2013年9月23日月曜日

「良書普及」という言葉の持つ恐怖

普通に使われている言葉が、どれだけ恐ろしいか考えたことがあるだろうか。

たとえば、このタイトルに使った「良書普及」。
これは、とある記事の中で「図書館の存在目的は「良書普及」ではない」と言う文脈で使われていた。

そもそも、「良書」とは誰が決めるのか。

誰も決められない。

でも、学校、図書館など「権威ある」人たちは、下々の者を「上から目線」で「彼らのために」判断するのだ。

実際、判断を権威に委ねてしまうと、何か起こっても「それは権威のせい」になってしまう。

自分が選択した「責任」を意識しないのだ。
だから、こういう言葉は「差別の芽」を持っている。

目に見える差別用語もある。
たとえば「障害者」など。
そもそも彼らは「害」なのではない。

だから、時代によって使われなくなった言葉もある。

しかし、今でも概念に影響する差別用語はたくさんある。
そして、みんな無意識に使う。

たとえば「女性パイロット」や「女性消防士」など、すべて差別用語だ。

プロフェッショナルの職務に性別は関係ない。

看護師や保育師が性別を不要としたのなら、その職業だけではなく、すべての職業にその「概念」を適用する必要がある。

そして、表現の自由もまた、人権と同じくらい保障されている。
良い、悪いを決めるのは「個人」であり「権威」ではない。

「権威」が制作物(アートや書物)に対して「善悪」を決めることができることは、ファシズム的思考で危険な状況だ。

何故なら、洗脳の第一段階は、意見を決め付け、相手に思考を停止させることなのだから。

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