2013年9月23日月曜日

「良書普及」という言葉の持つ恐怖

普通に使われている言葉が、どれだけ恐ろしいか考えたことがあるだろうか。

たとえば、このタイトルに使った「良書普及」。
これは、とある記事の中で「図書館の存在目的は「良書普及」ではない」と言う文脈で使われていた。

そもそも、「良書」とは誰が決めるのか。

誰も決められない。

でも、学校、図書館など「権威ある」人たちは、下々の者を「上から目線」で「彼らのために」判断するのだ。

実際、判断を権威に委ねてしまうと、何か起こっても「それは権威のせい」になってしまう。

自分が選択した「責任」を意識しないのだ。
だから、こういう言葉は「差別の芽」を持っている。

目に見える差別用語もある。
たとえば「障害者」など。
そもそも彼らは「害」なのではない。

だから、時代によって使われなくなった言葉もある。

しかし、今でも概念に影響する差別用語はたくさんある。
そして、みんな無意識に使う。

たとえば「女性パイロット」や「女性消防士」など、すべて差別用語だ。

プロフェッショナルの職務に性別は関係ない。

看護師や保育師が性別を不要としたのなら、その職業だけではなく、すべての職業にその「概念」を適用する必要がある。

そして、表現の自由もまた、人権と同じくらい保障されている。
良い、悪いを決めるのは「個人」であり「権威」ではない。

「権威」が制作物(アートや書物)に対して「善悪」を決めることができることは、ファシズム的思考で危険な状況だ。

何故なら、洗脳の第一段階は、意見を決め付け、相手に思考を停止させることなのだから。

2013年9月22日日曜日

不ぞろいの野菜から思ったこと

近所に激安の八百屋がある。
そこでは地元産のしいたけが一袋いっぱい入って100円だ。

その理由は、全部俗にいう「規格外」だから。

しいたけのかさがくっついたシャム双生児みたいなものも入っている。
そんなしいたけを見ながら「規格外の人間が安い労働者になってしまうのは仕方がないかも」と思った。

規格内なら、管理が楽だ。

画一な機械に投入して袋詰めも自動化できる。

人間もそうだろう。

一定の能力さえあれば、集団研修を1週間もやれば単純労働者に作り上げることはできる。

でも、文化も価値観も違う人を束ねるのは大変だ。

でも、だからこそ、個人の価値を尊重し、それらの特性を組み合わせてプロジェクトを成功させたとき、本当の意味で「チームワーク」の力が発揮される。

同じ力をたくさん集めても、1が100にしかならない。
1次元の世界だ。

でも、個性を尊重し、議論し、力を合わせる時は2次元、3次元の広がりを持つ。

でも、100、200を求める1次元の世界の住人に、2次元、3次元の素晴らしさを説明しても理解されない。

そもそも、100を構成する一員になれない「存在」自体を排除する文化に生きているのだから。

企業において100を構成できない「人間」は、自分を偽り「0.5」の仕事をするだろう。

でも、だったら企業に属さず自由になった方がいい。
世界はもっと広いのだから。

規格外のしいたけだって売れるチャンスがある。

大手スーパーではないし、小さな八百屋かもしれないけど。

「家族化」進む日本企業

日本の企業には「職務」定義が無い。
あるのは、「正社員」という「職務」だ。

新聞の求人を見たら解る。
「正社員募集」という求人がまかり通る。
営業なのか、事務なのか、全く解らなくても応募する側も問題がないらしい。

だから、「正社員」という「職務」に一番重要なのは「協調性」であり「プロフェッショナル」ではない。

日本の家族的経営が大企業になってもその価値観を変えないことがホワイトカラーの非効率な業務につながっている。

にもかかわらず、大企業寄りの「権威ある人達」は意見する。
就職に必要なのは「コミュニケーション能力」だと。

それを強調するように「飲みケーションが重要」とか言って、社会を洗脳する。
この発想の先にあったのが、この記事。

「ランチタイムをコミュニケーションの時間にする素晴らしい会社がある」なんて「変わった会社」を賞賛する。

「正社員」と「非正社員」で「職務」が分かれているのに、「コミュニケーション能力」ばかり重要視して企業で何が改善するのか?

「和」を重要視し、プロフェッショナルを無視し、新人採用も中途採用も必要な能力を「和」と考えて採用するのは企業の自由だ。

でも、その「馴れ合い」の中から、一体何が生まれるのか?

「正社員」という「職務」だけで仲良くやるのはいい。

でも、そこで面倒でやりたくない仕事がでれば「非正規社員」を雇う仕組みは変わらない。

「日本式職務階級」は企業内でしっかり確立されている。

職務に対して、責務を分担し、その結果に対して対価が払われることを「あたりまえ」にしない限り、日本の雇用問題は解決しない。

目を覚ました方がいい。

「管理職」という「正社員」が判子を押すか「根回し」だけで給与がもらえる企業が率いる社会が欲しい「労働者」は明快だ。

それは、大企業に都合の良い価値観を持った「労働者」だ。

だから、そんな「大企業の広告を載せる新聞」のこんな記事を信じるなら、自分もまた、彼らの洗脳戦略にはまっていることを。

「職務」が定義されない社会の「男手当て」

日本企業には、職務定義がない。

だから求人は「事務一般」を「職務」として、できるとわかると帳簿付けだってやってもらう。

社員は「家族」だから、できる人がやるのが当然だ。
給与なんて、責任なんて、硬いことは言わない。
職務はその人の能力であり、給与ではない。

日本以外の国から見れば、信じられない話だ。

そんな男性優位社会の日本においてオピニオンリーダーを気取る新聞が「悩み相談」の形で取り上げた「男性差別」の話。

これは面白い。

レストランの洗い場で働く男性が重い鍋を洗う時は「男だから」といって年配女性は洗わないらしい。

給与は同じなのに男性は職場の力仕事をさせられる。
それなら「オトコ手当て」が欲しい、女性はずるい、と相談している。

ここでも日本の社会に「プロ」が育たないことが良くわかる。

「年配」には楯突けず、他者と違う仕事をするなら「手当て」が欲しい。

彼が本当に「同じ職務」として仕事している主張するなら、年齢性別をかかわらず、本人に直接言えばいい。

または、頼まれても断ればいい話だ。

それでも駄目なら、管理職がいるのだから、彼らに相談すればいい。
職場の調整は彼らの高い給与を貰う理由の一部なのだから。

相談者は、自分で何一つ職場で意見をせず、自分の「お仕事」の正当性ばかり主張し「金」が欲しいという。

こんなWEB相談で憂さを晴らしても、彼の人生、何も変化は起きないのに。

この相談自体も日本社会が持つ「価値観」が顕著に現れている。

現場の「和」と「年功序列」が幅を利かせ、主張せず議論せず、陰でなんとかしようとする。

このような企業文化で「職務」の定義など誰もしない。
プロも求められない。

だから「年齢差別はだめ」という法律ができてもそんなのは建前だけだ。

「責任を負わない管理職」も変わらないだろう。
だって、給与をもらうために仕事をしているなら、何事も起きない方がいい。
その方が、楽だから、部下には「仲良くやってよ」としか言わない。

相談見る限り、どっちもどっちとしか思えないけど・・・・・

雇用の「方法論」もネタが尽きたか?

