2013年8月11日日曜日

「盗むべからず」という教え

人が作った創作物をコピーしたり、勝手に自分のサイトとして利用したりすることが、簡単にできるようになった。

できるから、やっていい、ということにはならない。
違法じゃないからやっていいということにもならない。

「盗んではいけない」という聖書の教えは、法律やマナーをはるか超えたところで人として「やってはいけない」ことを明確にする。

デジタル時代より前、音楽を演奏するときは、どんな時でも、アーティストはもちろん、その音楽の創作者もきちんと対価を得ていた。

IT技術が発達することで、誰もが簡単に「音源」や「画像」を作ることができる仕組みができた。
著作権管理が難しくなってきても「創作者が対価を得る権利があること」は誰でもわかる。

面倒だから、判らないから、でも、やりたいから、と言って他者の創作物を無断で流用する行為は「盗む」ことだ。

それで1円でも収入を得ているのなら「盗品販売」と同じである。
金額の問題ではない。

「引用」と「流用」は全くの別物だ。

論文の書き方を教わった時、引用のルールを、そして、文献のコピーは盗用であることを徹底的に学んだ。

音楽、動画、画像、何でも創作者の労力を尊重しなければ、「自分が作ったもの」への「他者からの尊重」は、決して得ることが出来ないだろう。

一人ひとりが「しない」選択をする。
行動を選択するのは自身だ。

法律があろうが、無かろうが、人として「やっていはいけないこと」が存在する。

「盗んではならない」というのは、その一つだ。

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