2013年7月23日火曜日

「誰か」が決めた価値を信じる根拠はどこにあるのか

今ある仕組みが「悪い」なんて思わない。

価値観が判り易いもの、変わらないものを重要視し、自分で判断しないで、誰かに、何かに「判断基準を委ねる社会」は楽チンだ。

特に金額は、この判断を楽にする。

いくらの車、家、時給、給料。だから、判りやすさを求めるテレビ番組を見ていると、必ず金額が伝えられる。

教授やXX委員のような権威者が出てきて、情報の価値を高める。

こういう価値観が一般的になった理由は、「肩書き信奉」が理由であることは間違いない。
その価値だって、金額でランキングする。職人やアートの世界だって、有名になるのは作品が高額だからだ。

ある番組で、有名人の家の中を紹介していたが、ものすごいインテリアだった。「豪華さ」だけが強調されて、スタイルの統一も調和もなく悪趣味としか見えなかった。(ライター、一応、美大出身:これも、肩書き病の一種か?)

確かに好みは意見が異なるが、金額は万人に共通する。

だから、金額を表示することでそれらが「すごいもの」であることを証明し、そんなものを「買う人」はすごい人だから、ニュースになるということになるのだろう。

東京オリンピックのPRの場で猪瀬知事は「私達は、すでに予算がこんなにある」と具体的な金額を言った後、「キャッシュで銀行にあるんだ」と付け加えた。

この彼の言っているニュース映像を見たとき、あまりのえげつなさに絶句した。

しかし、これが今の日本人のレベルだ。
金額でしか価値を計れない。

まあ、この思想は日本だけじゃあないけれど。

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