2013年8月24日土曜日

儀式が無くなる「死」が増える社会の価値観

最近、TEDという番組である医者の言葉に考えさせられた。

彼は、医者が患者に「触らなくなった」ことを問題視していた。
そして、聴診器で音を聞いて、触診をすることが「医者と患者の信頼関係を作る儀式だ」と語っていた。

かつて、社会文化上、儀式は「変化」を認識するのに必要なことだった。
結婚式、お葬式。つまり今までの生活が「変化する」ことを自他共に認める行動であり、重要な役割を持っていた。

しかし、今、結婚式も葬式も「しない」人が多くなった。
この事実は、当事者達が、それらによって、生活が変化しないことを期待しているように思える。

離婚が増えたのも、決して関係が無いとは言い切れないだろう。

結婚式をせずに妻との生活に入り、自分の生活リズムを変えたくない夫。
親が死んでも遺体と住んで年金をもらう家族。
「変化」を嫌うあまり彼らが取る行動は、周りの人間を困惑させる。

人生は、変化の連続だ。

仕事が無くなっても、何とかなる。
二人で助け合えば。家族で助け合えば。分け合えば。
信頼し合えば。

だから、愛する人を失った時は、儀式が必要だ。
その「変化」を自他共に認知するためにも。

儀式が必要というのではなく、儀式が持つ「意味」が重要なのだ。

形式だけを重んじた社会は、家族もまた形式だけになった。
虐待や離婚も形式だけを重んじた社会の歪みだ。

だから、人と関わる時は「覚悟」を持とう。

縁があったのだから。一人ひとりが選んだ「変化」なのだから。

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