2013年6月28日金曜日

既得権を守るために全力を尽くす

この「変わりたくない」という思想、日本人の遺伝子に組み込まれている以上、問題対応のバリエーションがあったとしても、本質的な国や企業の対応方針は今後も変わらないだろう。

今、国債(国の借金)や年金など負債は膨大になっているけれど、問題の本質をきちんと分析し、議論することはまず無理だ。

だから、たぶん似たような対応(法律変えて、借金チャラ)をするだろう。

実際、消費税も「お金足りないし、取りやすいところからとればいいじゃん」程度しか考えられていない。

「そんなことはない」という反論の前に少し考えて欲しい。

保険などは生きてゆくための(経済活動の)経費と考えられるのに、今後食品や野菜を買うのに10%の税金がかかる仕組みを「肯定すること」を「よく考えた結果」といえるのか。政府はそう言っている。

10%の消費税。
ぜいたく品にかけるなら理解もできるけどね。

他国では20%のような高い消費税をかけているところもあるけれど、その分福祉は充実している。別な問題はあるらしいけど。

アメリカでは、細かい消費税の分岐もやっている。野菜は3%、加工品は5%とか。そもそも、州で消費税率は異なる。
だって、地方で給与が少ないところと、東京みたいに給与が高いところと、同じコーラ一本買っても同じ値段なら、かかる負担が大きいのは「少なくしかもらえない地域の人達」でしょう。

でも、日本はしない。(導入の検討はしているらしいがどうなることやら)
なぜか?

XX経済団体を作る大企業は「POS修正プログラムにお金がかかるから」だから反対だそう。

だから、一律8%、10%。

だって、めんどくさいじゃん。
誰かが文句言ったら、誰が責任とるの?
POSの設定変更、完璧にするなんて、無理だよ。
みんな導入時期違う機械、使ってるんだから、それぞれにプログラムしたら、今年の利益、消えちゃうよ。

すでに価格表示だって変更済みだし、値段が上がるだけなんだから、何パーセントでも問題ないしょ。
確実に取れる税金の仕組みなんだから、別にいいじゃん。

まあ、企業の言い分、理解はできる。

こんな風に、既得権を持つ仲間内では、結論は決まっていている。

でも、審議会とかいろいろつくって一応「たくさん議論してお仕事している」ふりはする。そうしないとみんな給料もらえないし、予算もがつかないしね。

自分の畑で野菜作って、鶏でも飼えば、関係ない話だけど・・・。

財産消滅_論点が違うのでは?

4兆円以上の「加入権」という名の資産は、いったいNTTという一企業にとって、どのくらいの金額だったのか。

大体、7年分以上の利益らしい。

ウェキペディアにこの歴史が載っている。

電話網が充実しても、法律を変えることでなんとか仕組みを維持してきている。加入権が資産として考えられた根拠は、この金額で「NTTが作る設備を買う」という意味を持っていたためのようだ。

つまり今回の立法は「投資してくれてたけど、その借金は返せないから、それ、無かったにしてね」ということだ。

これは、長銀や日本航空の債権放棄と同じ考えであると解釈するなら、訴訟で権利の主張が認められなかったのも理解できる。

投資なら「あんたの選択」言えるが、加入権は電話利用の必須条件であったので、決して、投資家のような選択肢があったとは言えない。

すっかり忘れられているけど。

しかも、その国民が債権放棄した会社は、高給安定一流会社、というのは理解に無理があるだろう。

投資して得た資産に対して「所有権を主張する権利がない」というのもおかしいが、その所有権自体を「問題を大きくしたくないし、今のやり方を変えたくないから、あいまいにしちゃお。そのために法律も変えちゃお。」という国の思想の先に、本質を真剣に議論するような変化はどんな政党になっても、起こりようがないだろう。

財産消滅_仲間が儲かる「仕組み」は変わらない

既得権とそれに群がる人達にとっては、彼らが儲かる仕組みは変えるは「罪」なのだ。

当時、財産権侵害の点から、国会答弁もされているが、それを読む限り国は「加入権の価値が限りなく0に近くなったんだから、別に問題ないじゃん」と言っているとしか思えない。

2006年に国とNTTに対して訴訟が起きているが、もちろん原告の負け。
NTTのコメントが優れている。

「負担金は電話回線建設費の一部であり権利に非ず、財産的価値まで保証はしていない」ものだから4兆円分以上の資産価値があったものは「無かったもの」にできるらしい。

NTTにしてみれば、この件はさらっと流して、もっと回線を売るためのサービスを売り込むしかない。

たとえば、ADSLを引けば加入権が無料とか。そうすれば、より高い基本料金が徴収できる。それがユーザに必要かどうかは関係ない。自分達の給与を確保するのが最優先であり、それは破綻し続ける仕組みの維持のためには必要なことだ。

このからくり、法律上の理屈は理解できるけど、本来の論点は8万の負担金が「権利の一部」でしかないという解釈なのでは?

