同じ記事でも、タイトル次第で印象が変わる。
「特定秘密保護法の修正案、衆院通過 与党・みんなが賛成」と「<秘密保護法案>福島バカにするな 公聴会翌日に強行可決」では、与える印象が全く違う。
だから、記事をどう伝えるかには、メディアの企業哲学がすけて見える。
「事実を伝える」という意味で最初のタイトル記事は正しいだろう。
でも、この法案、国民が問題にしているのは「通ったこと」ではない。
大体自民党が大半を占めた以上、通ることは「出来レース」だったのだから。
問題はその通し方だろう。
採決前日に、公聴会を福島で実施する。
しかも、公聴会は政党に繋がり、つまり「コネ」がある人間だけが傍聴できるという、いかにも日本的民主主義で開催された。
つまり、コネが無い日本国民は、政治現場の片隅を傍聴する権利すらない。
労働環境もまた、同じだ。正社員と非正規社員の間には、同じ労働者でも既得権を持つものと持たないものが存在する。
どこかに所属しないと主張できない社会であることは、政治も同じ。
ただ、そこで全員反対しても「公聴会実施」の事実は残る。
監査だって「やった事実」が重要で、本気で問題を見つけるつもりなどない。
オリンパスの事件はその代表的なことだろう。
どの世界も「建前」と「肩書き」が重要である以上、今回の結果は当然のことだ。
メディアが政治と結託すれば、その書きっぷりは知れている。
それを信じるかどうかは、一人ひとりの問題だ。
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