2013年8月15日木曜日

障がい者を「特別扱い」する必要はあるのか

子供の頃、父親が黒人のことを「汚い」と表現したとき、ものすごい違和感があった。今でも覚えている位だから、強烈な違和感だったのだろう。

その後アメリカで、障がい者が「ディスエイブル(できない)」と呼ばれていることを知った。

「ハンディキャップ」は使わないそうだ。

それを知って「障がい者」という言葉に常に感じていた「違和感」が消えた。

差別の「思い」が生み出す「言葉」や「文章」は、自分にいつも「違和感」を与える。

今、日本で精神的障がい者を取り上げるニュースも多いけれど、その切り口には「特別扱い」が必要であることを強調しているように感じる時がある。

でも、本当に特別扱いが「必要」なのだろうか。

「特別な理解」は必要だ。

でも、彼らが「平等の権利」として「学ぶこと」が出来たなら、仕事をすることに必要なのは「能力」だけだ。

だから、個人的には「特別扱い」もまた「差別」なように思える。
ただ、社会が変わりそうもなければ「特別扱い」は必要だろう。

ただ「障がい者」自身がそれを「当たり前の権利」と感じることがあれば、それはまた「違和感」を感じてしまう。

どんな対応も「正解」はない。
ただ、障がいの有無に関係なく、どんな人間にも必要なのは「特別扱い」でなく「状況への理解」だ。

個人を理解し、尊重することだ。

誰にでも、出来ないことがある。
でも、出来ることの方がもっとあるのだから。

出来ないことを「強調」する必要なんてない。
できることを「強調」すべきだ。

障がい者であろうが、無かろうが。
人として、そこに大した違いはないのだから。

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