この狭い日本に電話回線を引くのに4兆円以上かけても「本当は、その数倍、いや数十倍かかっていたんです」という事実は問題ではないのか。

まあ、こういう会社だから、権利の一部を認めるなら「その金額をユーザーに還元する」という発想なんて生まれない。それとも、加入権が安くなったのは、そのせいなのか?

財産消滅_既得権はみんなで守るもの

NTTに苦情を訴えた大企業があるのか?

一つも無い。結局、彼らの仲間だから「携帯普及しちゃったし、しょうがないよね」ってことなのだろう。

利益が多い時に、この資産としていたものを無価値にして損失処理すれば、税金が少なくてすむし、何とかなるでしょ。

だから、既得権を持つ仲間内では、適切な対応だろう。
誰にも被害がない。

でも、考えて欲しい。

日本ではかつて電話が世界一高いものだった。

アメリカで1000円で電話が取り付けられるのに、日本ではその50倍以上必要だった。何故なら、この「加入権」というもののためであり、それは回線を独占していたNTTがきめた「価格」だったから。

だから、電話回線がかなり普及してからも、殿様商売は変わらず加入権の値段は下がらなかった。大企業も文句を言わない。

何故なら帳簿には「資産」として繰り込まれるから、高かろうが安かろうが「必要経費」だ。小さな企業では大変な負担だっただろう。
個人「電話を引く」負担は半端ではない。

だからこそ、4兆円が0になる現象が起こった時、声が上がるのも当然だろう。

大体、歴史的に見ても「資産」として取り扱われていたという「事実」は変えようがない。それを「まあ、無かったことにしよう」と開き直る「政治方針」は本当に、国として「正しい方向性」なのだろうか。

これは、一企業が日本人全員が少しずつ払って貯金した資産を自分の懐に入れることと同じだろう。

政治家は、仲間内のやり方を支えるため、自分と自分のの仲間が損しないように「立法」という武器を酷使する。

財産消滅_法律は権力を持つ組織のために変えることができる

ある経営者は有罪になり、ある経営者は拘束もされないのは、決して罪がある、なしのせいではないだろう。

そもそも、法の解釈自体、いろいろあるのだから。

すでに仕組み自体が破綻している組織の仕組みにおいては、罪の考え方すらゆがめることができる。

世の中が大きく変化すると困るのは既得権を持った既存の仕組みに属するものだ。だからこそ、法律を作り、自分たち「だけ」を守る「自分達の利益を守る仕組み」を作り上げる。

たとえば、NTT。かつて、電話を持つことが高価な時代があった。

加入権というものが8万以上した時代を知っている人がどれくらいいるだろうか。
それは法律上、「資産」なので、「財産」と認識され、売り買いされいただけではなく、債権として差し押さえし、時効をとめることさえ出来るものだった。

が、しかし急激に携帯が普及し、固定電話の利用が少なくなったら、2004年に「この加入権は「無かったことにする」」と国は言い出した。
大企業がどれほどの電話回線を持っているか、想像して欲しい。

これらが、財務諸表では「資産」として記録されていたのだから、一夜にして資産が十億単位でぶっ飛んだことになる。でも、ニュースになったか?ほんの少しだけ。

NTTはあくまでも「施設設置負担金」であるから、無かったことにするのに何も問題はないと考えるらしい。

責任を分割した結果、何が起きたのか

建築業界は公共事業の企業の設備投資の削減で仕事が減った。
そうなると、下請けの会社からどんどん潰れた。歴史の事実だ。

それでも、元受となった大手の建築会社社員達は無事定年を迎えている。

では、下請けに雇われていた人たちはどうだろうか。

お金のためにだけいた。
プロとして仕事をする意味を問わなかった。
その時は、精一杯だった。

彼らは、どんな思いで、元受の「正社員の退職」を見ているのだろうか。

責任を分割してビジネスを増やすこと事体は、自然なことだろう。

だた、その先に何があるだろうか。

サブプライムローンがリーマンショックを呼んだのは、「借りたお金を返す」という「責任」を誰かが「放棄」してしまったからだ。

でも、そもそも、お金を貸してはいけない人に誰がお金を貸したのだろうか。
払えない時の責任は誰が取るか?

1000に分割してリスクを減らすから大丈夫!

