで応募、自動メール配信。
中には「書類審査に通れば連絡します」とだけ書かれている。
つまり、連絡なければ「落選したということ」でよろしく、ということ。
思い出して欲しい。日本で求人価値は「年齢」だ。「若い人」だ。
つまり、ワンクリックで応募できるけど、中年はこの「派遣社内選考」では必ず漏れる。派遣の営業マンは応募者を見る必要はない。
求人が膨大に増えた結果、営業マンが自分で経歴を読んで、人間を選ぶこともなく、検索を掛けることもなく、「手を上げた人間」から、そこから選ぶということだ。
具体的にいうと、大きな教室(派遣会社に登録)に入る。
その中で求人を探していると(自宅のPCで)求人がでる。
そこで、何人かが手を上げると営業マンが「あ~、君」と見栄えの良い人(若い)を当てる(書類選考)。
そうするとそれ以外の人は、手を下ろすしかない。
いちいち、後の人一人ひとりに回答する必要なんてない。
だって、営業マンは書類を見ただけ。
その人間と関わったなんて思ってないのだから。
人間が働くための仕組みだけど、人間味はまったくないものになってしまった。
派遣という仕事に派遣社内で書類審査がある。
派遣社員の「仕組み」には、そんなものは無いが、今は普通だ。
ただ、人間の対応として、何かに応募すれば書類審査にだって「落選」なのか「当選」のかが連絡くるはず。
でも、求人作業が12倍に増えた結果、どうなったのか。
応募しても何も対応がない。
つまり、何度応募しても何も連絡が来ないのだ。
ワンクリックで応募、自動メール配信。
中には「書類審査に通れば連絡します」とだけ書かれている。
つまり、連絡なければ「落選したということ」でよろしく、ということ。
思い出して欲しい。日本で求人価値は「年齢」だ。「若い人」だ。
つまり、ワンクリックで応募できるけど、中年はこの「派遣社内選考」では必ず漏れる。派遣の営業マンは応募者を見る必要はない。
求人が膨大に増えた結果、営業マンが自分で経歴を読んで、人間を選ぶこともなく、検索を掛けることもなく、「手を上げた人間」から、そこから選ぶということだ。
具体的にいうと、大きな教室(派遣会社に登録)に入る。
その中で求人を探していると(自宅のPCで)求人がでる。
そこで、何人かが手を上げると営業マンが「あ~、君」と見栄えの良い人(若い)を当てる(書類選考)。
そうするとそれ以外の人は、手を下ろすしかない。
いちいち、後の人一人ひとりに回答する必要なんてない。
だって、営業マンは書類を見ただけ。
その人間と関わったなんて思ってないのだから。
人間が働くための仕組みだけど、人間味はまったくないものになってしまった。
正社員と非正社員を区別する意味
こんな記事を読んだ。
正社員、非正社員“渾然一体”のワナ
http://toyokeizai.net/articles/-/14339
労働問題は、雇用方法の問題ではない。
肩書き信奉で、実際の仕事の中身をはっきりさせない文化の問題だ。
職務をしっかり定義して、責任分担をはっきりさせれば、年齢や雇用方法なんて、大した問題じゃあない。
部員の居ない、給与だけが高い「部長」や「課長」がたくさんいる。
判断もとめると「君はどう思う」と聞いて「じゃあ、そうしくれ」と言われる派遣の身になって欲しい。
だから、派遣社員が「俺も既得権が欲しい」と主張するから「正社員化義務」みたいな、法律ができた。
派遣が広告だけでも仕事の「プロ」として売り出されていた時代は、それなりにこの区別にある程度理解ができた。
しかし、今は派遣の雇用にかつての12倍以上の労力をかけるのなら「プロ」より「正社員」のように働いてくれる「派遣社員」を求めことになる。
この区別は、最終的に「職位至上主義」につながる考え方だ。
だから、どんな雇用の法律も、価値観を変えないと意味がない。
正社員、非正社員“渾然一体”のワナ
http://toyokeizai.net/articles/-/14339
労働問題は、雇用方法の問題ではない。
肩書き信奉で、実際の仕事の中身をはっきりさせない文化の問題だ。
職務をしっかり定義して、責任分担をはっきりさせれば、年齢や雇用方法なんて、大した問題じゃあない。
部員の居ない、給与だけが高い「部長」や「課長」がたくさんいる。
判断もとめると「君はどう思う」と聞いて「じゃあ、そうしくれ」と言われる派遣の身になって欲しい。
だから、派遣社員が「俺も既得権が欲しい」と主張するから「正社員化義務」みたいな、法律ができた。
派遣が広告だけでも仕事の「プロ」として売り出されていた時代は、それなりにこの区別にある程度理解ができた。
しかし、今は派遣の雇用にかつての12倍以上の労力をかけるのなら「プロ」より「正社員」のように働いてくれる「派遣社員」を求めことになる。
この区別は、最終的に「職位至上主義」につながる考え方だ。
だから、どんな雇用の法律も、価値観を変えないと意味がない。
労働経験が作る「プロ意識」
仕事は「プロとして技術を売るもの」と思う人間に、時給だけで仕事を選ぶことは考えられない。
でも、世の中の価値観が「仕事はお金を稼ぐこと」というものに覆われると働いた労働時間でしか仕事を捕らえなくなる。
たとえば多少苦しくても「ここでの仕事は面白い」などという労働者がいれば「そういう会社は労働者を洗脳している。宗教だ。」と中傷する。
仕事をすることは、社会に対して自己表現することであり、社会と関わること。そこで、出会った縁ある人々を知ることで自分もまた学ばされる。
仲間を認めることは、自分以外の個性を認めることになる。
金を得られるのは、その結果でしかない。
だからこそ、自分が約束した契約期間はちゃんと働く。
期間限定ならいじめもパワーハラスメントも我慢できるし、その体験は次に生かすことができる。
でも、この認識自体、時代遅れのものなのかも知れない。
それでも、自分が何者であるか、プロとして何ができるのかを自覚して求職しようと思う。
求人条件に合わせてうそをついても、結局は自分に振り返ってくる。
出来ないことは出来ないし、できることは出来る。
給与は「これができる」からもらえるのであり、その時間、その場所に居たからではない。
管理者の給与が高いのは、その責任を持つからであり、リーダーとなるからだ。
頭を下げることに払われるのではない。
部下が提出した書類にただ判を押して、時間を過ごすことに対して払われるものでもない。
たぶん、大会社の「正社員」という既得権を持った人は、こんなこと、考えてみたこともないんだろうな。
でも、世の中の価値観が「仕事はお金を稼ぐこと」というものに覆われると働いた労働時間でしか仕事を捕らえなくなる。
たとえば多少苦しくても「ここでの仕事は面白い」などという労働者がいれば「そういう会社は労働者を洗脳している。宗教だ。」と中傷する。
仕事をすることは、社会に対して自己表現することであり、社会と関わること。そこで、出会った縁ある人々を知ることで自分もまた学ばされる。
仲間を認めることは、自分以外の個性を認めることになる。
金を得られるのは、その結果でしかない。
だからこそ、自分が約束した契約期間はちゃんと働く。
期間限定ならいじめもパワーハラスメントも我慢できるし、その体験は次に生かすことができる。
でも、この認識自体、時代遅れのものなのかも知れない。
それでも、自分が何者であるか、プロとして何ができるのかを自覚して求職しようと思う。
求人条件に合わせてうそをついても、結局は自分に振り返ってくる。
出来ないことは出来ないし、できることは出来る。
給与は「これができる」からもらえるのであり、その時間、その場所に居たからではない。
管理者の給与が高いのは、その責任を持つからであり、リーダーとなるからだ。
頭を下げることに払われるのではない。
部下が提出した書類にただ判を押して、時間を過ごすことに対して払われるものでもない。
たぶん、大会社の「正社員」という既得権を持った人は、こんなこと、考えてみたこともないんだろうな。
「責任」の切り売りがビジネスを生む
馬鹿げた労働法のため「期間限定で働くという契約した人」を簡単に解雇できなくなった。
結果、企業は簡単に人を雇わなくなった。
でも、人は雇わないといけないから、その品質に関しての責任を外注した。
このように、雇用する責任を誰かに任せた結果、派遣業界が成長した。
そのため、派遣という働き方から「プロを雇う」という意味が抜けおちて「一時的な中途雇用」というレベルになった。
そうなると、日本という社会は「若さ」が必須になる。
何故なら、プロを求めないから。
プロを求めないけど、膨大な労力をかけて人選しているから、良ければその人をその価格で長期に雇いたい。で、今度は「紹介予定派遣」という仕組みができた。
これ自体は悪くない。ただ、この仕組み、実際は「労働者のため」ではない。
企業側が「働いて欲しい人を縛るため」のものだ。
ある求人に応募した時、担当の営業マンから「絶対断らないと約束しないと書類審査の候補にできない」と言われた。先方への「書類審査」の候補になるために、「受かったら断らないこと」を約束しないと、紹介しないと言う。
まだ、履歴を先方に見せていないのに、だ。
これ、派遣の求人に応募した時の話です。
もう、本来の派遣の仕組みはとっくに壊れている。
本来、派遣は契約期間だけをきっちり働けば、問題ないはず。
企業がもっと働いて欲しい、というのならば、給与交渉をして次の契約をする。
正社員でも契約社員でも、お互いで条件が合意しなければそこで終わり。
大体、2ヶ月、3ヶ月も働けば職場の状況や自分ができる仕事や任される範囲などは把握できる。
だからこそ、仕事において「労働能力は商品である」と自覚するものだと思っていた。
お顔合わせという面接が横行し、法律は誰も守らず、実態だけが企業の都合に合わせて変化して行く先に、労働者が求めるのものが「正社員」であるのならば、皮肉なことだ。
結果、企業は簡単に人を雇わなくなった。
でも、人は雇わないといけないから、その品質に関しての責任を外注した。
このように、雇用する責任を誰かに任せた結果、派遣業界が成長した。
そのため、派遣という働き方から「プロを雇う」という意味が抜けおちて「一時的な中途雇用」というレベルになった。
そうなると、日本という社会は「若さ」が必須になる。
何故なら、プロを求めないから。
プロを求めないけど、膨大な労力をかけて人選しているから、良ければその人をその価格で長期に雇いたい。で、今度は「紹介予定派遣」という仕組みができた。
これ自体は悪くない。ただ、この仕組み、実際は「労働者のため」ではない。
企業側が「働いて欲しい人を縛るため」のものだ。
ある求人に応募した時、担当の営業マンから「絶対断らないと約束しないと書類審査の候補にできない」と言われた。先方への「書類審査」の候補になるために、「受かったら断らないこと」を約束しないと、紹介しないと言う。
まだ、履歴を先方に見せていないのに、だ。
これ、派遣の求人に応募した時の話です。
もう、本来の派遣の仕組みはとっくに壊れている。
本来、派遣は契約期間だけをきっちり働けば、問題ないはず。
企業がもっと働いて欲しい、というのならば、給与交渉をして次の契約をする。
正社員でも契約社員でも、お互いで条件が合意しなければそこで終わり。
大体、2ヶ月、3ヶ月も働けば職場の状況や自分ができる仕事や任される範囲などは把握できる。
だからこそ、仕事において「労働能力は商品である」と自覚するものだと思っていた。
お顔合わせという面接が横行し、法律は誰も守らず、実態だけが企業の都合に合わせて変化して行く先に、労働者が求めるのものが「正社員」であるのならば、皮肉なことだ。
何故、求人のミスマッチが起こるのか
デジタル時代は、かつての12倍以上かけて人を選んでいるのに仕事がない人がたくさんいる。
また、同じ募集がしばらくしてまた上がっているのを見ると「ああ、これ、辞めたんだ」と思う。なぜ、これだけの労力をかけて選んでいるのに、仕事が続かないのか?
当然だ。派遣なのに、社員並みの責任を押し付けるのだから。
日本には職務定義がないから、派遣のような一時的な仕事に「人」を送るという作業で、終わる話になくなってしまう。
派遣の仕事は長くやるような、複雑な仕事ではない。
だから効率のよい「プロ」というスキルを売るはずだったのに、今は正社員並みの時間をかけて人選するから関係者全員が勘違いをする。
かつての派遣営業マンはそれを理解していた。だから、自分の抱える応募者を「売り込む」ことが出来た。
今は違う。設計仕様書のように、企業が言った条件どおりの応募者を連れてゆこうとする。
したがって、応募者はうそを言う。
当然、働き始めるとそれが判る。
しかも、社員が追うべき責務を負わされる。
辞めて当然だ。
だから、クレームになる。
まるで、ITシステム構築をオーダーしたのに、思ったように動かないとクレームの言う企業だ。そもそも、職務の切り分けや責任範囲をはっきりさせないで業務指示することが問題なのに・・・。
ITシステムなら怒るのも理解できるが、この場合、相手は人間だ。
オーダーする企業側だって「なんとかしてくれ」と頼む業務環境程度しか判っていない。そこに職務意識の低い若い人を送り込む。
派遣という「プロ」の世界は無くなった。今や、正社員より雇用リスクの低いただの労働力だ。
また、同じ募集がしばらくしてまた上がっているのを見ると「ああ、これ、辞めたんだ」と思う。なぜ、これだけの労力をかけて選んでいるのに、仕事が続かないのか?
当然だ。派遣なのに、社員並みの責任を押し付けるのだから。
日本には職務定義がないから、派遣のような一時的な仕事に「人」を送るという作業で、終わる話になくなってしまう。
派遣の仕事は長くやるような、複雑な仕事ではない。
だから効率のよい「プロ」というスキルを売るはずだったのに、今は正社員並みの時間をかけて人選するから関係者全員が勘違いをする。
かつての派遣営業マンはそれを理解していた。だから、自分の抱える応募者を「売り込む」ことが出来た。
今は違う。設計仕様書のように、企業が言った条件どおりの応募者を連れてゆこうとする。
したがって、応募者はうそを言う。
当然、働き始めるとそれが判る。
しかも、社員が追うべき責務を負わされる。
辞めて当然だ。
だから、クレームになる。
まるで、ITシステム構築をオーダーしたのに、思ったように動かないとクレームの言う企業だ。そもそも、職務の切り分けや責任範囲をはっきりさせないで業務指示することが問題なのに・・・。
ITシステムなら怒るのも理解できるが、この場合、相手は人間だ。
オーダーする企業側だって「なんとかしてくれ」と頼む業務環境程度しか判っていない。そこに職務意識の低い若い人を送り込む。
派遣という「プロ」の世界は無くなった。今や、正社員より雇用リスクの低いただの労働力だ。
2013年7月10日水曜日
「恐怖」の奴隷
人生を生きることはリスクがある。
リスクを取らなければ新しいことは起きないし、変化もありえない。
でも、このリスクを「取って」「変化する」という意思決定が出来ない人が多い。
何故なら、変化を恐れる「恐怖の奴隷」になっているからだ。
今の日本は、誰もが変化を怖がり「恐怖」にその意思決定をゆだねているように思える。
ある友人と、とある知り合いの話をしていた。この知り合いをB子としよう。
B子は、子供が20歳にも関わらず家から出そうとしない。
この子供は高校卒業後、自営業の家でお給料をもらって仕事をしている。
もちろん、親といっしょにも住んでいる。
このB子の子供が「結婚して家を出て、別の職場で働きたい」と言った時、彼女は「まだ早い」と一蹴したという。彼女自身は、20歳で子供を生んでいる。B子は私に「当然だよねえ」と同調して欲しかったらしいが、私には理解できなかった。
だから「貴方の考えはおかしい。20歳の人間が家を出たいと言ったら、送り出すべきだろう。もう、大人なんだから。子供じゃあないのだから、その子の意見を尊重しなきゃ。」という意見を言い合っているうちに、喧嘩になった。
子供を持っている友人にB子の話をすると、一言凄い意見が出てきた。
「人はねえ、余裕の無い時、疲れている時、変化を嫌がるのよぉ。」
これ、真髄ついている。
日本で今、改革が全くできないのは、変化への「恐怖」だと思っていた。
でも、それは「疲れているから」とは思わなかった。
たしかに、今の日本、企業も個人も現状維持だけで精一杯だ。
物質的には決して飢えることは無いのに、今、持っているものを失うことを恐れて変化しない。それは、心に余裕が無いからだろう。
経済的な余裕は、お金の量で決まる。
精神的な余裕は、個人の考え方からしか生まれない。
じゃあ、何の量で測れるか。
たぶん、愛情の量なんだろう。
友人、知人、近所、親戚、家族。
愛情の量で精神的な余裕ができて初めて「変化」を受け入れるのなら、個人主義が蔓延している現代において、そんな日は、本当に来るのだろうか。
リスクを取らなければ新しいことは起きないし、変化もありえない。
でも、このリスクを「取って」「変化する」という意思決定が出来ない人が多い。
何故なら、変化を恐れる「恐怖の奴隷」になっているからだ。
今の日本は、誰もが変化を怖がり「恐怖」にその意思決定をゆだねているように思える。
ある友人と、とある知り合いの話をしていた。この知り合いをB子としよう。
B子は、子供が20歳にも関わらず家から出そうとしない。
この子供は高校卒業後、自営業の家でお給料をもらって仕事をしている。
もちろん、親といっしょにも住んでいる。
このB子の子供が「結婚して家を出て、別の職場で働きたい」と言った時、彼女は「まだ早い」と一蹴したという。彼女自身は、20歳で子供を生んでいる。B子は私に「当然だよねえ」と同調して欲しかったらしいが、私には理解できなかった。
だから「貴方の考えはおかしい。20歳の人間が家を出たいと言ったら、送り出すべきだろう。もう、大人なんだから。子供じゃあないのだから、その子の意見を尊重しなきゃ。」という意見を言い合っているうちに、喧嘩になった。
子供を持っている友人にB子の話をすると、一言凄い意見が出てきた。
「人はねえ、余裕の無い時、疲れている時、変化を嫌がるのよぉ。」
これ、真髄ついている。
日本で今、改革が全くできないのは、変化への「恐怖」だと思っていた。
でも、それは「疲れているから」とは思わなかった。
たしかに、今の日本、企業も個人も現状維持だけで精一杯だ。
物質的には決して飢えることは無いのに、今、持っているものを失うことを恐れて変化しない。それは、心に余裕が無いからだろう。
経済的な余裕は、お金の量で決まる。
精神的な余裕は、個人の考え方からしか生まれない。
じゃあ、何の量で測れるか。
たぶん、愛情の量なんだろう。
友人、知人、近所、親戚、家族。
愛情の量で精神的な余裕ができて初めて「変化」を受け入れるのなら、個人主義が蔓延している現代において、そんな日は、本当に来るのだろうか。
日本人の3人に2人が「うつ病」気味?
