美術大学で学んだことは、アートではなかった。
「なぜ、表現するのか」ということを徹底的に考えさせられた。
歴史や哲学を勉強し、なぜアーティストが「こうやって表現したのか」を学ぶ。
社会情勢や芸術仲間からの影響を「こんなスタイルに見ることができる」というように、「表現」の意味を探り、自分がどうして「作品を作るのか」を語れるようになる訓練を受けた。
趣味で作品を作ることと大きく異なるところだ。
音楽家、写真家、すべての表現者はメディアを使って思いを表現してきた。
メディアは「思い」を具現化するための手段だった。
でもカメラが「技術」を乗せて、誰もが「芸術家風」のイメージを作れるようになった。コピーすることも罪悪感を感じない。
データももらうのは無料だからイメージも「無料」だと思っている。
「イメージ」は「感動」したから生まれる。
そして、技術を習得したから可能になる。
そんな努力を無視して「いいカメラは違うねえ。それ頂戴。データでしょ。」と発せられる言葉に、どれだけ創作者が傷つくのか、考えたことがあるのだろうか。
人は、神をまねて作られた。
そして、人は神を真似て、物を作ろうとする。
神は人を愛したくて作った。
人もまた、作るものに情熱を傾け、作ったものをいとおしく思う。
それを気軽に欲しがる人がいる。
それらは大切にはされない。
なぜなら、簡単に手に入るから。
愛情も人間関係も、簡単に手に入れて顧みない消費するだけの価値観。
その選択の先は何が起こるだろう。
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