2013年10月13日日曜日

素顔はその人「個人」が持つもの

社会の正義を気取る某大手新聞社の記事で「僕ら生活保護育ち 「素顔知って」雑誌創刊」というのがあった。

これ、驚いたというより意味が判らなかった。

何か社会で成し遂げた人が、人格形成を知ってもらうために「自分の環境」を振り返りことはあるだろう。

でも、普通の人が「自分の生活はこうです」と語る雑誌はいったい誰に向けて何を発信するのだろうか。

生活保護は日本だけにある仕組みではない。

バッシングを受けるのだって日本だけではない。

アメリカではフードスタンプを換金する場所だってあるほどだ。
そんな仕組みや受給者が批判されることがあっても、それを理由に自分の不幸を叫んでも、誰も同情などしない。

第一、そんなことは人間関係を作る上でたいした問題でない。

金持ちでも貧乏人でも嫌なやつは嫌われる。

事実を受け止めず、問題に向き合わず、愚痴ばかり言っている人間は大抵煙たがれる。

夜間や通信で高校に行く人はみんなで支える。
年齢も関係ない。

「文化が違う」ということはあっても、その人自身が「がんばっている」なら応援したくなるのは、人の情ではないのか。

だから、自分自身をどこかの「カテゴリ」の中の一人ではなく、個人として「自分の現実を見つめ、受け入れること」がまず必要だろう。

それが橋の下であろうと、銀のスプーンを咥えていても。

環境は変わらなくても自身は変わることができるのだから。
「助けられる者」はいずれ「助ける側」になるのだから。
誰もが「変える力」を持っているのだから。

0 件のコメント:

コメントを投稿