うつ病に関する情報を多数見る。
「サラリーマン8割がうつ予備軍」と記事があったけど、現在80%の労働者がサラリーマンだ。というと、日本人労働者の6割以上がうつ病予備軍ということになる。
6割っていうと、周りの給与所得者(若い人から年寄りまで)の3人に2人が「うつ予備軍」ということになる。
つまり、日本人の労働者のほとんどが「病人、もしくは予備軍」ってことになる。
ある人が「病(やまい)は誰でも生まれながらに持っている。でも、それに気(きりょく)が付くから「病気」になるんだ」と語っていた。
本当にそう思う。
病名があろうが、無かろうが、人は何らかの病を抱えている。
心であろうが、外見だろうか、内臓だろうが、歯だろうが。
治そうとする人もいるだろうし、治さない人もいる。
歯周病なんてすでに日本の国民病みたいなほど罹患している人は多い。
病に名前を付けて「病気」にして治療するのはいいけれど「病気」になってしまうと、治療は「医者」や「薬」の「誰か(何か)」に治すことを依存してしまう。
自分で考えない。思考停止だ。
でも、考えて欲しい。
誰がその病で苦しむのか。
それを治すのは自分しかない。
もし、その環境を少しでも楽しめるのなら、それは「病」ではなく「病気」なのだろう。
「病」は神が与えたかもしれないが、「病気」は人間がそれを認知している。
名前があろうが、無かろうが、心だろうが、肉体だろうが、病は誰もが持っている。
自分で治すか、それと生きるしかない。
「サラリーマン8割がうつ予備軍」と記事があったけど、現在80%の労働者がサラリーマンだ。というと、日本人労働者の6割以上がうつ病予備軍ということになる。
6割っていうと、周りの給与所得者(若い人から年寄りまで)の3人に2人が「うつ予備軍」ということになる。
つまり、日本人の労働者のほとんどが「病人、もしくは予備軍」ってことになる。
ある人が「病(やまい)は誰でも生まれながらに持っている。でも、それに気(きりょく)が付くから「病気」になるんだ」と語っていた。
本当にそう思う。
病名があろうが、無かろうが、人は何らかの病を抱えている。
心であろうが、外見だろうか、内臓だろうが、歯だろうが。
治そうとする人もいるだろうし、治さない人もいる。
歯周病なんてすでに日本の国民病みたいなほど罹患している人は多い。
病に名前を付けて「病気」にして治療するのはいいけれど「病気」になってしまうと、治療は「医者」や「薬」の「誰か(何か)」に治すことを依存してしまう。
自分で考えない。思考停止だ。
でも、考えて欲しい。
誰がその病で苦しむのか。
それを治すのは自分しかない。
もし、その環境を少しでも楽しめるのなら、それは「病」ではなく「病気」なのだろう。
「病」は神が与えたかもしれないが、「病気」は人間がそれを認知している。
名前があろうが、無かろうが、心だろうが、肉体だろうが、病は誰もが持っている。
自分で治すか、それと生きるしかない。
薬や治療で「治った」人々の「その後」
昨今、いろいろなところで、心の問題を専門家並みに語る人を見る。
自分自身で「うつ病」だから、どうする、こうする、という話もそうだが、聞いていてとても違和感を感じる。
何故なら、これだけ巷に情報が取れて、精神病で休職も出来て、病院にも行っているのに、一向に減る話は聞いたことがない。
増える話は沢山聞くけれど。
会社でのパワーハラスメント、引きこもり、そしてうつ病。
何故、減らないのか。
それを語る精神科医の記事も見かける。
現代人のストレスとか、会社環境や、社会的不安とか、なんとか。
でも、本当にそうなのだろうか。
心の病にプロがいることも、そういう「原因追求」も理解できる。
現代、特に精神科医も増えて、薬も手に入るようになった。
でも、こういう「進化」で、人は救われたのか。
新しい自分になれたのか。
自己分析とか自己認知とか、分析手法も多数ある。
でも、こういうことで人は救われないような気がする。
何故なら「生きる意味」は自分自身を掘り下げても存在しないから。
クリスチャンは、神によって変えられることを信じる。
信仰に生きる意味は、神の言葉と共に生きることだ。
この世に命があるのは、神がその人を愛して送られた。
その目的は、お互い愛し合うためだ。
他者を貶める情報が氾濫し、魂を汚し続ける社会に必要なのは、神が人に託した目的を知ることではないだろうか。
自分自身で「うつ病」だから、どうする、こうする、という話もそうだが、聞いていてとても違和感を感じる。
何故なら、これだけ巷に情報が取れて、精神病で休職も出来て、病院にも行っているのに、一向に減る話は聞いたことがない。
増える話は沢山聞くけれど。
会社でのパワーハラスメント、引きこもり、そしてうつ病。
何故、減らないのか。
それを語る精神科医の記事も見かける。
現代人のストレスとか、会社環境や、社会的不安とか、なんとか。
でも、本当にそうなのだろうか。
心の病にプロがいることも、そういう「原因追求」も理解できる。
現代、特に精神科医も増えて、薬も手に入るようになった。
でも、こういう「進化」で、人は救われたのか。
新しい自分になれたのか。
自己分析とか自己認知とか、分析手法も多数ある。
でも、こういうことで人は救われないような気がする。
何故なら「生きる意味」は自分自身を掘り下げても存在しないから。
クリスチャンは、神によって変えられることを信じる。
信仰に生きる意味は、神の言葉と共に生きることだ。
この世に命があるのは、神がその人を愛して送られた。
その目的は、お互い愛し合うためだ。
他者を貶める情報が氾濫し、魂を汚し続ける社会に必要なのは、神が人に託した目的を知ることではないだろうか。
「判りやすい」と信じやすい。でも、「正しい」という保障は何もない。
「不眠が脳に与えるダメージは大きい」という記事を見た。
NEWSポストセブンだから、センセーショナルな記述は仕方ないが、だから「睡眠薬を飲んだ方が良い」と「スリープクリニックの院長」がおっしゃっております、から」というまとめにメディアのえげつなさを感じた。
本当に不眠なら、最初にやる事は「何故、眠れないか」を考えることだ。
病院に行くことではない。
原因は単純。一つは「運動不足」。
体が疲れていないから眠れない。
もう一つは「満足感の不足」。
不満や心配を持つことはストレスになるから眠れない。
適度に体が疲れて「ああ、今日も良くやった」と思ってベットに入る。
生きることに感謝し、充実した一日を過ごしているのかどうか、自分自身に問うた時、素晴らしい満足感を感じていれば、枕に頭がついた瞬間、たぶん、寝ている。
でも、記事するためには、読者が知りたいことを載せる必要がある。
それは権威者の言葉だ。
どんな対処も「自分」で考えず、「権威者」の言葉を信じて行動の基準とする。
でも、ここで再度、考えて欲しい。
この「権威者の言葉」で貴方が行動するれば「誰が儲かるのか」ということを。
「権威」に弱い日本人は、こういう記事を信じてしまいそうになるが、これは薬を売る人が「もっと薬を買ってください」という広告(記事)でもある。
誰かに問題の答えをもらうのは楽チンだ。
でも、それを選ぶのは、信じるのは自分自身。
権威者である「誰か」は貴方のことを知りもしない。
楽チンに選んだ解決案は一時は効いても問題の根本的な解決にはならない。
永遠と患者が薬を飲めば、儲かるのは医者と製薬会社で、患者は金を払う。
たとえ、飲んだことで害がおきても、それは自身の選択だ。
不眠の根本原因は自分自身の生き方にある。
「どうやって今日を生きたか」という自身の思いが影響しているのだから、それに向き合うことが、治療への最初のステップだ。
NEWSポストセブンだから、センセーショナルな記述は仕方ないが、だから「睡眠薬を飲んだ方が良い」と「スリープクリニックの院長」がおっしゃっております、から」というまとめにメディアのえげつなさを感じた。
本当に不眠なら、最初にやる事は「何故、眠れないか」を考えることだ。
病院に行くことではない。
原因は単純。一つは「運動不足」。
体が疲れていないから眠れない。
もう一つは「満足感の不足」。
不満や心配を持つことはストレスになるから眠れない。
適度に体が疲れて「ああ、今日も良くやった」と思ってベットに入る。
生きることに感謝し、充実した一日を過ごしているのかどうか、自分自身に問うた時、素晴らしい満足感を感じていれば、枕に頭がついた瞬間、たぶん、寝ている。
でも、記事するためには、読者が知りたいことを載せる必要がある。
それは権威者の言葉だ。
どんな対処も「自分」で考えず、「権威者」の言葉を信じて行動の基準とする。
でも、ここで再度、考えて欲しい。
この「権威者の言葉」で貴方が行動するれば「誰が儲かるのか」ということを。
「権威」に弱い日本人は、こういう記事を信じてしまいそうになるが、これは薬を売る人が「もっと薬を買ってください」という広告(記事)でもある。
誰かに問題の答えをもらうのは楽チンだ。
でも、それを選ぶのは、信じるのは自分自身。
権威者である「誰か」は貴方のことを知りもしない。
楽チンに選んだ解決案は一時は効いても問題の根本的な解決にはならない。
永遠と患者が薬を飲めば、儲かるのは医者と製薬会社で、患者は金を払う。
たとえ、飲んだことで害がおきても、それは自身の選択だ。
不眠の根本原因は自分自身の生き方にある。
「どうやって今日を生きたか」という自身の思いが影響しているのだから、それに向き合うことが、治療への最初のステップだ。
「作られた命」が送る人生の意味
最近、命は「作るもの」らしい。
作るものだから、失敗作を捨てるのも「人間の都合」だ。
作るものだから、思ったように出来ないと「こんなはずじゃあなかった」となる。
でも考えてみよう。
命は本当に人間が「作る」ものなのだろうか。
もし、そうであれば、人が生まれる意味は「作られたから」となる。
じゃあ、その作られた人間の生きる意味は?
フランケンシュタインの映画でキャッチコピーが「何故、作った」だった。
もし、今の子供が自我に目覚めて、生きる意味を親世代に問うた時、どう答えるのか。
「欲しかったから」ではルイ・ビトンのバックと同じレベルだ。
その答えから、命の貴重さが学べるとは思えない。
では、命が「与えられたもの」と考えた時にはどうだろう。
この考えでは、神が存在する。
この「神」という概念は、自分より大きなパワーである「何か」という意味だ。
だから、与えられた命は、神の意思がある。
人が理解できる埒外において神は私達に命を活用して「やってほしいこと」を託してこの世に送った。
イエスはそれをシンプルに「愛し合うことだ」と伝えた。
それも、イエスのように。そして「許しあうこと」も。
クリスチャンはそれを信じる。
人間に「作られた命」は、人間が作った仕組みで評価され、愛される。
そこに生きる意味は見出せない。
でも、神の仕組みで「与えられた命」は、神の仕組みで評価される。
条件も何もない。
神が自分に命を与えたのは、明快な理由がある。
一人ひとりは神に「必要とされたから」この世にある。
まだ、神の「目的」は判らないかもしれないけど。
作るものだから、失敗作を捨てるのも「人間の都合」だ。
作るものだから、思ったように出来ないと「こんなはずじゃあなかった」となる。
でも考えてみよう。
命は本当に人間が「作る」ものなのだろうか。
もし、そうであれば、人が生まれる意味は「作られたから」となる。
じゃあ、その作られた人間の生きる意味は?
フランケンシュタインの映画でキャッチコピーが「何故、作った」だった。
もし、今の子供が自我に目覚めて、生きる意味を親世代に問うた時、どう答えるのか。
「欲しかったから」ではルイ・ビトンのバックと同じレベルだ。
その答えから、命の貴重さが学べるとは思えない。
では、命が「与えられたもの」と考えた時にはどうだろう。
この考えでは、神が存在する。
この「神」という概念は、自分より大きなパワーである「何か」という意味だ。
だから、与えられた命は、神の意思がある。
人が理解できる埒外において神は私達に命を活用して「やってほしいこと」を託してこの世に送った。
イエスはそれをシンプルに「愛し合うことだ」と伝えた。
それも、イエスのように。そして「許しあうこと」も。
クリスチャンはそれを信じる。
人間に「作られた命」は、人間が作った仕組みで評価され、愛される。
そこに生きる意味は見出せない。
でも、神の仕組みで「与えられた命」は、神の仕組みで評価される。
条件も何もない。
神が自分に命を与えたのは、明快な理由がある。
一人ひとりは神に「必要とされたから」この世にある。
まだ、神の「目的」は判らないかもしれないけど。
「無関心」になる判断基準
人は何のためにに生きているのだろうか。
こんな「生きる」本質を語ることが、ばかばかしくなるほど、世の中の価値観は、「金」や「損、得」でしか測れなくなってきているような気がする。
この店は「安くて」「おいしい」
「何億円の家に住んでいる人」
「騙されて、こんなに損をした」
価値観はすべて「儲かること」であり「得である」ことが基準になる。
節電や環境に良いこともすべて「儲かること」に繋がっている。
それ以外のニュースには無関心だ。
たとえば、外国人の社長が、会社の不正を正そうとして首になったオリンパスの件。
その指示をした人は、執行猶予になったけれど、彼が「外国人の社長を「文化の違い」と言って首にした」ことに対して、再度ふれた日本メディアは無かった。
正直になろうとした、勤続30年の従業員あがりの社長を首にした事実。
こういう行為は、人としてどうなのか。日本人としてどうなのか。
その罪の重さについて、誰も問題にしない。
お金で測れないから。判決の年数で測れないから。
判りにくいから、ニュースにならない。
それ「外国人」は「自分」の仲間でもないから「対象外」だし、そもそも終わったことでしょ。
だから、関係ない。
自分にとって「無駄」なことは「考えない、気にしない」こと。
語ることすら「価値無し」と考えること。だから、話題にもしない。
これらの行為もまた、自分の良心を殺す行為だ。
それは、未来に社会を作る「小さな人間」の良心もまた、殺していること。
こんな「生きる」本質を語ることが、ばかばかしくなるほど、世の中の価値観は、「金」や「損、得」でしか測れなくなってきているような気がする。
この店は「安くて」「おいしい」
「何億円の家に住んでいる人」
「騙されて、こんなに損をした」
価値観はすべて「儲かること」であり「得である」ことが基準になる。
節電や環境に良いこともすべて「儲かること」に繋がっている。
それ以外のニュースには無関心だ。
たとえば、外国人の社長が、会社の不正を正そうとして首になったオリンパスの件。
その指示をした人は、執行猶予になったけれど、彼が「外国人の社長を「文化の違い」と言って首にした」ことに対して、再度ふれた日本メディアは無かった。
正直になろうとした、勤続30年の従業員あがりの社長を首にした事実。
こういう行為は、人としてどうなのか。日本人としてどうなのか。
その罪の重さについて、誰も問題にしない。
お金で測れないから。判決の年数で測れないから。
判りにくいから、ニュースにならない。
それ「外国人」は「自分」の仲間でもないから「対象外」だし、そもそも終わったことでしょ。
だから、関係ない。
自分にとって「無駄」なことは「考えない、気にしない」こと。
語ることすら「価値無し」と考えること。だから、話題にもしない。
これらの行為もまた、自分の良心を殺す行為だ。
それは、未来に社会を作る「小さな人間」の良心もまた、殺していること。
何故なら、歴史は残ったものの上にだけ、積み重なるから。
それが、良いものであれ、悪いものであれ。
「憎しみ」と「無関心」
神が伝える「愛する仕組み」はシンプルだ。
無条件に愛しなさい、許しなさい。
なぜなら、私が貴方をそうやって愛しているから。
しかし、現代において悪はあらゆるところで憎しみを増殖している。
人はそれに触発され、悪いことが起ってしまったことを、受け入れられず「誰かのせい」にする。
それは、人の魂にも影響し、憎しみを持つ行動を促す。
今日、病院での対応が悪いことをネットでぶちまけた人が自殺したニュースが発表された。
ネットでは、病院側の対応が普通で、彼の不満は「モンスタークレーマー」の行動と捉えられ、非難ごうごう。炎上。そして、彼は今日、自殺した。
この人を殺した「責任」を私達は「自身のこと」として、認識するだろうか。
彼の行為を罵倒した人は彼を死に追いやった行動に加担している。
そして、その報道を読んで、「何もしなかった」自分もまたその加担者だ。
「憎しみ」という感情と「無関心」は、人を殺す。
ある人は、誰かをいじめることで、そして誰かはそれを見ぬふりをして、人の魂を殺している。
神が身近においてくれた人に対して「憎しみ」という悪を見て、それに立ち向かわないのは、悪の存在を許していることだ。
でも「係わり合いになるのは嫌」というのは恐怖からだろう。
恐怖もまた、悪の領域だ。
神を信じないで悪に立ち向かうことは無理なこと。闇に立ち向かうことが出来るのは、光の存在を信じてこそ。
信じていなければ、怯えて何一つ行動出来ない。
無条件に愛しなさい、許しなさい。
なぜなら、私が貴方をそうやって愛しているから。
しかし、現代において悪はあらゆるところで憎しみを増殖している。
人はそれに触発され、悪いことが起ってしまったことを、受け入れられず「誰かのせい」にする。
それは、人の魂にも影響し、憎しみを持つ行動を促す。
今日、病院での対応が悪いことをネットでぶちまけた人が自殺したニュースが発表された。
ネットでは、病院側の対応が普通で、彼の不満は「モンスタークレーマー」の行動と捉えられ、非難ごうごう。炎上。そして、彼は今日、自殺した。
この人を殺した「責任」を私達は「自身のこと」として、認識するだろうか。
彼の行為を罵倒した人は彼を死に追いやった行動に加担している。
そして、その報道を読んで、「何もしなかった」自分もまたその加担者だ。
「憎しみ」という感情と「無関心」は、人を殺す。
ある人は、誰かをいじめることで、そして誰かはそれを見ぬふりをして、人の魂を殺している。
神が身近においてくれた人に対して「憎しみ」という悪を見て、それに立ち向かわないのは、悪の存在を許していることだ。
でも「係わり合いになるのは嫌」というのは恐怖からだろう。
恐怖もまた、悪の領域だ。
神を信じないで悪に立ち向かうことは無理なこと。闇に立ち向かうことが出来るのは、光の存在を信じてこそ。
信じていなければ、怯えて何一つ行動出来ない。
「条件付愛」が存在する仕組み
リスクマネジメントを研究しているときに、業種によってリスクや評価の捕らえ方が違うということを知った。
たとえば、金融業。
これはルールを守ることが評価につながる。
評価が悪いというのは、ルール(基準)を守らないこと。
つまり「減点主義」と言えるだろう。
逆に商社などは「殺人以外は何しても良い」と言われるほど、守るべきルールは少ない。
評価が悪いのは、売り上げが少ないことなので「得点主義」でもある。
たとえば、「条件付愛」を「減点主義」と考えてみる。
これは「ここまでになれば、貴方を愛する」という価値観だ。
この思想が金融業と似ているかどうか考えてみよう。
条件付愛は、貯金できるか?
