2013年9月5日木曜日

すべてが同じである必要はないのに

見識者と呼ばれる人たちの記事を読んでいると、気になることがる。

IT技術の普及で商品の流通において生産者が直接顧客に販売できるように仕組みが整ってきた。

その社会の変化に対して生産者が正当な対価を受け取れるために「仲買は不要」とか「適正価格で売るべきだ」とか見識者の人達は主張する。

これらの方法論や理想論が正義であるように語る。

でも、現実は違う。

魚や野菜などを仲買を通さずに売ろうとすると生産者に物凄い負荷がかかる。
でも、服や生活用品なら仲買を通さず販売することは可能だ。

でも、金額が高いものであれば、回収の点から仲買を通して売った方が生産者にとってリスクが低いかもしれない。

要は、生産者がどう考えるかだ。

一箇所に大量に卸せば手間も省ける。
でも、その会社が買わなくなったときのリスクは大きい。

魚だって、漁師が直接レストランに卸す仕組みを作っている人達もいる。

そのために漁師側にかかる負担はとても大きい。
しかし、社会の変化に対して「俺のやり方」を主張してもものが売れなくなってきているのが「事実」だ。

この事実に対して、生産者が、そして消費者が変わらなければ何も変わらない。

大企業や国の仕組みが消費者の安全を守ると信じるのは自由だ。

しかし、たくさんの資格や国のお墨付きが「建前」でしかないのは過去の食中毒事件などを見ても明白だ。

これからは、自分の信じる人から買う。
それは生産者だろうが、仲買だろうが、関係ない。

その行動が彼らの生活を支えるのだから。
そして、消費者は彼らが必要だ。
「プロ」としての能力を信頼するから、安心して購入できる。

大企業の広告に煽られて消費する先に未来はない。

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