2013年7月23日火曜日

ホワイトカラーの職務定義が無い理由は、誰も求めていないから

部長、課長の肩書きが重要な世界では、職務定義なんて不要だ。

特に年功序列でこの「肩書き」で給与が決まる世界ならば、どんなにワークシェアリングを叫んでも意味のない。

そもそも、業務範囲があいまいなんだから、職務や責務の範囲がはっきりするわけない。派遣社員が「技術」が売れないほど、業務があいまいなら、物理的にその場所を離れるわけが無い。

だから、3年も休職したら、会社に居場所が無くなるのは誰だって判ることだ。
その「場所」にいることが「仕事」だのだから。

「いいや、今は、評価の基準が変わって実力評価だ」と言う人もいるだろう。

でも、日本の「仕組み」に変化がないのに、評価の「価値観」が本当に変わるのか?

たとえば、管理職に必要な責任感や統率力。「持っている」と評価されたから、その役職なのか、肩書きがあるから「持っている」と思われるのか。

そもそも、評価できるほど、その能力を持っていると「誰が」判断したのか?
機嫌をとっている上司?

既得権を死守する社会を作ったのは「肩書信者」であり、企業内の価値も肩書きなのに、評価の仕組みは「公平な能力の基準に基づく」と信じている人がいるわけがない。
ましてや、責任範囲もあいまいなタイトルなのに、能力は何を「評価」するのか。

大体、部下はリーダーの背中を見て、子供は親の背中を見て価値観を学ぶ。

1960年代、出世競争に勝つために、上司の引越しを手伝う親を見て育った子供達が部長になった時、その価値観が「時代が違うんだから、息子は違う」と考えることができるのなら、それはそれで素晴らしいことでだ。

どうして、そう信じられるのかは理解できないけど。

0 件のコメント:

コメントを投稿