雇用の流動化を促す「特区」の設立とは、笑ってしまった。

正社員の既得権は壊せないが、世界に向けて雇用の流動化を「やっている振り」をしなければならない。

だからと言って「特区」は無いだろう。
そもそも、5年未満の会社が、引越し費用をかけてそこに集まると思っているのだろうか。

国のこんな施策に、騙されると思っているのだろうか。

しかも、ホワイトカラー年収500万以上だか、700万以上だそうだ。
そんな給与が払える「大企業以外の企業」はどれだけあるのだろう。

そもそも「正社員」の既得権が蔓延して簡単に「解雇できないこと」が問題になっているのは、大企業だ。
中小、弱小企業の「正社員」なんて、今や「使い捨て」と同義語だ。

この方策を本気で言っているなら、末期症状だ。

日本の雇用の問題は「職務」が定義されていないこと。
「仕事をする」ことは「責務を果たすから給与を貰える」という、基本的な価値観が無いことにある。

だから「年齢」で給与が決まるという「本音」があるから、転職において「40歳以上お断り」ということになる。

もちろん、法律的にはそんなことは公言しない。
応募書類を即効で送り返すだけだ。

法律を後20回、30回変えようが、雇用問題は変わらない。
どんなに法律を変えようが、企業を「家族」とみなして45歳以上、プロフェッショナルは「雇わない」価値観がある限り何も変わらない。

大企業は、変わらないし、その下請けで食べている中小企業も同じだ。

だから、その孫受けで食べている弱小企業は、安くこき使える若者しか雇わない。

また無駄な法律を作って、役人は残業代稼いで、国の予算が使われて、そのための「事務所」を開いて、公務員の余剰「正社員」を送る場所を作る。

そして「何かをやった」気になる。

結果は何も変わらないのに。

レール幅拡大放置、JR北海度「なぜかわからない」って・・・

このブログで日本の「仕組み」がすでに破綻していることを書き連ねているが、大企業の劣化は特に酷い。

大手商社にいた時「落ちこぼれ正社員」を「人事異動」の名目でたらいまわしにしているのを見たが、この件に関しても、典型的な「日本企業」の現象だ。

普通、この言い訳を「ニュース」として、受け入れる馬鹿はいないだろう。
でも、大企業の新聞は「発表」で受け入れる。

大体、保線の部門にだって、課長、部長、などの「管理者」がいるはずだ。
毎月、安くない給与を貰っている。

彼らは、一体何のために存在しているのか?

この場合、現場はちゃんと「仕事」をしている。
測量して1年前以上に、数字が出ているのだから。

その判断に「要修理」の「意思決定」をするのが「管理職」だろう。
しかし、管理職が「お仕事」しかしてなかったので事故のなった。

当然だ。

日本企業の管理職は、「意思決定」ができない。

で、その一番上の管理職もこのていらくだ。

「なぜかわからない」って、責任者が会見で言う言葉じゃあないでしょう。

全部、各部門責任者が判子押して、記録残っているんだから。
誰が問題を見逃したかは簡単に解るでしょうに。

もっとも見逃した責任者は、1人じゃあないと思うけど。

それを追求しないメディアもまあ、日本企業病だろう。
それを解っているからこのタイトルの記事になったんだろうな。
大体、こっちの方がセンセーショナルだし、「お仕事」やった感もあるし。

結局、大企業同士「仲間」には優しいということだ。
だって、これからも広告出してもらわなきゃならないのだから、当然だよね。

今、一番ダメな経営とは、「効率を求める」こと

川島 蓉子氏が日経ビジネスで連載している「ダサい社長」が日本をつぶす!」のこのタイトルに思わず反論したくなった。

「それは違うでしょう!」と思いながら全部読んだら、タイトルの印象と全く違った。

なんのことはない、「効率化」の意味が私が考えている「効率化」とは全く違うだけだった。

これは、CCC代表取締役社長・増田宗昭氏との対談なのだが、彼の主張は「創造性が重要」ということ。

つまり、「創造性」は「効率性」とは相反するものだという意見だ。

私もそう思う。

でも、私が使う「効率」と彼が語る「効率」では、全く意味が違っている。

かつて、これと似たような体験がある。

内部監査の仕事をしていたとき、監査対象のデータを絞り込んで「テスト対象となる取引伝票」を特定するのにものすごい時間がかかった。

これは、一ヶ月に取引が膨大にあるのに、その中からテスト対象となるべき「特定条件」の取引群を発見するのに時間がかかっていたからだ。

だから、一ヶ月の取引データをサーバから抜き出してエクセルシートに貼り付けた。

そして、別のシートで部署別、部署別の金額別、イレギュラー取引などが自動的に表示されるように計算式を組んでテーマごとに集計やフィルターがかけられるようにテンプレートを作った。

だから、テンプレートに一ヶ月のデータを貼り付けるだけで、簡単に分析ができるようになった。

これで、作業は20分の1程度に削減され、担当者から多いに喜ばれた。

その時、私が彼に言った言葉。

「皆さんの仕事は「データを作る」ことではなく、判断をすることです。だから、判断をするために時間をかけるべきで、その判断をするための情報を「作ること」に業務時間をかけるべきではないのです。」