できる。だって、子供に「投資」すれば、老後は安泰と親は考える。
与えた愛に利子はつくのか?
親に従順な子供に育てれば出世して、親に儲けをつけて返してくれるかもしれない。
逆はどうだろうか。貯金しなければ、借金することになる。愛の借金は「憎しみ」と言ってもいいだろう。
条件付愛を与えないと、貯金はないから、子供は大人になった時、親の元に戻る理由はない。
借金があれば、憎しみ会う関係しか残らない。
「条件付愛」を「得点主義」で考えてみるとどうだろう。
「何点とれば、ゲーム機を買ってあげる」と同じように「いい成績なら、愛してあげる」とか。
得点主義も、減点主義も「損得」のために人が作った「仕組み」がもたらす思想だ。この思想の元に「愛」という関係を肯定した場合、問題が起きる。
何故なら、どちらも「誰かが作った価値観」を元に愛するから。
人は「誰かの価値観」に見合わなければ、決して愛され、認められることがない。
現代社会の問題は、愛する方法を人間の仕組みで考えるから。
神の「仕組み」に条件付愛はない。
たとえば、金融業。
これはルールを守ることが評価につながる。
評価が悪いというのは、ルール(基準)を守らないこと。
つまり「減点主義」と言えるだろう。
逆に商社などは「殺人以外は何しても良い」と言われるほど、守るべきルールは少ない。
評価が悪いのは、売り上げが少ないことなので「得点主義」でもある。
たとえば、「条件付愛」を「減点主義」と考えてみる。
これは「ここまでになれば、貴方を愛する」という価値観だ。
この思想が金融業と似ているかどうか考えてみよう。
条件付愛は、貯金できるか?
できる。だって、子供に「投資」すれば、老後は安泰と親は考える。
与えた愛に利子はつくのか?
親に従順な子供に育てれば出世して、親に儲けをつけて返してくれるかもしれない。
逆はどうだろうか。貯金しなければ、借金することになる。愛の借金は「憎しみ」と言ってもいいだろう。
条件付愛を与えないと、貯金はないから、子供は大人になった時、親の元に戻る理由はない。
借金があれば、憎しみ会う関係しか残らない。
「条件付愛」を「得点主義」で考えてみるとどうだろう。
「何点とれば、ゲーム機を買ってあげる」と同じように「いい成績なら、愛してあげる」とか。
得点主義も、減点主義も「損得」のために人が作った「仕組み」がもたらす思想だ。この思想の元に「愛」という関係を肯定した場合、問題が起きる。
何故なら、どちらも「誰かが作った価値観」を元に愛するから。
人は「誰かの価値観」に見合わなければ、決して愛され、認められることがない。
現代社会の問題は、愛する方法を人間の仕組みで考えるから。
神の「仕組み」に条件付愛はない。
「条件付愛」が生む価値観
条件付で発生する関係には、その人の個性を尊重する必要はない。
子供も大人も「こうであるべき」というたくさんの基準があるから、それ以下の場合愛する対象にはならないからだ。
それでも関係がある場合、それは義務でしかない。
義務には責任が伴うが、義務を果たすのは「有料」な上、自己愛の強い人間には「無駄な時間」でしかない。
つまり、義務を背負わなければ、責任を果たす必要もない。
だから、みんなそんな重い「条件付関係」を避ける。
何故なら金がかかるから。
結婚しない人々世代は子供時代「条件付愛」をめいっぱい受けてきている。
その価値観を分析すると、「結婚しない方が得」と思うのは当然だろう。
そして、これらの人々が作り出す文化に「個性」は不要だ。
何故なら選択の判断基準は誰かが作った「条件」があるから。
つまり、条件に満たない人は「対象外」であるから切り捨てる。
ここに「自分のクラス」と「対象外のクラス」が出来る。
そして、一瞬で自分がどこに属するかを判断してより多くの条件(情報)を得る努力をする。
テレビの年齢表示は代表的なものだろう。
自分の年代の「普通」を知るために、誰かの情報を知りたがる。
だから、就職が年齢や性別で「対象」と「非対象」と分けるのも当然の結果だろう。
しかし、フィルター付きで、個性を尊重しない社会の価値観を作っているのは、一人ひとりの家庭で「条件付愛」しか与えられなかった私達である。
聖書は「お互い愛し合いなさい」と教える。
そこに「条件をつけて」という言葉はない。
子供も大人も「こうであるべき」というたくさんの基準があるから、それ以下の場合愛する対象にはならないからだ。
それでも関係がある場合、それは義務でしかない。
義務には責任が伴うが、義務を果たすのは「有料」な上、自己愛の強い人間には「無駄な時間」でしかない。
つまり、義務を背負わなければ、責任を果たす必要もない。
だから、みんなそんな重い「条件付関係」を避ける。
何故なら金がかかるから。
結婚しない人々世代は子供時代「条件付愛」をめいっぱい受けてきている。
その価値観を分析すると、「結婚しない方が得」と思うのは当然だろう。
そして、これらの人々が作り出す文化に「個性」は不要だ。
何故なら選択の判断基準は誰かが作った「条件」があるから。
つまり、条件に満たない人は「対象外」であるから切り捨てる。
ここに「自分のクラス」と「対象外のクラス」が出来る。
そして、一瞬で自分がどこに属するかを判断してより多くの条件(情報)を得る努力をする。
テレビの年齢表示は代表的なものだろう。
自分の年代の「普通」を知るために、誰かの情報を知りたがる。
だから、就職が年齢や性別で「対象」と「非対象」と分けるのも当然の結果だろう。
しかし、フィルター付きで、個性を尊重しない社会の価値観を作っているのは、一人ひとりの家庭で「条件付愛」しか与えられなかった私達である。
聖書は「お互い愛し合いなさい」と教える。
そこに「条件をつけて」という言葉はない。
「貴方よりできる」優越感の無意味さ
朝早く、母との待ち合わせに寝坊をした。
起きたのは、待ち合わせ時間10分前。
それでも、だいたい間に合ったのだから、問題は無い。
ただ「少し待ってくれ」と寝坊した事実を伝えると最初に出た言葉。
「何で、ちゃんと目覚ましかけておかないの」
「私は大抵起きられるのに」
そもそも、朝出かける予定があれば大抵は目覚ましをかける。
だから、こういう時は普通こう言うだろう。
「大丈夫。まだ、時間があるから。」
「目覚まし、聞こえなかったんだね。眠れなかったの?」
とかなんとか、質問するのが普通だと思うが、母にはそういう思考はない。
ここぞとばかり、出来なかったことを責め自分はできることをくじゃくのようにひらけかす。
その意図は、自分を高めて相手を落とすという「自分が優越感を感じさせる行為」であることに気がついていない。
多くの親が自分の子供に対してこういう行動を取る。
何故、子供を安心させること、もしくは理由を聞き出すことをしないのだろうか。
親子喧嘩が始まる原因に「まずいと思っているところを攻められて怒り出す」ということになるパターンも少なくないだろう。
出来なくてもいい。
起こってしまったんだから。
でも、出来ない理由は何故だろう。
(何かきっと理由があるはず。)
こんな思考にならない理由は簡単。
他者より自分がかわいいから。
自己愛はあっても他者への愛は存在しない。
子供(老人)はできること(迷惑をかけないこと)で愛してもらう努力をする。
でも、条件付で人を愛する行為は、愛するとは言わない。
それでも、自分はその人を愛する義務がある。
何故なら、神様が与えた「母」という人だから。
起きたのは、待ち合わせ時間10分前。
それでも、だいたい間に合ったのだから、問題は無い。
ただ「少し待ってくれ」と寝坊した事実を伝えると最初に出た言葉。
「何で、ちゃんと目覚ましかけておかないの」
「私は大抵起きられるのに」
そもそも、朝出かける予定があれば大抵は目覚ましをかける。
だから、こういう時は普通こう言うだろう。
「大丈夫。まだ、時間があるから。」
「目覚まし、聞こえなかったんだね。眠れなかったの?」
とかなんとか、質問するのが普通だと思うが、母にはそういう思考はない。
ここぞとばかり、出来なかったことを責め自分はできることをくじゃくのようにひらけかす。
その意図は、自分を高めて相手を落とすという「自分が優越感を感じさせる行為」であることに気がついていない。
多くの親が自分の子供に対してこういう行動を取る。
何故、子供を安心させること、もしくは理由を聞き出すことをしないのだろうか。
親子喧嘩が始まる原因に「まずいと思っているところを攻められて怒り出す」ということになるパターンも少なくないだろう。
出来なくてもいい。
起こってしまったんだから。
でも、出来ない理由は何故だろう。
(何かきっと理由があるはず。)
こんな思考にならない理由は簡単。
他者より自分がかわいいから。
自己愛はあっても他者への愛は存在しない。
子供(老人)はできること(迷惑をかけないこと)で愛してもらう努力をする。
でも、条件付で人を愛する行為は、愛するとは言わない。
それでも、自分はその人を愛する義務がある。
何故なら、神様が与えた「母」という人だから。
「歴史」を学ぶ意味
美術大学で習ったことは、「何故、表現するのか」を自分に問い続けることだった。
そのために、歴史(他者のやったこと)を勉強し、クラスメートから、作品の評価を受ける。
何故、そのような「勉強」を大学で必要とするのか。
他者と交流しなければ、自分を客観的に見る目は育たない。
結局、自分自身の価値も他者と比較しなければ、把握できない。
そして自分に問う。
「何故、表現するのか」。
その答えは、単純だ。
そうしたいから。
「思い」や「感動」があって、やらないではいられないから。
とどのつまり、「感動」なしには何も生まれない。
歴史を学ぶとそれが判る。
人間の「感動」の記録の上に私達の「今」がある。
この感動は、肯定的なものだけではなく、否定的なものもある。
文章を書き、自分の意見を発表することは簡単になった。
言論の自由は人の権利だ。
しかし、その責務を知っているのだろうか。
憎しみ、怒り、不満、恨み。コピー文化で「誰かの(否定的な)感動」が増殖する。それが、思想となって、他者の行動に影響する種となる。
「否定的な感動」を伝える人はその加担者であることを自覚しているだろうか。
多様性は否定され、画一意見が蔓延する。
大戦前の言論統制時代も、同じような状況だった。
戦争が起こる、起こらない、という観点ではなく、世論が多様性を認めない、コピーした思想が蔓延する社会は、人間社会として成熟できない。
誰かが自分のために決めてくれることを待ちながら、文句を言い続けることは、「変わらない社会を支える行為」であることを認知する必要がある。
そのために、歴史(他者のやったこと)を勉強し、クラスメートから、作品の評価を受ける。
何故、そのような「勉強」を大学で必要とするのか。
他者と交流しなければ、自分を客観的に見る目は育たない。
結局、自分自身の価値も他者と比較しなければ、把握できない。
そして自分に問う。
「何故、表現するのか」。
その答えは、単純だ。
そうしたいから。
「思い」や「感動」があって、やらないではいられないから。
とどのつまり、「感動」なしには何も生まれない。
歴史を学ぶとそれが判る。
人間の「感動」の記録の上に私達の「今」がある。
この感動は、肯定的なものだけではなく、否定的なものもある。
文章を書き、自分の意見を発表することは簡単になった。
言論の自由は人の権利だ。
しかし、その責務を知っているのだろうか。
憎しみ、怒り、不満、恨み。コピー文化で「誰かの(否定的な)感動」が増殖する。それが、思想となって、他者の行動に影響する種となる。
「否定的な感動」を伝える人はその加担者であることを自覚しているだろうか。
多様性は否定され、画一意見が蔓延する。
大戦前の言論統制時代も、同じような状況だった。
戦争が起こる、起こらない、という観点ではなく、世論が多様性を認めない、コピーした思想が蔓延する社会は、人間社会として成熟できない。
誰かが自分のために決めてくれることを待ちながら、文句を言い続けることは、「変わらない社会を支える行為」であることを認知する必要がある。
「盗む」行為が生む価値観
音楽や思想をコピーする行為は、人の創作物をコピーして対価を払わない「盗む」行為である。
その行為がもたらすものは大量の情報流出。
無料で手に入れた物の価値は薄く、すぐに手放す。そして「ああ、それ知ってる」ということになる。
他者のものを盗む行為(物品であれ、思想であれ、デザインであれ)「罪悪である」ということを教えない文化の成れの果ては、創造する人を尊重しないこと。
つまり、人間の個性を尊重しないことに繋がってゆく。
それは、自分の子供や親(老人)を「所有物」として捕らえる思想に繋がる。
何故なら、人はそれぞれがユニークな存在であり、自分とは異なる考えを持った「一人の人間である」ことを否定するから。
親(老人)や子供の「行動したい(生きたい)思い」を盗んで、自分の「こうさせたい思い」を押し付ける。彼らの意思に対価(尊重)は払われない。
そして、彼らのために「私が決めてあげる」ということになる。
コピー情報で出来た思想の元に出来る価値観は危険だ。
「がんばっている自分を認めて」という情報は、共感を呼びやすいから。
だから「一生懸命やっている自分は正しい。何故ならみんなそうやっているから」ということになる。
「情報」というデジタルコピーで知りえたものから学んだ思想も、決して自分も物にはなりえない。
何故なら、それは誰かが作った「考え」だから。
重要なのは「自分はどうしたいのか、どうすべきか」を考えること。
そして、他者の意見を尊重すること。
矛盾した意見に見えるけど、「他人の意見を尊重した」上で、「自分はどうしたいのか」を考える必要がある。
「どうしたいのか」を選んで人生を生きる権利があるのは、その人以外、誰でもないのだから。
その行為がもたらすものは大量の情報流出。
無料で手に入れた物の価値は薄く、すぐに手放す。そして「ああ、それ知ってる」ということになる。
他者のものを盗む行為(物品であれ、思想であれ、デザインであれ)「罪悪である」ということを教えない文化の成れの果ては、創造する人を尊重しないこと。
つまり、人間の個性を尊重しないことに繋がってゆく。
それは、自分の子供や親(老人)を「所有物」として捕らえる思想に繋がる。
何故なら、人はそれぞれがユニークな存在であり、自分とは異なる考えを持った「一人の人間である」ことを否定するから。
親(老人)や子供の「行動したい(生きたい)思い」を盗んで、自分の「こうさせたい思い」を押し付ける。彼らの意思に対価(尊重)は払われない。
そして、彼らのために「私が決めてあげる」ということになる。
コピー情報で出来た思想の元に出来る価値観は危険だ。
「がんばっている自分を認めて」という情報は、共感を呼びやすいから。
だから「一生懸命やっている自分は正しい。何故ならみんなそうやっているから」ということになる。
「情報」というデジタルコピーで知りえたものから学んだ思想も、決して自分も物にはなりえない。
何故なら、それは誰かが作った「考え」だから。
重要なのは「自分はどうしたいのか、どうすべきか」を考えること。
そして、他者の意見を尊重すること。
矛盾した意見に見えるけど、「他人の意見を尊重した」上で、「自分はどうしたいのか」を考える必要がある。
「どうしたいのか」を選んで人生を生きる権利があるのは、その人以外、誰でもないのだから。
コピー文化弊害の本質的問題点
ある友人と議論していたら、喧嘩になった。
それ自体はたいした問題ではなかったのだが、それを別の友人にこの出来事で「こんな事から、こういうことを感じたよ」というメールをしたら、いろいろ考えがまとまった。
そうしたら、芯から恐ろしいことに気がついた。
それは「コピー文化」がもたらす本当の問題点だった。
今、ニュースで語られる政治家等への「非難」。妥当なものもあるけれど、たいていは世論という名の下に「彼らは何をやっているんだ」という文句に近い。
そこに「何故、そうなるのか」を調べたニュースをみても結局「誰かが悪い」ことになる。
その情報はコピーされて、どんどん大きくなり「みんなが問題にしている」ということになる。
無料のものは増殖する。
ここには、当事者意識が欠落し「社会や仕組みが悪い。自分は悪くない。」という世論や思想が形成される。
この文化がもたらす社会的影響は2つの思想標準化だ。
「社会が悪い」「みんながそう思っている」。
つまり、社会においてその思想が「正」であるから、他の意見を排除する。
その先に何があるのか。誰も何も言わない、作らない。
何故なら、リスクを起こすだけの対価がないから。
「儲かる」ことだけ考えて創造することは、がどれだけ危険な思想なのか、その思想が大量に増殖されれば、多様性は排除される。
物質でも、思想でも、意見でも、価値観でも・・・・。
コピー文化の上に、本物が創造される土壌を作るためには、どうすればいいのだろうか。
それ自体はたいした問題ではなかったのだが、それを別の友人にこの出来事で「こんな事から、こういうことを感じたよ」というメールをしたら、いろいろ考えがまとまった。
そうしたら、芯から恐ろしいことに気がついた。
それは「コピー文化」がもたらす本当の問題点だった。
今、ニュースで語られる政治家等への「非難」。妥当なものもあるけれど、たいていは世論という名の下に「彼らは何をやっているんだ」という文句に近い。
そこに「何故、そうなるのか」を調べたニュースをみても結局「誰かが悪い」ことになる。
その情報はコピーされて、どんどん大きくなり「みんなが問題にしている」ということになる。
無料のものは増殖する。
ここには、当事者意識が欠落し「社会や仕組みが悪い。自分は悪くない。」という世論や思想が形成される。
この文化がもたらす社会的影響は2つの思想標準化だ。
「社会が悪い」「みんながそう思っている」。
つまり、社会においてその思想が「正」であるから、他の意見を排除する。
その先に何があるのか。誰も何も言わない、作らない。
何故なら、リスクを起こすだけの対価がないから。
「儲かる」ことだけ考えて創造することは、がどれだけ危険な思想なのか、その思想が大量に増殖されれば、多様性は排除される。
物質でも、思想でも、意見でも、価値観でも・・・・。
コピー文化の上に、本物が創造される土壌を作るためには、どうすればいいのだろうか。
「被害者」という言葉の弊害
「する側」がいれば「される側」がある。
どんな暴力にも「加害者」と「被害者」がいる。
では、「傍観者」という第三者はどちらだろうか。
一億総批評家時代、この「傍観者」は大抵当事者として「どちらか」だったことが多いけれど、圧倒的に「被害者」だったことが多いらしい。
でも、数的に考えればこれはおかしなことだ。
つまり、この現象は同情を受けやすい「被害者」という認識はしやすいけど、「加害者」という認識はできないといえるだろう。
たとえば、いじめや暴力を見ていても何もしない「傍観者」は「加害者」とは思わないだろう。
しかし、実際「傍観者」は「加害者」だ。
いっしょになって、誰かをいじめるのはもちろん加害者だけれども、それに関わらない選択をした個人は立派な「加害者」だ。
でもそういう「傍観者」には当事者意識がない。
距離を置いたところから「被害者:かわいそうな人」に「同情する優しい私」という感覚を持って意見する。
同情は、高みからしか提供できない。
自分が「加害者である」という意識を持てば「加害者にならないためにどうすべきか」を考え始めることができる。
これにはひとつしかない。
関わること。面倒でも、当事者になること。
「間違っている」と声を出すこと。
「加害者にならない」選択をすること。
(認識しない)加害者がいなくならない限り、被害者は生まれ続ける。
何とかできるのは「誰か」や「国」ではなくて「加害者になることを止める自分」しかいない。
どんな暴力にも「加害者」と「被害者」がいる。
では、「傍観者」という第三者はどちらだろうか。
一億総批評家時代、この「傍観者」は大抵当事者として「どちらか」だったことが多いけれど、圧倒的に「被害者」だったことが多いらしい。
でも、数的に考えればこれはおかしなことだ。
つまり、この現象は同情を受けやすい「被害者」という認識はしやすいけど、「加害者」という認識はできないといえるだろう。
たとえば、いじめや暴力を見ていても何もしない「傍観者」は「加害者」とは思わないだろう。
