2013年8月6日火曜日

サラリーマンとして生きる価値観は、若者も同じ

オリンパスの件、裁判であっても、委員会での処分であっても、日本の仕組みを考えた時、こういう結果は当然と思える。

いろいろ言い訳はあるだろう。

法律が違う、時代が違う。
でも、事実は1つだ。数字を変えても、解釈を変えても、「起こった事実」は変わらない。

たとえば、日本の国債の金額。復興予算の消滅。
結論を出さない会議。

それは、一人ひとりの自分達の選択(する、しない)の結果だ。

責任者としての立場にいる人間は、問題に直面せず「今、決断できないから後で」というように決断しなかったこと。

そして、そうでない人間は、問題を生んだ当事者としての意識なく、「誰か」が「対応」することを任せたこと。

そのための言い訳を大量に作って「対応したふり」をする。

いろんな手法で誤魔化せるうちはいい。

他者を首にしたり、追い出したり、言い訳したり。
でも、その先にあるのは「人間不信」だ。

会社の新人が「素直だけど、間違いを認めない」という意見があったが、これは仕組みを考えると、当然だ。

今は、万引きしても「金を払えばいいんでしょう」という親が多いらしい。

子供が何かすると「先生がちゃんと見てなかったから」となる。

責任は「誰か」にある価値観とすべてが「金額」で測定する世界で生きてきた若者なら、当然の行動だ。

付き合いは自分にとって「得」か「損」かしかない。
だから、大丈夫。
会社において、素直に認める方が自分に「得」と判れば、彼らは変わる。

彼らもまた、仕組みの中の人間だから。

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