そんな訳ないでしょ。だからリーマンショックで破綻した。

人を雇う「責任」を分割して、派遣業界は成長している。
「派遣社員」の雇用目的は当初の目的(「短期だから高く払う」)からかけ離れている。

正社員と派遣の違いが何か、今一度考えて欲しい。
そもそも、短期で働く理由はお互いにメリットがあったはずだ。

人を雇う責任は誰が持つのか

求職活動をしていると、変だなあ、と思うことがたくさんある。

たとえば、ある派遣の1ポジションの仕事があるとする。
このポジションの募集は3社くらいに公募されている。

この3社がWEBに載せたとき、統合サイトが同じ情報を載せる。仮にこれを2社としよう。つまり、WEBでは6倍に情報が増えている。

応募者は「たくさん募集しているんだ」と思う。
そしてどれかに応募する。

昔は、このままお顔合わせということで、先方に連れて行かれたのだが、今は違うらしい。
「オーバーキャリア」な人じゃないかどうか、担当と営業マンがフィルターをかける。以前の2倍の作業だ。

これで、また余分な雇用が生まれる。

そして、最終的に3社3人の候補者から1人が選ばれる。
派遣1人を雇った企業は満足だろう。そりゃあ、長く働いてもらうと期待する。
この段階で「何か間違っている」と感じないだろうか?

では、社会的に見た雇用力のコストはどうだろう。

経済活動の視点から見た場合、この増えた業務は誰が払うことになるのか。
社会全体だ。だから、昨今、企業が一人当たり雇うのに(正社員であり、派遣であり)どれだけ高くつくようになったか判るだろう。

かつて企業は自分で雇う人の責任は自身が持っていた。
だからこそ、1:1の作業量で人が雇えた(つまり相互の意思決定でオッケー)。

今は、「雇う」という意思決定まで少なく見積もっても10倍以上の作業量がかかる。(3倍x2倍のルートで応募される応募処理と、そこに集まったところからの選別に2人分のフィルターがかかるから。)

誰かの「責任」を誰かに渡し、小分けして、ビジネスを作っている。

この仕組み、どこかで見覚えがありませんか?

建築業界がかつて高度背長時代、やったことと同じだ。
大企業がプロジェクトを請け負って、それを分割して下請けに任せた。
それでまた、下請けがまた受けてということで多くの会社が潤ったし、多くの日雇い雇用ができた。

その注文主だ誰だったのか。

もちろん、日本政府だ。

本当の求人数はどれくらいある?

派遣会社の仕組みは単純だ。
労働者を求めている企業に、技術を持っている働きたい人を連れてゆくことだ。
かつて、これは単純だった。

時給が高いのは、技術をもっていたからであり、短期だからこそ企業もその時給を払った。お互い納得していたはずだ。

時代は変わった。
ITのおかげで。そして、法律のせいで。

時給が下がり、技術が不要になれば、企業が派遣社員に求めるのは「長く安く勤めてくれる人」になる。つまり「正社員」のように働いてくれる人だ。
でも、責任を持ちたくないから、人材会社にその業務を丸投げする。
それも、1社だけではなく、大抵3社くらいに。

つまり、自社で正社員を採用するように「選びたい」から、何社かに声を掛ける。

WEB上では、この求人がでる。情報量はすでに3倍に水増しされている。

P社の場合、会計ソフト名は出ていなかったが、他社の求人では募集概要に入っていた。時給は違う。企業が提示する金額は3社にとも「同じ」だから、時給の違いは利益の違いだろう。

この件では200円ほどの違いがあったが、安い方は交通費が出ていた。

こうやって、3社で候補者が決まると、市場に連れて行かれ商品検分される。
ここでのポイントは「若くておとなしい」である。

そもそも、最初に能力など大して求められない派遣業務である。
だから、必要なのは、外観でしかない。

何を指示しても文句を言わずにやってくれそうなのか。
これだけが求人する会社側の意向だ。
なぜなら、本当に募集の書いてあるような能力がほしければ、社員として雇う。

だから、「紹介派遣」などという「お試し期間」を設けて「雇うと決める責任」を「派遣会社」まで丸投げする。社会全体が「自分で決めた責任をとる」ことを止めた結果だ。法律上、企業が縛られる今の「仕組み」では、企業が自分に都合よく「仕組み」を活用するのも理解できる話ではあるけれど、派遣業という仕組みができた目的から、かなりかけ離れているように思える。

無駄が雇用を生む「仕組み」_履歴データの共用

派遣会社にもう何社登録したのだろうか。

大企業のP社では、テストを含めて5時間もかけて登録させられたのに、電話一本かかってこない。

この会社、WEB上でのシステムで仕事を検索するも、新規にあがる求人は、のは1日1件。そのことについて、電話で質問すると「1件はあります」と開き直られた。

それに応募するようにお願いしてもメールの返事すら来ない。
電話をすると求めている経験とは違うからと言われた。
XX会計のソフトを使ったことがなくても、会計ソフトを設計したことがあるのですが、と伝えると、しばらくして今度は「経理実務経験のある人を求めているんです」という。

