某NPOが復興予算を使い切って破産した件、誰かが伝票を使ってNPO団体に「入金」している訳だから、経理部の誰もが知っていただろう。
だいたい、街の予算、6割の金額がNPOに送金される伝票をみれば、事務員だって「ええっ」と思うはずだ。
金額が大きければ、承認印の数は多くなるはずだから、伝票を見ている人もかなりの人数だったろう。
でも、誰も言わない。
「自分よりえらい人がOKしているんだから」と思って、見ないふりをする。
日本の組織は、どこでも同じだ。
自分が払った税金が、どういう風に使われるかの意識がないから、「自分の仕事」だけをやる。
結果、取り返しの付かないことになっても、当事者意識はない。
そして、問題になった時「誰も責任を取らない」文化では、誰も「責任を追及しない」。
追及するのは「悪いことをやった」人だ。
5歳の子供でも判ることだ。
そして、事実を知っていた人達は「自分の責任ではない」ということを言い聞かせる。
「自分の上司が承認したんだから」と。
でも「悪いことをやった」と思う人を「悪い」と訴えて、何が変わるのだろうか。
金も戻らないし、無責任な体制は、責任を問わないのだから、仕組みは何も変わらない。
「悪いことをやった」と思う人に刑を負わせるのは感情論を満足させるけれど、同じことが起こるリスクは100%だ。
お金を「もらう人」と「与える人」がいるならば、「もらった人」より「与えた人」の責任の方が大きいだろう。
住友商事の銅取引だって、その責任を追及して、銀行に勝訴しているのだから。
だから、世界一般には、「責任」を負う立場にいる人間が高い給与をもらうのは当然だと考えられている。
部員0の「部長」という肩書きで給与が貰える日本は違うけど。
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