2013年11月3日日曜日

定価思想が求める「誰かが決めること」

最近、この大手新聞社の既成概念的発想、そして透けて見えるような「正義」的記事には驚くばかりだ。

「チケット1枚40万円 ネットダフ屋、いいのか」という記事は「オークション価格に上限を決めるべき」という企業が決めた「定価信奉」の元に展開する意見が主張されている。

定価は「企業」が決めたことだ。
企業は、それで売れればいいのだからそれでいい。

日本の有名な某Fという男性歌手のコンサートチケットだって全く取れない。

友人に聞けば「あれはファンクラブに入っていないと買えない」と言われた。

定価信奉の元で「消費者の権利」を叫ぶのは自由だが、この理論だと、骨董品にも「規制」が必要になるだろう。

「金持ちしか行けないコンサート」というが、それでいいだろう。

昔からそうだった。
貧乏人はレコードやラジオで我慢した。
悔しければ金持ちになればいい。
ダフ屋に騙されたのなら、それもまた自分の愚かな行為の結果だ。

価格が自由に決まるのが「資本主義」の良いところだ。

企業はその値段を決めている。
だから、「常識的な」の価格しかつけない。

でも、それは大企業だけではない。
最近こそ家電でも「オープン価格」があるが、かつては「定価」があった。

価格は「持つ者」が決める。

チケットの値段を「卸値」と考えればもっと簡単だ。

人気のあるライブには、法律外の「市場」がある。

当然、そこで儲けようとする人が出てくる。

こんなことに税金たくさん使って建前の法律作るなんて無駄だから、止めた方がいい。

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