2013年8月13日火曜日

暴力は「悪」。例外は無い。

体罰が多くなったとか、体罰は不要とか議論は不要だ。

暴力は「悪」だ。
それ以上でも、それ以下でもない。

体罰という単語も否定する。

権力を持った者が、弱いものに肉体的に傷つけることを肯定するような単語が存在すること事態、間違っている。

「障がい者」の単語から「害」を取り除くようになったように、「体罰」と言う言葉は使用禁止にして「暴力」と呼ぶべきだ。

どんな人も、貴重な個性ある「人」であると尊重する気持ちがあれば、子供だろうが、大人だろうが、暴力を振るうことなど決してできない。

「やっても良い暴力」などあり得ない。

体罰だ、しつけだ、と言い訳をさせるような価値観の存在自体が、加害者に言い訳させる。

「たいしたことじゃあないだろう」という傲慢の芽は必ず大きくなる。
何故なら、「罪」は人の「欲」から発生しているからだ。

悪いことは「悪い」、やってはいけないことをやった「罪」を自分で認めなければ、未来の行動は変わらない。

それは万引きでも殺人でも「罪」の大きさに違いは無い。

そして、人は間違いを起こす。
だから、許す必要があるのだ。

神が人を許したように、人もまた人を許す必要がある。

許された人は、その「罪の重さ」を認識しなければ、決してその後の行動は変わらない。

その傲慢さもまた人の持つ「罪」だから。

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