2013年7月23日火曜日

自分で判断しない世界に住むということ

定価主義は表示を信じるのも同じ発想だ。

誰かが、値段を決めてくれる。自分で交渉する必要がない。
高いか安いかでしかその「物」の価値を判断しない。

食品表示も「偽装」と言って大騒ぎするけど、実際日本の食品、8割以上が輸入品だ。東京の、しかも大規模に輸入しているスーパーの半分以上の商品が日本製で占められるわけがない。

政府だって、そんなことはわかっている。

だから、輸入して、何日か日本の水に慣らしてから出荷すれば「日本産」になるようなルールも作る。

仕組みがおかしいとかじゃなくて、「誰かの判断」を求める消費者がいるから、そういう仕組みが必要になる。

大企業と政府は仲間だし、立法という武器を使って、仲間を助けるのは当然だ。

消費者が欲しいのは「安全で安心な食べ物」だ。
だから、それを提供する仕組みを作った。
何が安全なのか、判断基準を持たない人々には、「お墨付き」や「肩書き」が重要だ。

何かあったときには、責任を押し付けることができるから。

事実は、シンプルだ。

日本の食生活は、輸入に頼っている。
だって、誰も農家をやりたがらないから。漁業も林業も同じだ。

価値観がお金でしか判断しないから、給与が少なく、責任が重い仕事はしない。大変だから。当然の話だ。

でも、消費者が欲しいというものを与えると、買ってくれる。
「(一応)日本製」という「化粧」がつけること。

みんなお金を出せば買うことができると思っているから、特に問題はない。

それを「可能にする」のが政府なら、そりゃあ、大企業と仲良しになるはずだ。
だって、彼らだけが国民の求める値段で提供できるんだから。

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