ITは、作業を簡略化するものであり、仕事を増幅させるものであってはならない。

不動産価値が上がれば投資はできるけど

ビジネス記事を書く「権威者」の指摘には、首をかしげるものがたくさんある。

一番多いのは「海外ではこういう成功事例がある」と言う紹介だ。

ある記事では、砂漠の街が計画的に都市化に成功した例を紹介していたが、日本ではまず無理な話だ。

何もないところには、設計図は引きやすい。
特に砂漠の街なら、何でも作り放題だ。
しかも、オイルマネーで金がある。

なら、何だってできる。

すでに権利や法律が入り組み「変える」なんて思想や価値観が皆無な「日本社会」において、「計画的な都市化」なんて夢のまた夢だ。

利権が絡んだ「計画」は常に起こる。

でも「50年後の日本ためにどうするべきか」なんて「社会的・長期的」な視点をもった議論ができる日本人はどこにいるのだろうか。

東北地方の震災後をみれば良くわかる。

消え去った街を再建するのに住民の意見はまとまらない。
「地元のための」NPOは20も、30もグループがあっても、どこも「どうするべき」を理論的に語らない。

「なんとかしろ」とは主張しても建設的な議論しない。
協力しおうともしない。

2、3万人程度の街でこのレベルだ。

日本人は「変えたくない」のだ。

だけれど、街は消えた。
人は消えた。

消えてしまった事実に向き合い、去っていった人々を認め、まだここに「住みたい」なら、その人たちが「50年後」を考える責務がある。

街など簡単に消える。
消えることは悪いことではない。
住む人がそこにいて初めて街ができるのだから。

復興予算とは、そんな勇気ある、責任を負う人たちだけが使う権利を持っているのではないだろうか。

970億ほど、借金チャラにしてよ

銀行もデパートも頭がどうかしているとしか思えない。

旧長銀が破綻した時、超過債務は3.6兆円だった。
融資残高の3割が「不良債権」であったそうだ。

そもそも、銀行のこの負債額、1年やそこらでできたものではない。

なぜ、そうなるまで経営層は何もしなかったのか。
そもそも、不良債権が1割を越した段階で経営層は危機感を持たなかったのだろうか。

その責任を追求しないのは何故なのだろう。

旧長銀、潰すには大きすぎるので再建することになったが、誰も買わない。
もとい、「買えない」。

だから、外資ファンドが買った。

その中に特に大きな貸し先があった。

そごうデパート(グループ)だ。

そもそもこの貸し先、3兆円の負債を抱えていた。で、これだけの金額になるまで、銀行というお金のプロ貸し続けて、返済できると思ったのだろうか。

財務諸表だって公開されている企業なのに。

結局、そごうグループ各社は約2兆9000億近い負債額で倒産した。
株式会社そごう単体で6800億円余りの負債が返済不能となった。

その時、再建に伴い「借金チャラにして」と要求したのが970億円。

要求されたのは「破綻した」銀行を買ったファンドだった。

そんな理不尽なことは嫌だから、買った時の条件を使って「この借金、保障してよ」と金融庁の組織に要求。

契約なので、日本は「税金」でそれを払った。

つまり、税金でそごうデパートの存続を助けたということだ。

そごうは持ち直し、株価が上がったところでファンドは日本企業に売却。
そごうも銀行も再建したことで大部分の「正社員」の雇用は守られた。

銀行もデパートも、これらおばかな大企業経営者の尻拭い、そして「雇用死守」のために税金が使われた。

でもこれは、日本が「変わらない」ためには必要な費用だったのだろう。

人間関係の根っこ

東洋経済オンラインに「グローバルエリートは見た」という連載がある。
これに最近「グローバルエリートの母も見た」という連載が始まった。

これは面白い。

かつて、トットちゃんが爆発的に売れた後、トットちゃんのお母さん「チョッちゃん」も脚光を浴びた関係に似ている。

トットちゃんとチョッちゃん、両方の本を読むと共通したことがたくさんあるがその中でも「子供を信じること」で子供は自分自身を肯定していることが解る。

それは、両方の本を読むことでより深く理解できる。
これらの連載は少々視点が異なるが、主張の本質は同じような気がする。

この中で上野動物園の中川志郎元園長の言葉が紹介されている。

「親が子を育てるのは情である。子が親をみるのは知である」というものだ。

情を得るから大切に育てられ、知を得るチャンスが与えられる。
そして、知を得るから、その情への感謝を知り、年老いた親の面倒を見ることができるということだろう。

大学に誰でも行くような時代、「知」は「情」が無くても得ることができる。

しかし、資格や肩書きだけを重要視し、学校だけが学ぶところと考える日本社会で学問ではない「知(慧)」は得られない。

「情」も「知(慧)」も無くなった人間に、人間関係を教えるには「手法」しかない。

そして、人間関係は「マニュアル化」されてゆく。

こんな社会で、老人となる親が増えてゆく。

その子供達は、果たしてその世話を「マニュアル化」することで対応するのだろうか。

「人生、ボロ儲け」と思える仕事、と言える人生

駒崎弘樹氏と山崎亮氏の対談が某新聞社のWEBで連載されている。

山崎氏の「儲け」の考え方は変わっている。
金銭的価値だけではない付加価値も合わせて「儲け」と捕らえる考え方は決して「商売」の世界では珍しいものではない。

しかし、財務諸表の結果で借金や信用ができるビジネスをする企業では、理解はできても迎合はできないだろう。

つまり、今は「ビジネス」の時代であり、「商売(商い)」を否定する人達が多いということだ。

でも、本当に「ビジネス」の時代がこれからも続くのだろうか。

大企業がサービスを売る。客は買ったサービスに文句があればカスタマーセンターに電話をする。

その向こう側は企業とはまったく関係ない会社に雇われた時給800円で働いているアルバイトだ。

そこで働く人たちに未来はない。

だから、山崎氏の考える新しい「儲け」という考え方は「言葉」として通用する「概念」になるとは思わない。

でも、その「価値観」に関しては迎合する人は少しずつ増えていると思う。

小さな商売が、たくさん出来て、そこから信頼関係が生まれる。

その信頼関係ができるから、仲間で新しいことに挑戦できる。
そんなつながりが100も200もできれば、大企業に頼らなくても生活に必要なものやサービスは十分手に入れることができるのではないだろうか。

安値を追求すると、大企業の製品には勝てない。

でも、物を買う行為は売り先の企業と信頼関係を作る行為であることを、決して忘れてはいけない。

「客を評価」するという概念

先日、元値がかなりする腕時計を購入した。

某大手外資WEBショップに並んでいたので、そのショップから送られてきたと思っていたら実は「個人」が送ってきた。

つまり、店でも何でもない。
ただの「サイドビジネス」の「売り場」として通販ショップの店先を借りているだけのようだ。

これはある女の子が「AKB48」のふりをして舞台に登場しているけど、実際はメンバーじゃない、みたいな感じなのだろうか。

まあ、観客が楽しめば問題ないだろう。

私もそうだ。
商品がまともであれば別に文句を言うつもりもない。

驚いたのは、その納品書に記載している「評価につきまして」の文面だ。

「評価して頂いたお客様のみこちらから評価差し上げております。評価不要のお客様は評価しないようにお願い致します」って書いてあった。

ものすごく驚いた。

これ、ものすごく傲慢だ。
たぶん、外資WEB通販があてがった定型文なのかもしれない。

ただ、この文章は「客として良い対応をしてくれたら、こちらも対応します。」という意味としか取れない。

WEB通販では「通販」という性質上「悪い評価」があまり出ないようになっていることはこのブログでも書いた。

しかし、実際はこのような「仕組み」を利用して売買するということは、売り手も買い手も、お互いを信用しないで商取引しているということだ。

でも、その「場」を提供している「大家」は信じている。

これ、不動産ビルの「仕組み」に似ている。

大手不動産系列のビルの店子になるにはたいへんだけど、雑居ビルに入るにはそうでもない。

この通販サイトも雑居ビルにならなければいいけど。

2013年9月20日金曜日

「楽にお金が欲しい」という欲望が生む価値観

産業革命時代、大企業でサラリーマンになる、というのは工場労働者だった。

彼らのサラリーは高くない。
では、他の労働者はどうだったか。

自営業だった。

でも、戦後、高度成長時代、苦労して自営業をするより、サラリーマンでいる方が楽に金を稼ぐことができることがわかる。

「会社」という信用を立てにお金を借りることもできる。
その金で家も買って、生活は豊かになる。

そこから生まれる価値観は「サラリーマンの方が、自営業より楽にお金が稼げる」という価値観だ。

そうなると、欲望は「もっと」となる。

だから「良い大学に行って、一流企業に入る。」ことが子供の人生の目標になった。

ここに「プロフェッショナルであること」の誇りや意識はない。

「正社員」という会社に「忠実」なことだけを求める。

だから、会社が「家族」になってしまう。
また、企業も「家族の仲間」を求める。

従って、スキルなど大した問題はない。
何故なら、家族は助け合うものだから。

そうやって時代を過ごしても、時代はプロフェッショナルを求める。

でも、企業はその判断ができない。

自営業が多い時代は、プロが何処にでも、いろいろな所にいた。

でも、ホワイトカラーのサラリーマンが多くなった現代、彼らには「何が」必要かもわからない。
だって、仕事は「みんなでやる」ものだったから。
だから、日本企業には「職務」という概念すら存在しない。

