2013年7月2日火曜日

大量応募の「仕組み」がもたらしたもの

求職中なので派遣にも登録しているが、そのシステムは大手R社が群を抜いて素晴らしいことはすでに紹介した。

転職サイトでもR社が応募者をその気にさせる仕組みを持っていることも紹介した。

時代は変わった。

求人募集はかつて、手書きで履歴書を送る仕組みだった。

だから応募するほうも企業側も、少量かもしれないが、真剣だ。
高い広告を打つ。郵送料をかけて送ってきた真剣な応募者に向き合って意思決定(応募する、しない、その人を採る、採らない、という)する。

今はデジタル時代なので、簡単に大量の募集と応募ができる。
しかも「紹介予定派遣」で選ぶのも、外注の派遣会社に任せられる。

でもこの変化で、企業、応募者のどちらかが幸せになったのだろうか。

仕事は縁だ。

クリスチャンである私は、自分に関わる人は全員神が与えたものと考える。
だから、出会いに意味があると思っている。「応募する」行為は、自分の選択だ。そこで起こることは、どんな結果でも意味があると思っている。

応募する行為は、その会社に対して、自分が関係することを望んだということだ。手書きで、郵送でなく、ワンクリックの程度で。

簡便だから大量に応募することができる。

でも、それはそうやって送られた個人データに向き合う企業もまた、その程度の関心しかないことを応募者は理解する必要がある。

彼らが「もう少し知りたい」という意思表示は、自動化されたメールだ。文面すら考える必要もない。

関係がお手軽にできるのなら、リクルート業務も「作業」になり、応募者の経歴をじっくり見る必要なんてない。
経歴をみてちょっと興味があれば呼びつければいい。

雇うかどうかをきめるのは担当者の責任ではない。
それより上の管理者の仕事なのだから。

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