日本で「買う」行為には「定価」が大きく影響する。
かつては大企業が「この値段」と言って公言していた時代もある。
だから、物の価値を「自分で決める」ことには慣れていない。
というより、ほとんど出来ない。
アジアの国々に行くと判るけれど「定価」という「誰か」が決めた基準は何処にもなく、自分で相場を調べる必要がある。
その上で、いろいろな場所で値段と質を吟味して、買うかどうかを決めなければならない。
そんな場所での価格は「言い値」に近い。
しかも、人によって値段が変わる。
観光客なら、吹っかけられるが、地元人なら安くなる。
学費だってそうだ。金持ちなら高い学費を払ってもらうし、貧しい人は少ない。
当然だろう。
持っている人から取る方が、商売としては合理的だ。
こういう世界で「いくらですか?」という問いの答えにほとんど意味が無いことが判るだろう。
値段はその人がお金を持っている社会的地位によって変わるのだから。
これは「公平」だと思う。
持てる人はより多くのものを社会に還元するだけではなく、「持てるもの」としての「責任」という価値観を示す必要がある。
その行動がリーダーとしての威厳を身に付けさせ、時代を率いてゆく。
まずは、一人ひとりが「持てる者」であることを意識し、出来る範囲で分け与える。時間、労力そして能力。
お金で計らない「何か」を、社会に戻す。
少しずつ。
出来る範囲でいいから。
「公平」な社会のために。
神から与えられた能力を社会の中で活用するために。
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