しかし、実際「傍観者」は「加害者」だ。
いっしょになって、誰かをいじめるのはもちろん加害者だけれども、それに関わらない選択をした個人は立派な「加害者」だ。
でもそういう「傍観者」には当事者意識がない。
距離を置いたところから「被害者:かわいそうな人」に「同情する優しい私」という感覚を持って意見する。
同情は、高みからしか提供できない。
自分が「加害者である」という意識を持てば「加害者にならないためにどうすべきか」を考え始めることができる。
これにはひとつしかない。
関わること。面倒でも、当事者になること。
「間違っている」と声を出すこと。
「加害者にならない」選択をすること。
(認識しない)加害者がいなくならない限り、被害者は生まれ続ける。
何とかできるのは「誰か」や「国」ではなくて「加害者になることを止める自分」しかいない。
立ち上がる「勇気」と「支え」の「存在」を信じよう
虐待という言葉はあまり好きではない。
何故なら、ここには「する人」より「された人」への「かわいそう」という感情を掻き立てる言葉に思えるから。
いじめという言葉も同じことが言える。
どんな言葉で表現しても、重要なことはひとつしかない。
「事実は変わらない」ということ。
虐待「された事実」も、「した事実」も変わらない。
ここから「どうするか」は、当事者の問題だ。
特に「された側」に立つ同情たっぷりの意見が多いが、当事者が再び生きるためには何の役にも立たない。
たとえば、道に暴力を受けた人を見下ろしながら救急車も呼ばず、かかわりたくないために通りすがりに「かわいそうねえ」と言う傍観者。
批評しかしない人は、ただの傍観者だ。
当事者が事実を受け止め、自分の足で立ち上がるためには、彼らが立ち上がろう、乗り越えようとしなければ、何も始まらない。
他人から受ける暴力はどれも外傷みたいなもの。
食べて寝て日増しに傷は癒えてくる。
でも、本人が「被害者である」ことを理由に起き上がろうとしないのは、本人の問題だ。
すぐに起き上がれないなら、しばらく寝ていればいい。
でも、いずれ起き上がる必要がある。
そして、それは本人しかできない。
「生きる」というのは、不合理なことも多い。
でも、その事実に向き合うのは当事者本人だけ。
倒れた自分は自分で立つしかないけれど、きっと支えてくれる人がいる。
起き上がる前に、ちょっと回りを見回してみよう。
差し伸べている手を信じて、つかんでみよう。
一歩踏み出さないと何も始まらない。
何故なら、ここには「する人」より「された人」への「かわいそう」という感情を掻き立てる言葉に思えるから。
いじめという言葉も同じことが言える。
どんな言葉で表現しても、重要なことはひとつしかない。
「事実は変わらない」ということ。
虐待「された事実」も、「した事実」も変わらない。
ここから「どうするか」は、当事者の問題だ。
特に「された側」に立つ同情たっぷりの意見が多いが、当事者が再び生きるためには何の役にも立たない。
たとえば、道に暴力を受けた人を見下ろしながら救急車も呼ばず、かかわりたくないために通りすがりに「かわいそうねえ」と言う傍観者。
批評しかしない人は、ただの傍観者だ。
当事者が事実を受け止め、自分の足で立ち上がるためには、彼らが立ち上がろう、乗り越えようとしなければ、何も始まらない。
他人から受ける暴力はどれも外傷みたいなもの。
食べて寝て日増しに傷は癒えてくる。
でも、本人が「被害者である」ことを理由に起き上がろうとしないのは、本人の問題だ。
すぐに起き上がれないなら、しばらく寝ていればいい。
でも、いずれ起き上がる必要がある。
そして、それは本人しかできない。
「生きる」というのは、不合理なことも多い。
でも、その事実に向き合うのは当事者本人だけ。
倒れた自分は自分で立つしかないけれど、きっと支えてくれる人がいる。
起き上がる前に、ちょっと回りを見回してみよう。
差し伸べている手を信じて、つかんでみよう。
一歩踏み出さないと何も始まらない。
自分を客観的に観る
ある研修を受けた。
大した新しいことは無いけれど、気づかされたことが多かった。
研修内容は、社会人の常識みたいな「知って当然」であろうということ。
その中で、アルバートメラビアンという心理学者が考えた人の評価手法の数字が興味深い。
彼が言うには、「人は、相手を判断するのに、外見や話し方、態度で93%の印象を決めてしまい、話の内容での判断は7%しかない」とのこと。
教官というか、講師というか、指導する「先生」は
「評価は相手がするもの」
「評価は押し売りできない」
「外見は相手に会う前に確認できること」
「一流とに二流の差はマナーの差」
など、改めて第一印象の重要性を認識した。
話べたな人や、見かけが暗い人が就職がうまく行かないのもよくわかる。
また、自分の話している姿をビデオ撮りした。
恐ろしい体験だ。自分自身を客観的に見るということは、本当にいろいろ「自分のこと」を学ぶことができる。
就職の面接時など、事前に家で話す内容をまとめて予習した方が良いと思った。その時に話そうと思っていても、口に出すとまとまらないことが多い。
また、人の目を見て話すのは、結構難しい。
特に、プレゼンなど、台本がある場合は、台本に目が行きやすいが、話す相手は「台本」ではなく、「人」。
当たり前のことだけど、人を見て話す必要がある。
「「知っている」と思っていることも視点を変えてみることで、新たに学ぶこともできるのだ。」ということを知った。
これもまた、新しい学びだ。
大した新しいことは無いけれど、気づかされたことが多かった。
研修内容は、社会人の常識みたいな「知って当然」であろうということ。
その中で、アルバートメラビアンという心理学者が考えた人の評価手法の数字が興味深い。
彼が言うには、「人は、相手を判断するのに、外見や話し方、態度で93%の印象を決めてしまい、話の内容での判断は7%しかない」とのこと。
教官というか、講師というか、指導する「先生」は
「評価は相手がするもの」
「評価は押し売りできない」
「外見は相手に会う前に確認できること」
「一流とに二流の差はマナーの差」
など、改めて第一印象の重要性を認識した。
話べたな人や、見かけが暗い人が就職がうまく行かないのもよくわかる。
また、自分の話している姿をビデオ撮りした。
恐ろしい体験だ。自分自身を客観的に見るということは、本当にいろいろ「自分のこと」を学ぶことができる。
就職の面接時など、事前に家で話す内容をまとめて予習した方が良いと思った。その時に話そうと思っていても、口に出すとまとまらないことが多い。
また、人の目を見て話すのは、結構難しい。
特に、プレゼンなど、台本がある場合は、台本に目が行きやすいが、話す相手は「台本」ではなく、「人」。
当たり前のことだけど、人を見て話す必要がある。
「「知っている」と思っていることも視点を変えてみることで、新たに学ぶこともできるのだ。」ということを知った。
これもまた、新しい学びだ。
2013年7月2日火曜日
確認印の管理者名は、どんな意味があるのか
担当者が1億着服した、窓口が3000万使いこんだ、という話を聞くたびに「何故、日本ではこの責任者を追及しないのか」と思う。
内部監査員だった経験から、たいていの管理者が判を無意識に押していることを知っているからだ。
もちろん、素晴らしい管理者もたくさんいる。
ただ、管理者として、一定期間にわたり、動く金額に対して、いくつかの切り口を持って、全体をみていればその動きの異常さに3ヶ月や1年で気がつくはず。
だって、管理者は1人じゃあないし、会計監査も毎年入っているのだから。
各管理者がそれぞれが自分の範囲の専門性、プロという意識をもって仕事をしていれば、担当窓口が「3年間、着服しました」なんてありえない。
会計がITシステムで管理されていると、伝票金額と承認金額というような、1対1の数字が間違うことはほとんどない。
だかた、その出し入れの量で不正を操作する可能性を「考えない管理者」に給与払って、なんのチェックを期待するんだろう。
無駄な業務をすることで、企業は中年雇用を保っている。
その分、若い子達は、派遣というプロフェッショナルでもない立場で働くしかない。
一企業ではなく、「社会全体」として考えた時、無駄な業務プロセスに人件費を払い、プロフェッショナルを育てない従業員がたくさん働く組織の存在意義はなんだろう。
そして、そういう組織や部門は企業にとってどんな存在価値があるのだろうか。
内部監査員だった経験から、たいていの管理者が判を無意識に押していることを知っているからだ。
もちろん、素晴らしい管理者もたくさんいる。
ただ、管理者として、一定期間にわたり、動く金額に対して、いくつかの切り口を持って、全体をみていればその動きの異常さに3ヶ月や1年で気がつくはず。
だって、管理者は1人じゃあないし、会計監査も毎年入っているのだから。
各管理者がそれぞれが自分の範囲の専門性、プロという意識をもって仕事をしていれば、担当窓口が「3年間、着服しました」なんてありえない。
会計がITシステムで管理されていると、伝票金額と承認金額というような、1対1の数字が間違うことはほとんどない。
だかた、その出し入れの量で不正を操作する可能性を「考えない管理者」に給与払って、なんのチェックを期待するんだろう。
無駄な業務をすることで、企業は中年雇用を保っている。
その分、若い子達は、派遣というプロフェッショナルでもない立場で働くしかない。
一企業ではなく、「社会全体」として考えた時、無駄な業務プロセスに人件費を払い、プロフェッショナルを育てない従業員がたくさん働く組織の存在意義はなんだろう。
そして、そういう組織や部門は企業にとってどんな存在価値があるのだろうか。
日本語が理解できなくても、オペレーターにはなれる
登録しているR派遣会社のマイページにログインした。
私の「お勧めリスト」に暫く載っている仕事があったので、それについて詳しく話しを聞こうと思った。表示されている番号に電話すると「業務が終わっている」と留守電が答えた。
朝の9時40分頃の話だ。
おかしいと思って、スタッフのためのサービスセンターに電話すると、機械がしゃべる。
うっとうしい。
選択肢をいろいろ提示した最後に「その他の質問は5を押してください」というから、5を選択するとオペレーターが出た。
彼女はマニュアルどおり、私の身元を確認するために、スタッフコードと名前を言わせる。そして、これまたマニュアルどおりに「どういうご質問か」を聞く。
だから、部署名を言って、そこに表示されている電話に電話したら応答がおかしい、というと「それでは、改めて電話番号をお伝えします。メモのご用意はありますか?」と言った。
そして「今、通じない」と報告した部署の電話番号を教えてくれた。
彼女達は、本当に相手の話を聞いているのだろうか。
わざわざ、「5 その他」を選択させたのには、どんな意味があるんだろうか。
本来なら、まず、「どこにお掛になりましたか?」と聞くべきだろう。
そもそも、スタッフとして電話したのだからそれほど馬鹿じゃあない。
でも、彼女の脳みその中には、私の行動がイメージできず、マニュアルどおりに「知りたいのは電話番号らしいから、それを教える」ということしかしない。
相手が何故電話を掛けてきたかを「考えて話を聞くこと」は、それほど難しいのか。それとも、初めから聞く気が無いのだろうか。
それとも「理解する必要がない」と思っているのだろうか。
このサービスで、人間を使う必要が本当にあるのだろうか。
英語の能力を必要とする求人があるけど、オペレータの求人には「話を理解する」日本語の理解力が必要であること、記載しておいた方がいい。
私の「お勧めリスト」に暫く載っている仕事があったので、それについて詳しく話しを聞こうと思った。表示されている番号に電話すると「業務が終わっている」と留守電が答えた。
朝の9時40分頃の話だ。
おかしいと思って、スタッフのためのサービスセンターに電話すると、機械がしゃべる。
うっとうしい。
選択肢をいろいろ提示した最後に「その他の質問は5を押してください」というから、5を選択するとオペレーターが出た。
彼女はマニュアルどおり、私の身元を確認するために、スタッフコードと名前を言わせる。そして、これまたマニュアルどおりに「どういうご質問か」を聞く。
だから、部署名を言って、そこに表示されている電話に電話したら応答がおかしい、というと「それでは、改めて電話番号をお伝えします。メモのご用意はありますか?」と言った。
そして「今、通じない」と報告した部署の電話番号を教えてくれた。
彼女達は、本当に相手の話を聞いているのだろうか。
わざわざ、「5 その他」を選択させたのには、どんな意味があるんだろうか。
本来なら、まず、「どこにお掛になりましたか?」と聞くべきだろう。
そもそも、スタッフとして電話したのだからそれほど馬鹿じゃあない。
でも、彼女の脳みその中には、私の行動がイメージできず、マニュアルどおりに「知りたいのは電話番号らしいから、それを教える」ということしかしない。
相手が何故電話を掛けてきたかを「考えて話を聞くこと」は、それほど難しいのか。それとも、初めから聞く気が無いのだろうか。
それとも「理解する必要がない」と思っているのだろうか。
このサービスで、人間を使う必要が本当にあるのだろうか。
英語の能力を必要とする求人があるけど、オペレータの求人には「話を理解する」日本語の理解力が必要であること、記載しておいた方がいい。
苦情は改善を促すか? たぶん無理。
先日、ある求人募集の対応に不愉快な思いをしたことを会社社長に訴えたら、人事部の人から連絡を受けるという体験から思ったことを書き連ねた。
彼の応対も「メールの内容はクレーム」としかとってくれなかったと判った時は、悲しかったけど、まあ、仕方ない。
所詮、社長に直訴する内容なんて苦情としか思わないだろうし、内部は本気で何かを変える気もないのだから、電話をくれたのは、私をなだめるためだったのだろうな。
でも、3年後この会社のビジネス量が倍になった時、この状態でバックオフィスの業務がどうなっているか、興味深深だ。
良く出来ていると思ったR社のシステムもさすがに応募結果まで検証してお勧めの仕事を表示しているのではないらしい。
書類選考ですら通らなかった会社を何度も「お勧め」されるが、それは無理っていうもの。
もちろん、私に不愉快な思いをさせて落としてくれた大企業は常に募集をしている。
書類選考に通った人には「これでしばらく募集しないから是非面接に来て!」なんて自動メールを送るくせに。
この会社は、私の職歴にマッチする「お勧めリスト」のトップだ。
またオファーレターが来たら面白いかも。
どの会社のリクルート部門でも、辞める人が多い場合、大体計画採用するから、ノルマがある。
だから、リクルート業務は、ある程度割り切って処理しなければ、時間までに入社処理までたどり着けない。
今のIT時代、大量の応募書類を処理しなければならなくなったリクルート業務。
人間の働く時間は決まっていて、読むスピードも量も限られている。
にも関わらず、意思決定までの時間は短く、プレッシャーが重なる。
募集手法を変えるか、募集業務を効率化するか、定着率を上げる手段を考えるか、何かを変えてゆかないと、あらゆるところに無駄が多すぎる。
もっとも、その無駄がビジネスを大きくし、雇用を作っているけど、作ればいいってものじゃあないだろう。
彼の応対も「メールの内容はクレーム」としかとってくれなかったと判った時は、悲しかったけど、まあ、仕方ない。
所詮、社長に直訴する内容なんて苦情としか思わないだろうし、内部は本気で何かを変える気もないのだから、電話をくれたのは、私をなだめるためだったのだろうな。
でも、3年後この会社のビジネス量が倍になった時、この状態でバックオフィスの業務がどうなっているか、興味深深だ。
良く出来ていると思ったR社のシステムもさすがに応募結果まで検証してお勧めの仕事を表示しているのではないらしい。
書類選考ですら通らなかった会社を何度も「お勧め」されるが、それは無理っていうもの。
もちろん、私に不愉快な思いをさせて落としてくれた大企業は常に募集をしている。
書類選考に通った人には「これでしばらく募集しないから是非面接に来て!」なんて自動メールを送るくせに。
この会社は、私の職歴にマッチする「お勧めリスト」のトップだ。
またオファーレターが来たら面白いかも。
どの会社のリクルート部門でも、辞める人が多い場合、大体計画採用するから、ノルマがある。
だから、リクルート業務は、ある程度割り切って処理しなければ、時間までに入社処理までたどり着けない。
人間の働く時間は決まっていて、読むスピードも量も限られている。
にも関わらず、意思決定までの時間は短く、プレッシャーが重なる。
募集手法を変えるか、募集業務を効率化するか、定着率を上げる手段を考えるか、何かを変えてゆかないと、あらゆるところに無駄が多すぎる。
もっとも、その無駄がビジネスを大きくし、雇用を作っているけど、作ればいいってものじゃあないだろう。
そこの場所で「働く」意味
建築業界では、有形ビジネスだから業界が崩壊しても建物が残った。
そして、たくさんの蓄えを持たない労働者も残っている。
IT業界は、無形ビジネスのサービス業だから、崩壊するとなにも残らない。
でも、このまま崩壊した仕組みを活用すれば、たくさんの病んだ労働者だけが残るだろう。
何故、テレフォンオペレータはすぐ辞めるのか。
クレームや怒りのエネルギーがストレスになるからだ。
そして、派遣という立場上、プロフェッショナル上、その仕事に未来はない。
だから「正社員になれる」という言葉に魅力はない。
この仕事の先には、いずれトレーナーになってほしい。
そして、そのカリキュラムを作る、もしくは、人材管理の方に行く。
正社員だろうが、無かろうが、プロとして、人として、きちんと仕事に向きあうことを一人ひとりに教えてゆく必要がある。
でも、既得権死守の社会で、肩書きに給与が払われる企業では無理な話だ。
そもそも、開発のスピードが速くてきちんと製品が出来ないうちに発売し、問題が起これば「有償サービスへ」という仕組みが製造責任放棄を推奨しているようなものだ。
とは思っても、大金が動いている世界で、この仕組みが変わるとは思えない。
「クレーム削減」を目標にすることは簡単だけれど、オペレータのストレスを減らす方法も考える必要があるだろう。
世の中みんながクレーマーになりつつあるのなら、彼らに「説得」の楽しさを教えるのもいいだろう。まあ、怒っている人には、何を言っても無駄だけど。
だから、助けることが出来るのは一緒に働く仲間だ。
人が人を助ける。でも、ある程度長く働かないとそれは無理。
だからこそ、派遣だろうが、正社員だろうが、その場所で「働く意味」を考える必要がある。そして、その先にあるものを、先輩は見せる必要があるのだ。
肩書きではない「何か」を。
消耗品として、労働者をリクルートし続けるならば、この業界の繁栄もそれほど長くは続かないだろうなあ。
そして、たくさんの蓄えを持たない労働者も残っている。
IT業界は、無形ビジネスのサービス業だから、崩壊するとなにも残らない。
でも、このまま崩壊した仕組みを活用すれば、たくさんの病んだ労働者だけが残るだろう。
何故、テレフォンオペレータはすぐ辞めるのか。
クレームや怒りのエネルギーがストレスになるからだ。
そして、派遣という立場上、プロフェッショナル上、その仕事に未来はない。
だから「正社員になれる」という言葉に魅力はない。
この仕事の先には、いずれトレーナーになってほしい。
そして、そのカリキュラムを作る、もしくは、人材管理の方に行く。
正社員だろうが、無かろうが、プロとして、人として、きちんと仕事に向きあうことを一人ひとりに教えてゆく必要がある。
でも、既得権死守の社会で、肩書きに給与が払われる企業では無理な話だ。
そもそも、開発のスピードが速くてきちんと製品が出来ないうちに発売し、問題が起これば「有償サービスへ」という仕組みが製造責任放棄を推奨しているようなものだ。
とは思っても、大金が動いている世界で、この仕組みが変わるとは思えない。
「クレーム削減」を目標にすることは簡単だけれど、オペレータのストレスを減らす方法も考える必要があるだろう。
