2013年11月3日日曜日

「誇り」の値段は材料の値段と無関係

レストランのメニューから始まった事件自体は大したことがないけれど、それを言い訳する人たちの発言には大いに笑わせてもらっている。

スポニチアネックスの「リッツ 偽装7年前から 詳細説明は拒否も「高い誇りは持ち続けたい」」の記事のタイトルは素晴らしい。

この記事のタイトルをつけた人のセンスは最高だ。

どれほどこの言葉が「場違い」かを「偽装7年」と「誇り」を一文にすることで見事にあらわしている。

この記事のすごいところはホテルにかけてある「絵」の真偽まで質問した事もまとめたことだ。

質問した記者のセンスも最高だ。

彼から「絵について専門家ではないから解らない」という言葉を引き出して「消費者もまた料理の専門家ではないからレストランを信用するのではないのか」という質問を投げ返したのだから。

まあ、誇りを持つのは自由だし、別に対外的価値などない。

価格に「誇り」が見えるなら、消費者には選択肢がある。

買わないだけだ。

記事を読むと総支配人は「原因追求」より「再発防止」に興味があるらしい。

でも、大体、7年もメニューを「盛り」続けていた「組織」で「再発防止」が本当にできるんだろうか。

だって、責任者は処分されない、経営層も変わらないのだ。

だってすべては「ミス」だったのだから。

そして「誇り」だけは持ち続けるから「価格」に反映されるのだろう。

そもそも、実際の材料は三流でも値段は一流だったのはこの「誇り」のせいなんだから。

メニューを「盛らない」で「誇り」の値段だけ付けておけば問題なんて起きなかったのにね。

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