2013年11月3日日曜日

命の責任は誰にあるのか

ある物語で獣医になるのを止めた友人が主人公に向かって言う言葉がある。

主人公は「私は、殺せないから獣医になれない」という返事に「獣医ならば、命を奪うことも必要な時がある」からこそ「命の大切さを誰よりも知っている」と答える。

ペットを飼うというのは「命の責任を持つこと」であり、終わりを決めるのもまた飼い主だ。

だから、某大手新聞の「「老犬ホーム」看取りまで 飼えない、でも殺処分は…」の記事を読んで考えさせられた。

海外の友人の犬が癌だと解った時、彼女は悩んだ末に犬を眠らすことにした。

彼女は犬が苦しむことを望まなかった。

飼い主として愛犬が苦しまないようにその決断をした。

その前日に、愛犬の大好物のものを食べさせて、草原で自由に走らせて、写真をたくさん撮って素晴らしい思い出を作った。

そして、獣医の元でお別れした。

これ、考え方は違うが、ペットの幸せは飼い主の責任だ。

だからこそ重要な「決断」は飼い主だけができることだ。

犬の身になれば大好きな飼い主からも離され、動けず生きることが本当に「幸せ」なのだろうか。

命の責任を「誰か」に任せ、それがビジネスになることもニーズがあるならそれでいい。

その値段は、飼い主がペットの幸せを考えて決断できない「責任」の値段だ。

ペットは「飼い主」のためにある「もの」でしかなければ、生かし続けるのもまた飼い主のためだ。

この先にあるのは「言い訳」と「ビジネス」だ。

そして、絶対にペットは幸せには死ねない。

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