2013年7月10日水曜日

コピー文化弊害の本質的問題点

ある友人と議論していたら、喧嘩になった。

それ自体はたいした問題ではなかったのだが、それを別の友人にこの出来事で「こんな事から、こういうことを感じたよ」というメールをしたら、いろいろ考えがまとまった。

そうしたら、芯から恐ろしいことに気がついた。
それは「コピー文化」がもたらす本当の問題点だった。

今、ニュースで語られる政治家等への「非難」。妥当なものもあるけれど、たいていは世論という名の下に「彼らは何をやっているんだ」という文句に近い。

そこに「何故、そうなるのか」を調べたニュースをみても結局「誰かが悪い」ことになる。

その情報はコピーされて、どんどん大きくなり「みんなが問題にしている」ということになる。

無料のものは増殖する。

ここには、当事者意識が欠落し「社会や仕組みが悪い。自分は悪くない。」という世論や思想が形成される。

この文化がもたらす社会的影響は2つの思想標準化だ。

「社会が悪い」「みんながそう思っている」。
つまり、社会においてその思想が「正」であるから、他の意見を排除する。

その先に何があるのか。誰も何も言わない、作らない。

何故なら、リスクを起こすだけの対価がないから。

「儲かる」ことだけ考えて創造することは、がどれだけ危険な思想なのか、その思想が大量に増殖されれば、多様性は排除される。
物質でも、思想でも、意見でも、価値観でも・・・・。

コピー文化の上に、本物が創造される土壌を作るためには、どうすればいいのだろうか。

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