戦後補償の考え方は、その国々で異なるのは仕方がないとしても戦争を起こした責任への向かい合い方は、その後の社会形成において大きく異なるように見える。
ドイツが戦後補償のための基金を作ったが、この財源は国だけではなかった。
比較的被害の小さかった企業からも集めて「持てる者の責任」を求めた。
これは、持てる者が持たざる者を助けるのは「国民としての責務」という理念があるから、法を作って弱者を助けることができた。
クリスチャン文化だからだろうか。
また、ドイツには「ナチス」という怪物を生んでしまった現実があるが、これについても「事実を未来に教育し、忘れない」という責務を認識し立法されている。
これも、「自分たちは罪びとである」と認めるクリスチャン文化ではそれほど違和感はない。
つまり、立法は国民の「理念」から作られるものと言えるだろう。
では、日本はどうだろうか。
当時の司令官を死刑にすることで、当時の政治家達は、国としての責務は果たしたと思っていたのだろうか。
戦前の日本にあった「国家無答責の法理」という考えは、当時も今もあまり変わっていない。
国は「悪くない」。悪いことをやった「人」が悪い。
処分すればいい。
国民もまた、悪いことをやった人間をつるし上げる。
責任は「悪いことをやった人」にあると。
だから、立法は、そういう理念を支える。
「悪いことができないように」規制や管理が増えて、雇用が増える。
その管理費のために、ますます税金は高くなる。
確かに経済活動を促す仕組みだ。
そして、おめでたいほど、すばらしい理念だ。
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