2013年6月26日水曜日

人は、誰もが尊重される存在である

日本で生活するのに不自由を感じることに「フィルターを掛けられる」ことがある。個人がどうであることは関係がない。

最初に性別があり年齢がある。次に年収。このフィルターは必要とあれば、身障者か納税者かどうかまで関わってくる。

そのフィルターに掛かった人達は区別され、人として個人を見る前に評価されている。そして、フィルターの内側には入れない。

逆に、嘘をついてもそのフィルターを超えてしまえばその中で活動する一員になれる。事実に意味はない。作られた情報だけがその人の価値だ。

何故、日本人は個人を見てそのまま判断しないのか。
いっしょに時間をすごして、会話し、その人の「自分と異なる考え方」に感動しないのか。言語や年齢、性別関係なく。

個人に向き合わないから、ユニークな個性を認めない。
言葉では「個性の尊重」というがそれは建前だ。

いじめやパワーハラスメントの本質は、自分と異なるものを排除するという思想であり、「フィルターの外」に追い出すことだ。

神は、人間に「愛し合いなさい、許しあいなさい」と人間イエスを通じて伝えた。神が人間を愛しているから。命は、そして人生は、一人ひとり貴重でユニークだ。

だから、殺人を犯してはならない。

神から与えられたユニークな命を取り去るのは、神の仕事であり、人の仕事ではない。

罪とは、人がそれを自分が持っていることに気がつかないこと。
そして、誰もが全員、罪を持っている。気がつかないだけだ。

0 件のコメント:

コメントを投稿