2013年7月10日水曜日

「条件付愛」が生む価値観

条件付で発生する関係には、その人の個性を尊重する必要はない。

子供も大人も「こうであるべき」というたくさんの基準があるから、それ以下の場合愛する対象にはならないからだ。

それでも関係がある場合、それは義務でしかない。

義務には責任が伴うが、義務を果たすのは「有料」な上、自己愛の強い人間には「無駄な時間」でしかない。

つまり、義務を背負わなければ、責任を果たす必要もない。

だから、みんなそんな重い「条件付関係」を避ける。
何故なら金がかかるから。

結婚しない人々世代は子供時代「条件付愛」をめいっぱい受けてきている。
その価値観を分析すると、「結婚しない方が得」と思うのは当然だろう。

そして、これらの人々が作り出す文化に「個性」は不要だ。
何故なら選択の判断基準は誰かが作った「条件」があるから。

つまり、条件に満たない人は「対象外」であるから切り捨てる。
ここに「自分のクラス」と「対象外のクラス」が出来る。
そして、一瞬で自分がどこに属するかを判断してより多くの条件(情報)を得る努力をする。

テレビの年齢表示は代表的なものだろう。
自分の年代の「普通」を知るために、誰かの情報を知りたがる。

だから、就職が年齢や性別で「対象」と「非対象」と分けるのも当然の結果だろう。

しかし、フィルター付きで、個性を尊重しない社会の価値観を作っているのは、一人ひとりの家庭で「条件付愛」しか与えられなかった私達である。

聖書は「お互い愛し合いなさい」と教える。
そこに「条件をつけて」という言葉はない。

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