「お仕事をする」ことは、プロとして責任を取る必要はない。
オリンパスは、社長も会計士も20年もかけて700億ほどごまかしていたけど、ちゃんと「反省できる人達」だし、外国人社長を首にしてまで、会社を守ろうとした。許してあげましょう。
そうすれば、沢山の雇用も守れるし、株主も文句言わない。
メディアももう忘れようよ。そうすれば、また広告代、たくさん払うから。
この事件、日本の労働環境における2つの特徴を示唆している。
まず、日本の仕組み全体で、既得権死守の「仲間は助ける」というのが不文律になっていること。だから、「変化」は「悪」で、「今のやり方」に間違いは無い。
それを指摘する人を排除し、それを肯定する。
もうひとつは、「仕事」は技術を提供することで、その職業の「社会的意義」となる「哲学」は不要ということ。
肩書き信奉が、幼稚園児まで行き届いている日本では、「仕事」は「金を稼ぐ」もので、給与は高いほど良い。
何故、医者が必要なのか、どうして、会計士が高い給与を貰うのか、彼らはどういう使命をもっているのか、は関係ない。
給与の高さは責任の重さではなく、資格の難しさになってしまった。
だから、難しい資格が取れない人も、「金を稼ぐ」ために「資格」が必要だ。
だから、その資格を発行する団体を作る。それが、役人の天下り先だ。
そうして、雇用が増える。
そして、一旦雇用すると「既得権保持者」という「仲間」になる。
そして役所は「お仕事」をするためにその「資格」を必須条件とする法律を作る。
うまい仕組みだとは思うけど、これはどんな価値観を将来の日本人に示しているのだろうか。
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