信仰は、空気であり、水であり、生きるために必要なものだ。
信じているから、希望が持てる。
信じることが無ければ、踏み出すことはできない。
だから、私は信仰を持てたことに感謝している。
導いてくれた人を、彼らを私の人生に与えてくれた神に感謝している。
ただ、私の信仰は「自分ため」だけだったような気がする。
人に押し付けたら悪いなあ、と思ってあまり主張もしなかったし、クリスチャンであることも公言しなかった。
でも、ある時から変わった。
信仰を「持つ」というには、自覚であり、覚悟だ。
たとえばオンラインショッピングで「購入」ボタンを押して自転車を買うように。
でも、信仰を持っただけでは意味がない。
「これを買った」という自己満足で終わるものではないからだ。
だから、理解しようとする。
たとえば、買った自転車に乗れるように練習する、みたいに。
そして、自転車に乗れるようになればそれで「どこかに行く」。
活用するために購入したのだから。
つまり、信仰も「持って」「理解して」初めて「目的」に向けて活用することができる。
それは「生きるため」だ。
病に倒れても、誰かに無視されてれも、生きていることの重要性、その意味を教えてくれる。
聖書が2000年も読み続けられてきているのは、教会組織の存在だけが理由ではない。
彼らが聖書の教えを「活用」したからだ。
自分もまた、それを活用する「義務」がある。
次の世代のために。
人生は、自分ひとりのためのものではない。
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