最近、いじめの後遺症で鬱になったり、引きこもりになったりしているという記事を見かける。
彼らは語る。
「あの時、助けて欲しかった」
「あんなことがあるから、自分も子供をいじめる。」
「あの時、いじめた人を許せない。」
そんな思いを知るたびに、ちょっと悲しくなる。
なぜなら、どんなに訴えても起こってしまった事実は変わらないのだから。
いじめた側も、いじめられた側も、起こってしまった事実は変わらない。
結果、自分への評価が低く生きていることがつらくなる。
憎しみから誰かを傷つける。
それもまた、起こってしまっているのなら、その事実も変わらない。
誰も助けてくれない。
苦しくて、声も涙も出ないほどの絶望感を感じる自分。
それを誰かのせいにしても、何も変わらない。
その事実が「ここに在る」と認めて「自分はどうするか」を考えないと先には進めない。
ただ、どんなに辛いと思っても、神様は、その人に背負えない荷物は与えない。
今、きっと辛いけど、貴方は乗り越えられる。
これもまた「事実」だ。
なぜなら、神はその体験があるから、将来、「貴方しかできなこと」があることを知っている。
そして、そういう貴方を、貴方の命を愛している。
他人が貴方に「死ね」と言ってもその言葉には意味がない。
なぜなら、その人は貴方を愛していないのだから。
神様は貴方を見ている。
イエスは傍にいる。
だから、祈ってみよう。
聖書を読んでみよう。
私たちは非力だけれど、神に必要とされて生まれてきた。
それは信じるのに値する。
なぜなら、貴方には力があるから。
神は試練を与えたかもしれないけど、それを乗り越える力も与えている。
その力を持っていることを、疑わせるのは「悪」の仕業だ。
だから、その力を使うか、使わないかは、貴方しだいだ。
未来は変えられる。
そして、それを変えるのは貴方しかいない。
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