たぶん、これからも「どうしよう」と言い続けるだけだろう。

動物もそうだけど、餌を与えられる人生を何年も過ごせば、自分で餌と取る能力などとっくに退化している。

「見ない振り」だけは、職人級のレベルに達しているけれど。

面倒な仕事を「委託」する結果

そもそも、儲からない業務部分を子会社で人件費を安くしようとしても無理がある。

何故なら、雇っても長く続かないからだ。

この問題を解決するために、企業側には2つの方法がある。

ひとつは「長く続くため」の「教育」や「評価」の仕組みを構築する。
もうひとつは、人材派遣業者を複数利用して、単価を落とし、人材品質の責任を派遣会社に任せる。

どちらの方法を使っても、その弊害を受けるのは、そこで働く労働者だ。

最低時給を提示して「長期間勤務してもらえますよね」と言いながら、契約書に記載されている契約期間は1ヶ月だ。

また、企業が複数の人材派遣会社を使うことで、社会には悪徳派遣会社が大量に発生する。

その後はどうなるかはこのブログの「人材派遣会社」の仕組みに詳しく書いている。

もうひとつは「教育システム」や「人材管理」の「仕組み」にある。

人材の素質は派遣会社で一度、フィルターを通している。
ただ、それはたいした役にたたない。

そもそも雨後の竹の子のように生まれた派遣会社から送り込まれるのだ。
だからその後、「派遣」なのに「研修期間」が必須の仕事になる。
そして、その研修期間に遅刻してくる「派遣」は、そこで即契約破棄をする。

つまり、就業前にサインした契約書は人材派遣会社と労働者の問題で、企業には全く関係がない。
だから、派遣を「切って」も問題がない。
仮に、法的に問題が起きても「関係ない」と言える。

企業側のこのやり方、十分に理解できることた。

それほど、労働意識が低い人材が最低賃金の仕事に応募してくるからだ。

ただ、そのやり方が成功し始めるとその「仕組み」や「教育」自体の「仕組み」がサービスとしての売り(商材)になる。

何故なら、同じ問題を抱える大企業はたくさんあるのだから。

新しい技術が「儲からない」時は

インターネットもそうだけれど、衛星通信やシェールガスのように新しい事業を起こすには大きな投資が必要になる。

もちろん、大手企業であったとしても、一社で挑戦するのは無理だ。

だから、大企業同士で投資して合同プロジェクトを計画する。

たとえば、衛星放送という新しい技術の場合。
1990年代よりずっと前から、数年前に国民が踊らされた「地上波デジタル放送化」に向けてのビックビジネスは動き始めていた。

日本で開発されていないので、機械の輸入は、商社。
日本国内での通信環境への技術的、法的整備は国と大手電話会社、その仕組みの上で売るためのコンテンツ提供は、某映画会社とか。

彼らは、すでにそれぞれの業界での法律も熟知しており、政界とのコネクションもある。

しかし、彼らが、金を出し合って作った合同会社が、何年してもあまり儲からない場合はどうするか。

まず、この時点で過大な投資がされているから、すでに作っでしまった会社は潰せない。

正社員も保有している。
だから、「事業を続けたい企業」に、「手をひきたい企業」が自分の分の株を売る。

そして、すべてを引き受けた「事業を続けたい企業:A」は、子会社Bを作って新事業の中で、儲からない業務を分社化して委託する。

そこで企業Aは会計上健全になる。

その分社化された会社Bは業務を続けるが、やっぱり赤字が続く。

その場合、別の会社Cに業務を委託し、会計上健全になる。

では、C社はどんな会社か。

たとえば、携帯電話の普及で、固定電話の利用が減って「電話加入権」という名目でぼろ儲けが出来なくなったグループ会社が抱える孫会社など。
大量の「正社員」を雇い続けるための「職場」と「ビジネス」を確保しなければならない会社だ。

彼らは子会社Cを作って利益を親会社に還元できるように仕組みを作る。

でも、そこで働く人がいない。

だから、最低賃金で、派遣社員を雇う。
正社員はその派遣社員の「管理」が仕事になる。

そりゃあ、企業内、会社内で「階級」ができるはずだ。

どんな職場も「見ない振り」

先日、大谷映子さんが朝の報道番組に出ていた。

はだしのゲンの閲覧規制について議論されていたのだけれど、それはたいしたことない。

ただ、その議論の中で久々に当たり前のことを言う日本人を見た。

「日本人は、問題があっても見ないようにする、無かったことにする性格だが、問題はそれと直視しないと、解決できない。」という言葉には、さすがに「一億白痴化」と看破した人の娘さんだとと思った。