自営業をしていた時は、自分で経理をしていたから「自分で事業やっているときに、申告していることは経理経験になりませんか」と尋ねる。

だって、「派遣社内における書類審査に考慮してくれません?」と言っているのだ。企業に紹介してもらう前のレベルでの話しです。これ。

で、最後に「経歴がオーバースペックなんです。」とぶち切れたように言われた。

募集要項が読めなかった私ではない。求めている人材も理解もしたはずだった。だから「違うんです」と言われると「何故?」と問い返すかない。

経歴が不十分ではなくて、選ばれないなら、理解もできよう。
十分すぎて「仕事が紹介できない」と言われたショックを乗り越えるには少し時間がかかった。

確かに嫌われるような対応をしてしまったのは認めよう。
そして、P社のITシステムがお粗末過ぎてあきれてしまったことが、表情に出たこともあったかも知れない。

派遣会社には何社か登録したが、P社グループほど無駄が多い会社はない。

P社では、同じオフィスを共有しても、会社が違うということで、データ共有していない。登録側の同意書一本でデータ共有が可能であっても、それは、派遣登録会社ごとに個人履歴を入れなおすという無駄な作業を行う。

加えて、それは「登録者」の時間なので彼らの人件費は0円だ。

でも、そこにITデータ費用がどれだけグループの利益を圧縮するか、頭にない。なぜなら、子会社を作り、その作業を促すことで、グループの余剰人員を活用することができるから。

派遣会社はそれが必要だ。何故なら、業界規模の作業量が膨大に増えているから。からくりは、見えると納得する。


エネルギー問題_価値観は変わるだろうか

「エネルギーは、利用する消費者が自分で作る」という基本的考え方の「自分の家」の部分を「自分のマンション」「自分の街」とか、もう少し自分の生活範囲を広げて考えてみよう。

この生活範囲で責任をもって「一つの決断」が必要になる。
小さければ小さいほど、意見の一致も早いが、利害関係が絡めばからむほど責任回避したい人が多くなるだろう。

でも、そこを乗り越えて「自分」の単位が広がってゆく先には新しい価値観がある。

他と違っていい。違ってあたりまえ。

個人宅からマンションや老人ホーム全体、もくは街全体(スマートグリッドみたいなもの)という形で捕らえることができれば「電気のサービスは日本全国住む環境によって違って当然」という考えも当たり前になるだろう。

消費者の意識変化が先か、電力会社の寡占崩壊が先かの違いはあるけれど、選択肢が出来た時、消費者には「選ぶ責任」が降りかかる。
そして、その先には、明らかに「違い」ができる。

エネルギー問題を金を払うことで「国が悪い、電力会社が悪い」と他者に責任を押し付けて完璧を求めるユーザ(消費者)でいる限り、変化は起きない。
「変わらない仕組み」はない。ただ、崩壊するだけだ。

変化しない日本において、自ら選択した人にはたいした問題ではない。
電気料がどんどん上がる時代に「自分で作る」と選択した人たちは、崩壊する仕組みにおいても「既得権」という部分は守られている。

「変わらない仕組み」を壊すことは、既得権を壊すこと。
変化恐怖症の文化では自殺行為になる。

だから、未来を選ぶのは国でもなく、一人ひとりの価値観だ。


変化恐怖症_症状

変化への恐怖のために、思考能力が活動停止し「何故、その問題が起こるのだろうか」を真剣に考えることが出来ず、想像力だけが活発になる症状。

変化恐怖症_想像力の方向性

変化に対しては、それがどんな小さなものでも重大な問題と考えるため「どれだけ悪くなるか」という方向への想像力だけが活発化する。

その恐怖が生む素晴らしい想像力から描かれる「変化の後の世界」は恐ろしいものであり、「変化しない未来」は今のまま何も変わらないということになっている。

つまり、今起こっている問題は、思考が停止しているので「現状維持」しか想像できない。

また「変化後の世界」も「変化しない未来」においても、問題はすべて他者によって起こり、自分はそれを批評する、もしくは「粛々と従う」立場であり「他人事」として捉える。

思考が停止しているため、自分の行動選択(する、しない)が「問題発生の責任」の一環にあるという「自分事」として想像しない。

変化恐怖症_基本思想

「変化することは悪いこと」が価値観の基準にある。

「今までこうだったのに、それを変えるなんてありえない」という「変化の否定」から、その変化を提案する人に「駄目だったら誰が責任を取るんだ」と失敗時の責任を押し付ける傾向がある。

企業は利益を求める「悪」であり、自分達ユーザー(消費者)は「弱者」と捉える。だから、国は自分達を守るべきだし、自分達にはその権利があると考える。

資本主義という自由社会で暮らす上で「権利の主張には責任が伴う」ことは都合よく忘れる場合が多い。

エネルギー問題_意識の変化はどこから始まる?

