2013年7月10日水曜日

「恐怖」の奴隷

人生を生きることはリスクがある。
リスクを取らなければ新しいことは起きないし、変化もありえない。

でも、このリスクを「取って」「変化する」という意思決定が出来ない人が多い。
何故なら、変化を恐れる「恐怖の奴隷」になっているからだ。

今の日本は、誰もが変化を怖がり「恐怖」にその意思決定をゆだねているように思える。

ある友人と、とある知り合いの話をしていた。この知り合いをB子としよう。

B子は、子供が20歳にも関わらず家から出そうとしない。
この子供は高校卒業後、自営業の家でお給料をもらって仕事をしている。
もちろん、親といっしょにも住んでいる。

このB子の子供が「結婚して家を出て、別の職場で働きたい」と言った時、彼女は「まだ早い」と一蹴したという。彼女自身は、20歳で子供を生んでいる。B子は私に「当然だよねえ」と同調して欲しかったらしいが、私には理解できなかった。

だから「貴方の考えはおかしい。20歳の人間が家を出たいと言ったら、送り出すべきだろう。もう、大人なんだから。子供じゃあないのだから、その子の意見を尊重しなきゃ。」という意見を言い合っているうちに、喧嘩になった。

子供を持っている友人にB子の話をすると、一言凄い意見が出てきた。

「人はねえ、余裕の無い時、疲れている時、変化を嫌がるのよぉ。」

これ、真髄ついている。

日本で今、改革が全くできないのは、変化への「恐怖」だと思っていた。
でも、それは「疲れているから」とは思わなかった。

たしかに、今の日本、企業も個人も現状維持だけで精一杯だ。
物質的には決して飢えることは無いのに、今、持っているものを失うことを恐れて変化しない。それは、心に余裕が無いからだろう。

経済的な余裕は、お金の量で決まる。
精神的な余裕は、個人の考え方からしか生まれない。
じゃあ、何の量で測れるか。

たぶん、愛情の量なんだろう。

友人、知人、近所、親戚、家族。

愛情の量で精神的な余裕ができて初めて「変化」を受け入れるのなら、個人主義が蔓延している現代において、そんな日は、本当に来るのだろうか。

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