たとえば、部署の中で、クラスの中で、老人クラブの中で、いじめがあっても、何かを主張する人がいても、影でこそこそ言っても、決して自分が絡んでゆこうとしない。

そりゃそうだ。
組織の中でとんがれば、今度は自分が的にされる。

「和を乱す」という原因で「能力が無い」という理由をつけて、追い出される。

そのいじめる人が、組織の「ナンバー2」とかだと大変だ。

組織の管理職は異動が多い。
「ナンバー2」は、組織の次の「ナンバー1」なんだから。

だから、こんな場合は、次の「ナンバー1」の行動は「見ない振り」をするしかない。

教室でもそうだ。
老人クラブでもそう。

仲間はずれにされたくないために、組織や仲間の中の権力者にたてつかない。

まるで、ジャイアンとスネ男の関係だ。

だから、どらえもんを持たない「のびた」は「スネ男」になるしかない。

大企業の人事部は、その典型的な形だ。

社内で起こっている問題を彼らに訴えても何も変わらない。

何故なら、彼らは会社の問題について「見ない振り」をすることを「組織的に対応する」部署なのだから。

リストラに合う時、彼らの言うことを、信じる方が「ナイーブ」すぎる。


決断できない「管理職」の役割

外資企業は「職務」がはっきりしている。

職務においてその給与は決まるのだし、結果を出して初めて金額交渉の話も可能になる。

もちろん、日本風の昇進ゲームが無いわけではない。
でも、大抵は「職務」に対して給与が決まる。

何故なら「職務」には「責務」があるからだ。

でも、日本は違う。
「職務」が無い「職位」しかない。

だから、「年齢」によって給与が決まる。
だから、年齢が上がるほど転職できない。
だから、みんな会社にしがみつく。

それはいいけど、変化に対して意思決定をしない「管理職」が何人もいて、会議して、いったい何が「決まる」のか。

そう。何にも決まらない。

だから、企業(大組織)の会議は「決められない」ということを「決める」ために会議は開かれるのだ。

つまり、会議で「決められない」ということを「決める」ことでお給料が出る。

だから、楽チンだ。
会議に出ればいいのだから。

1年決められなくても問題なし。

だって、また人事異動で新しく何かを「検討する会」ができる。
予算を取るだけのためだから、別に結果は始めからあまり期待されていない。

必要なのは「努力しました」のポーズであり、それは会社内の評価に繋がるから。

責任(責務)がはっきりしなければこれで大丈夫。

また管理職は「報告」が大好きだ。

オンラインで読めるようなことをわざわざ人を集めて「報告」する。

俺しか知らないことを「部下」にだけ伝えるという「会議」は、ほとんど意味がない。

しかし、管理職の当の本人には自分の価値を認識する重要な儀式だ。
そして、自分の力を部下に示すにも重要だ。

もっとも、日本の会議は「儀式」以外の役目は全く無いけど。

決断できない「管理職」が存在する弊害 02

拒否するのはいいけど「開発費」が出ない以上、自社でそのデータを活用し「印刷フォーム」を作るしかない。

でも、それだけの予算を使う必要があるかどうかも判断が出来ない。

その上、使っていた人事システムも大きく変わろうとしていた。

今までは、4000人以上いる社員の個人的な情報の変更は、人事部がワードで作った「紙」のフォームに変更内容を書いて、特定の証跡と一緒に提出させていた。

たとえば、住所変更や結婚、離婚により姓名の変更など。

この「仕組み」がグローバルの方針で変わることになった。

目的は、個人だけがアクセスできる「個人(社員)情報」は個人に管理させることだ。
つまり、部署で起きる「入力ミス」が発生して、その本人がそれを確認できない状況を「無くす」ということだ。

本人が管理するのだから、一番正確だろう。

だから、オンラインで各本人に「住所変更」させた上で、所定の書類を提出させてオンラインで「人事部」が承認する形になることが発表された。

住所変更だけではない。
人事部がやっていた各種変更業務すべてだ。

学歴も、自分のデータは自分で管理し、その承認するための証拠を入手、確認すること「だけ」が「人事部」の仕事だ。

これで、人事部においての入力やデータ管理の量は半減するが、システムの利用者は10人程度だったのが、4000人以上に増えることになる。

この勤怠システムの変化といっしょに、これらの大きな変更に伴うインフラやアクセス権管理の問題について、私の解る範囲で検討点を羅列した。

そして、どうするかの意思決定を聞いたところ「俺には解らない」と言われた。

つまりXデーが来るまで「何も知らなかった」振りをするつもりだ。
そして、問題が起きればIT担当者のせいにするのだろう。

その後、この「決められない管理職」にいやけがさして契約更新をせずにこの会社を去った。

その2、3年後位に、会社は売られた。

まあ、当然のことだし、この会社は典型的日本企業だ。
その証拠に、意思決定の出来ない管理職には、何人も出会った。

今の「変わらない」日本があるのは、彼らのおかげだ。

決断できない「管理職」が存在する弊害 01

ダイヤモンドオンラインの吉田典史氏が連載している「悶える職場~踏みにじられた人々の崩壊と再生」で登場した女性管理職とリストラされた技術職の話を読んで、思い出したことがあった。

かつて、とあるグローバル企業でIT開発コーディネータをしていた時だ。

カナダの技術者が来て新しく導入するグローバル勤怠システムの説明がされた。
そして、今まで検討してきた「仕様設計書」がほとんど意味が無くなった。

なぜなら、今まで検討したのは「今のやり方」で使っている用紙(フォーム)のように「印刷できる」形を目標に設計しいたからだ。

でも、開発が遅れ、グローバルの方針が変わった。

「できるだけ、企業の要望を聞いてシステム開発を進める」はずだったが、経営層はそれを止めた。

企業別に「印刷フォーム」を作らせず、全世界統一したグローバルルールでののデータ処理を強要したのだ。

そこで、カナダの開発者が来日し、そのデータ構造と国別に可能なオプション機能を説明した。
至って合理的な構造だった。
データ屋の私はかなり感動した。

目的とする勤怠管理になんら問題はない。
もちろん、印刷フォームは用意されているが、今までとは違う。

そこで、通訳としてその仕組みを「部長」に説明し、企業要望(もしくはわがまま)の「印刷フォーム」は設計できないことを説明した。

その新しい「フォーム」を使って勤怠管理、および給与計算するのは部長率いる組織なのだから「じゃあ、フォームはいつからこういう形になる」と期限を決めて、新運用のための作業計画とスケジュールを作るだけだ。

でも、決められない。

「それは、困る。今のレイアウトで印字できなければ、困る」と始まった。

グローバル統一ルールを「拒否」したのだ。

開いた口がふさがらなかった。

人間“ガラパゴス化”の先

ガラパゴス島の動物達は、異個体(生物・動物)がそれぞれ共存し、つつがなく「取り残されて」来た。

特別繁殖が強いものがいるわけでもなく、それぞれが繁殖し、代を続けてきた。

つまり、ブラックバスが放たれた湖のような現象が起こっていたら、力のバランスが壊れて、このような共存できなかっただろう。

そんな現象が起きてしまえば、最終的に生き残った個体が共食いを始めることになり、それも絶滅してしまう。

ただ、この「共存」が長く続いたのは、それぞれの個体がきちんと繁殖し続けたからだ。

でも、繁殖しなくなったら、どうだったのか。

たとえば、一定の個体(生物)が子供を作らなくなった。

そうすると、それをえさとしていた個体は死に絶える。
つまり、世代交代は起きず、単に消えてゆくだけだ。

日本は、今、少子化である。
そして、時代はグローバル化。
つまり、共存関係にあった平和な社会のサイクルが崩れたということだ。

「ブラックバスが放たれた」とは言わないが、新しい「生き物」がどんどん今までの「変化しない共存環境」に進出してきている。

だから、日本人だけに通じたビジネスの「常識」や「お作法」も通じなくなってきている。

でも、思想が「ガラパゴス化」しているから、物理的には「異個体(外国人)」を受け入れても、思想的には受け入れない。

だから、行動も変わらない。

ガラパゴス島は、今、外部の「人間」という生物に守られて平和な繁殖が続いている。

日本という「ガラパゴス島」を守る人はいない。


「実力」とは「責務」の「結果」を出すこと

ダイヤモンドオンラインの吉田典史氏が連載している「悶える職場~踏みにじられた人々の崩壊と再生」では、女性管理職を「したたか」と表し、リストラの男性技術者を「まじめな会社員」と捕らえて記事が構成されている。

