2013年8月19日月曜日

戦後補償という「考え」・・・対国民

お盆の頃は、反戦番組が多いけれど、最近見た番組でちょっと驚いた。
それは、日本において、一般市民の空襲被害者に補償が何もなかったということ。

兵隊とその家族へは手厚い補償が出た。
これは「国が雇用したから」だそうだ。

それ以外の「国民」は「受忍論」という理論の元「みんなが受けた被害なのだから、公平に受け入れるべき」という考えらしい。

さすがに、新しい憲法に基づくと、その「国」の考えは「間違っている」と思う人も少なくなかったようだ。

原爆被害者の場合は1957年に最初の援護的法律ができている。
それでも終戦12年後だ。

その財源元は、原爆を落としたアメリカではない。日本国だ。

落とされたものは、原爆だけではないのにもかかわらず原爆被害者だけが救済された。

このような「被害者の不公平」を変えるために、40年間、空襲被害者等援護法は14度ほど国会に提出されたけれど、すべて廃案。

過去20年は提出さえされなかったらしい。

ドイツの場合、被害者には差別がなく「国の名の下に起こした間違った戦争に巻き込まれた人に対して、国は道義的にも補償する義務がある」という理念の下で救済法が立法されている。

なぜ、日本はそんな考えにはならなかったのか。

これは、戦前の日本にあった「国家無答責の法理」という考えのためらしい。

これは「国家や公務員の違法な行為で損害が出ても国は賠償責任を負わない」というものだ。

これが日本社会が「政権を変える」ことでしか問題に対応しない思想につながっている。
だから、その役職につく人に「その責務を自覚しろ」と言っても無理だ。

でも、アメリカから貰った「憲法17条」が責任追及の権利を国民に与えた。
女性への選挙権もだ。

これが与えられていたから、国民が「国」へ立法で解決することを求めることができた。

でも、日本は変わったか?

変わらない。
そもそも日本の大組織には、職務に対する「責任」の義務を自覚しないのだから。

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