世の中みんながクレーマーになりつつあるのなら、彼らに「説得」の楽しさを教えるのもいいだろう。まあ、怒っている人には、何を言っても無駄だけど。
だから、助けることが出来るのは一緒に働く仲間だ。
人が人を助ける。でも、ある程度長く働かないとそれは無理。
だからこそ、派遣だろうが、正社員だろうが、その場所で「働く意味」を考える必要がある。そして、その先にあるものを、先輩は見せる必要があるのだ。
肩書きではない「何か」を。
消耗品として、労働者をリクルートし続けるならば、この業界の繁栄もそれほど長くは続かないだろうなあ。
崩壊した仕組みなのに・・・でも、みんな儲かるよ
建築業界では、60年代需要が多くなったとき、たくさんの下請け会社が生まれた。
元受企業自身で責任をかぶることなく、既得権の仲間と一緒に、公共施設を作りまくった。下請け会社も儲かった。雇用も増えた。
それから、30年。
当時の若者は、キャリアも技術も身に付けず、老人になった。
需要が消えたら、下請け会社も消えていった。
今、求人情報を見ると、ものすごい数のコールセンター募集がある。下請け、孫受けのあらゆる派遣業者が募集している。
企業も派遣業者が安ければ、そちらに変えてしまう。
正社員である自分の評価は経費削減であり、サービスの質は派遣会社の問題だからだ。
建築業でかつて活躍した日雇い労働者は、今、生活保護で暮らしている。
なぜなら、職人としてキャリアを積んだわけではないから。
今の若い人達に、プロフェッショナルの意味を教えなければ、いずれは何者でもない中年にしかならない。
コールセンターの時給は今後上昇するだろう。
募集が難しくなるからだ。
ニーズは増えるだろう。ITの進化は、人の対応が追いつかないから。
そして、有償サービスはどんどん外注化される。
でもやり方を変えずに、数で対応しようとしている。
下請け会社が大量に発生するも、いずれ利益が圧縮される。
そして労働単価が安くなる。
そして、需要(国の予算)が無くなった時、小さな企業は潰れる。
90年代に建築業で起こったことだ。
金だけのために仕事をすると、その10年後、誰も幸せになれないことは、建築業界が証明している。
1件しかない案件の責任をばらして100社が生きる仕組みは、その時代はよくても30年後、崩壊した事実。
サービス業部門で働く人は、そこで起こっている現実をもう少し考えた方がいい。
元受企業自身で責任をかぶることなく、既得権の仲間と一緒に、公共施設を作りまくった。下請け会社も儲かった。雇用も増えた。
それから、30年。
当時の若者は、キャリアも技術も身に付けず、老人になった。
需要が消えたら、下請け会社も消えていった。
今、求人情報を見ると、ものすごい数のコールセンター募集がある。下請け、孫受けのあらゆる派遣業者が募集している。
企業も派遣業者が安ければ、そちらに変えてしまう。
正社員である自分の評価は経費削減であり、サービスの質は派遣会社の問題だからだ。
建築業でかつて活躍した日雇い労働者は、今、生活保護で暮らしている。
なぜなら、職人としてキャリアを積んだわけではないから。
今の若い人達に、プロフェッショナルの意味を教えなければ、いずれは何者でもない中年にしかならない。
コールセンターの時給は今後上昇するだろう。
募集が難しくなるからだ。
ニーズは増えるだろう。ITの進化は、人の対応が追いつかないから。
そして、有償サービスはどんどん外注化される。
でもやり方を変えずに、数で対応しようとしている。
下請け会社が大量に発生するも、いずれ利益が圧縮される。
そして労働単価が安くなる。
そして、需要(国の予算)が無くなった時、小さな企業は潰れる。
90年代に建築業で起こったことだ。
金だけのために仕事をすると、その10年後、誰も幸せになれないことは、建築業界が証明している。
1件しかない案件の責任をばらして100社が生きる仕組みは、その時代はよくても30年後、崩壊した事実。
サービス業部門で働く人は、そこで起こっている現実をもう少し考えた方がいい。
「プロフェッショナル」とは「耐える」こと?
求人募集をいつも見ていると「プロフェッショナル」の定義が変わってきたように思える。
M社はビジネスソフトを製造した。
ユーザーは、お金を出して、その使い方を聞くためのサービスを活用する。
M社はこの責任を某電話会社にぶん投げた。
業務を受けた電話会社は何年かやって、儲けたのか、もっと儲かると踏んだのか判らないが、コールセンターの専門子会社を作っている。
自前で人材募集して、人材管理のために正社員を使うより、派遣会社に委託すれば、利益を出すことができるのだろう。
それに、子会社にすれば、余剰正社員も送り込むことができる。
子会社での管理者の仕事は、派遣会社の管理だけだ。
製品への苦情を受けるのは、コールセンターで働く人たちだ。
コールセンターは地方都市に出来やすい。
なぜなら、地方にはまじめな人が若い人が多いから。
年齢がいった人も、仕事がなくてあぶれている人が多いから、常に募集されている。
ストレスのある仕事だから、大抵の人が長く続かない。
何か問題が起きればその人を辞めさせればいい。
問題の本質を探る必要もない。我慢が試される。
そこで、問われるプロフェッショナルは「この業界に耐えた人」となる。
それは、コールセンターの対応者しかり、管理者しかり。
ソフトの有償サポートを外注する仕事はどんどん増えている。
M社以外のソフトも、自社で有償サービスをしない。外注だ。
コールセンターサービス会社もたくさんあるけど、そこに人材を派遣する派遣会社も、コールセンターに特化した会社まである。
そこでは、派遣する人材トレーニングまでやることもあるらしい。
派遣会社はサービス会社に「より良い人材を、より安く」提供することを約束する。それは「我慢できる人」であり、「ソフトを知っている人」ではない。
状況へ「リアクション」することで、ビジネスが広がっている。
この先には何が起こるのだろうか。
M社はビジネスソフトを製造した。
ユーザーは、お金を出して、その使い方を聞くためのサービスを活用する。
M社はこの責任を某電話会社にぶん投げた。
業務を受けた電話会社は何年かやって、儲けたのか、もっと儲かると踏んだのか判らないが、コールセンターの専門子会社を作っている。
自前で人材募集して、人材管理のために正社員を使うより、派遣会社に委託すれば、利益を出すことができるのだろう。
それに、子会社にすれば、余剰正社員も送り込むことができる。
子会社での管理者の仕事は、派遣会社の管理だけだ。
製品への苦情を受けるのは、コールセンターで働く人たちだ。
コールセンターは地方都市に出来やすい。
なぜなら、地方にはまじめな人が若い人が多いから。
年齢がいった人も、仕事がなくてあぶれている人が多いから、常に募集されている。
ストレスのある仕事だから、大抵の人が長く続かない。
何か問題が起きればその人を辞めさせればいい。
問題の本質を探る必要もない。我慢が試される。
そこで、問われるプロフェッショナルは「この業界に耐えた人」となる。
それは、コールセンターの対応者しかり、管理者しかり。
ソフトの有償サポートを外注する仕事はどんどん増えている。
M社以外のソフトも、自社で有償サービスをしない。外注だ。
コールセンターサービス会社もたくさんあるけど、そこに人材を派遣する派遣会社も、コールセンターに特化した会社まである。
そこでは、派遣する人材トレーニングまでやることもあるらしい。
派遣会社はサービス会社に「より良い人材を、より安く」提供することを約束する。それは「我慢できる人」であり、「ソフトを知っている人」ではない。
状況へ「リアクション」することで、ビジネスが広がっている。
この先には何が起こるのだろうか。
外注することで労働価格は下がるが、それで生き延びる会社もある
IT社会ではいったん仕組みができれば儲けることはさほど難しいことではない。
だって、ビジネス情報のやり取りは自動化されているし、広告も取引処理もシステム化されている。でも、その仕組みを支えるための会社のバックオフィス業務は、生きている人間が対応する。
ビジネスソフトのM社が質問やクレームに対して、お客様からお金を取ってサービスし始めたのも、商品の普及量が一社で対応する限界を超えたからだ。
この限界とは、対応する人間の育成やその出入り管理を含めてである。
で、それでも管理や対応が追いつかない。
彼らはどうしたか。
業務自体を社内ですることを止めた。
必要経費として予算は取るが、責任自体を外部に委託した。
携帯電話の普及で加入権という甘い汁がすえなくなった、息絶え絶えの某電話会社はこれ幸いに受け入れた。なぜなら、彼らには下請け業者がたくさんいるから。
この膨大な数の下請け派遣業者は、何も知らない若者をリクルートする。
「大手有名会社のお仕事です」と広告し、自分もその有名企業の一部で働くチャンスがあると思わせる。
大量の人材管理も教育も1000社の派遣会社に下請けさせれば可能だ。
そして、販売した商品への対応責任を誰かに任せた結果、膨大な雇用を生んでいる。
でも、末端で働く人達は決して長く仕事をしない。そこに求められるのは「パーツ」としての人材であり、プロではないから。
60年代の建築業界で、日雇いが必要だったように。
だって、ビジネス情報のやり取りは自動化されているし、広告も取引処理もシステム化されている。でも、その仕組みを支えるための会社のバックオフィス業務は、生きている人間が対応する。
ビジネスソフトのM社が質問やクレームに対して、お客様からお金を取ってサービスし始めたのも、商品の普及量が一社で対応する限界を超えたからだ。
この限界とは、対応する人間の育成やその出入り管理を含めてである。
で、それでも管理や対応が追いつかない。
彼らはどうしたか。
業務自体を社内ですることを止めた。
必要経費として予算は取るが、責任自体を外部に委託した。
携帯電話の普及で加入権という甘い汁がすえなくなった、息絶え絶えの某電話会社はこれ幸いに受け入れた。なぜなら、彼らには下請け業者がたくさんいるから。
この膨大な数の下請け派遣業者は、何も知らない若者をリクルートする。
「大手有名会社のお仕事です」と広告し、自分もその有名企業の一部で働くチャンスがあると思わせる。
大量の人材管理も教育も1000社の派遣会社に下請けさせれば可能だ。
そして、販売した商品への対応責任を誰かに任せた結果、膨大な雇用を生んでいる。
でも、末端で働く人達は決して長く仕事をしない。そこに求められるのは「パーツ」としての人材であり、プロではないから。
60年代の建築業界で、日雇いが必要だったように。
営業もまた、比べられているのに
とある会計ソフトのユーザー研修講師の「サブ」としての派遣募集。
応募したら「簿記2級持っていても、会計ソフトを開発していていも、このソフトを使ったことが無いならご紹介できません。「オーバーキャリア」なんです。とりあえず、営業には伝えますっ」と言った放った有名派遣業者P社の担当者。
営業マンには伝えてくれたようで、やっぱり「紹介できない」旨、連絡してきた。
何故なら、私は先方が求めるマイナー会計ソフトの利用経験がないからだそうだ。若い20代の女性みたいだ。
ちなみに今回の募集は、そのソフトを使う講習会講師の「サブ」と明記されていた。でも実は、サブではなく「メイン講師」と「サブ講師」が交代だそう。
「「サブ」とあるのは紛らわしい表示でしたね。」と言い張る。
決して「間違っていた」とは認めない。さすが、営業だ。
もう、この会社の仕事に応募する気がないので、営業としてのプロは、どう仕事を考えるべきかを説教した。
こんな感じ。
私を企業に紹介しないのは別にかまわないけど、貴方が私を社内選考で落としたように、先方の企業も貴方の紹介する人を他者の派遣会社と比較しているよ。大体、1企業で3社くらい派遣会社、入っているからね。
そうやって、比べられているの、知ってるよね。
営業成績をあげるなら、企業様の本当に「やってもらいたいこと」を読み取り、それが「できる人」を送り込むべきで、相手が言う、条件を満たす人だけ送っても他社との競争で負けるから、貴方の成績は伸びないよ。
貴方は、人材を売るのが商売でしょ。
若い人だけ、連れてゆけば採ってくれるという時代はそのうち来なくなる。
業務時間を過ごせば給与がもらえるけど「営業プロとして仕事をする」なら、少し考えたほうがいい。
ここでも、担当者はひたすら謝るだけ。
でも、少しは考えたみたい。
文句を出ないように、苦情を言われないように、企業側にも、そして応募者にも「謝ればいい」と教えられている。
営業という「仕事」の意味も考えることなく、ひたすら、言われたことをやるだけ。
この仕組みが続いて作られる価値観を持つ社会では「仕事をする」という意味が建設的な方向には向くことはないだろう。
応募したら「簿記2級持っていても、会計ソフトを開発していていも、このソフトを使ったことが無いならご紹介できません。「オーバーキャリア」なんです。とりあえず、営業には伝えますっ」と言った放った有名派遣業者P社の担当者。
営業マンには伝えてくれたようで、やっぱり「紹介できない」旨、連絡してきた。
何故なら、私は先方が求めるマイナー会計ソフトの利用経験がないからだそうだ。若い20代の女性みたいだ。
ちなみに今回の募集は、そのソフトを使う講習会講師の「サブ」と明記されていた。でも実は、サブではなく「メイン講師」と「サブ講師」が交代だそう。
「「サブ」とあるのは紛らわしい表示でしたね。」と言い張る。
決して「間違っていた」とは認めない。さすが、営業だ。
もう、この会社の仕事に応募する気がないので、営業としてのプロは、どう仕事を考えるべきかを説教した。
こんな感じ。
私を企業に紹介しないのは別にかまわないけど、貴方が私を社内選考で落としたように、先方の企業も貴方の紹介する人を他者の派遣会社と比較しているよ。大体、1企業で3社くらい派遣会社、入っているからね。
そうやって、比べられているの、知ってるよね。
営業成績をあげるなら、企業様の本当に「やってもらいたいこと」を読み取り、それが「できる人」を送り込むべきで、相手が言う、条件を満たす人だけ送っても他社との競争で負けるから、貴方の成績は伸びないよ。
貴方は、人材を売るのが商売でしょ。
若い人だけ、連れてゆけば採ってくれるという時代はそのうち来なくなる。
業務時間を過ごせば給与がもらえるけど「営業プロとして仕事をする」なら、少し考えたほうがいい。
ここでも、担当者はひたすら謝るだけ。
でも、少しは考えたみたい。
文句を出ないように、苦情を言われないように、企業側にも、そして応募者にも「謝ればいい」と教えられている。
営業という「仕事」の意味も考えることなく、ひたすら、言われたことをやるだけ。
この仕組みが続いて作られる価値観を持つ社会では「仕事をする」という意味が建設的な方向には向くことはないだろう。
「職位(肩書き)」の定義に「何のプロか」を明確にする必要はない
「自分から行動しない中間管理職」が日本で多く生まれる原因に、企業が管理職に職務を求めず、職位(課長、部長等)を重要視することにあるだろう。
「正社員」や「派遣社員」の問題も本質は同じこと。
英語で「マネージャー」と言い換えても問題の本質は変わらない。
職務(専門家であること)は求められない、定義しないことが、問題の原因だ。
求人広告では、建前上、専門性を求めているように記載されているけど、実際求めるのは「なんとかしてくれる人」だ。
だから、そこに求人に記載している言葉は、応募者へのフィルターだ。
「なんとかしてくれる人」はそういう経験があるだろう、と思っているから「自分達が欲しい人はこんな人」とイメージしているだけ。
「なんとかして欲しい」と思うだけど「どうしたいか」を持たない。
だから、そんな人達が予算を持った「中間管理職」として働く日本の企業ではプロのスキルを求めない。
もちろん、そんな中ではプロ意識も育たない。
たとえば、プロとして職務遂行するならお客様からのクレームなんて、下っ端に任せればいい。個別問題への対応なんてたいした問題じゃあない。
頭を下げれば終わる話なのだから。
プロなら「何故、それが起こったのか」を真剣に考えることだろう。
高い給与はそのために払われている。
問題発生の原因をはっきりさせるのは必要だけど、それは「現象」の解決しかできない。「問題」の解決にはならない。
たぶん、同じことがどこかでまた発生する。
でも、それを知ることはないだろう。誰も指摘しないから。
自分の責任じゃあないから、言わない。
そのうち、問題はあちこちで発生する。
何故なら、ITシステム上の「仕組み」で量産されるから。
A事業所で起こった問題は、B事業所でもC事業所でも起こる。
今は、1件でも、トランズアクションが5倍になれば、問題は目だってくる。
でも、そこから「リアクション」すれば、5倍の労力がかかる。
そして、人件費も5倍かかるのだ。
だから、責任者の任務はプロとして先を見ながら「どうすべきか」の意見を持つこと。そして、それを関係者に説得させること。
とっても、難しいけどね。
「正社員」や「派遣社員」の問題も本質は同じこと。
英語で「マネージャー」と言い換えても問題の本質は変わらない。
職務(専門家であること)は求められない、定義しないことが、問題の原因だ。
求人広告では、建前上、専門性を求めているように記載されているけど、実際求めるのは「なんとかしてくれる人」だ。
だから、そこに求人に記載している言葉は、応募者へのフィルターだ。
「なんとかしてくれる人」はそういう経験があるだろう、と思っているから「自分達が欲しい人はこんな人」とイメージしているだけ。
「なんとかして欲しい」と思うだけど「どうしたいか」を持たない。
だから、そんな人達が予算を持った「中間管理職」として働く日本の企業ではプロのスキルを求めない。
もちろん、そんな中ではプロ意識も育たない。
たとえば、プロとして職務遂行するならお客様からのクレームなんて、下っ端に任せればいい。個別問題への対応なんてたいした問題じゃあない。
頭を下げれば終わる話なのだから。
プロなら「何故、それが起こったのか」を真剣に考えることだろう。
高い給与はそのために払われている。
問題発生の原因をはっきりさせるのは必要だけど、それは「現象」の解決しかできない。「問題」の解決にはならない。
たぶん、同じことがどこかでまた発生する。
でも、それを知ることはないだろう。誰も指摘しないから。
自分の責任じゃあないから、言わない。
そのうち、問題はあちこちで発生する。
何故なら、ITシステム上の「仕組み」で量産されるから。
A事業所で起こった問題は、B事業所でもC事業所でも起こる。
今は、1件でも、トランズアクションが5倍になれば、問題は目だってくる。
でも、そこから「リアクション」すれば、5倍の労力がかかる。
そして、人件費も5倍かかるのだ。
だから、責任者の任務はプロとして先を見ながら「どうすべきか」の意見を持つこと。そして、それを関係者に説得させること。
とっても、難しいけどね。
本当の「改善」は中間管理職の意識を変えること
現場を含めてみんなが「このままではまずい」と真剣に腹におちたら、改善業務の半分は終わっている。
後は、楽勝だ。分析、改善提案、計画、実行。
どだい、本質的な問題は「変えられない現場」だったのだから、それが「変えられる現場」になれば問題は解決したも同じこと。
ただ、その体質の維持がたいへんだ。
なぜなら、今度は中間管理職の目を「未来」に向けさせる人材育成をしなければならないから。
現状維持は楽チンだ。
毎日同じことの繰り返し。
電車に乗って、会社に行って前に降ってきた問題にリアクションすればいい。
自分からアクションを起こす必要はない。
なぜなら、就業時間内は上が指示する「リアクション」するだけで手いっぱいだから。
でも、社長だけが未来のために考えるのでは組織として稼動しない。
だから、本来、中間管理職における責務の半分は未来の会社のために「考える」ことではないのか。
「そんな時間なんてあるかい!」という声が聞こえてきそうだが、知的業務のプロとして仕事をするのに、時間に意味があるのだろうか。
トイレに居たって、考えることはできる。
時間が足りないのはリアクションしかしないからだろう。
「何故」を考えて、「どうなるか」と仮説を立て、自分から未来のために行動しないと、状況は悪化するばかりだ。なぜなら、IT社会で成功する場合、そのスピードは想像を絶するから。
