2013年8月15日木曜日

自己表現の「欲望」

最近、自分の迷惑行為や常識知らずの行為を公表して、バッシングを受けている人達がニュースになっている。
これらの行為に対して、企業の対応も真剣だ。

これら一連の「若者の行動」に対して批評する人も少なくない。
これらの「人達」を「どう教育すべきか」なんてもっともみたいな「権威在る人達」の意見もある。

でも、これは変な話だ。

だって「権威ある人達」が作った、教育システムで大きくなった「若者」がやっている行為なのだ。

彼らは、大人の「価値観」を学んだ。
それを彼らなりに表現しているだけだ。

「悪名は無名よりマシ」という価値観がある時代、問題はIT技術ではない。
ツールがあるからというのは、たしかに一因ではあるけれど。

ただ、この現象自体、本当に「問題」だとは思わない。

馬鹿な行動をする若者はいつの時代もいる。
暴走族なんて、どれだけ大人を翻弄させたのか。

つるんでも「注目を浴びたい」という「欲望を表現する行為」が社会通念から外れることは、歴史的に見ても一般的だろう。

60年代の学生運動だって、参加している自分に酔っている人たちがたくさんいた。

ネット時代に、それを「個人」でやる若者と何が違うのだろうか。

企業がその行為を大騒ぎするのは理解できる。
でも、昔も多分そういうことをやるような若者はいたはずだ。

でも、職場で怒られるし、大人の背中を見て、衛生責任の重さを学んでいたはずだ。

だから、そういう職場は、そこで働く大人も食品衛生に関して、似たような価値観を持って仕事をしていることだ。

雪印しかり、赤福しかり。たいした違いはない。

だから、再発防止に躍起になるより、自分達がどんな意識で「仕事」をしているか、再確認するべきだろう。

0 件のコメント:

コメントを投稿