しかし、この記事を読む限り、私には「実力がある女性管理職」と「実力がないのに役職を欲しがった会社員」としか思えなかった。

彼は、技術職としては「実力」があるが「管理職」としての実力はない。

だから、もし彼がプロとして組織の要員レベルを危惧するなら、「研修が必要」という要望を彼女に提案するべきだ。

その上で、外資の経営層が「必要」と思えば経費はでるだろうし、不要なら無視されるだけ。

彼らにとって会社はひとつの「資産」でしかない。

そこが経費ばかり食いつぶしているのなら、リストラするし、それでもだめなら売っ払うだけだ。

プロジェクトリーダーなら、プレーヤーとしてのレベルが高くなければたしかに下はついてこない。

この発想で「昇進」の仕組みがあるから、勘違いする日本人が多い。

だから、改善はできないし、意思決定も出来ない。

予算は無駄に使われても、誰も責任を取らない。

外資の経営層がトップを日本に送り込む理由が良くわかる。

最近マクドナルドのトップも変更された。当然だ。

膠着した思想で意思決定をしても「手法の違い」でしかないし、何も変わるはずがない。

職務に「給与」が払われているかどうかは「結果」を見れば解ること。

日本の管理者が「意思決定」した結果が今の日本企業の状態なのだから。

この勘違いは「職務」を定義しない日本だけに起こる

ダイヤモンドオンラインの吉田典史氏が連載している「悶える職場~踏みにじられた人々の崩壊と再生」に、典型的な日本人企業人の愚痴がインタビューされていた。

このインタビュー、外資系企業の女性管理職に首を言い渡された技術職への取材を元に書き起こされていたが、繰り返し出てくるのは「女性マネージャーがプレーヤーとしてレベルが低いから問題だ」という「意見」だ。

職務がきちんと別れている「外資」では、そもそもマネージャーが「プレーヤー」になる必要がない。

マネージャーである限り、重要なのは企業トップの要望に結果を出すことだ。

人材育成が「できる」ことは職務が違う。
マネージャーの問題ではない。

ましてや、プレーヤーとしてのレベルとその職務に全く関係はない。

この技術者、後に彼女の後釜に座りたかったようだけど、彼女から「貴方は無理」と言われたらしい。

当然だ。
彼では無理だ。
意思決定が出来ないのだから。

何故、外資が管理職を海外から呼ばなければならないのか。

それは、日本人は「意思決定」が出来ないからだ。

責務を意識して「決断」をすることに給与がもらえる。
職務とはそういうものだ。

技術は必要最低限で十分。
だから、年収1200万要求できるのだ。

期限があり、それまでに結果を出す「責務」にある人はその要求を全うする。

日本の「正社員」は完全に勘違いしている。
年功序列の弊害だろう。

意思決定しなくても、決断しなくても管理職で高給がもらえるのは、日本企業だけである。

渡辺謙氏の考える人間の“ガラパゴス化”