「そうなったら辞めればいい」という考えもあるけど、本来、責任者の給与は「未来の会社がどうなるか」の責任を負って分も含まれていることもお忘れなく。
後は、楽勝だ。分析、改善提案、計画、実行。
どだい、本質的な問題は「変えられない現場」だったのだから、それが「変えられる現場」になれば問題は解決したも同じこと。
ただ、その体質の維持がたいへんだ。
なぜなら、今度は中間管理職の目を「未来」に向けさせる人材育成をしなければならないから。
現状維持は楽チンだ。
毎日同じことの繰り返し。
電車に乗って、会社に行って前に降ってきた問題にリアクションすればいい。
自分からアクションを起こす必要はない。
なぜなら、就業時間内は上が指示する「リアクション」するだけで手いっぱいだから。
でも、社長だけが未来のために考えるのでは組織として稼動しない。
だから、本来、中間管理職における責務の半分は未来の会社のために「考える」ことではないのか。
「そんな時間なんてあるかい!」という声が聞こえてきそうだが、知的業務のプロとして仕事をするのに、時間に意味があるのだろうか。
トイレに居たって、考えることはできる。
時間が足りないのはリアクションしかしないからだろう。
「何故」を考えて、「どうなるか」と仮説を立て、自分から未来のために行動しないと、状況は悪化するばかりだ。なぜなら、IT社会で成功する場合、そのスピードは想像を絶するから。
「そうなったら辞めればいい」という考えもあるけど、本来、責任者の給与は「未来の会社がどうなるか」の責任を負って分も含まれていることもお忘れなく。
「要改革」の危機感を共有する
成功しているIT業界のビジネスでは、商売の仕組みに問題が無くても、それを支える人材の方に問題が出てくる。
何故なら、その成長スピードについてゆけないから。
だからこそ、本来業務改善を考える必要があるけれど「変化恐怖症」と「責任取りたくない」管理者が「やっているふり」だけして、なんとかしようとする。
その「ふり」には、「業務コンサルタントというプロに任せて」管理職の責任から逃げようとするやり方もある。
でも、これは、絶対失敗する。
コンサルタントは儲かるからいいけど。
経験から言えるが、改善に取り組みのは現場であり、プロはその「手法」を伝えるだけ。
だから、プロに払う金額はノウハウ代でしかない。
業務現場それぞれの人が「言われたからやる」ではなく、「自分達の問題」と捉えてもらわないとスタートすら出来ない。
たいていは「金融業で起こったように、2年後に部門ごと職場が消える可能性もあるんだ。」とイメージして貰えれば、現場の態度も少しは変わる。
実際、業務量が増えているのは一番身にしみて判っているのだから。
本気で「自分の問題」と考えて現場が一致団結したら、もう改善なんて、半分終わったみたいなものだ。
だから、経営層が2年後のイメージを彼らに伝えた上で、トップダウンリード、かつ、3ヶ月とか短期間でやらないと成功しない。
一度にたくさんやる必要はない。
少しずつでもいいから、改革を「実行」して「楽になる」ことを体感することが重要だ。
一番重要なのはトップが改革の必要性を信じ、それは現場業務をより効率的に行うことであることをゴールとすること。
そして、それを現場に理解してもらうこと。
何故なら、成長する未来に対応できなければ、別の誰かがすることになるから。でも、たいていは、こんな危機感の共有がないから現場はトップの言葉を無視する。
そういうことを伝えると「私はそのころ辞めてるだろうから関係ない」という声が出る。その声が現場に多ければ、そこにある問題はもっと深い。
そうならないためにも、応募者の選考からきちんと「人と向き合う」文化が必要だろう。そうでなければ、業務改善なんて部門予算を取るための広告費程度の影響しか与えない。
何故なら、その成長スピードについてゆけないから。
だからこそ、本来業務改善を考える必要があるけれど「変化恐怖症」と「責任取りたくない」管理者が「やっているふり」だけして、なんとかしようとする。
その「ふり」には、「業務コンサルタントというプロに任せて」管理職の責任から逃げようとするやり方もある。
でも、これは、絶対失敗する。
コンサルタントは儲かるからいいけど。
経験から言えるが、改善に取り組みのは現場であり、プロはその「手法」を伝えるだけ。
だから、プロに払う金額はノウハウ代でしかない。
業務現場それぞれの人が「言われたからやる」ではなく、「自分達の問題」と捉えてもらわないとスタートすら出来ない。
たいていは「金融業で起こったように、2年後に部門ごと職場が消える可能性もあるんだ。」とイメージして貰えれば、現場の態度も少しは変わる。
実際、業務量が増えているのは一番身にしみて判っているのだから。
本気で「自分の問題」と考えて現場が一致団結したら、もう改善なんて、半分終わったみたいなものだ。
だから、経営層が2年後のイメージを彼らに伝えた上で、トップダウンリード、かつ、3ヶ月とか短期間でやらないと成功しない。
一度にたくさんやる必要はない。
少しずつでもいいから、改革を「実行」して「楽になる」ことを体感することが重要だ。
一番重要なのはトップが改革の必要性を信じ、それは現場業務をより効率的に行うことであることをゴールとすること。
そして、それを現場に理解してもらうこと。
何故なら、成長する未来に対応できなければ、別の誰かがすることになるから。でも、たいていは、こんな危機感の共有がないから現場はトップの言葉を無視する。
そういうことを伝えると「私はそのころ辞めてるだろうから関係ない」という声が出る。その声が現場に多ければ、そこにある問題はもっと深い。
そうならないためにも、応募者の選考からきちんと「人と向き合う」文化が必要だろう。そうでなければ、業務改善なんて部門予算を取るための広告費程度の影響しか与えない。
「努力する振り」をしたその先にあるもの
やっている振りをしても、業務は改善されない。
そして、そうやって守りに入った現場の「現状維持」はいつか破綻する。
どうやって判るか。
部門経費が他国と比べて高くなるから。
経費に対する思想は簡単だ。
社内で高くなれば、外注化する。
それでも高ければ、人件費の安いところに移動する。
そうなると、部門ごと大連とか、海外に移動される。
ある部品会社が海外に工場を移動する。同じことだ。
だから、近い将来、今いる部門ごと、消滅する。
募集求人も消えてしまう。
実際、金融業でもそれが起こった。
それが成功した、という話はあまり聞かないけど。
つまり、そこまで日本が作った人材教育のプログラムが充実していないからだろう。
思い出して欲しい。
日本で「人材育成」した労働者が長く就業しないから「経費が増大した」のだ。
海外移動はその結果だ。
そんな人材教育プログラムを引っさげて海外で「外国人」をトレーニングして、うまくゆくと考える経営者はアホだ。
じゃあ、ホワイトカラーの業務が海外移転して成功した例はあるのか。
電話会社がインドでやったコールセンターはそれに当たるだろう。
あれが、成功例だとは思わないけれど「単純サービスは国内でしか提供できない」という概念はとうの昔にぶっ壊されている。
それが良いかどうかは別として、グローバル企業として戦うというのは、そういうことだ。だから、財務諸表を元にして意思決定するトップの思想は、どこの業界でもあまり変わらない。
大体、カスタマーサービスなんて、メールで十分な対応がされれば十分だ。
どうしても「話したい」という人達は別の目的があるのだろう。
だから、問題に対応してくれるならば、別にユーザはどこでやっているかなんて、気にしない。ITシステムは距離も時間も関係ない。
そのうち、アルゴリズムを使って、対応自体IT化されてもおかしくない。
大連の中国人が100%日本語が出来なくても、アルゴリズムで5割ヘルプできれば、十分対応できるだろう。
実際、今の求人募集でも、応募者をいい気分にさせる方法がすでにあるのだから。
だから「問題の本質を見ない振りをする」ことは時限爆弾を抱えているようなものだ。
そして、そうやって守りに入った現場の「現状維持」はいつか破綻する。
どうやって判るか。
部門経費が他国と比べて高くなるから。
経費に対する思想は簡単だ。
社内で高くなれば、外注化する。
それでも高ければ、人件費の安いところに移動する。
そうなると、部門ごと大連とか、海外に移動される。
ある部品会社が海外に工場を移動する。同じことだ。
募集求人も消えてしまう。
実際、金融業でもそれが起こった。
それが成功した、という話はあまり聞かないけど。
つまり、そこまで日本が作った人材教育のプログラムが充実していないからだろう。
思い出して欲しい。
日本で「人材育成」した労働者が長く就業しないから「経費が増大した」のだ。
海外移動はその結果だ。
そんな人材教育プログラムを引っさげて海外で「外国人」をトレーニングして、うまくゆくと考える経営者はアホだ。
じゃあ、ホワイトカラーの業務が海外移転して成功した例はあるのか。
電話会社がインドでやったコールセンターはそれに当たるだろう。
あれが、成功例だとは思わないけれど「単純サービスは国内でしか提供できない」という概念はとうの昔にぶっ壊されている。
それが良いかどうかは別として、グローバル企業として戦うというのは、そういうことだ。だから、財務諸表を元にして意思決定するトップの思想は、どこの業界でもあまり変わらない。
大体、カスタマーサービスなんて、メールで十分な対応がされれば十分だ。
どうしても「話したい」という人達は別の目的があるのだろう。
だから、問題に対応してくれるならば、別にユーザはどこでやっているかなんて、気にしない。ITシステムは距離も時間も関係ない。
そのうち、アルゴリズムを使って、対応自体IT化されてもおかしくない。
大連の中国人が100%日本語が出来なくても、アルゴリズムで5割ヘルプできれば、十分対応できるだろう。
実際、今の求人募集でも、応募者をいい気分にさせる方法がすでにあるのだから。
だから「問題の本質を見ない振りをする」ことは時限爆弾を抱えているようなものだ。
やっぱり「変化恐怖症」にかかっている
この会社、業務改善のプロも募集しており、昨年私も応募した。
もちろん、経歴すら読んで貰えず、書類審査で落とされた。
そして、まだその募集は続いている。
業務改善のポジションは複数に増えて1年以上募集されている。
つまり、この会社「本気で業務改善する気がない」ということだ。
ただ、それは会社のせいではなく、現場のせいだろう。
ただ、彼らの責任でもない。
つまり「現場の責任者が、責任を持って、本気で業務改善に取り組めない」という方が正しい。
これが、問題現象を発生させる芯の課題であり、これは確かに存在している。
経営層はこの「事実の存在」の深刻さを理解しない。
業務改善は、現場の人間に変化を求めるため実行への抵抗が強い。
どんな会社もどんな職場でも、そこの労働者は「変えられるのは嫌」なのだ。
また責任者は、失敗したときの責任は取りたくない。
だから、改善活動に熱心な振りだけする。
「募集しているんですけど、適切な人がいないんですよ」とか。
「人が足りないから出来ないんです」と自分達以外の「誰か」のせいにする。
日本人としては当然だ。
そして、マネージャーはそれを鵜呑みにして、上に伝える。
彼らもまた中間管理職という名の駒でしかなく、自分自身の意思を持つことはしない。
もちろん、経歴すら読んで貰えず、書類審査で落とされた。
そして、まだその募集は続いている。
業務改善のポジションは複数に増えて1年以上募集されている。
つまり、この会社「本気で業務改善する気がない」ということだ。
ただ、それは会社のせいではなく、現場のせいだろう。
ただ、彼らの責任でもない。
つまり「現場の責任者が、責任を持って、本気で業務改善に取り組めない」という方が正しい。
これが、問題現象を発生させる芯の課題であり、これは確かに存在している。
経営層はこの「事実の存在」の深刻さを理解しない。
業務改善は、現場の人間に変化を求めるため実行への抵抗が強い。
どんな会社もどんな職場でも、そこの労働者は「変えられるのは嫌」なのだ。
また責任者は、失敗したときの責任は取りたくない。
だから、改善活動に熱心な振りだけする。
「募集しているんですけど、適切な人がいないんですよ」とか。
「人が足りないから出来ないんです」と自分達以外の「誰か」のせいにする。
日本人としては当然だ。
そして、マネージャーはそれを鵜呑みにして、上に伝える。
彼らもまた中間管理職という名の駒でしかなく、自分自身の意思を持つことはしない。
リクルート業務が社内で処理できなければ、外注へ
問題は、ここからだ。
大量の特定人材が必要だ。
たとえば、テレフォンオペレータとか、開発者とか。
社内でのリクルート作業が間に合わない。
外注しよう。そうしよう。
でも、長く続かない。
そうやって、雇った人間がどんどん辞めてゆけば、募集や人材育成にかかる金額は跳ね上がる。
忘れないで欲しい。何故、人がすぐ辞めてしまうのか。
そもそも、その人に向き合って雇った訳ではない。
条件を満たしたから、送り込んだのだ。
仕事についてのプロフェッショナルは期待していない。
だったら、お金以外、そこで働く価値がなければ、誰も長居をしないのは当然だ。
今の段階ですでに、人力でのリクルート業務処理では対応しきれていない。
誰も真剣に人を雇うことをしない結果だ。
でも、会社がどんどん急成長してゆけば、もっと人は必要になるだろう。
本当のリスクはこの先だ。
大量の特定人材が必要だ。
たとえば、テレフォンオペレータとか、開発者とか。
社内でのリクルート作業が間に合わない。
外注しよう。そうしよう。
でも、長く続かない。
そうやって、雇った人間がどんどん辞めてゆけば、募集や人材育成にかかる金額は跳ね上がる。
忘れないで欲しい。何故、人がすぐ辞めてしまうのか。
そもそも、その人に向き合って雇った訳ではない。
条件を満たしたから、送り込んだのだ。
仕事についてのプロフェッショナルは期待していない。
だったら、お金以外、そこで働く価値がなければ、誰も長居をしないのは当然だ。
今の段階ですでに、人力でのリクルート業務処理では対応しきれていない。
誰も真剣に人を雇うことをしない結果だ。
でも、会社がどんどん急成長してゆけば、もっと人は必要になるだろう。
本当のリスクはこの先だ。
リクルート作業が追いつかないとどうなるか
この担当者と話していて、かなりいろいろなことが判った。
今や、ネット通販や、クラウドでのソフト販売他、既存の仕組みがすごい勢いで壊れ始めている。
こんな状態だから、正社員がどっぷり既得権を主張している大企業はともかく、成長しているIT企業ではどこも人がとても足りない。
何故なら、ビジネスの成長スピードにバックオフィス作業が追いつかないからだ。IT開発はもちろんだけれど、そこで働く人材のリクルートはもちろん、雇ってからの社会保険の手続きなど、まともに雇おうとすると、膨大な作業が発生する。その作業が終わるまもなく、その人が辞めてゆく。
IT時代の社会ではよく「法律が間に合わない」という話を聞く。
法律だけじゃあない。人材育成はもちろん、その業務を処理する方法も間に合っていないのではないかと思う。
IT化において、ある程度のスピードで業務処理は可能だ。
しかし、そのITシステムを作る人は、その道の専門家ではない。
そして、そういう人達の作ったITシステムは中途半端だ。
彼らは仕様書どおりに作っているのだから、彼らのせいではない。
そんなITシステムを使って大量の業務処理をしなければならないのはそこで働いている派遣や正社員だ。
当然、残業が増える。でも、そんなことしても終わらない。
だから、業務が適当になる。
私が受けた対応は、そんな業務ミスの結果だった。
でも、これはITの問題ではなく、ビジネスプロセス時における、確認要素の一つでしかない。
でも、そのプロセスが標準化されていなければ、その確認をするべきポイントも特定できない。
今や、ネット通販や、クラウドでのソフト販売他、既存の仕組みがすごい勢いで壊れ始めている。
こんな状態だから、正社員がどっぷり既得権を主張している大企業はともかく、成長しているIT企業ではどこも人がとても足りない。
何故なら、ビジネスの成長スピードにバックオフィス作業が追いつかないからだ。IT開発はもちろんだけれど、そこで働く人材のリクルートはもちろん、雇ってからの社会保険の手続きなど、まともに雇おうとすると、膨大な作業が発生する。その作業が終わるまもなく、その人が辞めてゆく。
IT時代の社会ではよく「法律が間に合わない」という話を聞く。
法律だけじゃあない。人材育成はもちろん、その業務を処理する方法も間に合っていないのではないかと思う。
IT化において、ある程度のスピードで業務処理は可能だ。
しかし、そのITシステムを作る人は、その道の専門家ではない。
そして、そういう人達の作ったITシステムは中途半端だ。
彼らは仕様書どおりに作っているのだから、彼らのせいではない。
そんなITシステムを使って大量の業務処理をしなければならないのはそこで働いている派遣や正社員だ。
当然、残業が増える。でも、そんなことしても終わらない。
だから、業務が適当になる。
私が受けた対応は、そんな業務ミスの結果だった。
でも、これはITの問題ではなく、ビジネスプロセス時における、確認要素の一つでしかない。
でも、そのプロセスが標準化されていなければ、その確認をするべきポイントも特定できない。
リクルート「作業」が追いついてない
昨日、とある求人に応募して落っことされた会社の人事部マネージャークラスから電話がかかってきた。本当に、そういう「えらい人」なのかどうかは、わからないけど。
そこの会社、面接まで行って落とされたのだけど、その扱いがあまりに酷かったので社長宛にe-mailを送った。
落とされたこと、扱いの酷さへの苦情を送ったのではない。
IT化に依存した挙句、リクルート作業ごとの完了確認が全くされていないことが判ったから。
ITシステムコンサルタントのプロとして、私に対する酷い扱いが起こった業務プロセスのいい加減さが透けて見えたから。
それが会社のリスクだと思ったから。
それをまとめて、その改善も提案した。
これらをリスクと認識しない経営層に気がついてもらいたくて、時間をかけた。なぜなら、そこは良い会社だと思っていたから。
送ったその日のうちに電話が来た。たいしたトップだと思う。
電話の相手は、最初に私への扱いを、謝った。
当然、お客様商売なら、そうやって苦情対応するようにマニュアル化されているだろう。自分から切ろうとしない。まあ、良く聞いてくれる。
それもそうだろう。彼らもその道のプロだから。
たしか、そうやってトレーニングされているはずだ。
「クレームにはまず相手に謝って、言いたいことを言わせて、それを聞くこと。」が鉄則だ。「おっしゃるとおりです。言い訳がありません」とか。
みごとにセオリー通りだった。
だから結局、担当者とは40分以上話した。
でも、今回は繰り返し「私に謝る必要などない」ということをしつこくと伝えた。
だいたい、マネージャーが部下1000人のしたことに責任とって謝っていたら、病気になってしまう。送り先が社長だから、まあ、経営層に近い人だと思うけど、私にとっては誰でもよかった。
ただ、話していてとても好感が持てたので、今日、この方は一日これに、振り回されたんだろうなあ、と思うと、ちょっと悪い気がした。
そこの会社、面接まで行って落とされたのだけど、その扱いがあまりに酷かったので社長宛にe-mailを送った。
落とされたこと、扱いの酷さへの苦情を送ったのではない。
IT化に依存した挙句、リクルート作業ごとの完了確認が全くされていないことが判ったから。
ITシステムコンサルタントのプロとして、私に対する酷い扱いが起こった業務プロセスのいい加減さが透けて見えたから。
それが会社のリスクだと思ったから。
それをまとめて、その改善も提案した。
これらをリスクと認識しない経営層に気がついてもらいたくて、時間をかけた。なぜなら、そこは良い会社だと思っていたから。
送ったその日のうちに電話が来た。たいしたトップだと思う。
電話の相手は、最初に私への扱いを、謝った。
