2013年10月3日木曜日

助け合って暮らすことは「貧しい」ことなのか

ダイヤモンドオンラインには読み応えのある記事が多い。
しかし、読んでいてげんなりする記事もまた少なくない。

「生活保護のリアル」には念入りなルポされていて読み応えはあるのだが、そのステレオタイプの価値観にはがっかりさせられることが多い。

彼女は「貧困」は「自立」するチャンスがないから起きてしまう。
特に弱者は就業が難しく自立するには「生活保護が必要」という解釈だ。

「国」はそれを守る必要があり、改正は「改悪」という意見する。

実際、障がい者から教育のチャンスが奪われていたのは事実だ。

教育がなければ、就業も無理だろう。
でも、チャンスの平等化がされれば、後はその人の努力だ。

また、農業や林業、漁業など就業先は「企業」に限られる必要はないだろう。

第10回では、都会のと地方の貧困の違いを説明する福祉のプロへのインタビューがあるのだがここでの違和感は強烈だった。

彼女は「助け合って暮らさなければいけない地域の貧しさ」ということを説明している。

「近所で食料を交換しながら、助け合って生活する」ことを「貧しさ」と捕らえる感性にショックだった。

「国」に頼る生活を「理想」とするのは理解できるが、海外などではその前に「自立」が存在する。

健常者、障がい者の区別なく、人が人として自立する。
これには、「他者を助ける力を持つこと」も含まれるのだ。

それは社会において責任を負うこと。
どんな人間であっても、助けてもらうことだけではなく、助けることができる自負を持つ必要がある。

身近な人が助け合って生きることは「貧しさ」ではなく、「たくましさ」ではないのか。

加えて、どんな障害があっても、教育が公平に受けられたのなら、立場は健常者と変わりない。
(社会的偏見がまだまだ存在することは事実ではあるけれど。)

IT時代なら、別に企業に勤めなくても自立することはできる。

これは、障害があろうが、無かろうが大した違いはない。

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