2013年7月10日水曜日

「貴方よりできる」優越感の無意味さ

朝早く、母との待ち合わせに寝坊をした。

起きたのは、待ち合わせ時間10分前。
それでも、だいたい間に合ったのだから、問題は無い。

ただ「少し待ってくれ」と寝坊した事実を伝えると最初に出た言葉。

「何で、ちゃんと目覚ましかけておかないの」
「私は大抵起きられるのに」

そもそも、朝出かける予定があれば大抵は目覚ましをかける。

だから、こういう時は普通こう言うだろう。

「大丈夫。まだ、時間があるから。」
「目覚まし、聞こえなかったんだね。眠れなかったの?」

とかなんとか、質問するのが普通だと思うが、母にはそういう思考はない。

ここぞとばかり、出来なかったことを責め自分はできることをくじゃくのようにひらけかす。
その意図は、自分を高めて相手を落とすという「自分が優越感を感じさせる行為」であることに気がついていない。

多くの親が自分の子供に対してこういう行動を取る。

何故、子供を安心させること、もしくは理由を聞き出すことをしないのだろうか。

親子喧嘩が始まる原因に「まずいと思っているところを攻められて怒り出す」ということになるパターンも少なくないだろう。

出来なくてもいい。
起こってしまったんだから。
でも、出来ない理由は何故だろう。
(何かきっと理由があるはず。)

こんな思考にならない理由は簡単。

他者より自分がかわいいから。

自己愛はあっても他者への愛は存在しない。

子供(老人)はできること(迷惑をかけないこと)で愛してもらう努力をする。
でも、条件付で人を愛する行為は、愛するとは言わない。

それでも、自分はその人を愛する義務がある。
何故なら、神様が与えた「母」という人だから。

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