俳優、渡辺謙氏が雑誌SPAのインタビューに答え「情報を取得選択できないと人間そのものが「ガラパゴス化」してしまう」という意見を読んで考えさせられた。

このブログの中で、日本企業の「ガラパゴス化」が一人ひとりが

「変化を望まない」
「長いものには巻かれろ」
「目立たず、空気を読む」

ことに価値観をおいている以上、企業は変わらない。

そもそも、取得選択は「権威ある誰か」がやることであり、それを信じて騙されても「国や企業が悪い」と言って「誰かのせい」にする思想に染まっている日本人だ。

嫌なことは、自分より弱いものに任せて、責任を負わなくても「管理職」であることを肯定する社会において、すでに人間も「ガラパゴス化」している。

ただ、彼の言葉に触発されたのは「ガラパゴス島の動物達は、それはそれで幸せだろうなあ」と思ったからだ。

「ガラパゴス島」はその現象を比喩されることが多い。

しかし、そこに住んでいる動物達は、取り残された故の貴重性でしか語られない。

本来、変化しない「生き物」は貴重だけど、渡辺氏の言葉では「島の現象」を日本人に使った。

ここが、面白い視点だと思った。

島にたくさんの動物が共存できたということは、取り残された島に住んでいる動物は、彼らの仲間なりに調和ができたということだ。

日本の中では調和して問題がないなら、それはそれで幸せなことだ。

2013年9月14日土曜日

ワークシェアを議論する空しさ

最近は「派遣」なのに「研修があります」という求人が多い。

本来、派遣会社は企業に職務を遂行できる「派遣社員」を「派遣」していたはずだ。

でも、今は「日雇い」と同じ意味しかない。
だから、かつての建築業のように年寄りだと拾ってくれない。

1970年代の日雇いは現場に行くためのトラックに乗り込む前に、体をチェックされた。

今の「(派遣)日雇い」は身分証明書にある年齢をチェックされる。

同じ仕事をするのに、異なった時給で働くことが当たり前になれば「ワークシェア」とか「ワークバランス」とかの言葉がいかに無意味か想像ができるだろう。

そのために、国が税金を使って検討部会を作り、また予算をかけて新しい組織を作ったり、法律を作ることの空しさが理解できるだろう。

「職務」を全うするから「給与」を払うという、当たり前の価値観が日本に存在しない以上、社員の種類を10種類に増やしても全く意味がない。

正社員や非正規社員など、仕組みの問題ではない。
すでに、仕組みは「非正規社員」を使い捨てにすることだって、国が支えているのだから。

問題は「責任」を取りたがらず、先送りする国民性にある。
自分がそのポジションにいるときは問題を起こさないで欲しいという管理職の職業意識の低さにある。

そんな管理職を見て企業や組織に「プロ」が育つだろうか。

そんなわけない。

だから、若い革新的な日本人は海外に逃げる。
当然だ。

国が企業に補助金をばら撒いても、社員の種類を増やして法律を変えても、税金の無駄使いにしかならない。

ハローワークが支えるブラック企業と受託業務

悪評立ちすぎて派遣でも集まらないような求人を、ハローワークは求人を出す。
必死で仕事を探している人達に紹介する。

国がおおっぴらに、このような求人形態を支えている事実を知って、ちょっと驚いた。

法律は建前程度には機能していると思ったが、それは私の幻想だったようだ。

今や、法律の意味など全くない。みんな「お仕事」はするけど、プロとして問題を解決しようと「仕事」をする人は誰もいない。

だから、起こっていることに対して「自分の責任ではない」と思っている。

仕事は、毎日の「作業」をやればいいと思っているから、担当者は現場の声を聞かない。
そもそも、役所の出先は「公務員」の既得権を守るために存在するのだから。

ハローワークは、無料で使える。
彼らも国に統計数字を提出する以上、ブラック企業であろうが無かろうが、求人は多ければ多いほど良い。

だから、民間で広告打っても集まらないような求人を国が募集しても問題はないだろう。

それでも、会社名の悪評が駆け巡ると誰も応募しない。

だから、今度は「アルバイト」として募集する。
時給はカフェより高いから、社会を知らない学生が時給額に引かれて応募する。

派遣元は、受託業務のために5社、6社の派遣会社から人を集める。だから、違った時給で同じ仕事をする。

こんな露骨に不公平な職場で長く働く人はほとんどいない。
だから、初日に退職時の話をされる。

研修を受けて、派遣先や派遣元とはまったく関係のない企業の社員の一員として働いていることとして嘘が平気でつけるように訓練される。

そして、派遣元は「委託元」の企業が作ったマニュアル通りに話すように教える。鉄則は、お客を怒らせず、余計なことは言わないことだ。

これを極めて、この仕事に残る人は企業に洗脳され、プログラムの一部になってゆく。

マトリックスの世界はもうここにある。

とうとう最終段階へ

物が売れなくなった。

だから、大手会社がベンチャー企業が使ったような手段、コールセンターを活用して、営業電話をし始めている。

そして、売った後のアフターサービスも自社では行わない。
利益を減らすからだ。

だから、これらの商品販売者としての責務を別の会社に任せてしまう。
「金は払うから、よきに計らえ」だ。

そうやって、嫌な業務を子会社へ下請けに出す。

子会社も嫌だから、切り分けして下請けに出す。

下請けは人を集められないから、派遣会社に頼む。
しかも、価格を競争させるため数社に頼む。

派遣はそれでも人が集まらないから、ハローワークに募集をかける。
つまり仕事を真剣に探して、職が見つからない「困っている人」をターゲットにするのだ。

これは、派遣の仕事に応募するだけなのに役所の発行する「紹介状」と派遣会社への「登録」が必要だということだ。

ハローワークに聞くと、違法ではないから派遣会社もハローワークに求人を出せるらしい。
でも、それは「派遣会社での求人」ではない。
大手電話会社への「派遣」の仕事なのだ。

「こんなやり方をしていて苦情がこないのか」と聞いたら、「たぶんここでは苦情に対して何もできないから、法テラスみたいなところに行くのでしょう」と言われた。

つまり、ハローワークは企業が出す求人に対してそれが「妥当な会社」の「妥当な求人」なのかどうかのチェックは全くしないということだ。

ハローワークの方が派遣よりましだと思っていたが、間違っていたかもしれない。

“ガラパゴス就活”を破壊しても進化した動物は残らない

学生は「肩書き取得」のために行く。
そうすれば「職務」が不要の日本企業では「高卒」より「大卒」の方が給与が高い。

そして、就職できなければ「社会が悪い」と引きこもっても実家が食べさせてくれる。
親の年金があり、ローンの終わった実家で寄生できるのなら別に仕事をしなくても生きていける。

完璧な「仕組み」なのだ。

だから、大学や就職活動だけ進化しても社会に与える影響はほとんど無い。
何故なら、大企業はそんな変化を「求めていない」のだから。

専門をきちんと勉強した学生が日本企業に入れば「新人」扱いされる。
「専門」など誰も求めていないのだから。

コンサルタントや特殊営業など最初から「専門」を求める業界や企業もあるが、それはほんの一部だろう。

そりゃあ、記事になるような場面では「個性のある学生が少ない」とかいろいろ革新的なことをいうけれど、日本の借金総額をみれば判る。

「先送り」の文化だ。

自分がいる間だけは「変わらないで欲しい」という思いがあるから、決断ができない。

まあ、そんな信念もない。

万が一優秀が人が入っても、専門の仕事ができるわけでもないし、彼らはそんな企業に残らないだろう。

若ければ若いほどやり直しはきく。
日本企業のガラパゴス化が判るのに入社して1年か2年。
優秀な人なら逃げ出すが、あきらめる人は「先送り文化」を学ぶだろう。

日本企業はそうやって、変わることはしない。
今までもそうだったのだから。


“ガラパゴス就活”を破壊すると言っても・・・

東洋経済オンラインの編集長、佐々木 紀彦 がディスコの社長である夏井丈俊氏と対談した記事を読んで「もっともだ」と思うことがたくさんあったけれど「これは無理だろう」と思う。

日本が「ガラパゴス」を心配されているものは、たくさんある。

携帯やテレビはもちろんだ。
そして、それらをリードするのは日本の大企業もまたガラパゴス化している。

彼らが求める人材は今の大学生の方がずっと判っている。

「社風がいい」ということを求めるのは結局平和な会社であることを求めている。

これを会社側から見た場合、そこを「変える必要がある」なんて波風立てる意見を言う人材は「要らない」わけだ。

就職活動が「ガラパゴス」である理由は、企業が「ガラパゴス」だから。
変化を求める人材など「不要」なのだ。

大学を出にくくするのは必要なことだ。
しかし、現実的に今の学生は「就職のために大学に行く」という日本文化に生きている。

つまり、「学問したい」ために行く学生でもないのに真剣に勉強することを求めても脱落する学生が多くなる。

そうなると、大学経営が難しくなる。
だから、そんなことはしない。

学生の欲しい「肩書き」と大学が欲しい「学生(お客様)」が一致しているのだからみんなハッピーだ。

だから、大学は経営のために、掛け算が判らない高校生を入学させて卒業させる。

中学も高校も同じ思想で運営されているのだから、大学だけが「違う」なんてありえない。

国は、そういう大学に補助金を出す。
「大学」ということだけで。

子供を「作る」という「考え方」の先

「35歳になったただの私と、20代の卵を持っている35歳の私、どっちがいい」という、記事の一部を読んで驚いた。

もっとも、この大手新聞社のンセーショナルな記事の書き方は今始まったことではない。

独身女性の卵子凍結が認められる可能性が大きくなったことに対して書かれた記事だが、ここで「卵活」という言葉が使われている。
この言葉から推測するに妊娠するためには「卵子の活動」が必要らしい。