選択肢があるかないか、消費者として意識が変わるか。
これは、卵か鶏が先かの問題に似ているが、結局のところ、一人ひとりが「価値観を自分で選ぶ」ことを、今からしなければ、社会は変わらない。

何故なら、今存在する、一人ひとりが日本社会を構成している要素だからだ。

消費者の意識が変われば「仕組み」を変えることのハードルは格段に低くなる。そして、選択肢があるならば、消費行動は変わる。

それでもエネルギーに関していうと、電気の無い生活が成り立たない今、選択基準は「使う電気は自分が作る(確保する)」ということになるだろう。

電気自動車の普及も、どんな手法であっても、電力が安くならなければ普及は難しい。

もっとも、自動車に関しては運動エネルギーを電気に変えて自動車内に蓄電できる仕組みが確立できれば変化が起きるとは思うけれど。

どんな問題もそうだが、

「ユーザー(消費者)は、必要と思うものを(エネルギーを、水を、食料を)利用する。それは消費したものへの責任の一部を担うことになる」と認知することが変化への第一歩ではないだろうか。

「生産(製造)者」と「(お金を出す)消費者」という区分ではなく、お金を出すのが消費者ならば、購入した結果が起こす問題の責任の一部もまたユーザ(消費者)の責任だ。

知らなかった、教えてくれなかった、というのではなく、少し考えよう。
消費した先のことを。消費し続ける先の社会のことを。消費し続ける背中を子供達が見ていることを。そして、それがどんな価値観を教えているかを。

消費行動が変われば、既存の仕組みはどんどん成り立たなくなってくる。そのうち、世論が動き出し、法律が動き出すことになる。

どんなサービスも「完璧」である必要などない。
電気に関しては、多少停止することがあっても生活は出来る。もし、出来ないなら、とまった時は個別の対応をすればいい。

「止まる可能性のある電気供給もある」をひとつの選択肢として仕組みを作ることは今のIT技術なら十分可能だろう。

実際、アメリカは自由販売のマーケットも出来ているし、自由化初期の頃は停電もあった。でも、前向きに変化し続けている。

エネルギー問題_責任の値段

結局のところ、安定したエネルギー供給を会社に依存し、金を払うことで責任を「誰か」に任せてしまえば、自分で負う必要がない。

高い電気料はその責任の値段になるだろう。

エネルギーの供給責任を自分で負う方法は「自給」しかない。

ただ、会社の選択肢があれば、自然エネルギーだけの電気供給会社もできるだろう。
そのため供給にムラがあり「時々止まる可能性があっても、今の半分以下の値段です」ならば興味を持つ人もいるかもしれない。
(今の半値なら消費者の行動は変わる。)

「止まる可能性」へのリスクは個々対応すれば良い。
蓄電池を自宅に設置して、余った電力や、夜の消費量が少ない時間帯に電力を貯める。

これらの蓄電池をリースにして提供でいれば電力会社の収入だけではなく別のビジネスからの参入も可能だ。
それなら、固定顧客の囲い込みもできる。

今のように「「電気が止まるかもしれない」なんてありえない!」と考える人には今よりもっと高く販売すればいい。

選択肢があれば、既存組織へのバッシングも削減できるかもしれない。

エネルギー問題_解決案と変化を阻むもの

「必要なところで電気を作る」となると、エネルギーのソースとして一番普及しているのは太陽光発電になる。
ただ、このエネルギーは自然に左右されるため「余ったとき、どうするか」というのが課題だ。

これには2つある。「率先して使う」か「貯める」だ。

ただ、晴天時にはみんながエネルギーを得る訳だから、根本的解決案となると、大容量の蓄電池開発しかないだろう。

でも、この問題、そもそもは電力会社がひとつしかないから、量のコントロールも使用方法も一ヶ所に集中するのであって、電力会社が複数あれば、利用リスクも分散されるのではないか。

天気だって場所によって違うのだから、分散処理することで対応はできそうだ。

ただ、これは根本的な解決案にはならない。

何故なら根本的な原因は、ユーザーが「止まること」の不安解消を「誰か(電気会社)」に求めることにある。

節電の夏に起こった計画停電時のヒステリックな反応を思い出して欲しい。
どれだけ電気会社にバッシングをしたか。

電気は止まることもある。だから、自分で準備する。医療機関などはすでに自家発電の仕組みを持っているし、仕事の責任が、電気に依存していることを自覚している。

では、一般家庭はどうだろうか。
家庭で治療をしている人たちは別にして、2時間ほど電気が止まると生死に関わるのだろうか。

クーラーが2時間止まったら危険だ、というように「もしも」の恐怖を煽るより、外に出て近所でおしゃべりしながら、2時間過ごすことは無理なのだろうか。

止まる可能性があるだけでも「問題」となり「責任追及」という名のいじめが始まる今の日本では、結局騒いで何も変化しない。

企業も含めてみんな「変化」したくないから世界一高い電気量をさらに値上げすることで対応しようとする。これからもこの姿勢は変わらないだろう。

何故なら、企業の既得権で生活している関係者の数は膨大だし、政府と大企業は「既得権を守る」ということで利害は一致している。

エネルギー問題_考え方

実際、発電した電力は貯めることができない以上、需要と供給のアンバランスを考えると既存の仕組みがなんとかしようと躍起になることは仕方がないことだ。

かつては家に届くまでに半分の電気が失われていたらしいけれど、送電線を太くすることなど、設備投資が進んだためか、現在では10%程度らしい。
彼らは彼らなりに努力をしている。