当然、お客様商売なら、そうやって苦情対応するようにマニュアル化されているだろう。自分から切ろうとしない。まあ、良く聞いてくれる。
それもそうだろう。彼らもその道のプロだから。
たしか、そうやってトレーニングされているはずだ。
「クレームにはまず相手に謝って、言いたいことを言わせて、それを聞くこと。」が鉄則だ。「おっしゃるとおりです。言い訳がありません」とか。
みごとにセオリー通りだった。
だから結局、担当者とは40分以上話した。
でも、今回は繰り返し「私に謝る必要などない」ということをしつこくと伝えた。
だいたい、マネージャーが部下1000人のしたことに責任とって謝っていたら、病気になってしまう。送り先が社長だから、まあ、経営層に近い人だと思うけど、私にとっては誰でもよかった。
ただ、話していてとても好感が持てたので、今日、この方は一日これに、振り回されたんだろうなあ、と思うと、ちょっと悪い気がした。
大量の求人はあちらこちらにあるけれど・・・・
企業で実際に面接をする担当者は、リクルーティングという仕事を「プロフェッショナル」として捕らえていないのではないか。
だって、自分は「作業」をしているのから。意思決定は自分ではない「誰か」がするから、自分の責任は「作業」をきちんとすること。
かつては自分の目を信じて上司に「その人を雇うことを薦める」という責任感を持つ仕事だったが、今はそれが不要だ。
だから、マニュアルどおりに「基準」に達した候補者を上司に送り込むだけ。
だから、その人がすぐ会社を辞めても、雇ったのは自分ではないから、自分の問題ではない。上司もまた、ノルマ人数を雇うだけだから、自分の部下ではない。
そうやって、ほとんどその人を見ないで入ってきた「無難な応募者」に対して、現場が「どうして、こんなやつ入れた?」と怒る気持ちは良く理解できる。
そうやって、ミスマッチが生まれて、短期で人が辞める。企業は、人材教育に無無駄なお金を払うことになる。
そして、大量のリクルート作業がまた発生する。
それは、WEB上でまた、ひとつのポジションに3社からの求人が発表されるということだ。
もう少し、応募者も企業も「人」に向き合えば、仕組みも変わるだろう。
しかし、求人応募が外注化、システム化された現在、企業はいまさら少ない数の応募者では満足しないだろう。
だから、せめて面接まで来た人に対しては人としてきちんと向き合うべきだろう。なぜなら、それはどちら(企業、応募者)も「行動」して発生した縁だからだ。
変化してしまったものは、昔に戻れない。でも、出会った縁を大切にして、お互い相手と真剣に向き合えば、何か建設的なことが生まれるような気がする。
だって、自分は「作業」をしているのから。意思決定は自分ではない「誰か」がするから、自分の責任は「作業」をきちんとすること。
かつては自分の目を信じて上司に「その人を雇うことを薦める」という責任感を持つ仕事だったが、今はそれが不要だ。
だから、マニュアルどおりに「基準」に達した候補者を上司に送り込むだけ。
だから、その人がすぐ会社を辞めても、雇ったのは自分ではないから、自分の問題ではない。上司もまた、ノルマ人数を雇うだけだから、自分の部下ではない。
そうやって、ほとんどその人を見ないで入ってきた「無難な応募者」に対して、現場が「どうして、こんなやつ入れた?」と怒る気持ちは良く理解できる。
そうやって、ミスマッチが生まれて、短期で人が辞める。企業は、人材教育に無無駄なお金を払うことになる。
そして、大量のリクルート作業がまた発生する。
それは、WEB上でまた、ひとつのポジションに3社からの求人が発表されるということだ。
もう少し、応募者も企業も「人」に向き合えば、仕組みも変わるだろう。
しかし、求人応募が外注化、システム化された現在、企業はいまさら少ない数の応募者では満足しないだろう。
だから、せめて面接まで来た人に対しては人としてきちんと向き合うべきだろう。なぜなら、それはどちら(企業、応募者)も「行動」して発生した縁だからだ。
変化してしまったものは、昔に戻れない。でも、出会った縁を大切にして、お互い相手と真剣に向き合えば、何か建設的なことが生まれるような気がする。
大量応募の「仕組み」がもたらしたもの
求職中なので派遣にも登録しているが、そのシステムは大手R社が群を抜いて素晴らしいことはすでに紹介した。
転職サイトでもR社が応募者をその気にさせる仕組みを持っていることも紹介した。
時代は変わった。
求人募集はかつて、手書きで履歴書を送る仕組みだった。
だから応募するほうも企業側も、少量かもしれないが、真剣だ。
高い広告を打つ。郵送料をかけて送ってきた真剣な応募者に向き合って意思決定(応募する、しない、その人を採る、採らない、という)する。
今はデジタル時代なので、簡単に大量の募集と応募ができる。
しかも「紹介予定派遣」で選ぶのも、外注の派遣会社に任せられる。
でもこの変化で、企業、応募者のどちらかが幸せになったのだろうか。
仕事は縁だ。
クリスチャンである私は、自分に関わる人は全員神が与えたものと考える。
だから、出会いに意味があると思っている。「応募する」行為は、自分の選択だ。そこで起こることは、どんな結果でも意味があると思っている。
応募する行為は、その会社に対して、自分が関係することを望んだということだ。手書きで、郵送でなく、ワンクリックの程度で。
簡便だから大量に応募することができる。
でも、それはそうやって送られた個人データに向き合う企業もまた、その程度の関心しかないことを応募者は理解する必要がある。
彼らが「もう少し知りたい」という意思表示は、自動化されたメールだ。文面すら考える必要もない。
関係がお手軽にできるのなら、リクルート業務も「作業」になり、応募者の経歴をじっくり見る必要なんてない。
経歴をみてちょっと興味があれば呼びつければいい。
雇うかどうかをきめるのは担当者の責任ではない。
それより上の管理者の仕事なのだから。
転職サイトでもR社が応募者をその気にさせる仕組みを持っていることも紹介した。
時代は変わった。
求人募集はかつて、手書きで履歴書を送る仕組みだった。
だから応募するほうも企業側も、少量かもしれないが、真剣だ。
高い広告を打つ。郵送料をかけて送ってきた真剣な応募者に向き合って意思決定(応募する、しない、その人を採る、採らない、という)する。
今はデジタル時代なので、簡単に大量の募集と応募ができる。
しかも「紹介予定派遣」で選ぶのも、外注の派遣会社に任せられる。
でもこの変化で、企業、応募者のどちらかが幸せになったのだろうか。
仕事は縁だ。
クリスチャンである私は、自分に関わる人は全員神が与えたものと考える。
だから、出会いに意味があると思っている。「応募する」行為は、自分の選択だ。そこで起こることは、どんな結果でも意味があると思っている。
応募する行為は、その会社に対して、自分が関係することを望んだということだ。手書きで、郵送でなく、ワンクリックの程度で。
簡便だから大量に応募することができる。
でも、それはそうやって送られた個人データに向き合う企業もまた、その程度の関心しかないことを応募者は理解する必要がある。
彼らが「もう少し知りたい」という意思表示は、自動化されたメールだ。文面すら考える必要もない。
関係がお手軽にできるのなら、リクルート業務も「作業」になり、応募者の経歴をじっくり見る必要なんてない。
経歴をみてちょっと興味があれば呼びつければいい。
雇うかどうかをきめるのは担当者の責任ではない。
それより上の管理者の仕事なのだから。
自分の行為が引き起こす勘違い
某有名企業から、オファーレターが来たら、どう思うのか。
そりゃあ、「自分の履歴が認められた」と思うでしょう。
でも、それは違う。R社のWEBシステムがとてもよく出来ていると思うのは、応募者が「応募したい」と勘違いさせるような素晴らしい仕組みだ。
応募者が自分の経歴に照らし合わせて求人をとりあえず「保存」する。
応募するまで自信はないけど、とりあえずマークしておく。
ある程度の期間保管しておくと、相手会社の方に連絡がゆくのだろう。
そうして始めて会社はざっと履歴をみる。
もっと詳細な経歴を知りたい、と思えばテンプレートのオファーレターを応募者に送る。
たぶん、ワンクリックだろう。
もちろん、もらった応募者は元々興味のあった会社から、オファーレターが来たらもちろんうれしくなる。
そして、自分の履歴をオープンする。企業はそれを見て「ああ、違った」と思えば、そのままだし、会ってもいいかと思ったら面接の連絡をする。
つまり、見かけのオファーレターは「貴方に興味があります」形にはなっているけど、実際は、応募者の「とりあえず」と保管した結果だ。
だから「とりあえず保管」はほぼ「応募した」と言っても過言ではない。
もちろん、経歴をみて「うちには無理」と思えば、オファーレターも出さない。
事務処理はこれで格段に削減できる。
だから、オファーレターが来たからといって喜ぶのはアホらしいことだ。
そりゃあ、「自分の履歴が認められた」と思うでしょう。
でも、それは違う。R社のWEBシステムがとてもよく出来ていると思うのは、応募者が「応募したい」と勘違いさせるような素晴らしい仕組みだ。
応募者が自分の経歴に照らし合わせて求人をとりあえず「保存」する。
応募するまで自信はないけど、とりあえずマークしておく。
ある程度の期間保管しておくと、相手会社の方に連絡がゆくのだろう。
そうして始めて会社はざっと履歴をみる。
もっと詳細な経歴を知りたい、と思えばテンプレートのオファーレターを応募者に送る。
たぶん、ワンクリックだろう。
もちろん、もらった応募者は元々興味のあった会社から、オファーレターが来たらもちろんうれしくなる。
そして、自分の履歴をオープンする。企業はそれを見て「ああ、違った」と思えば、そのままだし、会ってもいいかと思ったら面接の連絡をする。
つまり、見かけのオファーレターは「貴方に興味があります」形にはなっているけど、実際は、応募者の「とりあえず」と保管した結果だ。
だから「とりあえず保管」はほぼ「応募した」と言っても過言ではない。
もちろん、経歴をみて「うちには無理」と思えば、オファーレターも出さない。
事務処理はこれで格段に削減できる。
だから、オファーレターが来たからといって喜ぶのはアホらしいことだ。
監査業界もまた大企業が大口のお客様だしね
XX経済団体に所属している組織は、日本企業体という大きなくくりでは「正社員」にあたるだろう。
王子製紙の社長やオリンパスの会長は、悪いことをして追求されているけれど、とてものらりくらりしか進んでいない。
でも、そういう団体に所属できなかった某IT企業のリーダーは、ものすごい速さで裁判になり、有罪となり、刑務所に入ってしまった。
今の「仕組み」で既存の仕組みを壊そうとする人がどうなるか判り易いケースだ。いろいろ、解釈はあるとは思うけど。
こういう既得権を守るグループに所属している組織であったとしても、外部の会計監査が入っているのだ。内部統制で、リスクマネジメントもされているはず。
どうして、何年も不正が「見つけることが出来なかった。」なんて事が起きるのか。
簡単だ。
会計事務所もまた、仲間なんだから。
大企業は大切な大口顧客。指摘なんて出来る分けない。
指摘してしまったら、大口の売り上げが失われるんだから、会計監査も馴れ合いでしかない。
だから、あんなずさんな会計が何年も「承認」される。
ウォールストリートジャーナルなどは、事件発覚から2日後には会計事務所の責任について記事にしたが、日本は2週間後に「こっそり」記事になっただけだ。
何故新聞やテレビのメディアが責任の追求しないのか。
彼らも「仲間の恥」を突っ込む気なんてまったくない。
だって、広告の大事なお客様は不祥事を起こした大企業や、その仲間だ。
でも、こういう馴れ合いの仕組みを世界がどう見ているのか、考えたことがあるのだろうか。
こういう事件は、世界の投資家に、日本上場企業約4000社に対しての「監査の仕組み」自体を疑わせてしまう。
実際、この事件で、上場企業の「日本の監査会社のお墨付き財務諸表」を疑う投資家は増えたと思う。
財務諸表の作り方ははすでに、国際的スタンダードから外れているというのに。
仲間内で既得権を守ることも理解できるが、このようなケースが与える世界的インパクトがイメージできなくても大丈夫なんだろうか。
そして、このような「事実」が日本における未来の世代にどんな価値観を教えているか考えたことがあるのだろうか。
王子製紙の社長やオリンパスの会長は、悪いことをして追求されているけれど、とてものらりくらりしか進んでいない。
でも、そういう団体に所属できなかった某IT企業のリーダーは、ものすごい速さで裁判になり、有罪となり、刑務所に入ってしまった。
今の「仕組み」で既存の仕組みを壊そうとする人がどうなるか判り易いケースだ。いろいろ、解釈はあるとは思うけど。
こういう既得権を守るグループに所属している組織であったとしても、外部の会計監査が入っているのだ。内部統制で、リスクマネジメントもされているはず。
どうして、何年も不正が「見つけることが出来なかった。」なんて事が起きるのか。
簡単だ。
会計事務所もまた、仲間なんだから。
大企業は大切な大口顧客。指摘なんて出来る分けない。
指摘してしまったら、大口の売り上げが失われるんだから、会計監査も馴れ合いでしかない。
だから、あんなずさんな会計が何年も「承認」される。
ウォールストリートジャーナルなどは、事件発覚から2日後には会計事務所の責任について記事にしたが、日本は2週間後に「こっそり」記事になっただけだ。
何故新聞やテレビのメディアが責任の追求しないのか。
彼らも「仲間の恥」を突っ込む気なんてまったくない。
だって、広告の大事なお客様は不祥事を起こした大企業や、その仲間だ。
でも、こういう馴れ合いの仕組みを世界がどう見ているのか、考えたことがあるのだろうか。
こういう事件は、世界の投資家に、日本上場企業約4000社に対しての「監査の仕組み」自体を疑わせてしまう。
実際、この事件で、上場企業の「日本の監査会社のお墨付き財務諸表」を疑う投資家は増えたと思う。
財務諸表の作り方ははすでに、国際的スタンダードから外れているというのに。
仲間内で既得権を守ることも理解できるが、このようなケースが与える世界的インパクトがイメージできなくても大丈夫なんだろうか。
そして、このような「事実」が日本における未来の世代にどんな価値観を教えているか考えたことがあるのだろうか。
今の時代、派遣社員に求められるもの
派遣社員に求められることは「無難な性格」と「何でもやること」だ。
だから、PCや業界を知っていればオッケー。
正社員にとって、派遣社員は「仲間」ではないのだから。
だから、いろいろなことが起きるけど、何も対処できない。
嫌なら、辞めて下さい、という感じ。
所詮社内でパワーハラスメントが行われるのも、この「区分意識」のためだ。
派遣社員は向こう側で、正社員はこっち側。
かつてのテレビドラマみたいに「出来る派遣社員」なんて、不要。
派遣社員として働いて「お金を稼ぐ」きっかけを作るためには「(作られた)若さ」と「(作られた)無難な経歴」が必要だということが判って貰えたただろう。
これは、日本の仕組みが求めていることである。
でもこうやって「変わらない日本」でサラリーマン労働者に求められているものがはっきりすると日本経済の停滞は当然だと理解できる。
もちろん、募集広告は「貴方の新鮮さ、専門性を求めます」なんて謳う。
でも、こんな広告を信じるなんて無理な話だ。
IT化で生産性が高まるはずが大幅に落ちているのは、今始まったことじゃあない。この「破綻した仕組み」を「変えたくない」という企業の思想は年配経営者のおかげだ。
だから、中堅の40代であってもそういう人達を「先輩」として仰ぐ。
当然、その思想を踏襲する。そういう人達は群れる。社会的にも。
だから、「XX経済団体」とかは、政府と大企業の運命共同体であり、そこに入った人は社会的にも助けられることになる。
だから、PCや業界を知っていればオッケー。
正社員にとって、派遣社員は「仲間」ではないのだから。
だから、いろいろなことが起きるけど、何も対処できない。
嫌なら、辞めて下さい、という感じ。
所詮社内でパワーハラスメントが行われるのも、この「区分意識」のためだ。
派遣社員は向こう側で、正社員はこっち側。
かつてのテレビドラマみたいに「出来る派遣社員」なんて、不要。
派遣社員として働いて「お金を稼ぐ」きっかけを作るためには「(作られた)若さ」と「(作られた)無難な経歴」が必要だということが判って貰えたただろう。
これは、日本の仕組みが求めていることである。
でもこうやって「変わらない日本」でサラリーマン労働者に求められているものがはっきりすると日本経済の停滞は当然だと理解できる。
もちろん、募集広告は「貴方の新鮮さ、専門性を求めます」なんて謳う。
でも、こんな広告を信じるなんて無理な話だ。
IT化で生産性が高まるはずが大幅に落ちているのは、今始まったことじゃあない。この「破綻した仕組み」を「変えたくない」という企業の思想は年配経営者のおかげだ。
だから、中堅の40代であってもそういう人達を「先輩」として仰ぐ。
当然、その思想を踏襲する。そういう人達は群れる。社会的にも。
だから、「XX経済団体」とかは、政府と大企業の運命共同体であり、そこに入った人は社会的にも助けられることになる。
2013年7月1日月曜日
「責任者」の責任を追求しない理由
窓口の銀行員が着服した、とニュースが出る。
それを実行した人は「悪いやつ」としてメディアでさらされる。
そもそも、末端の人間が悪いことをする可能性があるから、高い給与を払って、人件費をかけて、管理者を置いて、企業はチェック機能を作ったのではないのか。
たしかに、ITシステムでかなりのチェックが不要になった。
にも関わらず、不正を行う担当者のニュースは尽きない。
そこに、課長、部長、というような複数のチェック機能の仕組みは未だに存在しているのに。
何故、彼らの責任を追及しないのか。
それは、結局、自分達を追及することになるからだろうなあ。
80%以上のサラリーマンが占める日本の労働環境だ。
役職を持った人は「自分の部下は違う」と思っている。
そんな人たちがニュースを見て「俺はやらないから大丈夫」と考えても、自分の職務に、給与に、そんな管理責任があるなんて、考えたくない。
だから、ニュースでは「悪いやつ」を追及する。
判り易いし。万人にアピールする。
でも、少し考えて欲しい。
末端の担当者には誰かがOKって言わないと、それだけのお金を動かすことなんて到底無理。しかも、大抵それは長期に渡ってでないと無理。
その間、ずっと、管理者や監査の人たちは「問題なし」と言って、沢山の判子を押して内容承認している。
この承認や確認の意味って、どういう意味だったのだろうか。
何重もの確認業務に払っている高い人件費は何のためなんだろうか。
それを実行した人は「悪いやつ」としてメディアでさらされる。
そもそも、末端の人間が悪いことをする可能性があるから、高い給与を払って、人件費をかけて、管理者を置いて、企業はチェック機能を作ったのではないのか。
たしかに、ITシステムでかなりのチェックが不要になった。
にも関わらず、不正を行う担当者のニュースは尽きない。
そこに、課長、部長、というような複数のチェック機能の仕組みは未だに存在しているのに。
何故、彼らの責任を追及しないのか。
それは、結局、自分達を追及することになるからだろうなあ。
80%以上のサラリーマンが占める日本の労働環境だ。
役職を持った人は「自分の部下は違う」と思っている。
そんな人たちがニュースを見て「俺はやらないから大丈夫」と考えても、自分の職務に、給与に、そんな管理責任があるなんて、考えたくない。
だから、ニュースでは「悪いやつ」を追及する。
判り易いし。万人にアピールする。
でも、少し考えて欲しい。
末端の担当者には誰かがOKって言わないと、それだけのお金を動かすことなんて到底無理。しかも、大抵それは長期に渡ってでないと無理。
その間、ずっと、管理者や監査の人たちは「問題なし」と言って、沢山の判子を押して内容承認している。
この承認や確認の意味って、どういう意味だったのだろうか。
何重もの確認業務に払っている高い人件費は何のためなんだろうか。
「雇った」管理者の責任を問わないのは何故か?
