2013年8月6日火曜日

宗教と心理学・・・信じたい言葉を「権威者」が語る恐怖

この記事が「怖い」と思うのは「企業に所属すること」が「生きること」であるという思想が「普通」であり「肯定」されて書かれていることだ。

でも、「生きるため」には、企業に「頼る」必要はない。

会社は、仕事をする場所だ。

信仰(宗教)は、魂のための水だ。
生きるために必要なものだ。

この記事は、それを「企業(会社)」と同じレベルで語っている。

水が無くては生きてゆけないが、企業が無くても生きてゆける。
事実、人間戦争中もそうやってお互い助け合って生きてきた。

食べ物が買えなければ、作ればいい。
みんなそうした。働き場所がなければ、自分で、商売すればいい。
みんなそうして、自分の責任を背負って、会社を作った。

「企業に所属すること」を選択したのは、一人ひとりだ。
しかも、20年以上生きている大人だ。

なのにそれを「洗脳」という悪いイメージを持った言葉で説明することで「貴方は悪くない」という責任転嫁の価値観を「肩書き力」を利用して、与えている。

これが、もうひとつこの記事から与えられた「怖さ」だ。

記事には、こんなことはひとつも書かれていない。

でも、この記事全体から受けた「怖さ」は、自分の行動を理解するための学問が、自分の「選択の責任」を問わないことが「あたりまえ」になっていることだ。

それほど「結果の責任」について誰も議論しない。
何故なら、「変化する」と「決めた人」がどこにもいないから。

一人ひとりを含めて。

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