ただ、本来電気は、使うところで作ることができれば無駄がない。
だから、太陽光だけではなく、地熱や風力など「自分で使う電気は自分で作る」という発想が基本になるだろう。

ただ、完全自給はどんな発電方法でも無理だ。

そうなると、不足の場合が問題になる。
太陽光発電に大きく依存した場合、曇りの日などは、特定地域「みんなが不足」してしまう。そうなると、電力会社がコントロールしなければならない負荷は大変だ。

だから、電力会社は分離される必要がある。

今の電力会社の仕組みでは、これ以上、太陽光発電電力を買い取れない、というのは当然の話だ。

だから、電力販売元が買取量が制限するのおかしい、とかなんとか議論するのは無駄なことだ。だって、物理的に無理なんだから。

電力会社の戦略 深夜契約のからくり

深夜契約という方法があることを知れば、その回線を引いても「夜だけ通電」という仕組みを活用する人がいるだろう。

たとえば、電気自動車への充電だ。
当然、一般の人は夜、寝るし、その時間しか充電は必要ない。

で、これ、家庭においては、回線事体が引けない。
家庭用で「深夜契約」をする電気回線を引く場合、いろいろと条件があるようだ。

つまり、電力会社が「貴方の電力の使い方では売りません」ということ。

でも昼間に高い電力を払うという契約である「時間制契約」なら安い「深夜電力」は使えますとのこと。

既存の仕組みでは、ユーザーがメリットを受けることはない。もし、そういう広告があるのならば、そこには既存の仕組みによる巧妙な戦略があるはず。

「専門家」という人が必ずしも正しい訳ではない。
彼らは企業からお給料を貰って生活している人たちなのだから。

電力会社の戦略 おまけ

それでも、オール電化は便利だ。

考えて欲しい。今、普通の家庭は「ガス」「電気」「灯油(暖房)」「下水道」といくつもの支払い先がある。
それぞれに基本料金が発生し、支払い時期が異なる。

しかも、それらを比較してどれが安いかを考えて生活するという煩雑な作業もある。

オール電化の生活では「電気」と「下水道」だけ。
支払い時期も2回だけ。生活上の煩雑さは半分になる。

だから、電力会社がいまさらマイコン付き温水器の値引きを止めても、マイコンを使わなきゃいい電気で温水器を使えばいい。

そうしたら、家庭用には選択肢が無くなった。「深夜契約」は特定の使用量からでないと契約できないにルールを変えてしまった。

だから、家庭用で「深夜電力」を使う方法は「時間帯別契約」でしかない。つまり「昼間高い値段の電気を買うから、夜間電力を使う権利を上げます」ということだ。


電気会社の戦略 マイコン付き温水器推奨の先にあったこと

マイコン付きの温水器が普及するにしたがって、各家庭では、それほどお湯を使っていないことが判ってきた。
つまり、各家庭が朝「最高温度」にするためには、3、4時間の深夜電力しか使わないということ。

だから、この温水器が普及するに従って、朝方一気に電気が必要になった。
そして、電気が不足ぎみになってきたら電力会社は焦る。

そこで、電気料において「マイコン付き温水器の値引きを止めます。」ということになる。
ちなみに、マイコン付き温水器を選択すると「常時通電の必要性」があるため、「深夜契約」はできない。

思い出して欲しい。
そもそも、温水器のマイコンはいったい誰のために必要だったか。

ユーザーに必要なのは「深夜契約」「マイコンなし、サーモスタット」で十分だった。

でも、電力会社のゴールは「夜間電力のMAX利用」だ。
だから、「昼間にお湯がでないかも・・・」という不安を煽り「電気料が安くなる」と言って高いマイコン付き温水器を付けさせた。

その結果、普及しすぎ。だから、マイコン割引を止めた。
そう。彼らは決して、既存組織が損する仕組みは作らない。

電力会社の戦略 オール電化

オール電化。ずいぶん宣伝された。
実際、安全だし悪くはない。でも、その広告の裏に、電力会社の戦略があった。

ゴールは一つ。
夜中に使われない電気を売ること。

そのために、新築家庭に薦めれたのは温水器。
400Lくらいの貯水槽にお湯をためておく仕組みだ。
これを「お湯」にするために「夜中の安い電力で」ということだ。

まあ、それはいい。でもそのためには「昼間は高く電気を買ってもらいます」ということ。

忘れずに。既存組織は自分達が損をする「仕組み」は作らない。

でも、元々家庭ではお風呂や食器を洗うのにお湯を使うのだから、それをいつも使えるなら、生活が便利になる。
だから、家を建てる時、考えてみようか、という話になる。

で、今度は「深夜契約」を出来るだけ売り込まない方法。昼間にお湯がなくなっても「安心」の方法を薦める。つまり、マイコン付きだ。

でも、これだと温水器が1万円くらい高くなる。だから、電気料の方で「マイコン付きなら値引きします」という手法をあみだした。

これ、毎日各家庭のお湯の使用量が記録されている。何故なら、お湯を沸かすのは出来るだけ朝、一番熱くなっているようにするため、通電時間をマイコンがコントロールするためだ。

