意識は社会環境の変化で変わる。
でも、社会が「所属先」を信用する限り、個人と向き合うことはない。
なんたって「組織」に所属するのが「存在の条件」ともいえる日本社会だ。
「組織」という言葉が適切でないのなら「分類のための肩書き」とでも言おうか。
無職で求職活動すると、サラリーマンが退職後も会社にこだわる理由は良く判る。
働きながら求職活動する時と応募する派遣会社のリアクションがまるで違うのだから。
「経験」は「所属して」初めて「経験」として認めてもらえる。
たとえば、主婦が身障者へのボランティアを10年も続ければ、立派な介助のプロだ。
しかし、社会は彼らを「介助士」とは認めない。
資格がないからだ。
でも「主婦」であることは認める。
所属は「家庭」であることは変わらないから。
所属場所を失った人は引きこもる。
でも、彼らもその存在価値を社会に認めさせるには「組織」を作るしかない。
だから、先日引きこもる人達がみんなで会社を作ったことも当然の動きだ。
でも、「組織に所属」して「肩書き」を持つ人を感銘させても、関係は作れない。
「状況に応じた自分の決断」に「責任を持つこと」が他者から信用される元だ。
そして、それが関係に発展する。
結果、お金が稼げるかどうかは二次的なことでしかない。
「責任」を負う覚悟をすると、毎日が挑戦だ。
これは、母親になる時も同じだろう。
どこに所属していようが自分の選択に「責任」を持てるなら、その人自身を信頼する人が現れる。
関係ができる。
一時的な優越感は、関係を続ける元になることは、決して、無い。
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