求職活動をしていると、変だなあ、と思うことがたくさんある。
たとえば、ある派遣の1ポジションの仕事があるとする。
このポジションの募集は3社くらいに公募されている。
この3社がWEBに載せたとき、統合サイトが同じ情報を載せる。仮にこれを2社としよう。つまり、WEBでは6倍に情報が増えている。
応募者は「たくさん募集しているんだ」と思う。
そしてどれかに応募する。
昔は、このままお顔合わせということで、先方に連れて行かれたのだが、今は違うらしい。
「オーバーキャリア」な人じゃないかどうか、担当と営業マンがフィルターをかける。以前の2倍の作業だ。
これで、また余分な雇用が生まれる。
そして、最終的に3社3人の候補者から1人が選ばれる。
派遣1人を雇った企業は満足だろう。そりゃあ、長く働いてもらうと期待する。
この段階で「何か間違っている」と感じないだろうか?
では、社会的に見た雇用力のコストはどうだろう。
経済活動の視点から見た場合、この増えた業務は誰が払うことになるのか。
社会全体だ。だから、昨今、企業が一人当たり雇うのに(正社員であり、派遣であり)どれだけ高くつくようになったか判るだろう。
かつて企業は自分で雇う人の責任は自身が持っていた。
だからこそ、1:1の作業量で人が雇えた(つまり相互の意思決定でオッケー)。
今は、「雇う」という意思決定まで少なく見積もっても10倍以上の作業量がかかる。(3倍x2倍のルートで応募される応募処理と、そこに集まったところからの選別に2人分のフィルターがかかるから。)
誰かの「責任」を誰かに渡し、小分けして、ビジネスを作っている。
この仕組み、どこかで見覚えがありませんか?
建築業界がかつて高度背長時代、やったことと同じだ。
大企業がプロジェクトを請け負って、それを分割して下請けに任せた。
それでまた、下請けがまた受けてということで多くの会社が潤ったし、多くの日雇い雇用ができた。
その注文主だ誰だったのか。
もちろん、日本政府だ。
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