2013年7月10日水曜日

「無関心」になる判断基準

人は何のためにに生きているのだろうか。

こんな「生きる」本質を語ることが、ばかばかしくなるほど、世の中の価値観は、「金」や「損、得」でしか測れなくなってきているような気がする。

この店は「安くて」「おいしい」
「何億円の家に住んでいる人」
「騙されて、こんなに損をした」

価値観はすべて「儲かること」であり「得である」ことが基準になる。
節電や環境に良いこともすべて「儲かること」に繋がっている。
それ以外のニュースには無関心だ。

たとえば、外国人の社長が、会社の不正を正そうとして首になったオリンパスの件。
その指示をした人は、執行猶予になったけれど、彼が「外国人の社長を「文化の違い」と言って首にした」ことに対して、再度ふれた日本メディアは無かった。

正直になろうとした、勤続30年の従業員あがりの社長を首にした事実。

こういう行為は、人としてどうなのか。日本人としてどうなのか。
その罪の重さについて、誰も問題にしない。

お金で測れないから。判決の年数で測れないから。
判りにくいから、ニュースにならない。

それ「外国人」は「自分」の仲間でもないから「対象外」だし、そもそも終わったことでしょ。

だから、関係ない。

自分にとって「無駄」なことは「考えない、気にしない」こと。
語ることすら「価値無し」と考えること。だから、話題にもしない。

これらの行為もまた、自分の良心を殺す行為だ。
それは、未来に社会を作る「小さな人間」の良心もまた、殺していること。
何故なら、歴史は残ったものの上にだけ、積み重なるから。

それが、良いものであれ、悪いものであれ。

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