中毒を「依存症」と言い換えて「病気」としても、問題の深刻さは変わらない。
この根本的な原因は、単純に自身の「欲望をコントロールできない」ことだ。
子供はそのコントロールが出来ないから、大人が制限する必要がある。
ただ、中学生でも、大人でも、現象は変わらない。
まず自分が「病気」だと認めることから、治療は始まる。
しかし、それを「病気だから」と言い訳しても何も変わらない。
問題は「自分自身」にあり、それに向き合わないことは、治療を阻むことになる。
そもそも、何故依存するのか。
何故、それを「止める」力が自分は無かったのか。
大抵の場合、自分の「欲望」が満たされていない不満、もしくは、苦しいことからの逃避だ。
つまり、満足を得て、苦しいことが起きなければ、依存は起きない。
「権威者」は反論するだろう。
「そんな単純な話ではない」と。
でも、事実はシンプルだ。
逃避はともかく、欲望には限界がない。
だから「もっと」ということになり、決して満足には至らない。
事実、医者は患者が「病気」である間、薬を売って儲けるが、患者は金を失う。
もちろん、金だけではない。
健康や仕事や希望もだ。
だから聖書は、人の欲望がどれだけ「罪」であり、危険な「悪」なのかを繰り返し語る。
人は、欲望のままに生きることで、神が与えた自分自身さえ壊してしまう。
だから、神は人に聖書を与えた。
だから、神はイエスを送られた。
そんな罪人であっても神は人を愛している。
この事実を伝えるために。
何故なら、人は神の創造物だから。
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