結果、日本の生産性は落ちる。
日本でいうホワイトカラーの専門性は「資格」でしかない。
つまり、個人経歴なんてほとんど読まないから、資格でその経歴を判断する。
最近偽医者や補助金詐欺の話を時々聞くが、その前に履歴を確認している人がきちんと仕事をしていたら、こんなことは無いはず。
この場合も、メディアは「雇った側」の管理者責任は、一切問わない。
彼らは「騙されたかわいそうな弱者」であり、視聴者の同情を買える人間だからだ。
でも、そこで「騙された管理者」には、その決断をする責任に高い「(正社員)管理者給与」が払われているはず。
そのことを事件のニュースを読む時、少し考えたほうがいい。
でも、派遣に登録する時、データの向こう側の人間は個別の「経歴を読まない」と思った方がいい。経歴なんて詐称できる。だから、確認するのは資格だけ。
だから、3ヶ月しか働いてなくても1年と記述しても誰も気がつかない。
彼らが見るのは、年齢と転職回数と資格だけ。もしかすると、資格と年齢だけかもしれない。
だから、「若くて、転職回数が少ない」人には仕事の依頼がすぐに来る。
正直に伝える部分が、どれだけ「選ばれる」ことに影響されるか、ちょっと考えた方がいい。
派遣の登録で(応募者が時間を掛けて)登録していも、その「正直な情報」はほとんど書類選考の判断基準にならない。企業に売れる商品(応募者)の価値は「若さ」と「従順さ」だから。
古い体質は今のやり方を「変えたくない」。だから、派遣社員に求めるのは「若くて世間を知らずで(俺の)現場で波を起こさない人」でしかない。
でも、考えて欲しい。
そうやって、得た仕事は「都合よく使われる」ポジションでしかないということを。
その上で、のし上がるも良し、勉強するも良し、後は個人が選択する「結果」だ。
日本でいうホワイトカラーの専門性は「資格」でしかない。
つまり、個人経歴なんてほとんど読まないから、資格でその経歴を判断する。
最近偽医者や補助金詐欺の話を時々聞くが、その前に履歴を確認している人がきちんと仕事をしていたら、こんなことは無いはず。
この場合も、メディアは「雇った側」の管理者責任は、一切問わない。
彼らは「騙されたかわいそうな弱者」であり、視聴者の同情を買える人間だからだ。
でも、そこで「騙された管理者」には、その決断をする責任に高い「(正社員)管理者給与」が払われているはず。
そのことを事件のニュースを読む時、少し考えたほうがいい。
でも、派遣に登録する時、データの向こう側の人間は個別の「経歴を読まない」と思った方がいい。経歴なんて詐称できる。だから、確認するのは資格だけ。
だから、3ヶ月しか働いてなくても1年と記述しても誰も気がつかない。
彼らが見るのは、年齢と転職回数と資格だけ。もしかすると、資格と年齢だけかもしれない。
だから、「若くて、転職回数が少ない」人には仕事の依頼がすぐに来る。
正直に伝える部分が、どれだけ「選ばれる」ことに影響されるか、ちょっと考えた方がいい。
派遣の登録で(応募者が時間を掛けて)登録していも、その「正直な情報」はほとんど書類選考の判断基準にならない。企業に売れる商品(応募者)の価値は「若さ」と「従順さ」だから。
古い体質は今のやり方を「変えたくない」。だから、派遣社員に求めるのは「若くて世間を知らずで(俺の)現場で波を起こさない人」でしかない。
でも、考えて欲しい。
そうやって、得た仕事は「都合よく使われる」ポジションでしかないということを。
その上で、のし上がるも良し、勉強するも良し、後は個人が選択する「結果」だ。
派遣で雇われた人よりすごいデータ分析と情報処理
だからというのかもしれないが、R社のシステムから自動配信されてくる求人情報は、かなり適切だ。
P社の人材コンサルタントは1年以上なんの仕事も紹介せず、いきなり保険の営業職を紹介してきた。
私の対応費用は、前職の会社へ請求するから、たぶん請求金額の実績作りであることは確実だ。契約更新は、たぶん年更新だろう。
それにしても、R社の自動化したコンピュータは人件費が高い人間の判断力より優れていると言ってもいいだろう。私にだけ適切な情報が送られている訳ではない。他の1万人、2万人という「登録している」応募者に対してだ。
じゃあ、なぜP社は人を使うのか。
それは「やり方を変えたくない」から。
誰も応募者の「感想」なんて気にしない。
だって、派遣会社がお金をもらうのは派遣した「企業様」からだ。
彼らのご機嫌さえよければ、売り上げにつながる。
R社は「適切な応募」を促すためにシステムを導入し、P社は「売れる商品(派遣社員)」のために人間を活用する。
どちらも、その後に応募しても、社内選考があるから、商品として「規格外(つまり若くない人達)」への対応は同じだけど。
そして、若い子を選んで派遣で働く素晴らしさを宣伝する。その結果、キャリアとならない雑務しかできない不幸な若い労働者を増やす。
専門性を売る世界であれば、あまりこういうことは起きない。
実際、海外のテンプスタッフでは事務の仕事であっても専門性を求めるが、日本は若さだ。何故なら、ホワイトカラーの職務にたいした専門性に価値を置かないから。
なぜ、置かないのか?
企業の中が「変化しない」から。
たいていの派遣の仕事は業界を知ってPCをつかればできる仕事だ。
だからこそ、「うちのやり方」になじんで「非効率さ」に目をつぶる若い子を求める。
それが非効率だからこそ、社員の自分が居るのに、そのやり方が「非効率」だなんてこと、派遣社員に指摘して欲しくないもんね。
P社の人材コンサルタントは1年以上なんの仕事も紹介せず、いきなり保険の営業職を紹介してきた。
私の対応費用は、前職の会社へ請求するから、たぶん請求金額の実績作りであることは確実だ。契約更新は、たぶん年更新だろう。
それにしても、R社の自動化したコンピュータは人件費が高い人間の判断力より優れていると言ってもいいだろう。私にだけ適切な情報が送られている訳ではない。他の1万人、2万人という「登録している」応募者に対してだ。
じゃあ、なぜP社は人を使うのか。
それは「やり方を変えたくない」から。
誰も応募者の「感想」なんて気にしない。
だって、派遣会社がお金をもらうのは派遣した「企業様」からだ。
彼らのご機嫌さえよければ、売り上げにつながる。
R社は「適切な応募」を促すためにシステムを導入し、P社は「売れる商品(派遣社員)」のために人間を活用する。
どちらも、その後に応募しても、社内選考があるから、商品として「規格外(つまり若くない人達)」への対応は同じだけど。
そして、若い子を選んで派遣で働く素晴らしさを宣伝する。その結果、キャリアとならない雑務しかできない不幸な若い労働者を増やす。
専門性を売る世界であれば、あまりこういうことは起きない。
実際、海外のテンプスタッフでは事務の仕事であっても専門性を求めるが、日本は若さだ。何故なら、ホワイトカラーの職務にたいした専門性に価値を置かないから。
なぜ、置かないのか?
企業の中が「変化しない」から。
たいていの派遣の仕事は業界を知ってPCをつかればできる仕事だ。
だからこそ、「うちのやり方」になじんで「非効率さ」に目をつぶる若い子を求める。
それが非効率だからこそ、社員の自分が居るのに、そのやり方が「非効率」だなんてこと、派遣社員に指摘して欲しくないもんね。
データベースのバケツに入った個人は常に特定できる
P社のITシステムがあまりにお粗末であることはすでに紹介したが、恐れるほどすごいITシステムを使っているところもある。
大企業人材会社R社は過去情報も人事データベースの基本を使って管理している。
人は、基本的に「名前」と「誕生日」で個人を特定できる。
この場合、漢字などの違いがあるためグローバル的には、アルファベット表記と年月日8桁で検索する。
この派遣会社の場合、漢字で登録する。
これは、一度登録した人が再登録できないようにするためだ。
つまり、どちらかが違えば登録できるのだが、派遣の場合実際の登録会に行き、保険証等で年齢等を確認する。
だから、どちらかを変更して2件登録するのは「応募者の無駄な時間」であるけど、彼らの問題ではない。
これを利用したのが「ID乗っ取り」だ。卒業アルバム等でたくさん「個人」が登録できてしまえば、本人が登録しようとしても不可能になる。
なぜ、そんなことをするのか。
人を騙すため。
なぜ?それが儲けに繋がるから。
IT時代の人達は、「盗むことは悪いこと」ということは教わっていないらしい。
自分はその騙したことに責任を取りたくないから、「自分以外」のIDが必要だ。
IDは多い方がよりたくさんの人を騙せる。
なぜなら、「騙す」仕組みはプログラムできるから。
メールの8割以上がスパムである事実がそれを証明している。
デジタル時代の人たちは「騙すことは悪いこと」ということも教わっていないらしい。
だから、個人を特定できる仕組み(フェイスブックもしかり)は結構怖い。
だって、みんな自分でそれを率先して提供するんだから。
そんな仕組みを使って、データ管理しているのがR社。
8年以上前に登録し、一度も仕事をしていないのに記録されていた。
ただ、そこに統合された会社のデータは、寄せていないようだ。
データが一元管理されていると、リスクは大きいが、「仕組み」としては無駄を省く思想をプロセスから具象化しているケースと思える。
大企業人材会社R社は過去情報も人事データベースの基本を使って管理している。
人は、基本的に「名前」と「誕生日」で個人を特定できる。
この場合、漢字などの違いがあるためグローバル的には、アルファベット表記と年月日8桁で検索する。
この派遣会社の場合、漢字で登録する。
これは、一度登録した人が再登録できないようにするためだ。
つまり、どちらかが違えば登録できるのだが、派遣の場合実際の登録会に行き、保険証等で年齢等を確認する。
だから、どちらかを変更して2件登録するのは「応募者の無駄な時間」であるけど、彼らの問題ではない。
これを利用したのが「ID乗っ取り」だ。卒業アルバム等でたくさん「個人」が登録できてしまえば、本人が登録しようとしても不可能になる。
なぜ、そんなことをするのか。
人を騙すため。
なぜ?それが儲けに繋がるから。
IT時代の人達は、「盗むことは悪いこと」ということは教わっていないらしい。
自分はその騙したことに責任を取りたくないから、「自分以外」のIDが必要だ。
IDは多い方がよりたくさんの人を騙せる。
なぜなら、「騙す」仕組みはプログラムできるから。
メールの8割以上がスパムである事実がそれを証明している。
デジタル時代の人たちは「騙すことは悪いこと」ということも教わっていないらしい。
だから、個人を特定できる仕組み(フェイスブックもしかり)は結構怖い。
だって、みんな自分でそれを率先して提供するんだから。
そんな仕組みを使って、データ管理しているのがR社。
8年以上前に登録し、一度も仕事をしていないのに記録されていた。
ただ、そこに統合された会社のデータは、寄せていないようだ。
データが一元管理されていると、リスクは大きいが、「仕組み」としては無駄を省く思想をプロセスから具象化しているケースと思える。
既得権を放棄しない社会と雇用拡大
どんなサラリーマンも10%の源泉税が引かれている。
そして、これからは10%の消費税だ。
80%以上(サラリーマンの比率)の日本人が経済活動(日々の生活:収入と支出)の20%が自動的に吸い取られる仕組みが、これから確立される。
政府にとって、これほど簡単に金を得る方法はないだろう。
大企業は政府と仲間だから、政府が手にいれたお金を「使わせて」儲ける。
だから、多くの大企業が政府に物を売って、儲かっている今、彼らは自分達のやり方を変えようとはしない。
労働問題の本質は「やり方を変えたくない」から「現場のいうまま上層部の承認をもらう」正社員(既得権を持った)の管理者が多すぎることだ。
そして、無駄が雇用を生んでいる。結果、労働者80%がサラリーマンだ。
元々、IT化によってビジネスにおける書類作業が激減したのに、業務を改革せず、労働者の既得権を守り続けている今「雇用の増大」って、どうやるんだろううか?
責任を分割して仕事を増やしても、90年代に建築業で起こったようなことがまた、人材派遣紹介会社で起こるだけだろう。
1こしかないパイを無理やり増やしているのに「給与が上げる」なんて言葉、どうして信じられるのか?
政府の方針は、税金を簡単に手にいれる「この仕組み」を変えることなんてしない。自営業が70%もいたら税収入は当然激減するのだから、役所に勤めている人達が今、貰っている給与は絶対にもらえなくなる。
60年前がそうだった。
そうやって、みんながみんな既得権を放棄しない社会は、たしかに雇用は増えてゆく。
そして、サラリーマンが増えれば、政府も20%の税金獲得対象者が増えるということだ。
そして、これからは10%の消費税だ。
80%以上(サラリーマンの比率)の日本人が経済活動(日々の生活:収入と支出)の20%が自動的に吸い取られる仕組みが、これから確立される。
政府にとって、これほど簡単に金を得る方法はないだろう。
大企業は政府と仲間だから、政府が手にいれたお金を「使わせて」儲ける。
だから、多くの大企業が政府に物を売って、儲かっている今、彼らは自分達のやり方を変えようとはしない。
労働問題の本質は「やり方を変えたくない」から「現場のいうまま上層部の承認をもらう」正社員(既得権を持った)の管理者が多すぎることだ。
そして、無駄が雇用を生んでいる。結果、労働者80%がサラリーマンだ。
元々、IT化によってビジネスにおける書類作業が激減したのに、業務を改革せず、労働者の既得権を守り続けている今「雇用の増大」って、どうやるんだろううか?
責任を分割して仕事を増やしても、90年代に建築業で起こったようなことがまた、人材派遣紹介会社で起こるだけだろう。
1こしかないパイを無理やり増やしているのに「給与が上げる」なんて言葉、どうして信じられるのか?
政府の方針は、税金を簡単に手にいれる「この仕組み」を変えることなんてしない。自営業が70%もいたら税収入は当然激減するのだから、役所に勤めている人達が今、貰っている給与は絶対にもらえなくなる。
60年前がそうだった。
そうやって、みんながみんな既得権を放棄しない社会は、たしかに雇用は増えてゆく。
そして、サラリーマンが増えれば、政府も20%の税金獲得対象者が増えるということだ。
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