2013年7月10日水曜日

「憎しみ」と「無関心」

神が伝える「愛する仕組み」はシンプルだ。

無条件に愛しなさい、許しなさい。
なぜなら、私が貴方をそうやって愛しているから。

しかし、現代において悪はあらゆるところで憎しみを増殖している。

人はそれに触発され、悪いことが起ってしまったことを、受け入れられず「誰かのせい」にする。
それは、人の魂にも影響し、憎しみを持つ行動を促す。

今日、病院での対応が悪いことをネットでぶちまけた人が自殺したニュースが発表された。
ネットでは、病院側の対応が普通で、彼の不満は「モンスタークレーマー」の行動と捉えられ、非難ごうごう。炎上。そして、彼は今日、自殺した。

この人を殺した「責任」を私達は「自身のこと」として、認識するだろうか。

彼の行為を罵倒した人は彼を死に追いやった行動に加担している。
そして、その報道を読んで、「何もしなかった」自分もまたその加担者だ。

「憎しみ」という感情と「無関心」は、人を殺す。

ある人は、誰かをいじめることで、そして誰かはそれを見ぬふりをして、人の魂を殺している。

神が身近においてくれた人に対して「憎しみ」という悪を見て、それに立ち向かわないのは、悪の存在を許していることだ。
でも「係わり合いになるのは嫌」というのは恐怖からだろう。
恐怖もまた、悪の領域だ。

神を信じないで悪に立ち向かうことは無理なこと。闇に立ち向かうことが出来るのは、光の存在を信じてこそ。
信じていなければ、怯えて何一つ行動出来ない。

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