2013年9月14日土曜日

子供を「作る」という「考え方」の先

「35歳になったただの私と、20代の卵を持っている35歳の私、どっちがいい」という、記事の一部を読んで驚いた。

もっとも、この大手新聞社のンセーショナルな記事の書き方は今始まったことではない。

独身女性の卵子凍結が認められる可能性が大きくなったことに対して書かれた記事だが、ここで「卵活」という言葉が使われている。
この言葉から推測するに妊娠するためには「卵子の活動」が必要らしい。

そして、この記事の最終コラムは「権威ある」男性の教授だ。
彼曰く「25~35歳の生殖適齢期においての自然妊娠推奨」だ。

ここに人間としての「男性」は存在しない。

お互い、相手を認め合い、共に協力して、人生を歩もうという覚悟を持った男性は存在しない。

「作るための卵子」だけが活動を必要としている。

人がどうして命を授かるか、今一度改めて考えてみて欲しい。

命は作るのではない。
神が与えるものだ。

従って、親に与えられたのは、貴重な命だけではない。
人として他者を尊重する人間を育てる、次の世代に繋げる価値観を伝授する使命も与えられているのだ。

加えて人を「作る」という考えは、命の選別、排除に繋がってゆく。
障害を持つ受精卵はいらない。
命を選別する権利が人間にあるのだろうか。

欲しいものは、グッチのバックを買うように得られるものではない。
家族しかり、子供しかり、それらは尊い命であり、人格を持った人が存在する。

みんな個性豊かな意思を持った「人」なのだ。
縁がなければ、それもまた受け入れる必要がある。

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