産経新聞の「いじめ問題は「大人の勘違い」だらけ 自死遺族が著書で訴え」の記事を読んで腑に落ちない点がいくつもあった。
その中でも「加害者も傍観者も被害者だ」と言う点。
たしかに、彼女の意見は一理あるし、天に召された娘さんの気持ちも理解できる。
納得できない点は行動の責任を「あいまい」にしている点だ。
加害者がいじめをする理由は、どうやったって正当化できない。
傍観者が立ち上がらない理由もまた、理解はできるが、正当化できない。
彼らを被害者と捉えてしまえば、「責任の所在」は「誰か」になってしまう。
では、いじめという「現象」が起こった責任は誰が持つのだろうか。
人は、自分のやったことに責任を持つ必要がある。
それは「しなかったこと」も含めてだ。
問題に対して「誰かのせい」にすることが当たり前になっている。
自分がそれを選んだ「責任」を無視する人が多くなっている。
大人が自分の行動に「責任」を持たずに「社会」「企業」「政府」のせいにして、自分が「選択した責任」を持たないなら、それを見て育った子供は「責任」をどこから学ぶのか。
自由は素晴らしい。
でも、それには常に「責任」を伴うのだ。
これは、民衆が勝ち得たものであり、同時に背負ったものでもある。
今、必要なのは、大人が「責任を持たなくても良い」という価値観を子供に与えているということを認識することだ。
子供でも大人でも関係ない。
行動の責任は、自身にあるのだから。
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