2013年11月7日木曜日

だから、変わらないって

米光一成氏の「呑み会を断る新人は何を手放したのか」の記事は、一見全うな意見に思えるが、そもそも論点が違う。

「日本の家族会社は時代に合わなくなったけど、ジョブ型にすれば問題解決になるわけではない」という意見には同意する。

しかし、企業が「家族」を求めるような「日本型雇用が日本に根付いたのか。」を考えて新しい道を考えるべきだ、という意見は見当違いだろう。

日本の就業形態に問題なのは「型」なのではない。
プロフェショナルが責任を取らないことが問題なのだ。

彼が言う「ジョブ型」の欧米方式には「職務」がある。

それは、年齢でも性別でもなく「プロ」だ。

家族的企業に必要なのは「お父さん役」や「お母さん役」だ。
だから、新人はいつでも「子ども扱い」しかされない。

学んだ最先端の学問も全く求められない。
だから、出来る新人は辞める。

当然だろう。

だって、大した仕事も意思決定もしない「お兄さん役」の「管理職」は「前例が無い」と言って何一つ変えようとはしないのだから。

家族の中で順列や秩序を壊すことは「悪いこと」だ。
「子供役」にはその役に見合った「振る舞い」がある。

それが、家族の一員として居続けるために必要なことなのに、それに意見するなんて「10年早い」ということなのだろう。

だから、日本でいう「就職」とは「年功序列による既得権を必死の確保することで生活を安定させること」である。

ならば、それを大多数の日本人が求める社会では、彼の言う「日本型雇用」はいつまで経っても変わらないのだ。

0 件のコメント:

コメントを投稿