2013年11月14日木曜日

「実施する」ことに意義があると思っているのだろうか

週プレNews の「専門家が「ギャンブル」と呼ぶ、福島第一原発4号機の核燃料取り出し作業」は、ざっと読んた素人でも「ギャンブル」だと思う。

水深11mの「核燃料」をクレーンキャッチャーするだけでもたいへんなのに、これを70回繰り返して毎回成功させる必要があるという。

毎回、吊り上げに耐えられるほど捕まれているかどうかの確認方法は限られるから、持ち上げてから落ちる可能性だって0じゃあない。

キャッチするモノは、爆発するだけですまない。

もちろん、2重、3重の予防をするだろう。

でも、人は慣れるとミスを起こす。
10回、20回、成功すれば、もう大丈夫と思ってしまう。

かつて、東海村で起きたJOCの事故もそうだった。

マニュアル通りが面倒だから裏マニュアルを作り、バケツで作業するのが日本人だ。

「今回は違う」とは思わない。
日本人はそれほど変わらない。
日本人が変わるのはいつも「事故が起きてから」なのだから。

まあ、今回の場合、それが起きると東京は住めなくなるけど。

個人でも組織でも日本人には「自分だけは大丈夫」という考えに染まっているらしい。

エイズ予防も食品偽装の問題そうだけれど、対応がいつも「事故が起こって」からだ。

事故が起こってからでは「遅い」ということが、感覚的に理解していない。

たぶん、それはいつも仲間通しで「何とかした」からだろう。

でもせめて「何とかなる問題」と「どうにもならない問題」の判断くらいは出来ないとまずくないか?

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