これでマイコンで電力会社は深夜電力の中で、家庭用電気の使用量を時間帯別で測ることができる。

電力会社の戦略

昨今、原子力発電がいろいろ言われているが、元々、オール電化の仕組みもこの設備をより効率的に活用するためだった。

だって、ものすごい金額の投資しているんだから。

で、1970年代から電気の使用量が増えて、そのために巨額の投資をした。でも、発電した電力は貯めることができない。

昼間の使用量に合わせて発電所を作ってきたが、夜はあまり使われない。つまりそれらの電気は「捨てている」ことになる。

もちろん、この巨大な投資に対して電気料を値上げすることで、対応した。
ここに、企業努力なんて言葉はない。

でも、ちょっとは「企業努力」が必要になる時代がやってきた。

そこで考えたのがこの夜の電気、捨てるくらいなら、値段を安くして売ろうということになった。

そこで、深夜契約の登場。
でも、値段を引いた分、自分達が損するのは嫌だから、「別回線」を引くことで、工事費で儲ける。
工場なんかに売り込んで、大分売れた。

でも、まだ夜の電気が余っている。

じゃあ、これを各家庭にも売ろう、ということで、「時間帯別契約」となる。
でも、もちろん彼らは損はしたくない。

だから「昼間は高いけど、夜中は安くなります。」という売り込み。
これを制御するために、別の回線を引く必要はない。

既存の通常回線にタイマー機能の機械をちょっと取り付けるだけだ。

これで、夜の電気も大分売れた。でも、昼間の利用量には到底とどかない。

さあ、どうしたか?

電気会社の「仕組み」に見える破綻の兆し

世界一値段の高い電気を払っている日本。
そして、国がいっしょになって、その高額の電気料を支援している。

そのため、たくさんの雇用が生まれていることも事実だ。
電力関係だけではない。その部品や、その部品工場に勤めている人達やそれを輸送する会社もそうだ。

動く金が大きいほど、既得権が多くなるから、「仕組み」は変化しない。

だから、電力会社の「仕組み」自体がすでに化石であるからといって彼らを非難しても問題の解決にはならない。

最近、自宅の温水器が「深夜契約」ではなく、「時間帯別契約」だったことが判明した。どちらも「深夜電気」を使って一日で使うお湯をためる電気を買う契約形態だが、からくりがある。

「深夜契約」は安い電力だけ通電するという契約。

「時間帯別契約」は「昼間高い電気」だけど、夜は安い「深夜電力」の金額で使えるというもの。

つまり、昼間は「値段の高い電気を買う」という契約だ。
通常ドリーム8とか呼ばれている。
で、「深夜契約」をするためには、電気回線を引かなければならないし、昼間は通電しない。

じゃあ、何故「深夜契約」ではなく「時間帯別契約」を電気会社は薦めるのか。

「深夜電力」はある時間になれば、自動的に通電される。温水器はサーモスタットがついているから、通電していてもお湯の温度がたかければ、低くなるまで使われない。昼間お湯を使いすぎて無くなる可能性もある。その時は「あ~あ」と言って諦めればいい。たかが、お湯だ。

でも、電力会社はそうは言わない。

「時間帯別契約なら、昼間もしお湯がなくなっても沸かすことができますが、深夜契約ならできません。」とユーザーを脅かす。

当然、時間帯別契約を選ぶ。しかもサーモスタットだけではなく、マイコン付きなので温水器の値段も高い。

実は、これ、ユーザーのためではなく、電力会社のためなのだ。

2013年6月26日水曜日

破綻した「仕組み」の先にあるもの

今の日本では仕組み自体がすでに破綻していても、その事実に直面しようとする人がとても少ない。

たとえば、年金や医療保険。

このままでは、破綻することが判っているにもかかわらず「とりあえず」の対策しかしない。

それは何故なのか。

その理由は日本文化全体に蔓延る「変わる」ことを恐れる精神性にある。


では何故「変わることを恐れる」のだろうか。

それは「変化した結果」に対して「責任を取る」ことを嫌がるからだ。


では、責任を取らない「人達(特にいろいろな「管理職」にある人達)」はどうするか。

仕事をした「ふり」をするために、影響のない程度の「お仕事」をする。
やっても意味がないことを時間と金をかけて検討したり・・・・
それには予算がつくから「お仕事」は確保される。


