2013年6月26日水曜日

恐怖や不安は、行動を萎縮させる

日本社会では変化を歓迎しない。

「変った後」の責任を誰も持ちたくないから。

かつての日本のリーダーは誰もが「選ばれた責任」を認識し、社会発展のために、それぞれの場所で努力してきた。

たとえば、グンゼの社長は、紡績工場で夜間学校を開いた。
彼は、社会のリーダーとして「持つ者(教育や財産)」である責任を認識していた人物であったことは明らかだ。

日本の歴史上、日本が大きく変わったことが2つある。
明治維新と第二次世界大戦の敗戦である。

どちらの場合も変化するために、それまでの「常識」において、大きな痛みと大胆な切り捨てが発生している。
その後の発展は、歴史が示した通りである。

そして、その発展の影には、素晴らしいリーダー達が居たことは事実だ。
(その発展が間違った方向に進んだかどうかは別として。)

日本はフランスのように、社会自ら変化したことはない。
フランス革命が起こった時のように。

たぶん、これからも自らを壊して変化することは出来ないだろう。

でも、世界が変化している今、戦後のように決断力や未来を見据えて変化してゆこうというリーダーは本当に存在するだろうか。

国政を見る限り、破綻している仕組みにつじつまを合わせることに予算を、熱意をかけて仕事をし、税金を無駄に使っているように思える。

いったい何時から責任者の業務が謝って、辞めることが仕事になったのだろうか。

そんなリーダ達が率いる国の未来はいったいどうなるのだろうか。

このブログではそんな破綻の兆しを日々の中で感じたことを綴っている。

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