2013年8月13日火曜日

歯を6本抜かれて思った・・・支えあう意味

歯周病悪化で上あごが総入れ歯になった。

健康な歯を抜かれながら思った。
これ「教会活動」にも通じることあるなあ、と。

歯は何のためにあるか。食べ物を噛むためだ。生きるために食べなければいけないのだから。

だから、歯が「噛む」機能を失うのは「生きる」ことが難しくなるということだ。

別に、教会に行かなくても礼拝を守ることはできる。
一人で聖書を読んで、礼拝もオンライン。
バーチャルなグループに所属することもできるだろう。
たしかに、今の時代、そんなことが可能になった。

聖書から学べるのならば自分ひとりが「生きる」目的は果たすだろう。
しかし食べるために必要な「歯」のような「噛む」機能は果たすのだろうか。

教会は、人が集って礼拝する場所だ。
そして、集まることでキリストと共に生きる目的を持ちながら生活することができる。

一人ひとりが、信仰を持って力を合わせて生きてゆく。
健全な歯、一本一本が集まることで「噛む」という機能が果たせるように。

弱くなっても、強い者が支えてくれる。
数が減っても、支えあうことでなんとか機能を果たす。

それは「生きる」ことに繋がる。

神が「人」出会わせる意味は、その人だけが何かを「得る」ためだけではない。

貴方もまた神が必要として生まれてきている。

だから、出会った「人」をまず愛することだ。
教会を支え続けてくれる老人達に対して感謝し、今度は「若者」が「支える」役割を認識する必要がある。

生きるために重要な「機能」を果たすために。

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