国の借金は、増え続けている。
企業のホワイトカラーの業務効率は、他国より低く、パワーハラスメントで社員は病んでいる。

この破綻した「仕組み」はいつまで持つのだろうか。

「仕組み」と「システム」

どちらもひとつの「結果」が出すために一連のプロセスを持ったものの「塊」のこと。
ただ「仕組み」は概念的、全体的なものを意味する。



恐怖や不安は、行動を萎縮させる

日本社会では変化を歓迎しない。

「変った後」の責任を誰も持ちたくないから。

かつての日本のリーダーは誰もが「選ばれた責任」を認識し、社会発展のために、それぞれの場所で努力してきた。

たとえば、グンゼの社長は、紡績工場で夜間学校を開いた。
彼は、社会のリーダーとして「持つ者(教育や財産)」である責任を認識していた人物であったことは明らかだ。

日本の歴史上、日本が大きく変わったことが2つある。
明治維新と第二次世界大戦の敗戦である。

どちらの場合も変化するために、それまでの「常識」において、大きな痛みと大胆な切り捨てが発生している。
その後の発展は、歴史が示した通りである。

そして、その発展の影には、素晴らしいリーダー達が居たことは事実だ。
(その発展が間違った方向に進んだかどうかは別として。)

日本はフランスのように、社会自ら変化したことはない。
フランス革命が起こった時のように。

たぶん、これからも自らを壊して変化することは出来ないだろう。

でも、世界が変化している今、戦後のように決断力や未来を見据えて変化してゆこうというリーダーは本当に存在するだろうか。

国政を見る限り、破綻している仕組みにつじつまを合わせることに予算を、熱意をかけて仕事をし、税金を無駄に使っているように思える。

いったい何時から責任者の業務が謝って、辞めることが仕事になったのだろうか。

そんなリーダ達が率いる国の未来はいったいどうなるのだろうか。

このブログではそんな破綻の兆しを日々の中で感じたことを綴っている。

「知っている」と「認知」


「わかっちゃいるけど、やめられない」と言うような場合は「知っている」レベル。存在の重要性は、理解していない状態。

方や「認知」は現象の存在を認めること。存在の重要性を理解しているので「じゃあ、どうるすの?」という議論を始めることができる。

「変わらない(DO NOT)」と「変えられない(CAN NOT)」

日本語においてこの二つは異なる主語を持つが、本質的に同じ意味を持っている。それは「私(私達)は変えたくありません」ということ。

「変わらない(DO NOT)」とは、個人や組織が自主的に、意識的に「変化しないこと」を選択すること。
ここでの選択肢は「変わる」と「変わらない」という二つがある。
そして「変わらない」ことを選ぶこと。

方や、「変えられない(CAN NOT)」とは、個人や組織にある理由があって、変化することが不可能であること。
ここでの選択肢は「変わらない(DO NOT)」というものだけ。

ビジネスにおいて「お仕事」をする人々は「変えられない」選択をする。
その理由は「変えたくない(DO NOT WANT)」から。

でも、そんな言い訳はできないから「変えたくない」自分の主張を巧みに外的要因で「今は、変えられない」ことにして説明する。

従って、変化できない日本の社会では、いろいろな場所で「できない理由」を聞くことになる。

しかし上記の説明から、これらほとんどの場合「私達は変えたくありません」という個人や組織の主張でしかないことが判る。

世の中で「変化しないもの」はない以上、「変われない(CAN NOT)」という言葉は「変わらないという選択肢をした」意思決定を表しているに過ぎない。

「変えられない」ということは、すべて「変えたくない」という意識、無意識を持った人々にて選択した決断であるといえる。


人は、誰もが尊重される存在である

日本で生活するのに不自由を感じることに「フィルターを掛けられる」ことがある。個人がどうであることは関係がない。

最初に性別があり年齢がある。次に年収。このフィルターは必要とあれば、身障者か納税者かどうかまで関わってくる。

そのフィルターに掛かった人達は区別され、人として個人を見る前に評価されている。そして、フィルターの内側には入れない。

逆に、嘘をついてもそのフィルターを超えてしまえばその中で活動する一員になれる。事実に意味はない。作られた情報だけがその人の価値だ。

何故、日本人は個人を見てそのまま判断しないのか。
いっしょに時間をすごして、会話し、その人の「自分と異なる考え方」に感動しないのか。言語や年齢、性別関係なく。

個人に向き合わないから、ユニークな個性を認めない。
言葉では「個性の尊重」というがそれは建前だ。

いじめやパワーハラスメントの本質は、自分と異なるものを排除するという思想であり、「フィルターの外」に追い出すことだ。

神は、人間に「愛し合いなさい、許しあいなさい」と人間イエスを通じて伝えた。神が人間を愛しているから。命は、そして人生は、一人ひとり貴重でユニークだ。

だから、殺人を犯してはならない。

神から与えられたユニークな命を取り去るのは、神の仕事であり、人の仕事ではない。

罪とは、人がそれを自分が持っていることに気がつかないこと。
そして、誰もが全員、罪を持っている。気がつかないだけだ。