2013年10月18日金曜日

大人の勘違い?

産経新聞の「いじめ問題は「大人の勘違い」だらけ 自死遺族が著書で訴え」の記事に取り上げられている著者の活動は素晴らしい。

ただ、「大人が勘違いしている」という点は違うと思う。

いつの時代も、持てるものは責任を負う。

英語で「obligation」という言葉がある。
これは、貴族や王族などの「立場に与えられた責務」という意味だ。

天に召された女の子はやさしい心を持っていた。
そんな貴重な心を持ったから故、責任の重さに耐え切れなかったんだろう。

やさしさは強さになること、そして、その優しさを支える大人がいること。

そんな事が彼女に伝えらていたら、と思う。

そして、そんな「優しい魂」は、素晴らしい活動をしている著者が育てたものだからこそ、加害者や傍観者を理解できるのだろう。

ただ、「理解」はしても「同情」するのは納得できない。

いじめられても、いじめられなくても、一人が自分の行動に責任を持って立ち向かう勇気を持つべきだ。

しかし、その勇気は鍛えないと、家族などの支えられないと、身に着けることができない。

天に召された女の子は、その力を付けるチャンスが無かった。
だから、優しい魂は行く場所が無くなってしまったのは仕方が無いことなのかもしれない。

だから、人として正しい選択をしたなら「小さな人(子供)」を尊敬すべきだ。

ただ、嫌われ理由となる行動があったかもしれない。

だから、大切なことは「小さな人」も「大人」も自分の行動を振り変えること、そして考えることだ。

その上で「正しい選択をした」と信じるなら、胸を張るべきだ。
そして、大人はその選択をした「小さな人」を誇りに思って守る必要がある。

受け入れられないことはつらいことだ。

多数に迎合する必要はないが「いじめ」と「犯罪」は別物だ。

仲間に無視されることは「いじめ」程度かもしれないが、それが靴やかばんを破られたら「器物破損」の犯罪だし、ネットでの中傷は「名誉毀損」だ。

大人がその違いを正しく認識せず「いじめ」と呼んで「あいまいにすること」が問題なのだ。

暴力はエスカレートする。
大人はそれを体験から知っているが、子供は知らない。

だからこそ、大人は「犯罪」を告発し、行為の結果に対して責任を明確にすべきなのだ。

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