そして、この記事の最終コラムは「権威ある」男性の教授だ。
彼曰く「25~35歳の生殖適齢期においての自然妊娠推奨」だ。

ここに人間としての「男性」は存在しない。

お互い、相手を認め合い、共に協力して、人生を歩もうという覚悟を持った男性は存在しない。

「作るための卵子」だけが活動を必要としている。

人がどうして命を授かるか、今一度改めて考えてみて欲しい。

命は作るのではない。
神が与えるものだ。

従って、親に与えられたのは、貴重な命だけではない。
人として他者を尊重する人間を育てる、次の世代に繋げる価値観を伝授する使命も与えられているのだ。

加えて人を「作る」という考えは、命の選別、排除に繋がってゆく。
障害を持つ受精卵はいらない。
命を選別する権利が人間にあるのだろうか。

欲しいものは、グッチのバックを買うように得られるものではない。
家族しかり、子供しかり、それらは尊い命であり、人格を持った人が存在する。

みんな個性豊かな意思を持った「人」なのだ。
縁がなければ、それもまた受け入れる必要がある。

2013年9月5日木曜日

すべてが同じである必要はないのに

見識者と呼ばれる人たちの記事を読んでいると、気になることがる。

IT技術の普及で商品の流通において生産者が直接顧客に販売できるように仕組みが整ってきた。

その社会の変化に対して生産者が正当な対価を受け取れるために「仲買は不要」とか「適正価格で売るべきだ」とか見識者の人達は主張する。

これらの方法論や理想論が正義であるように語る。

でも、現実は違う。

魚や野菜などを仲買を通さずに売ろうとすると生産者に物凄い負荷がかかる。
でも、服や生活用品なら仲買を通さず販売することは可能だ。

でも、金額が高いものであれば、回収の点から仲買を通して売った方が生産者にとってリスクが低いかもしれない。

要は、生産者がどう考えるかだ。

一箇所に大量に卸せば手間も省ける。
でも、その会社が買わなくなったときのリスクは大きい。

魚だって、漁師が直接レストランに卸す仕組みを作っている人達もいる。

そのために漁師側にかかる負担はとても大きい。
しかし、社会の変化に対して「俺のやり方」を主張してもものが売れなくなってきているのが「事実」だ。

この事実に対して、生産者が、そして消費者が変わらなければ何も変わらない。

大企業や国の仕組みが消費者の安全を守ると信じるのは自由だ。

しかし、たくさんの資格や国のお墨付きが「建前」でしかないのは過去の食中毒事件などを見ても明白だ。

これからは、自分の信じる人から買う。
それは生産者だろうが、仲買だろうが、関係ない。

その行動が彼らの生活を支えるのだから。
そして、消費者は彼らが必要だ。
「プロ」としての能力を信頼するから、安心して購入できる。

大企業の広告に煽られて消費する先に未来はない。

変わらないのはカネボウだけじゃないけど

カネボウはかつて「鐘紡」という会社だった。

この会社は、粉飾を繰り返し、2006年に上場廃止。
粉飾金額は5年間で2000億。
ライブドアが粉飾金額が50億程度だったことを考えると、その規模の大きさには驚く。

結果「カネボウ」というブランドと化粧品部門は花王に買われ、企業自体は投資ファンドに買われ「クラシエ」というブランドが発足した。

今回、カネボウが美白化粧品の問題を起こしたことはとても興味深い。
そもそも、花王が「カネボウ」の持つ化粧品部門とブランドを買った理由は、ブランド好きの日本人には「まだ売れる」と考えたからだろう。

化粧品部門が花王に譲渡されたということは、人材もいっしょのはず。
日本企業において、正社員という既得権は守られるものなのだから。

そんな変化が起こったのが今から5年ほど前だ。
そして、今その「化粧品部門」は、2年前から起こっていた美白剤問題を大騒ぎになった今年になっても回収決断ができず、2013年7月にまで引き伸ばした。

ようやく決断した後も問題の製品を出荷していたのに、いろいろ言い訳をしている。

結局、粉飾の時と同じように、問題の先送りにする。
トップのリーダーシップはなんら変わっていない。

ブランドを花王に買われたとはいえ「他社が欲しがるブランド」の部門で働くというのは「自分達は特別」という認識があったのだろう。

会社が解散するほどの隠蔽的企業文化であった事実は、見ない振りをし、自分の身の振り方だけを心配する。
だから、会社の粉飾実態を省みることも無かったのだろう。

日本企業の問題はここに凝縮される。

「自分達は特別」または「あの企業だけの問題だ」という意識。
この驕った意識もまた、日本人リーダーの特徴とも言えるだろう。

祈りが叶えられない時

家族仲が良くなかったので、早く結婚して家族が欲しかった。

クリスチャンになってからも神様にお祈りした。

「どうか、生涯の伴侶をお与え下さい」と。

でも、まったく出会いは無かった。
その間、父は病気になり、認知症と思われる症状を持ちながら死んでいった。

暴力的な父に人生を支配されていた母は、一人人生を謳歌し始めた。
ボーイフレンドを作り、同棲し始めたのは父の葬式を出してから1年は経っていなかったと思う。

半年に一度程度しか会わなかった。
母との関係は、父とのそれよりましな程度だった。

会った時は、あたりさわりの無い会話をし、誕生日には花を贈った。

「なぜ、神様は私の願いを叶えてくれないのだろうか」と自分の願いに疑問を持ち始めたのは、彼女が同棲を解消した頃だったと思う。

聖書を読みながら、そんなことを考えているうちに思ったことは神が与えた「母」という大切な人間関係と自分がどう向き合っているかという自身への疑問だった。

だから神様は「すでに与えているものを大切にしろ」と言っているような気がして、真剣に母との関係を作り直すことにした。

父との関係から、喧嘩を売ることだけがコミュニケーションの手段としか考えられない母との関係に向き合うのは辛い作業だった。

しかし、私が変わったことで、母もまた変わった。
祈りは叶えられず、人生思ったように成らなかったけど、母と楽しく過ごす時間を大切に思う。

だから、神に感謝している。

2013年9月2日月曜日

人は過去は変えられないが、未来は変えられる

最近、いじめの後遺症で鬱になったり、引きこもりになったりしているという記事を見かける。

彼らは語る。
「あの時、助けて欲しかった」
「あんなことがあるから、自分も子供をいじめる。」
「あの時、いじめた人を許せない。」

そんな思いを知るたびに、ちょっと悲しくなる。
なぜなら、どんなに訴えても起こってしまった事実は変わらないのだから。

いじめた側も、いじめられた側も、起こってしまった事実は変わらない。

結果、自分への評価が低く生きていることがつらくなる。
憎しみから誰かを傷つける。

それもまた、起こってしまっているのなら、その事実も変わらない。

誰も助けてくれない。
苦しくて、声も涙も出ないほどの絶望感を感じる自分。

それを誰かのせいにしても、何も変わらない。

その事実が「ここに在る」と認めて「自分はどうするか」を考えないと先には進めない。

ただ、どんなに辛いと思っても、神様は、その人に背負えない荷物は与えない。
今、きっと辛いけど、貴方は乗り越えられる。

これもまた「事実」だ。
なぜなら、神はその体験があるから、将来、「貴方しかできなこと」があることを知っている。

そして、そういう貴方を、貴方の命を愛している。

他人が貴方に「死ね」と言ってもその言葉には意味がない。
なぜなら、その人は貴方を愛していないのだから。

神様は貴方を見ている。
イエスは傍にいる。

だから、祈ってみよう。
聖書を読んでみよう。

私たちは非力だけれど、神に必要とされて生まれてきた。
それは信じるのに値する。

なぜなら、貴方には力があるから。
神は試練を与えたかもしれないけど、それを乗り越える力も与えている。
その力を持っていることを、疑わせるのは「悪」の仕業だ。

だから、その力を使うか、使わないかは、貴方しだいだ。

未来は変えられる。

そして、それを変えるのは貴方しかいない。